21.-5






ブラックは口を閉じた。
黙って、それから、ハリーを見た。
ハリーはブラックの目を、じっと見詰め返している。





「信じてくれ。」





願うようにブラックが言った。





「信じてくれ、ハリー。私は決してジェームズやリリーを裏切った事はない。
裏切るくらいなら、私が死ぬ方がましだ。」





ハリーは真剣な表情でブラックを見つめていた。
今までブラックに向けていた憎悪の念はさっぱり消え失せていた。
ゆっくり、ハリーは頷いた。それが答えだった。





「だめだ!」





ペティグリューが悲痛な声で叫んだ。
崩れ落ち膝をつく。
そのまま四つん這いの体勢で、ブラックの方へ擦り寄っていく。





「シリウス―――私だ……ピーターだ……君の友達の……まさか君は……」





ブラックが足を振り上げた。
反射的にだろう、ペティグリューは後退りした。





「私のローブは十分に汚れてしまった。
この上お前の手で汚されたくはない。」





そのままじっと見下ろす。同情などない。あるのは明確な殺意のみだ。
ペティグリューはじりじり後退った。呼吸が荒かった。





「リーマス!」





そして、今度はルーピンの方へ方向転換した。
ただ名を呼んだだけなのに、その声には哀れをそそるような色が滲み出ていた。





「君は信じないだろうね……計画を変更したなら、シリウスは君に話したはずだろう?」



「ピーター、私がスパイだと思ったら話さなかっただろうな。」





ルーピンは冷たく答えた。
最初の頃の奇妙な穏やかさは全く無い。





「シリウス、多分それで私に話してくれなかったのだろう?」





ペティグリューの頭越しに、ルーピンが何気ない調子で言った。





「すまない、リーマス。」



「気にするな、我が友、パッドフット。」





ブラックはちょっと申し訳なさそうだ。
ルーピンは袖を捲り上げながら、穏やかに言う。





「その代わり、私が君をスパイだと思い違いをした事を許してくれるか?」



「勿論だとも。」





ブラックの痩せこけた顔に微笑みが浮かぶ。
ルーピンと同じく、袖を捲り上げ始めた。





「一緒にこいつを殺るか?」



「ああ、そうしよう。」



「やめてくれ……やめて……」





ペティグリューの呼吸が荒くなった。その内過呼吸で倒れてしまいそうだ。
助けを求めるように目が盛んに動き回る。
そして、ロンの側に近寄った。





「ロン……私はいい友達……いいペットだったろう?私を殺させないでくれ、ロン。お願いだ……君は私の味方だろう?」





ロンはペティグリューを睨み付けた。





「自分のベッドにお前を寝かせてたなんて!」



「優しい子だ……情け深いご主人様……」





ペティグリューはロンの方にじりじり這い寄っていく。





「殺させないでくれ……私は君のネズミだった……いいペットだった……」



「人間の時よりネズミの方がさまになるなんていうのは、
ピーター、あまり自慢にはならない。」





ブラックが容赦なく言った。
ロンは痛みに歯を食い縛りつつも、折れた足を無理矢理、ペティグリューの手の届かない方へ移動する。

ペティグリューは膝をついたまま方向転換をした。
前のめりになりながら、ハーマイオニーのローブの裾を掴む。





「優しいお嬢さん……賢いお嬢さん……あなたは―――あなたならそんな事をさせないでしょう……助けて……」





ハーマイオニーは怯えた表情で、慌ててペティグリューの手からローブをはがした。

ペティグリューの顔が、今度は名前の方へと向けられる。
じりじりと膝で這い寄り、祈るように手を握って名前を見上げた。





「ナマエ、ナマエ。君は冷静だ…それに賢い…君なら分かるだろう?こんな事あっちゃいけないって…殺すなんて…そんな事……」



『…』





名前はじっとペティグリューを見下ろす。
ペティグリューも、願うように名前を見上げ続けた。
やがて目をそらし、壁まで下がった。

ペティグリューいよいよ震え出して、呼吸もこれ以上無いくらいに乱れきっている。
そして、ハリーに顔を向けた。





「ハリー……ハリー……君はお父さんに生き写しだ……そっくりだ……」



「ハリーに話し掛けるとは、どういう神経だ?」





すかさずブラックが怒鳴り付けた。





「ハリーに顔向けできるか?この子の前で、ジェームズの事を話すなんて、どの面下げて出来るんだ?」



「ハリー。」





ブラックの声を聞いているのかいないのか。
ペティグリューは必死だ。
必死でハリーに擦り寄りながら、話を掛けるのを止めない。





「ハリー、ジェームズなら私が殺される事を望まなかっただろう……ジェームズなら分かってくれたよ、ハリー……ジェームズなら私に情けをかけてくれただろう……」





ブラックとルーピンの二人が大股に近付いてくる。
尚も擦り寄るペティグリューの肩を引っ掴み、床に倒した。

ペティグリューは恐怖に身体中を強張らせ、目を見開いて二人を見詰めている。





「お前はジェームズとリリーをヴォルデモートに売った。」





ブラックの体が震えている。





「否定するのか?」





ペティグリューは急に泣き出した。
名前は驚いたように、ちょっと目を見開いた。
大の大人が赤ん坊のように泣き喚いているのだ。





「シリウス、シリウス、私に何が出来たというのだ?闇の帝王は……
君には分かるまい……
あの方には君の想像もつかないような武器がある……
私は怖かった。シリウス、私は君や、リーマスやジェームズのように勇敢ではなかった。私はやろうと思ってやったのではない……
あの『名前を言ってはいけないあの人』が無理矢理―――」



「嘘を吐くな!」





ブラックは驚くほど大きな声を出した。





「お前は、ジェームズとリリーが死ぬ一年も前から、『あの人』に密通していた!

お前がスパイだった!」



「あの方は―――あの方は、あらゆるところを征服していた!」





ペティグリューはブラックに負けないくらい大きな声を出した。





「あの方を拒んで、な、何が得られたろう?」



「史上最も邪悪な魔法使いに抗って、何が得られたかって?」





ブラックの青白い顔は怒りに染まっていた。





「それは罪も無い人々の命だ、ピーター!」



「君には分かってないんだ!」





ペティグリューは悲痛に叫ぶ。





「シリウス、私が殺されかねなかったんだ!」



「それなら、死ねばよかったんだ!」





ブラックが叫んだ。





「友を裏切るくらいなら死ぬべきだった!
我々も君の為にそうしただろう!」





怒りに震えるブラックの隣に、ルーピンが立つ。
静かに杖を上げた。





「お前は気付くべきだったな。」





呟くようにルーピンが言った。





「ヴォルデモートがお前を殺さなければ、我々が殺すと。
ピーター、さらばだ。」





今ここで殺人が行われる。

殺人はいけない事だ。名前は思う。
しかし、名前の手足は止める為に動こうとしない。

彼らは裏切られた。
大切な人々を殺された。

名前の道徳観と、彼らの気持ち。
それらを天秤にかける事が出来るのだろうか。
どちらかを選ぶ事が出来るのだろうか。

二本の杖の照準がペティグリューに合う。
ハーマイオニーが両手で顔を覆い、壁の方を向くのが視界の端にチラリと見えた。





「やめて!」





ハリーが叫んだ。

その声に名前が我に返って顔を上げた時には、ハリーはペティグリューを庇うよう立っていた。





「殺してはだめだ。」





ハリーは少し息を切らしながらも、はっきりと言った。





「殺しちゃいけない。」





ブラックとルーピンは目を見開いた。
そして、眉根を寄せた。





「ハリー、このクズのせいで、君はご両親を亡くしたんだぞ。」





ブラックが低い声で言った。





「このヘコヘコしている碌でなしは、あの時君も死んでいたら、それを平然として眺めていたはずだ。
聞いただろう。小汚い自分の命の方が、君の家族全員の命より大事だったのだ。」



「分かってる。」





ハリーは苦しそうに息をしている。





「こいつを城まで連れていこう。我々の手で吸魂鬼に引き渡すんだ。こいつはアズカバンに行けばいい……
殺す事だけはやめて。」



「ハリー!」





ペティグリューは叫び、両腕でハリーの膝を抱き締めた





「君は―――有難う―――こんな私に―――有難う―――」



「放せ。」





ハリーはペティグリューの手を撥ね付けた。





「お前の為に止めたんじゃない。僕の父さんは、親友が―――
お前みたいなものの為に―――
殺人者になるのを望まないと思っただけだ。」





そして、沈黙に包まれた。
時が止まったように、ブラックとルーピンは杖を向けたまま動きを止めた。
その場にいた全員が、そのままの体勢で動かなかった。

やがて、ブラックとルーピンはゆっくり顔を見合わせる。
二人同時に杖を下ろした。





「ハリー、君だけが決める権利がある。」





それから口を開いたブラックの声は掠れていて、落ち着いた様子だった。





「しかし、考えてくれ……
こいつのやった事を……。」

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