19.-2
「エクスペリアームス、武器よ去れ!」
元々はロンの物であろう杖を三人に向け、ブラックは唱えた。
杖は手から飛び出し、ブラックの手に収まる。
落ち窪んだ目でハリーを見据えながら、ブラックは一歩踏み出した。
「君なら友を助けに来ると思った。」
低いその声は、濁り掠れていた。
「君の父親も私の為にそうしたに違いない。
君は勇敢だ。先生の助けを求めなかった。有難い……
その方がずっと事は楽だ……」
弾かれたように、ハリーが身を乗り出した。
咄嗟にハーマイオニーとロンがハリーを掴む。
名前は三人の前に進み出て、怒りで周りが見えない状態のハリーを抑えるように立った。
「ハリー、だめ!」
「ハリーを殺したいのなら、僕達も殺す事になるぞ!」
威勢良く言いながら立ち上がったロンは、走る痛みに歯を食い縛り、僅かによろめいた。
「座っていろ。」
落ち着いた様子でブラックはロンを見遣る。
「脚の怪我が余計酷くなるぞ。」
「聞こえたのか?」
ロンの食い縛った歯の間から出てくるのは、浅く荒い呼吸とか細い声だった。
それでもハリーの肩を掴み、何とか立っていようとしている。
「僕達四人を殺さなきゃならないんだぞ!」
「今夜はただ一人を殺す。」
「何故なんだ?」
掴んで離さないロンとハーマイオニーの手を振り解こうとしながら、
前に立つ名前の背を押し退けようとしながら、
ハリーはブラックの薄笑いを睨み付け、吐き捨てるように聞いた。
「この前は、そんな事を気にしなかったはずだろう?ペティグリューを殺る為に、沢山のマグルを無惨に殺したんだろう?……
どうしたんだ。アズカバンで骨抜きになったのか?」
「ハリー!
黙って!」
「こいつが僕の父さんと母さんを殺したんだ!」
怒鳴ると同時に渾身の力で二人の手を振り解き、名前の背中を押し退けて、ハリーはブラック目掛けて飛び掛かった。
ブラックは何故か杖を上げ遅れた。
その一瞬の隙に、ハリーは片手でブラックの手首を掴んで捻り杖先をそらせ、もう一方の拳でブラックの横顔を力一杯殴った。
二人は共々倒れ、壁にぶつかった。
『…』
ハーマイオニーは鋭い悲鳴をあげ、ロンは何事か喚いた。
どちらも言葉にはならないものだった。
押し退けられた名前は態勢を整え、ブラックとハリーの方に近寄る。
閃光が走った。
ブラックの持っていた四本の杖から火花が噴射したのだ。
辺りを好き勝手に飛び、床や壁に当たって音を立てた。
ハリーはブラックから離れない。
押さえ付けながら、ただひたすらに殴っている。
「いいや。」
ブラックは空いている手でハリーの喉を掴んだ。
殴り続けたハリーの手が、そこで初めて止まる。
「もう遅過ぎる―――」
指が首に食い込んでいく、その時―――
ハーマイオニーがブラック目掛けて渾身のキックをした。
ブラックは痛みに呻き声を上げハリーを手放し、そこへロンが、杖を持った腕にこちらも渾身の体当たりし、四本の杖は床に散らばった。
両手の空いたブラックを素早く捕え、名前はブラックの両腕を捻り上げた。
一瞬の出来事だったが、本人達が一番驚くくらい息の合った連携プレーだった。
散らばった四本の中から自分の杖を見付け出すと、ハリーは直ぐ様杖に手を伸ばした。
「ウワーッ!」
クルックシャンクスが阻止するかのようにハリーの腕に飛び付いたのだ。
前足二本の爪が全て、ハリーの腕に容赦無く食い込んでいる。
ハリーの払い除ける手をスルリとかわし、クルックシャンクスはハリーの杖を狙って飛んだ。
「取るな!」
ハリーはクルックシャンクスを狙って蹴りを入れたが、当たりはしなかった。
ただ、阻止する事は出来た。
威嚇の声を上げて脇に跳び退くクルックシャンクスを見もせずに、ハリーは杖を引っ掴み、怒りで我を忘れた顔で振り向いた。
「どいてくれ!」
三人に向かって、そう怒鳴った。
一番に動いたハーマイオニーは、残された三本の杖を掴んで脇へ避けた。
ロンは這って天蓋ベッドに身を埋め、折れた脚を両手で庇うように握っている。
壁の下方で伸びるブラックの両腕を掴んだまま、名前は座り込んでいた。
「ナマエ、どいてくれ。」
『…』
杖をブラックの心臓辺りに真っ直ぐ向けたまま、ハリーは少し震えた声で言った。
ゆっくり近付いてくるハリーを見上げ、それからブラックを見下ろす。
左目の周りが黒く痣になり、鼻血を流していた。
何を考えているのか分からない無表情を、ブラックは見上げ、見つめ返した。
そして、口を開いた。
「どけ。」
「どくんだ!ナマエ!」
『……ハリー、…』
追うようにハリーが怒鳴った。
名前は名を呼びながらもう一度見上げ、そしてハリーの怒りに染まった顔を見て、開きかけた口を閉じた。
手を離し、立ち上がり、壁を背に一歩下がる。
両手を解放されたブラックは、ただ肋骨の浮いた胸を激しく波立たせるばかりで、抵抗する力も無いようだった。
「ハリー、私を殺すのか?」
「お前は僕の両親を殺した。」
ハリーの声はやはり、少し震えていた。
「否定はしない。」
ブラックはハリーをじっと見上げて続けている。
「しかし、君が全てを知ったら―――」
「全て?
お前は僕の両親をヴォルデモートに売った。
それだけ知れば沢山だ!」
「聞いてくれ。」
初めて、今まで落ち着いていたブラックの声に変化が表れた。
切迫感…
焦燥感…
そんなものが感じられたのだ。
「聞かないと、君は後悔する……
君には分かっていないんだ……」
「お前が思っているより、僕は沢山知っているんだ。」
ハリーの声は震えを増した。
「お前は聞いた事がないだろう、え?僕の母さんが……
ヴォルデモートが僕を殺すのを止めようとして……
お前がやったんだ……
お前が……」
次の言葉を発す間もなく、クルックシャンクスがブラックの上に躍り出た。
心臓真上辺りを陣取っている。
ブラックはパチパチさせて猫を見つめた。
「どけ。」
そう言って、手を伸ばした。
しかしローブに爪を引っ掛けて、石のように動こうとしない。
クルックシャンクスはハリーを見詰め続けている。
ハーマイオニーが小さくしゃくり上げた。
ハリーはブラックとクルックシャンクス見下ろし、杖を固く握り締め、その場に立ち尽くした。
名前は壁を背には立ちブラックを見下ろし、ブラックはハリーを見つめ、クルックシャンクスはその胸に乗ったままだ。
ギシリ。
ギシリ。…
足音だ。
階下で誰かが動いている。
この場にいる全員の耳に、それは届いた。
「ここよ!」
ハーマイオニーが叫んだ。
ブラックは目を見開き、反射的に身を起こす。
クルックシャンクスが振り落とされそうになっている。
「私達、上にいるわ―――
シリウス・ブラックよ―――
早く!」
足音が駆けて近付いてくる。
赤い火花が飛び散り、ドアが勢い良く開いた。
ルーピンだ。
青白い顔で、杖を構えている。
ルーピンの目はまず、床に寝そべるロンに向けられ…
ドアの側で縮み上がるハーマイオニー…
壁沿いに立つ名前…
杖をブラックに向けて立つハリー…
ハリーの足元で血を流しているブラック……
と、流れるように移った。
「エクスペリアームス、武器よ去れ!」
ルーピンが唱えると、四本の杖はまたしても飛んだ。
杖を捕まえ、ルーピンはブラックを見詰めたまま部屋の中に歩を進める。
クルックシャンクスはブラックの胸の上に寝転がったままだ。
「シリウス、あいつはどこだ?」
第一声に発せられた言葉は、当人のルーピンとブラック以外を困惑させるのに十分だった。
ブラックは口を開かないまま、ゆっくりと手を上げる。
その指は真っ直ぐロンに向かっていた。
「しかし、それなら……」
無表情のブラックを、ルーピンはじっと見詰める。
「……何故今まで正体を顕さなかったんだ?もしかしたら―――」
言葉が途切れ、ルーピンは目を見開いた。
「―――もしかしたら、あいつがそうだったのか……
もしかしたら、君はあいつと入れ替わりになったのか……
私に何も言わずに?」
落ち窪んだ目でルーピンを見詰めながら、ブラックはゆっくり頷いた。
「ルーピン先生」
ルーピンとブラック。
その二人のやり取りは、二人の間では理解出来ているらしい。
しかしその他四人は置き去り状態だ。
我慢出来なくなったらしいハリーが、大声で名を呼んだ。
「一体何が―――?」
問いは続かなかった。
その場の光景に目を見張ったのだ。
ルーピンは構えた杖を下ろし、ブラックの方に歩いていったと思うと、手を取って助け起こした。
そして、抱き締めたのだ。
「なんてことなの!」
弾かれたように床から腰を上げ、ハーマイオニーは叫んだ。
ルーピンはブラックを離し、ハーマイオニーの方を振り返る。
ハーマイオニーは目を見開き、僅かに震える指でルーピンを差した。
「先生は―――先生は―――」
「ハーマイオニー―――」
「―――その人とグルなんだわ!」
「ハーマイオニー、落ち着きなさい―――」
「私、誰にも言わなかったのに!」
諭すように声を低めるルーピンに、ハーマイオニーは一層大きく叫んだ。
「先生の為に、私、隠していたのに―――」
「ハーマイオニー、話を聞いてくれ。頼むから!」
だんだんと、ルーピンの声も大きくなった。
「説明するから―――」
「僕は先生を信じてた。」
突然始まった新たな可能性に置き去りにされた者達は、やり取りを眺め、必死に考えを巡らせていた。
そしてついに、ある一つの考えに至ったハリーは、ルーピンを見詰め、声を震わせた。
「それなのに、先生はずっとブラックの友達だったんだ!」
「それは違う。」
取り乱すハリーを見詰めて、ルーピンは落ち着いた声で返す。
「この十二年間、私はシリウスの友ではなかった。しかし、今はそうだ……
説明させてくれ……」
「だめよ!」
ハリーに向かって、ハーマイオニーは叫んだ。
「ハリー、騙されないで。この人はブラックが城に入る手引きをしてたのよ。
この人もあなたの死を願ってるんだわ―――
この人、狼人間なのよ!」
皆の視線がルーピンに集まる。
時が止まったような静けさが訪れた。
「いつもの君らしくないね、ハーマイオニー。残念ながら、三問中一問しか合ってない。
私はシリウスが城に入る手引きはしていないし、勿論ハリーの死を願ってなんかいない……」
この部屋に訪れた時より、ルーピンの顔はずっと青白く変わっていた。
狼人間であるという事が事実であり、知られるのが彼にとって良くないものだというのは、その変化から見て取れた。
しかし取り乱しはしなかった。
むしろ落ち着いている。
「しかし、私が狼人間である事は否定しない。」
急にロンは立ち上がろうした。
しかし痛みに小さく呻いてまた座り込んだ。
ルーピンはロンの方に足を踏み出す。
心配した表情を浮かべている。
「僕に近寄るな、狼男め!」
ピタリ、ルーピンは足を止めた。
背筋を伸ばし、行きかけた足を戻す。
それから、ハーマイオニーに顔を向けた。
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