19.-1






穏やかな風が吹いてきた。

木々の葉を揺らし、芝生が波打つ。
その流れは、「透明マント」の中で立ち竦む四人の足元で塞き止められた。

一瞬の静寂。
そして四人の背後から、怒鳴るとも悲鳴ともとれる声が、雷鳴のように聞こえてきた。





「ハグリッドだ。」



「戻れないよ。」





呟いたかと思うと、ハリーはマントを脱ぎ捨て取って返そうとする。
そこを素早く名前が捕えた。

戻ろうとするハリーを、薄暗いマントの中でも分かるくらい、ロンは真っ青な顔で見詰めて言った。





「僕達が会いに行った事が知れたら、ハグリッドの立場はもっと困った事になる……。」



「どうして―――あの人達―――こんな事が出来るの?」





ハーマイオニーの視線は定まっていない。
息苦しそうに、呼吸は浅く乱れていた。





「本当にどうして―――
こんな事が―――
出来るっていうの?」



「行こう。」





恐怖にロンは歯の根が合わない。
足取りも疎かだ。

名前は目を覚ましたようにしっかりした足取りだった。
四人全員が「マント」に隠れるように、その足取りに合わせ、ゆっくり歩いて、城へと向かう。

校庭まで戻ってきた頃には、すっかり日が暮れていた。





「スキャバーズ、じっとしてろ。」





スキャバーズはまだキーキーと甲高い声で騒いでいたのだ。
気にしたロンは、スキャバーズの入った胸ポケットを手で押さえた。
けれども声は止まないし、挙げ句の果てには逃げ出そうとしたらしく、
ロンは突然立ち止まり、暴れるスキャバーズをポケットに押し込もうとした。





「一体どうしたんだ?この馬鹿ネズミめ。じっとしてろ―――
アイタッ!
こいつ噛みやがった!」



「ロン、静かにして!」





押し込もうと躍起になるロンは、声量を抑えず、「マント」を被っている事も忘れているようだった。
後ろにいるハーマイオニーは気が気じゃないだろう。





「ファッジが今にもここにやって来るわ―――」



「こいつめ―――何でじっと―――してないんだ―――」





最後尾にいる名前には、スキャバーズの声しか聞こえないから分からないが。
スキャバーズはロンの手から逃れようと抵抗し続けているらしい。





「全く、こいつ、一体どうしたんだろう?」



『…』





視界の端に、何か動くものがある。
名前は反射的にそちらを見た。

すっかり暗闇に変わった世界に、光るものが二つ浮かんでいる。
目だ。
大きな黄色い目だ。
芝生に張り付くように身を伏せ、ゆっくりと、確実に、こちらに近付いてきている。





「クルックシャンクス!」





ハーマイオニーが呻くように名前を呼んだ。





「ダメ。クルックシャンクス、あっちに行きなさい!
行きなさいったら!」





飼い主のハーマイオニーがそう言っても、クルックシャンクスは歩みを止めない。
頭を低くして、飛び掛かる準備万端である。





「スキャバーズ―――ダメだ!」



「ロン!」





一瞬の出来事だった。

鼠はロンの指の間をすり抜け地面に落ちて、逃げ出した。
クルックシャンクスは直ぐ様鼠の後を追い掛けた。
そしてハーマイオニーが制止する間もなく、ロンは「透明マント」から抜け出し、駆け出していた。

残された三人はマントの中で顔を見合わせる。
それから大急ぎでロンを追った。
マントを脱ぎ、手に持って、靡かせながら全速力で走った。





「スキャバーズから離れろ―――離れるんだ―――スキャバーズこっちへおいで―――」





暗闇の中、前方でロンの声が聞こえた。
続いて、ドサッと何かが落ちる音がした。
キーキーと騒ぐ声は一定の場所に留まる。
どうやら、ロンは無事に鼠を捕まえたようだ。





「捕まえた!とっとと消えろ、嫌な猫め―――」



「ロン―――早く―――マントに入って―――」





腹這いになってスキャバーズを胸ポケットに押し込むロンを見下ろして、
ハーマイオニーは息を切らせながら言った。





「ダンブルドア―――大臣―――皆もうすぐ戻ってくるわ―――」





ロンが立ち上がり、被る為にマントを持ち上げた時だ。

足音がした。
四人は動きを止めて、音のする方を一斉に見た。

夜の背景に溶け込みながら、何か大きなものがこちらに向かって飛び跳ねた。





『……』





その瞬間。
雲が切れて月が出た。

月明かりにだんだんと照らされ、それは正体を現す。

浮かび上がる黒い体毛。
薄灰色の目。

あの犬だ。
名前がよく知る、あの黒い犬だ。





『……』





咄嗟にハリーが杖に手を掛ける横で、名前は石のように固まっていた。
だから犬が大きく跳躍し、ハリーに飛び掛かって倒れるまで、意識を取り戻しても、何もかも遅かったのだ。

勢い余って、犬はハリーから転がり落ちた。
直ぐ様立ち直り、恐ろしい声で唸っている。

犬がまた飛び掛かってきた時、ロンはハリーを横に押しやった。
犬の顎はロンの伸ばした腕に噛み付いた。





『……』





犬に掴み掛かるハリーに続き、名前はやっと動き始め、同じくロンから犬を引き剥がそうとした。
しかし犬は、あの痩せた体―――
名前が食事を与え、少しばかりマシになったとしても、痩せた体で―――
驚くほどの力強さで、易々とロンを引き摺っていったのだ。

そして追い掛けようとする間もなく、杖を取り出す間もなく、
どこからともなく、何かが横っ面を引っ叩いた。





『…ルーモス、』



「ルーモス、光よ!」





名前と、同じく張り飛ばされたハリーは、杖を取り出し唱えた。

杖明りに照らし出されたのは、大木のひび割れた幹だった。
気付かない内に「暴れ柳」の樹下にまで入り込んでいたのだ。
名前達を近付けまいとがむしゃらに枝を軋ませ、地面に叩き付けている。

木の根本にはあの犬がいる。
根本には大きな穴があった。
その穴の中に、ロンを引き摺り込もうとしている。
ロンは激しく抵抗していたが、もう脚しか見えない。
脚を根本に引っ掻け、何とか食い止めている状態だ。





「ロン!」





ハリーが叫びように名を呼び、咄嗟に追い掛けようと足を踏み出した。
その瞬間、太い枝が風を切ってハリーを狙う。
ハリーは踏み出した足を戻さざるを得なかった。

「暴れ柳」が軋む音に、一瞬、銃声のような音が混じった。
次の瞬間、ロンの姿は完全に見えなくなった。





「ハリー――助けを呼ばなくちゃ――――」



「ダメだ!あいつはロンを食ってしまう程大きいんだ。そんな時間はない―――」



「誰か助けを呼ばないと、絶対あそこに入れないわ―――」



「あの犬が入れるなら、僕達にも出来るはずだ。」



「ああ、誰か、助けて」





ハーマイオニーは震える声で繰り返しそう呟いた。

迫り来る枝を三人は散々になってかわし続ける。
葉が飛び散り、土埃が舞っていた。





「誰か、お願い……」





突然、クルックシャンクスが「暴れ柳」に向かって走った。
襲い掛かる枝の間を縫うように進み、両前足を木の節の一つに乗せた。
すると突如、「柳」は動きを止めた。





「クルックシャンクス!」





立ち止まり、息を切らして、ハーマイオニーは小声で呟いた。





「この子、どうして分かったのかしら?―――」



「あの犬の友達なんだ。」





ハリーも立ち止まり、息を切らしながら言った。





「僕、二匹が連れ立っているところを見た事がある。行こう―――
君も杖を出しておいて―――」





根本の隙間にはクルックシャンクスが先に滑り込んだ。
そしてハリー、ハーマイオニー、名前が続いた。

頭から先に潜るように入り、這って進む。
狭い土の穴の傾斜を、底まで滑り降りた。





「ロンはどこ?」



「こっちだ。」



「このトンネル、どこに続いているのかしら?」



「分からない……。
『忍びの地図』には書いてあるんだけど、フレッドとジョージはこの道は誰も通った事が無いって言ってた。
この道の先は地図の端からはみ出してる。
でもどうもホグズミードに続いてるみたいなんだ……。」





延々と続く通路を、三人は中腰の姿勢で走る。
途中上り坂になり、道が捩じ曲がり、小さな穴から漏れる薄明かりが目にとまった。
杖を構え、辺りを照らす。

部屋だ。
廃屋だろうか。埃っぽい部屋だ。

ハリーが後方にいるハーマイオニー、名前を振り返って見る。
ハーマイオニーは恐怖に顔を強張せながらも頷き、名前は無表情に頷いた。
ハリーが穴を潜り抜け、その後を二人が続く。





『ノックス。』





杖明りを消し、ぐるり、辺りを見渡す。
長いこと使われていない廃屋のようだが、誰かが住んでいたような生活感がある。

壁紙はすっかり劣化して、所々剥がれている。
床は染みだらけで歩く度に軋み、厚い埃が絨毯のように覆っている。
家具は誰かが暴れて壊したかのように、全てどこかしら破損していた。
窓は全部板が打ち付けてある。

部屋には誰もいない。
ただ一つ、右側のドアが開きっ放しになっていた。
どうやら、薄暗いホールに続いているらしい。

そして、そのホールに向かって、
厚い埃に覆われた床は一部そこだけ元の色を取り戻して、三人を案内するかのように延びていた。





「ハリー、ナマエ、ここ、『叫びの屋敷』の中だわ。」





ハーマイオニーの声に、名前はそちらを見た。
ハーマイオニーはハリーの腕をきつく握り、目を見開いて、板の打ち付けられた窓を見渡している。
ハリーも辺りを見渡していた。
そして、側にあった木製の椅子に目を止めて、何か考えているようだった。
一部が大きく抉れ、脚の一本が力任せに取ったように無くなっている。






「ゴーストがやったんじゃないな。」





ギシリ。
三人の頭上で軋む音がした。
反射的に三人は天井を見た。
何かが上の階で動いたのだ。

それから三人は獲物を狙う猫のように動き始めた。

開いていたドアからホールに入る。
油断すればすぐに軋む階段を、音を立てないよう慎重に上がった。





「ノックス、消えよ!」





二人が同時に唱え、杖先の灯りは消えたのを確認すると、
一つだけ僅かに開いているドアへ慎重に近付いていった。

部屋の中からは物音が聞こえてくる。
低い呻き声と、ゴロゴロという声。

三人は目配せをし、頷き確認をする。
杖を握り締める。
杖腕を真っ直ぐ伸ばし、ハリーがドアを蹴り開けた。

部屋は薄暗く、微かに埃が舞っているのが見えた。
破れ掛けたカーテンが垂れ下がる天蓋ベッドに、クルックシャンクスが寝そべっている。
三人の姿を見ると大きく喉を鳴らした。
その脇の床には、折れた脚を投げ出して、ロンが座っていた。





『ロン、足が―――』



「ロン―――大丈夫?」



「犬はどこ?」



「犬じゃない。」





駆け寄った三人に、ロンは蒼白な顔で脂汗を流し、歯を食い縛りながら、息も絶え絶えに言った。





「ハリー、罠だ―――」



「え―――?」



「あいつが犬なんだ……。
あいつは『動物もどき』なんだ……。」





ロンはハリーの肩越しに背後を見詰めた。

バタン。

三人が振り向くと同時に、ドアが閉まった。
閉められたのだ。
ドアの横に男が立っていた。

身長は名前より頭半分ほど小さいだろうか。
体は骨張っていて、ローブの隙間から見える胸は肋骨が浮いて見える。
黒髪がダラリと垂れ、落ち窪んだ目はじっとこちらを見詰めていた。





『シリウス・ブラック…』





独り言のように呟けば、答えるようにニヤリと笑った。

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