14.
その夜、夜通しでシリウス・ブラックの捜索がされた。
眠れない生徒らの耳に、しかし逮捕の知らせは無いまま朝を迎えた。
警備は一層厳しくなり、穴という穴は塞がれ、先生方はいつも顔を強張らせ、神経を張りつめていているようだった。
グリフィンドールの番人であるカドガン卿は御役御免となり、護衛を条件に「太った婦人」が再び番人となった。
警備には雇われた複数のトロールは、棍棒を片手に廊下を往ったり来たりしている。
当日のロンは怯えきっており、腰が抜け、話す事もままならないほどで、皆これはシリウス・ブラックの名を出さない方が賢明だと判断した。
しかし、翌日になるとすっかり元通りである。
話を聞かれると、嬉しそうに答えるのだ。
『…』
名前は珍しく談話室で本を読んでいた。
その理由が「寝室は寒いから」という何とも安易なものだとは、涼しい顔をしている名前からは中々察する事は出来ないだろう。
周りは騒がしいが全くお構い無しに集中力している。
「ナマエ、ちょっといい?」
『…』
顔を上げて見ると、ハリーとロンが立っていた。
彼らは夕方からハグリッドの小屋へ出向いていた。
今帰ってきたようだ。
「掲示板に人垣ができてるけど、何があるのか知ってる?」
『今度の週末にホグズミードがある。』
「ホグズミード!」
ロンは叫ぶように言って、ハリーと共に名前の隣へと腰掛けた。
それからロンはハリーの耳元へ口を寄せ、ひそひそ話を始める。
隣にいる名前には丸聞こえの会話だ。
しかし名前はチラリと二人を見ると、落ち着いた様子でまた本を読み進める。
「どうする?」
「そうだな。
フィルチはハニーデニュークス店への通路にはまだ何にも手出ししてないし……」
「ハリー!」
咎めるような声だった。
ロンとハリーは突如聞こえた声に飛び上がり、辺りを見た。
背後にあるテーブルの本の壁、その隙間から、ハーマイオニーが目を覗かせている。
「ハリー、今度ホグズミードに行ったら……
私、マクゴナガル先生にあの地図の事をお話しするわ!」
「ハリー、誰か何か言ってるのが聞こえるかい?」
「ロン、あなた、ハリーを連れて行くなんてどういう神経?
シリウス・ブラックがあなたにあんな事をした後で!
本気よ。私、言うから―――」
「そうかい。君はハリーを退学にさせようってわけだ!」
売り言葉に買い言葉というべきか。
ヒートアップしていく二人の会話。
凄まじい会話のキャッチボールである。
ハリーと名前は何とかしようにも口を出す隙が無い。
「今学期、こんなに犠牲者を出しても、まだ足りないのか?」
二人の言い争いに終止符を打ったのは、突如として現れたクルックシャンクスであった。
甘えた鳴き声をあげて自身の存在を訴えてから、更にハーマイオニーの膝に飛び乗る事で露骨に主張をした。
ハーマイオニーは息を呑み、ロンの顔色を窺い見ると、クルックシャンクスを抱いて何も言わずに女子寮の方へと行ってしまった。
「それで、どうするんだい?」
何事も無かったかのようにロンは再度ハリーに尋ねた。
表情も声音も普段通りに戻っている。
「行こうよ。この前は、君、殆ど何にも見てないんだ。
ゾンコの店に入ってもいないんだぜ!」
チラリ。
ハリーはハーマイオニーの去っていった方向を見た。
「オッケー。
だけど、今度は『透明マント』を着ていくよ。」
『…』
それから彼らはホグズミードに行ったらどこ行くか、何をするか、という話で盛り上がった。
彼らはとても楽しそうだった。
夢を見ているかのように話すのだ。
夢が悪夢に変わらない事を願うばかりである。
しかしご存知の通り、世の中うまくいくものではない。
『…』
迎えた土曜日の朝。
生徒達はホグズミードを目指して扉から出ていく。
ハリーは戻るふりをしながら、抜け道へと向かっていったようだ。
名前は今にもスキップしそうなその後ろ姿を見てから、それでも何も言わない。
黙認したのだ。
『…』
前回一通りホグズミードを回った名前はといえば、学校に残り、誰もいない寝室で勉強に励むのだった。
勿論学校に残る生徒も中にはいるが、何かしら事情があり、やはり少人数である。
枕元に置いた時計の音だけがする空間で、名前は黙々と課題を進める。
コンコン
『…』
扉がノックされた。
そこで、名前は久方ぶりに顔を上げた。
窓から射し込む日が赤い。
いつの間にやら夕方である。
昼食も摂らず日が傾くまでずっと勉強に明け暮れていたのだ。
「ナマエ、私。入ってもいい?」
『ああ。』
扉をノックしたのはハーマイオニーだった。
もうそろそろホグズミードから戻って来る時間帯だ。
ハーマイオニーも、きっと帰ってきたばかりだろう。
短い返事を返せば、ハーマイオニーは寝室に入ってきた。
ハーマイオニーは寝室に名前しかいない事を確認するように辺りを見回してから、ベッドに踞る名前の方へと近付いた。
今にも泣き出しそうな顔をしている。
『どうしたんだ。』
「手紙が届いたの。ハグリッドから…」
言葉が詰まり、ぎゅと唇が噛み締められた。
代わりに差し出されたのは手紙だった。
受け取り開くと、ハグリッドからだと知る。
名前はあちこち滲んだ文字を読んだ。
敗訴し、バックビークが処刑されるとの内容だった。
『…』
無表情で、無言で、名前は確かめるようにゆっくり手紙を読む。
ハーマイオニーが小さくしゃくりあげた。
手紙からハーマイオニーに視線を移すと、涙を流し、手の甲で何度も拭っているハーマイオニーがいた。
『ハーマイオニー、』
空中で泳がせた手をポケットに突っ込み、取り出したのはハンカチだ。
それをハーマイオニーの頬に、桃を触るかのようにそっと宛がう。
するとハーマイオニーは名前の掌にすがり、ついには腹に腕を回した。
「ナマエ、もう望みは無いのよ。」
『…』
くぐもった声は震えていた。
ハーマイオニーは静かに泣いているのだ。
顔は見えないが、腹の辺りにじわりじわりと濡れる感覚があった。
眼下にあるハーマイオニーのつむじを見つめたまま、何か言おうとしたのか、名前は口を開く。
しかし結局何も言えず、涙に喘ぐハーマイオニーの背中を、遠慮がちに撫でる事しか出来なかった。
ハーマイオニーの呼吸が落ち着くまで、ゆっくりゆっくり、背中を撫で続けた。
『ハーマイオニー。』
呼吸が落ち着いてきた頃。
長く感じるが、実際時間は数分にも満たないだろう。
背中を撫で続けた手を、そっと肩に置いた。
『…ハリー達にも知らせよう。』
「ええ。そうね…」
ハーマイオニーは名前から離れた。
目が真っ赤に充血している。
足取りの重いハーマイオニーを連れて、名前はどこにいるか見当が付かないハリーとロンに会う為に、兎に角談話室から出た。
廊下に出ていざ歩き始めようとすると、噂をすれば影がさす、と言うべきだろうか。
前方からハリーとロンが向かってきた。
「さぞご満悦だろうな?」
ハーマイオニーの顔を見るなり顰めっ面を浮かべ、ロンは拗ねた声音で言った。
朝から一歩も寝室を出ていない名前は、何の話をしているのか分からない。
「それとも告げ口しに行ってきたところかい?」
「違うわ。」
ハーマイオニーの言い方からして、ロンの話は通じているらしい。
それがどんな事かは分からないが(十中八九、ハリー関係だろう)、今は揉めている場合ではない。
「あなた達も知っておくべきだと思って……ハグリッドが敗訴したの。
バックビークは処刑されるわ。」
目を見開いたハリーとロンは、続けて口もぽっかり開けた。
その口からは声も言葉も出てこない。
まるで石になる魔法をかけられたかのようだった。
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