08.-1
静寂の中、誰もが緊張の面持ちで佇んでいた。
その静寂を破ったのはダンブルドアで。
落ち着いた声音で、ただ佇み、指示を待つグリフィンドール生に大広間に戻るよう言った。
そして十分後には、全ての寮の生徒達全員が大広間に集まった。
「先生達全員で、城の中を隈無く捜索せねばならん。」
訳も分からず大慌てで集まった他寮の生徒に、シリウス・ブラックが校内に現れたと短い説明をして。
閉め切った大広間。
静寂に包まれた空間。
ダンブルドアはやはり、落ち着いた声音でそう言った。
「と言う事は、気の毒じゃが、皆、今夜はここに泊まる事になろうの。
皆の安全のためじゃ。
監督生は大広間の入口に見張りに立ってもらおう。
首席の二人に、ここの指揮を任せようぞ。
何か不審な事があれば、直ちにわしに知らせるように。」
ダンブルドアは言いながらぐるりと辺りを見渡して、やる気に満ちたパーシーをチラリと見遣る。
「ゴーストをわしへの伝令に使うがよい。」
そう言って、話を終えたのか、ダンブルドアは身を翻した。
しかし、大広間の出口に向けていた足取りが、ふと止まる。
「おお、そうじゃ。必要なものがあったのう……」
独り言のように呟いて、軽やかに杖を振る。
すると、食事をする時に使ういつもの長いテーブル全てが飛んでいき、壁を背にして並んだ。
それから、杖をもう一振り。
どこからともなく紫色の寝袋が現れて、床一面に敷き詰められた。
「ぐっすりおやすみ。」
挨拶をしながら、ダンブルドアは大広間から出ていった。
たちまち、堰を切ったように生徒達は喋り出す。
グリフィンドール生が他寮の生徒に事の経緯を話し始めたのだ。
夜も更けたこの時間に、状況と眠気が相まってか、この騒がしさは異常なものだった。
「皆寝袋に入りなさい!」
まるで厳しい先生か皆のお母さんにでもなったかのように、
パーシーは強い口調、大きな声でそう言った。
「さあ、さあ、お喋りはやめたまえ!消灯まであと十分!」
「行こうぜ。」
ロンの言葉にハリー、ハーマイオニー、名前は頷いて、各々寝袋を掴んだ。
そして隅の方に引き摺り、寝るための身支度を整える。
とはいっても、ネクタイを緩めたり、ボタンを一つ二つ外したりと、そんな事くらいしか出来ないけれども。
「ねえ、ブラックはまだ城の中だと思う?」
さざ波のようにひそひそ話が聞こえる中、ハーマイオニーはその話し声に負けないくらい小さな声で言った。
眉を寄せたその表情は、不安や心配を体現したようである。
「ダンブルドアは明らかにそう思ってるみたいだな。」
ハーマイオニー程ではないが、ロンも心配そうに答えた。
「ブラックが今夜を選んでやって来たのはラッキーだったと思うわ。」
『…』
制服姿のまま寝袋に潜り込み、頬杖をつきながら話を続ける。
名前一人はそれどころではないらしく、寝袋の中で忙しなく動いていた。
長身が仇になったようで、寝袋の長さが足りていない。
足を折って体を丸めるにしても、そこまで幅があるわけでもない。
悪戦苦闘する名前をチラリと見てから、他の三人はお喋りに戻る。
名前の扱いには慣れたものである。
「だって今夜だけは皆寮塔にいなかったんですもの……」
「きっと、逃亡中で時間の感覚が無くなったんだと思うな。
今日がハロウィーンだって気付かなかったんだよ。じゃなきゃこの広間を襲撃してたぜ。」
あんまり危機感のない声音で、ロンは結構気軽にそう言う。
その光景を想像でもしたのか、ハーマイオニーは身震いした。
「一体どうやって入り込んだんだろう?」
「『姿現し術』を心得てたんだと思うな。ほら、どこからともなく突如現れるアレさ。」
「変装してたんだ、きっと。」
「飛んで来たのかもしれないぞ。」
「全く。『ホグワーツ歴史』を読もうと思った事があるのは私一人だけだっていうの?」
「多分そうだろ。」
周囲の話し声を聞いていたハーマイオニーは、呆れたように言った。
直ぐ様ロンはあっけらかんと返し、首を傾げてハーマイオニーを見る。
「どうしてそんな事聞くんだ?」
『ここでは『姿現し』は出来ない。』
「よかった。ナマエも読んでいたのね。」
『…』
諦めたのか落ち着いたのか、名前はいつの間にやらお喋りをする態勢に入っていた。
けれどもそんな些細な事に驚く彼らではない。
ハーマイオニーは満足そうに微笑んでいる。
訳が分からない様子のロンとハリーは、目をぱちぱちさせながら、ハーマイオニーと名前を見た。
『この城を護っているのは、城壁だけじゃない。』
「そう。こっそり入り込めないように、ありとあらゆる呪文がかけられているのよ。
だからここでは『姿現し』は出来ないわ。
それに、吸魂鬼の裏をかくような変装があったら拝見したいものだわ。
校庭の入口は一つ残らず吸魂鬼が見張ってる。空を飛んできたって見つかったはずだわ。
その上、秘密の抜け道はフィルチが全部知ってるから、そこも吸魂鬼が見逃してはいないはず……」
「灯りを消すぞ!」
パーシーが怒鳴った。
「全員寝袋に入って、お喋りはやめ!」
瞬間、大広間に掲げられた蝋燭の火が消えた。
代わりに、魔法をかけられた天井で星が瞬いている。
時折その天井を背景にゴーストが漂い、監督生達と深刻な話をしているのが聞こえてきた。
生徒達の囁きは止まない。
『……』
目を暫く閉じては開けて、名前は夜空が広がる天井を見詰める。
そして、また暫く閉じる。
何度も寝返りを打った。
眠れないらしい。
パーシーが寝袋の間を巡回するので、近くに来た時だけは目を閉じて眠ったふりをする。
一定の時間毎に―――
おそらく、一時間毎にだろうか。
先生が一人ずつ大広間に入ってきては、生徒の安全を確かめにきた。
そんな事が三回程あった。
そして、また大広間の扉が開く音がした。
今は三時頃だろうか。
囁きは止み、皆眠ってしまったようだ。
「先生、何か手掛かりは?」
大広間の扉の方からやって来た足音は、真っ直ぐこちらに向かってきた。
すると、名前達のすぐ側を巡回していたパーシーが押し殺した声で尋ねる。
「いや。ここは大丈夫かの?」
「異常無しです。先生。」
ダンブルドアの声だった。
「よろしい。何も今すぐ全員を移動させる事はあるまい。
グリフィンドールの門番には臨時の者を見つけておいた。明日になったら皆を寮に移動させるがよい。」
「それで、『太った婦人』は?」
「三階のアーガイルシャーの地図の絵に隠れておる。
合言葉を言わないブラックを通すのを拒んだらしいのう。それでブラックが襲った。
婦人はまだ非常に動転しておるが、落ち着いてきたらフィルチに言って婦人を修復させようぞ。」
また大広間の戸が開く音がした。
足音が近付いてくる。
「校長ですか?」
スネイプだ。
「四階は隈無く捜しました。ヤツはおりません。
さらにフィルチが地下牢を探しましたが、そこにも何も無しです。」
「天文台の塔はどうかね?
トレローニー先生の部屋は?
梟小屋は?」
「全て捜しましたが……」
「セブルス、御苦労じゃった。
わしもブラックがいつまでもグズグズ残っているとは思っておらなかった。」
「校長、ヤツがどうやって入ったか、何か思い当たる事がおありですか?」
「セブルス、色々とあるが、どれもこれも皆有り得ない事でな。」
「校長、先日の我々の会話を覚えておいででしょうな。確か―――あー―――一学期の始まった時の?」
「いかにも。」
「どうも―――内部の者の手引き無しには、ブラックが本校に入るのは―――殆ど不可能かと。
我輩は、しかと御忠告申し上げました。校長が任命を―――」
「この城の内部の者がブラックの手引きをしたとは、わしは考えておらん。」
ダンブルドアの声音は強いもので、これ以上は何も言わせない雰囲気があった。
スネイプは何か言いたげに唸る。
しかし、それでも何も返さず黙ってしまった。
「わしは吸魂鬼達に会いに行かなければならん。
捜索が終わったら知らせると言ってあるのでな。」
「先生、吸魂鬼は手伝おうとは言わなかったのですか?」
「おお、言ったとも。」
パーシーの質問に、ダンブルドアは素っ気なく答える。
「わしが校長職にある限り、吸魂鬼にはこの城の敷居は跨がせん。」
話は終わったようだ。
足音が遠退き、扉が閉まる音がした。
暫くすると、また足音が遠退き、また扉が閉まった。
「一体何の事だろう。」
その場から皆が立ち去った後、ロンの呟きが聞こえた。
声に反応してそちらを見ると、ハリー、ロン、ハーマイオニーは目を開いているではないか。
どうやら、彼らも狸寝入りをしていたらしい。
『それからずっと、学校ではその話ばかりを耳にする。』
「…」
『君には関係ない事かもしれない。』
言いながら、名前は黒い犬の頭を撫でた。
犬は心地良さそうに目を細めている。
『シリウス・ブラック。』
「…」
犬はピンと耳を立てて、名前をじっと見つめた。
名前はそのつぶらな瞳を見つめ返して、手持ち無沙汰にまた犬を撫でる。
『恐ろしい噂ばかり聞く。』
ハロウィーンの翌日から数日経ったが、学校中シリウス・ブラックの話でもちきりだった。
話に尾ひれがつき、根拠もない噂ばかりが広がっていく。
『本当の事は分からない。けど…
気を付けた方がいいのかな。』
「…」
『…ブラッシングしようか。』
名前は鞄の中からブラシを持ち出して、犬に見せた。
犬は許可するように鼻先をブラシにくっ付ける。
ハロウィーンの一件から、グリフィンドール寮の門番であった「太った婦人」の肖像画は外されたわけだが。
代わりに「カドガン卿」の肖像画が掛けられた。
このカドガン卿、おそらく皆が困らされている。
誰彼構わず決闘を挑み、複雑な合言葉を捻り出し、少なくとも一日二回は合言葉を変える。
たくさんの学科をとっている名前にとって、一つや二つ覚える事が多くなるのは些細な事かもしれないが、少なからずストレスを感じているらしく。
この黒い犬と触れ合う時間が長くなった。
おかげで今や過保護な程に大切されている飼い犬のように、ツヤツヤのモコモコである。
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