05.-1
昼食を摂り、教室へ向かってしばらく。
「闇の魔術に対する防衛術」の担当であるルーピンは、まだ来ていなかった。
生徒達が座って必要なものを机の上に出し、待っていると、やっと現れたのだ。
「やあ、みんな。」
使い古された鞄を教卓に置いてから、ルーピンは挨拶した。
口元には微笑を浮かべている。
「教科書は鞄に戻してもらおうかな。
今日は実地練習をする事にしよう。杖だけあればいいよ。」
生徒達は一瞬きょとんとして、言われた通り教科書をしまう。
何人か、互いに顔を見合わせたりした。
実地訓練は初めてだ。
「よし、それじゃ、
私についておいで。」
教卓から教室の出入口へ向かうルーピンを、皆は列になり、その後を追う。
名前は列の最後尾について、のんびりと歩いた。
授業中なので当たり前だが、廊下は誰もいないし静かなものだ。
角を曲がると、ピタリ。
列の進行が止まった。
「ルーニ、ルーピ、ルーピン。バーカ、マヌケ、ルーピン。ルーニ、ルーピ、ルーピン―――」
そして、歌が聞こえてきた。
この人を小馬鹿にしたような声と歌詞からして、おそらくピーブズだろう。
列の進行を塞いでいるのだろうか。
「ピーブズ、私なら鍵穴からガムをはがしておくけどね。
フィルチさんが箒を取りに入れなくなるじゃないか。」
穏やかなルーピンの声が聞こえる。
その言葉に返事は無かった。
微かに息を吐く音がした。
そして、衣擦れの音が続く。
「この簡単な呪文は役に立つよ。
よく見ておきなさい。」
『…』
その言葉に何とか見れないものかと、名前は体を動かしてみた。
けれどもたくさんの生徒が道を塞いでいる。
角から覗こうとする事すらできないので、無駄な努力である。
「ワディワジ、逆詰め!」
『……』
名前はその呪文から、ある程度の想像が出来たようだ。
ワディワジは、詰められた物を詰めた者に詰め返す呪文である。
おそらく。
鍵穴に詰められたガム、弾丸のようにピーブズへ向かっていった事だろう。
「先生、かっこいい。」
「ディーン、ありがとう。
さあ、行こうか。」
ルーピンを見る皆の目が変化した。
尊敬の眼差しである。
そんな視線を気にせず、ルーピンは皆を引き連れて歩く。
二つ目の廊下を渡り、職員室の扉の前で立ち止まった。
「さあ、お入り。」
ルーピンは扉を開け、皆に先に入るよう促した。
生徒の列が職員室に進み、最後尾にいる名前はくぐるようにして中へ入る。
こうしないと頭をぶつけてしまうのだ。
名前に続き、ルーピンが最後に入って扉を閉める。
「ルーピン、開けておいてくれ。我輩、出来れば見たくないのでね。」
声のした方を見ると、スネイプがいた。
低い肘掛け椅子に座っていた。
瞬間立ち上がり、黒いマントを翻して大股で扉まで来る。
「ルーピン、
多分誰も君に忠告していないと思うが、このクラスにはネビル・ロングボトムがいる。
この子に難しい課題を与えないようご忠告申し上げておこう。
Ms.グレンジャーが耳元でヒソヒソ指図を与えるなら別だがね。」
くるりと振り返り、意地悪そうな笑みを浮かべながら、スネイプはわざわざそんな事を言う。
ネビルは真っ赤になり、ハリーはスネイプを睨み付けた。
「術の最初の段階で、ネビルにアシスタントを務めてもらいたいと思ってましてね。
それに、ネビルはきっと、とってもうまくやってくれると思いますよ。」
スネイプの眉間に皺が深くなり、怒りを堪えるかのように唇が動いた。
しかし何も言わない。
出ていくと、扉を閉めた。
「さあ、それじゃ。」
ルーピンは生徒達を部屋の奥に呼び寄せる。
そこにはルーピンよりも少し背の高い、古い洋箪笥が置いてあった。
洋箪笥の隣にルーピンが立つと、箪笥はそれに反応したかのように、ガタガタと大きく揺れた。
「心配しなくていい。」
生徒達の中の何人かが驚いて飛び退いた。
ルーピンは落ち着いた様子で言う。
「中に真似妖怪―――
ボガートが入ってるんだ。」
何でもない事かのようにあっさりとそう言う。
けれども多くの生徒達にとって、それは「何でもない事」では無かったようだ。
不安そうに身を縮こまらせて、ルーピンと箪笥を交互に見つめている。
「ボガートは暗くて狭いところを好む。」
誰が見たって生徒達は不安がっていた。
気付いている。気付くはずだ。
どんなに鈍感な者であろうとも、すぐに生徒達が不安であろう事は見てとれただろう。
しかしルーピンは構わず、相変わらずのんびり朗らかに話し始めるのだった。
「洋箪笥、ベッドの下の隙間、流しの下の食器棚など―――
私は一度、大きな柱時計の中に引っ掛かっているやつに出会った事がある。
ここにいるのは昨日の午後に入り込んだやつで、
三年生の実習に使いたいから、先生方にはそのまま放っておいていただきたいと、校長先生にお願いしたんですよ。」
ルーピンのその落ち着いた声音に。
不安を抱いていた生徒達は落ち着きを取り戻し。
そしてそのゆったりと進む話しに。
生徒達は引き込まれているようだった。
「それでは、最初の問題ですが、
真似妖怪のボガートとは何でしょう?」
ハーマイオニーが手を挙げた。
「形態模写妖怪です。
私達が一番怖いと思うのはこれだ、と判断すると、それに姿を変える事ができます。」
「私でもそんなにうまくは説明できなかったろう。」
ルーピンのその台詞は誉め言葉だった。
けれども口先だけのお世辞には聞こえなかった。
自然で嫌みたらしくなく。
さらりと言うのだ。
ハーマイオニーは頬を染めた。
「だから、中の暗がりに座り込んでいるボガートは、まだ何の姿にもなっていない。
箪笥の戸の外にいる誰かが、何を怖がるのかまだ知らない。
ボガートが一人ぼっちの時にどんな姿をしているのか、誰も知らない。
しかし、私が外に出してやると、たちまち、それぞれが一番怖いと思っているものに姿を変えるはずです。
という事は。」
『…』
隣にいるネビルがソワソワしていた。
恐怖心が徐々に膨れ上がっているのだろう。
視界の端をちらつき、名前は気になっている。
「つまり、初めっから私達の方がボガートより大変有利な立場にありますが、
ハリー、何故だか分かるかな?」
「えーと―――
僕達、人数がたくさんいるので、どんな姿に変身すればいいか分からない?」
「その通り。」
ルーピンはにっこりと笑みを深くした。
まだ若いだろうに、細めた目尻に、上がった口角に、
くっきりと皺が出来ている。
「ボガートを退治する時は、誰かと一緒にいるのが一番良い。向こうが混乱するからね。
首の無い死体に変身すべきか、
人肉を食らうナメクジになるべきか?
私はボガートがまさにその過ちを犯したのを一度見た事がある―――
一度に二人を脅そうとしてね、半身ナメクジに変身したんだ。
どうみても恐ろしいとは言えなかった。
ボガートを退散させる呪文は簡単だ。しかし精神力が必要だ。
こいつを本当にやっつけるのは、笑いなんだ。
君達は、ボガートに、君達が滑稽だと思える姿をとらせる必要がある。
初めは杖無しで練習しよう。
私に続いて言ってみよう……
リディクラス、馬鹿馬鹿しい!」
ルーピンに続き、生徒達は呪文をおうむ返しに唱える。
「そう。とっても上手だ。
でもここまでは簡単なんだけどね。
呪文だけでは十分じゃないんだよ。
そこで、
ネビル、君の登場だ。」
ネビルの顔色は悪かった。
寒さを堪えるかのように、体はぶるぶると震えている。
身を縮こまらせながら恐る恐るゆっくりと、ルーピンの側まで進み出た。
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