03.-3






『………』





昼食後、程なくして午後の授業が始まった。

名前は玄関ホールの脇に隠れるように立って、周りに誰もいない事を確認する。
逆転時計を使用したのは良いが、人に見付からないように迷路のような学校を歩き回るのは難儀な事だ。

しかし悠長にしていられるわけではない。
授業はとっくに始まっている時間なのだ。





『…』





玄関ホールの脇から半身を出し、名前は外を見る。

柔らかな芝生で覆われた下り坂。
そこには誰もいない。





『…』





今がチャンスだろう。
名前は一歩踏み出し、そこで何故かピタリと止まった。

そしてゆっくり、首を傾げる。

芝生に覆われた下り坂。
誰かが上ってきている。





『ハグリッド。』



「ナマエ!」





現れたのは、今向かおうとしていた授業。
「魔法生物飼育学」、その担当であるハグリッドだった。

玄関ホール脇に立っていた名前に気が付き、見上げるハグリッドの腕には、どうした事か。
所々血に染まったドラコが抱えられていた。

顔をしかめて唸っている。





『どうしたんですか。』



「すまんが、授業は中止だ!
この子をマダム・ポンフリーに見せなきゃならん。」





『…』





早口にそう言って、ハグリッドはドラコを抱え直し、
数段跨ぎで石段を駆け上がり、名前の隣を駆け抜けていった。

名前は目をぱちぱちさせながら、その姿を見送る。





「すぐにクビにすべきよ!」

「マルフォイが悪いんだ!」



『…』





そんな言い争いが聞こえた。

そう遠くはないだろう。
名前は振り返る。

すぐそこ―――石段の一番下だ。
生徒達の群れが来ていた。





「大丈夫かどうか、私見てくる!」





パンジー・パーキンソンは泣きながらそう言って、階段を駆け上がっていってしまった。
おそらく彼女は、医務室へ行くのだろう。

皆はその姿を見送り、各々の寮に足を向ける。





「ナマエ。君、何やってたの?」



『…』





寮に戻る最中。
廊下を歩いている途中。

生徒の波の中、ハリー、ロン、ハーマイオニーは、
そこでやっと名前の存在に気が付いたのか、驚いたように見開かれた目と合った。

ロンは姿を現さなかった名前の事が心底不思議そうだった。





『…迷子になった。』



「迷子?」



『…』
曖昧に頷く。



「ナマエ、三年目なんだよ。いい加減どこに何があるか覚えるだろ?
君、たくさん学科とってるだろ。大丈夫なの?」



『…』





嘘が吐けない上に口下手な名前は、ただ黙り込む。

心中では必死に言葉を探し焦っていることだろう。

そんな焦りなど露程も出さない、相変わらずの無表情だが。





「マルフォイは大丈夫かしら?」



「そりゃ、大丈夫さ。
マダム・ポンフリーは切り傷なんかあっという間に治せるよ。」





そこに助け船を出したのはハーマイオニーだ。

逆転時計を使う、同じ立場にあるからこそ、その大変さを理解しているのだろう。

ハーマイオニーの話は、彼らの意識をそらす事に成功した。





「だけど、ハグリッドの最初の授業であんな事が起こったのは、まずいよな?」



『…何があったんだ。』



「ハグリッドの授業でヒッポグリフが出てきたの。ハグリッドはヒッポグリフについて注意したわ。
それをマルフォイが無視して…」



『怪我をしたのか。』



「ええ。」



「腕をやられたのさ。
だけどかすり傷だよ。」



「マルフォイのやつ、やっぱり引っ掻き回してくれたよな……。」





ハリー達が心配しているのは、怪我をしたドラコではなく、ハグリッドの事だった。

彼らの話からすれば、ドラコの怪我は自業自得である。
しかしそれを覆す事が出来る厄介者なのだ。

彼らの心配はハグリッドに向けられて、その後の授業でも上の空で、夕食も喉を通らなかった。





「ハグリッドをクビにしたりしないわよね?」



「そんな事しないといいけど。」



『…何かいるか。』





パンの山のカゴを引き寄せて、名前は暗い表情の彼らに勧めた。

いつもは食事を勧められる側の名前が、珍しい事に勧める側にある。

慰めなどの気の利いた言葉が出てこない名前の、精一杯のせりふだった。





「ありがとう、ナマエ。でも、食欲ないんだ。」



『…そう。』





しかしそう簡単に思いは通じない。

肩を丸めて、名前はカゴを元の場所に戻した。
こちらも若干落ち込んでいるように見える。

無表情だが。





「まあね、休み明けの初日としちゃぁ、なかなか波乱に富んだ一日だったと言えなくもないよな。」





表情や声音はそれほどではないけれど、思ったよりもロンは落ち込んでいるらしい。

結局、名前以外は何も口をにしないまま夕食を終えてしまった。

名前が食べたもの量も、果たして「食べた」と言えるか分からないが。





「ハグリッドの小屋に灯りが見える。」



『…』





談話室に戻り黙々と宿題をしていると、ハリーが言った。

窓の外を見てみると、確かに。
ぼんやりとオレンジ色の光が見えた。

チラリ、ロンは腕時計を見る。





「急げば、ハグリッドに会いにいけるかもしれない。
まだ時間も早いし……。」



「それはどうかしら。」
言いながらチラリ、ハリーを見る。



「僕、校内を歩くのは許されてるんだ。」
ハリーは「校内」の部分を強調した。
「シリウス・ブラックはここではまだ吸魂鬼を出し抜いてないだろ?」





四人は外へ出た。

外出していいのかいまいち分からないが、誰にも出会う事なく小屋に辿り着けた。

扉をノックすると、「入ってくれ」と沈んだ声が返ってきた。





『失礼します。』





つい口を衝いて出た挨拶は、日本人の性質なのか、そもそも名前の性質なのか。
分からないが、名前のその言葉が場違いなのは、ハグリッドの醸し出す負のオーラから察する事が出来るだろう。

ハグリッドは見るからにやさぐれていた。

バケツ程のジョッキに何が入っているのか不明だが、それ片手に、
訪ねてきた四人を見たその目は、どこを見ているのか分からなかった。





「こいつぁ新記録だ。」





四人を見るなり、ハグリッドは俯いた。





「一日しかもたねえ先生なんざ、これまでいなかったろう。」



「ハグリッド、まさか、クビになったんじゃ!」



「まーだだ。」





ハグリッドはジョッキを傾けた。

その中の半量は、今ので確実に一気に飲んだだろう。





「だけんど、時間の問題だわ、な、マルフォイの事で……」



「あいつ、どんな具合?」



「大した事ないんだろ?」



「マダム・ポンフリーが出来るだけの手当てをした。」





口を開けば、覇気の無い声が出た。





「だけんど、マルフォイはまだ疼くと言っとる……
包帯ぐるぐる巻きで……
呻いとる……。」



「ふりしてるだけだ。」



「マダム・ポンフリーなら何でも治せる。
去年なんか、僕の片腕の骨を再生させたんだよ。
マルフォイは汚い手を使って、怪我を最大限に利用しようとしてるんだ。」



「学校の理事達に知らせがいった。
当然な。」





ハグリッドの声は依然として沈んでいた。





「俺が初めったから飛ばし過ぎたって、理事達が言うとる。
ヒッポグリフはもっと後にすべきだった……
レタス食い虫なんかっから始めていりゃ……
イッチ番の授業にはあいつが最高だと思ったんだがな……みんな俺が悪い……。」



「ハグリッド、悪いのはマルフォイの方よ!」



「僕達が証人だ。」



「侮辱したりするとヒッポグリフが攻撃するって、ハグリッドはそう言った。
聞いてなかったマルフォイが悪いんだ。
ダンブルドアに何が起こったのかちゃんと話すよ。」



「そうだよ。ハグリッド、心配しないで。僕達がついてる。」





ハグリッドは涙を流し、それからハリーとロンを引き寄せた。

見れば分かる。
物凄い力で抱き締められている事が。





「ハグリッド、もう十分飲んだと思うわ。」





ハーマイオニーはジョッキを持って外へ出た。

残りを捨てるのだろう。





「あぁ、あの子の言う通りだな。」





ハグリッドは二人を離して立ち上がり、ハーマイオニーの後に続いて外へ出た。

入れ替わるように、ハーマイオニーが空のジョッキを持って戻ってくる。





「ハグリッド、何をしてるの?」



「水の入った樽に頭を突っ込んでたわ。」





すぐにハグリッドは戻ってきた。

長い髪ともじゃもじゃの髭がたっぷりと水分を含み、衣服と床にポタポタと滴が垂れている。





「さっぱりした。」





戻ってきたハグリッドは頭をブルブルと振り、周りに水が飛び散った。





「なあ、会いに来てくれて、ありがとうよ。ほんとに俺―――」





そこで言葉を切った。

まじまじと四人を見つめている。





「お前達、一体何しちょる。えっ?」





突然の大声だった。

ハリー、ロン、ハーマイオニーは驚いて飛び上がり、名前も肩を揺らした。





「ハリー、暗くなってからウロウロしちゃいかん!
お前さん達!
三人とも!
ハリーを出しちゃいかん!」





ハグリッドの声は、小屋の窓をビリビリと揺らした。

ハリーの腕を掴み、引きずるように扉まで引っ張っていく。





「来るんだ!」





怒気すら感じさせる大声だ。





「俺が学校まで送っていく。
もう二度と、暗くなってから歩いて俺に会いに来たりするんじゃねえ。
俺にはそんな価値はねえ。」





怒った様子のハグリッドに引っ張り出されて、四人は小屋の外へ出た。

名前の視線が、ハグリッドの小屋の背後にある、森へと向けられる。





「どうしたの?ナマエ。」



『…』





視線に気付いたハリーが名前に問う。

そして名前の視線を辿って、自らも森を見つめた。





「何かいたの?」



『…いや。』





視線を外して、不思議そうに首を傾げるハリーを見つめた。





『何でもない。』



「ナマエ、ハリー!お前さん達、何しちょる。
早く学校に戻るぞ。さあ。」





ハグリッドの急かす声が辺りに響いた。
ハグリッドの隣に並ぶロンとハーマイオニーも、こちらを見つめて待っている。

名前はもう一度、何かを探すかのように森へと視線を向けて、それからハグリッドの元へと近寄る。





「(どうしてナマエは、森を気にしているのかな?)」





学校への道すがら、真っ直ぐ視線を固定させている名前を見上げてから、ハリーはもう一度森へ目を向けた。

黒に染まった森。
何も見えない。

そこにあるのは、ただただ闇ばかりだ。

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