※オリジナルの女性キャラが出てきます。苦手な方はご注意下さい。






その人は体が弱かった。存在自体が儚くて、目を離したら消えてしまいそうで、いつも不安は心の片隅にあった――…。


登校中にその姿を発見した瞬間、隣を歩いていた黄瀬がまるで主人を発見した犬のように勢いよく駆けていく。
その姿に呆れながらも、青峰も負けじと後に続いた。

色素の薄いふわふわした長い髪が歩調にあわせて揺れる。くりくりとした可愛らしい瞳が、黄瀬と青峰に平等に向けられている。
彼女を真ん中にして両端を陣取り、悪い虫が寄ってこないようにさりげなく威嚇しながら登校するのも、もはや日常の風景だ。

今から数年前、街で具合が悪そうにしている彼女に声をかけた際、二人とも一目で心を奪われ、その場で友達になった。
付き合いは数年経った今でも変わらない。
一つ年上な彼女は、病気のせいで留年し、今は同じ高校に通う同級生だ。
クラスは違うが、昼ご飯はいつも一緒に食べるし、休み時間も隙を見ては会いに行く。どちらが先に彼女のところに着くか、あえて口にしたことはないがこれは競争だ。

青峰と黄瀬の世界は、ほとんど彼女で埋まっていた。

そんなある日、二人揃って彼女の自宅に招かれた。
体の弱い彼女はこれまで入退院を繰り返していて、病院には足繁く通っていたが、自宅での療養中は女性の家に男二人で押しかけるのは憚られ、訪ねたことはなかった。なので、彼女の家に行くのはこれが初めてだ。
初めての想い人の自宅訪問に心躍らない男子高校生などいるだろうか。
黄瀬と三人という点は不服ではあるが、まあ仕方あるまい。

ドキドキと胸を高鳴らせ訪れた彼女の自宅。家に着き、その全貌を目にした途端、それまでの高揚感は嘘のようになりを潜め、代わりに漠然とした違和感を覚えた。

戸惑いを押し隠し、案内されるまま黄瀬とともにリビングへ通される。さすがに年頃の女性の部屋に男二人は入れられないのだろう。
それはそうかと納得する中、もやっとしたものが心の奥に生じる。
ごく僅かなそれをきっと気のせいだろうと早々に蹴散らし、青峰はせっかくの時間を楽しむことにする。

いつものように彼女を真ん中にして、襟足の長いカーペットの上に座る。
ふと鼻先を擽ったすぐ隣の彼女から微かに漂う香水の香りが、記憶のものと違う気がする。
蹴散らしたはずのもやもやが、先程よりもその存在を主張するように浮上した。

奇妙な感覚に陥る青峰の隣で、黄瀬と彼女が喋っている声が、何とはなしに耳を通り抜けていく。
こんな喋り方だっただろうか。
物腰の柔らかな高めの声を聞きながら、首を捻る。
一つ疑問が生じると、まるで滝のように次から次へ止め処なく溢れ出す。
黄瀬も同じことを思っているのか、一見普段と変わらぬ笑みを浮かべているようでも、どこか様子が違っているようだった。
想い人の家で、彼女を前にしているというのに、心は完全に上の空だ。

儚くて優しくてよく笑う年上の彼女。
色素の薄い長い髪。大きな栗色の瞳には、仄かな熱が垣間見える。
どこか記憶と食い違う。
頭ではなく、心が、本能が告げている。

(あの人から太陽の匂いはしない。あの人は滅多なことでは表情を変えない。あの人はまるで保護者のような目を自分達に向けていた。
色素の薄い髪は短くて、無防備に晒される白い首筋に何度よからぬ思いを抱いただろう。
感情の窺えないガラス玉のような瞳に、何度吸い込まれそうになっただろう。
あの人の儚さは、思わず抱きしめたくなるようなものだった。)

彼女のことが好きだと思っていた。
けれど、彼女に邪な感情を抱いたことはないと気付く。改めて考えてみても、彼女を抱きたいという思いは一切湧かない。いったい何故なのか。今自分は誰のことを考えているのだろうか。

もやもやと胸に広がった何かがどんどん膨れ上がり渦を巻く。
正体の掴めぬ雲のようなそれに、苛立ちまでもが増していく。

その苛立ちを飲み下すように、彼女の用意してくれた紅茶を一気に呷る。
あぁ、やっぱり違う…。
何がかはわからないが、確かにそう感じた。
何が違うのか知りたくて空になったティーカップを睨んでいると、口にあわなかったのかと心配そうに彼女が尋ねた。
隣で同じように紅茶に手を付けた黄瀬の動きが止まる。彼女の不安そうな視線を受け、ハッと我に返った黄瀬は美味しくてびっくりしたのだと取り繕うように笑ってみせた。
そういうところは流石というかなんというか、青峰との大きな違いだ。

記憶にあるのはもっと色が濃くて、酸味が効いていて、…そう、あれは紅茶ではなくコーヒーだった。

記憶にある…さっきから自然とその言葉を使っていたが、それは果たして何の記憶だというのだろう。
彼女の家に来たのもこれが初めてなら、彼女が紅茶を出してくれたのも初めてだ。自分はいったい何と彼女を比較しているのだろうか。
けれど、薄っすらと浮かぶ、混じりけのない真っ黒な液体の満ちた二つの色違いのカップと、もう一つ、本当に同じものかと疑いたくなるようなミルクたっぷりの白に近い茶色の液体の注がれたカップ。

肝心なことは何もわからない。余りにも朧気で、本当に自分の記憶なのかも自信がない。もしかして夢で見たことがあるとかそういう類のものだろうかと思うほどに。

頭を抱える青峰を心配そうに見上げる彼女。
出会った当時は少女だった彼女は、今では立派な女性だ。
共に成長してきた。そのはずなのに、何故か引っ掛かりを覚えて、渦巻く感情に飲み込まれそうになる。

もとより短気な青峰はわけのわからない感覚に今にもぶち切れそうになりながら頭をがしがしと掻き回す。
すると突然、頭に鋭い痛みが走り、パキンッとガラスが割れるような音が己の内側から聞こえた。
心の奥底に眠る何かを覆っている殻が剥がれるように、ヒビ入り、パラパラと崩れ始める。
彼女の声は耳には届かず、その姿がぐにゃりと歪む。
代わりに頭に浮かんだのは、病的に白い肌に色素の薄いベビーブルーの髪と瞳を有した十代後半くらいの少年だった。

いや、自分は彼を知っている。自分達よりもうんと年上なことを知っている。無表情をはり付けるその顔が笑みを浮かべた時の胸の高鳴りを知っている。

彼の名前を、知っている──…。

硝子の殻はガラガラと音を立て完全に崩れ去った。
中に押し込められていた眩しく輝く記憶。想い。取り戻した…やっと。

意識が覚醒し現実に戻ってくると、そこはまだ彼女の家だった。
同じように呆けていた黄瀬と青峰の視線が絡む。
途端、ぽろぽろと涙を溢し始めた黄瀬に、彼女の方が狼狽える。
自分達の記憶が戻っても、彼女の方は何も変化がないらしい。
どういう仕組みになっているのかは見当もつかなし、今はそれどころではなかった。彼女のことを気にしている場合では、なかった。

こいつ調子悪いみたいだから連れて帰るわ、と青峰は平静を装って黄瀬を促す。次々に溢れる涙を服の袖で拭いながら立ち上がった黄瀬の腕を引いて、玄関に向かう。
恐らく何も知らないであろう彼女がおろおろと自分達を見ているのに、気遣う言葉は出なかった。

まだ涙が止まらないのか、黄瀬は顔を隠したまま彼女にごめんねと告げた。それが今日のことを指しているのではないと、青峰には理解できた。
だから、青峰も続けて口を開いたが、思い止まって言葉を呑み込む。
そのまま彼女に背を向け、じゃあな、と一言だけ溢してドアを閉めた。
振り返ることはせず、足を止めることもしないで家の前の道を歩く。
きっともう通ることはないその道を、ゆっくりと。

隣でしゃくり上げる声が聞こえるが、敢えてそちらは見ないようにした。
好きで、好き過ぎて、だから涙が出る。
そんな黄瀬の姿に、自らの鼻の奥がツンと痛んだが、辛うじて表には出さなかった。

彼に会いたい。
その想いだけが、今の二人の心を占めていた。




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