貴方を想うころ洗濯も掃除も一通り終え、そろそろマスターのおやつを作り始めようかと思い腰を上げると、二階から聞こえたのは自身の名を呼ぶ声。
また何か頼まれるのだろうか、と頭の隅で考えながら、キッチンへから二階へと足を向ける。
十数段の階段を上り切りマスターの部屋のドアを軽くノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「失礼します…どうしました?」
「じゃじゃーんっ」
「………何ですか、それ」
「アルバム」
「誰の」
「私の」
正直、で?、としか言いようが無い。
ドアの向こうにはカーペットの上に寝転ぶマスターと、うっすらと埃被った一冊のアルバムが在った。
マスターはにこにこと笑みを浮かべると、起き上がって此方にそのアルバムを差し出してくる。
受け取って良いものか迷っていると、彼女はすぐにそれを胸元に引き寄せた(見せただけ、か)。
「ね、一緒に見よ」
「はぁ……」
「おやつ出来てる?
お茶しながら見たいなぁ」
「作ろうとしたらマスターに呼ばれたので、まだ出来ていませんよ」
「えぇー!??…しょうがない、なぁ…
出来上がるまで待ってるから、作って?」
「はいはい。」
がっくりとうなだれながらそう言うマスターの手を引いて下へ向かい、テーブルに座らせてから急いで作った焼き菓子を紅茶と一緒に出す。
向かい側に座りながらミルクティーを作っていると、彼女は早速その口いっぱいにクッキーを詰め込んでいて。
「…喉に詰まらせないで下さいね」
「うぁい、おいふぃいお」
「口にモノを入れたまま喋らない」
そう言うと、うんうんと頷くマスター。
マグカップを差し出しながら、テーブルに置いてあったアルバムを引き寄せてその表紙を開く。
先ず目に入ったのは、小さな赤ん坊。
可愛らしい産着に包まれているのは、間違い無くマスターだろう。
「産まれたばかりの頃、ですか?」
「んー…可愛く、ないねぇ」
同じ写真を覗き込み、苦笑。
マスターはプチタルトを片手に、空いたもう片手でページをめくる。
「七五三!こんな着物着たんだぁ…」
「入園式だ…わ、こっちは入学式!」
「小学校の卒業式は泣いたー…」
「修学旅行も運動会も楽しかったんだよ」
お菓子を食べるのも紅茶を飲むのも忘れて、マスターは一人はしゃいでいる。
瞳をきらきらと輝かせながら、一つ一つを思い出す様に。
俺の知らないマスターが此処にいるんだと思うと、何故か左胸が小さく疼いた。
写真をぼんやりと見つめ、隣に俺が居れば良いのに、なんて思う自分を軽く嗤ってみる。
「っ、…あ、ごめん…」
「?何が、ですか?」
「こんな話…ってか、私の写真ばっかり見ても楽しくないよね」
「いえ…知らなかった儚さんが知れて嬉しいです」
そう言うと、若干頬を染めながらそっぽ向く彼女を可愛らしいと思うと同時に、すっきりしない胸の重苦しさ。
写真に写るマスターはみんな輝いているのに、いまいち受け入れられない。
「…ねぇ、やっぱり…見るの止める?」
「……え…?」
「だって、…つまんなそうだし…」
「すみません…考え事をしてました」
それを聞いた時のマスターの顔を見て、後悔した。
考え事をしていたなんて、彼女に興味が無いと言っているとも云えるではないか。
案の定、アルバムの一点だけを見つめて固まってしまった相手に、思わず背に冷たい汗が伝う。
「……マ、マスター…?
考え事、っていうのは、…ですね…」
「……つまらないなら、つまらないって言えば良いじゃない。」
「違います…その、何て言うか…
……儚さんと写真が撮りたいです」
「……、…は……」
驚いた様に顔を上げたのは、引き止める為に手を握った所為か、俺の発言にか(…恐らく、後者)。
目を丸くさせながら此方を見つめてくるマスターの瞳は潤んでいて、泣く寸前だった事が分かる。
「あ…うん…私、も、…撮りたい…
カイトと一緒に、写真撮りたい…。」
危なく泣かせてしまうところだった、と内心焦っていると、次の瞬間にはにっこりと笑みを浮かべているマスター。
その様子に安心しながら、先刻の自分の言葉を思い返してみる。
儚さんと、写真が撮りたい。
マスターではなく、儚さんと。
胸の重みも今は消え失せ、案外簡単に出てしまった答えに溜息。
「儚さんと一緒に居た証を、残したい」
「……カイト?」
「例え何があっても、儚さんが俺を忘れない様に」
「…写真なんか無くても、カイトはずっと私の此処に居るのに」
貴方の居場所は、此処に在る。
そう言って自身の胸元に手をやる彼女は、見た事が無い位優しく、悲しそうに微笑っていた。
「だから、そんな事言わないで」
(「形」の無い言葉でも)
(残せる温もりは、有るんだ)
090924//Tuguno.
(
おまけ )
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