Short | ナノ


一と二【後編】(夏黄文)


「…ねえ、一本吸ってみたい」



そう口にすれば、咥えた葉巻を慌てて黄文は口から離す。「さっきの俺の話忘れたのか?」と、眉間に皺を寄せた黄文はわたしに問う。もちろん、さっきの話は覚えている。しかし、わたしの知らない黄文がいることに、なぜか我慢ならなくて。

「わかってるけど、一本だけでいいから。黄文が吸ってる味なら…わたしも吸ってみたいの」

わたしの発言に一瞬フリーズした黄文は、懐に提げた小袋から葉巻を一本取り出した。

「本当に一本だけだからな」

葉巻とともに一緒に点火器を乗せた左手を、わたしの前に差し出す。受け取るために差し伸べた右手が黄文の左手に触れれば、触れたところから電流が走るような感覚に包まれた。出会ってから十年以上で幾度となく黄文の手には触れているのに、こんなのは初めて。

点火を試みるものの、何回やっても一向に着火する気配はない。そんなわたしに痺れを切らせた黄文は、いつも通りの口調で鈍くさいと文句を言う。

「そんな感じで…今まで火が必要なときはどうしてたんだよ?」

葉巻も煙草も吸わないわたしが日常で火を必要とする場面は、お茶を飲むときくらい。食事は城内の食堂や城下町で摂るから自炊は一切しないし、湯浴みも城内の大浴場で済ませている。今までの対応を思い出し、わたしは答えを口にした。

「青秀殿や炎彰殿に部屋まで来ていただいてたの」

「はぁ?おまえ、青秀殿や炎彰殿を部屋に入れてたのか?」

わたしの答えを聞いた第一従者の眉間には、深く皺が寄る。お茶を飲むたびに一型魔法の眷族たちを呼びつける不躾さに呆れられるのは、わたしとて仕方ないと感じていた。

「うん…あっ、でも誤解しないで!火を点けるためだけに毎度呼ぶのも申し訳ないから、お茶の一杯くらいご馳走してるんだから。でも…二人とも投獄されてしまったし、これからはそうはいかないね」

先日斬首刑に処せられた紅炎様と、流刑に処せられた紅明様の眷族は、敗軍の将として投獄されている。第二皇子と同じく島流しにあった紅覇様の眷族は投獄されておらず、わたしたちもこうして城内にいて。投獄の基準はいまひとつはっきりしていない。それを思えば、皇子たちの眷族五人の投獄を他人事とは思えなかった。

「権兵衛」

葉巻などすっかり忘れて、仲間たちの現状に落ち込んでいるわたしに、第一従者が声をかける。黄文の顔には、なぜか不機嫌な色が見え隠れしていた。

「そんな顔して、どうし」

「俺が点けてやるから、葉巻咥えてみ?」

わたしの言葉を遮った第一従者は、点火器を返却するよう促す。自力で点けられないとわかっているなら、最初から黄文に頼めばよかった。そう思いつつ、点火器を持ち主に返却する。

言われた通りに葉巻を口に咥えれば、重力に従って葉巻は垂れ下がろうとして。二十二センチ背の高い黄文が火を点けやすいよう、わたしは顔を上げて軽く口元に力を込めた。

「…こう?」

両手が塞がると点火しづらいのか、火を点けたまま右手で持っていた葉巻を黄文は口に咥える。どんなに顔をわたしが上に向けたところで、身長差は縮まらないわけで。わたしの近くまで歩み寄った黄文は、軽く膝を曲げた。

少し待っても、一向に黄文が左手の点火器に触れる気配はない。そんな第一従者を不思議に思っていると、葉巻が入っていた小袋に点火器がしまわれた。これから点火なのに、なぜ点火器をしまうのか。問いたい気持ちはあるものの、葉巻を咥えたままのわたしは言葉を発せなくて。

「…!」

質問のために葉巻を口から外そうと葉巻に右手を宛がったとき、黄文の左手にがっしりと首裏の付け根を掴まれた。首裏に伝う温度に気を取られていれば、そのまま黄文の顔が近づいてくる。

思わぬ黄文の行為にどぎまぎしていることを悟られぬよう冷静を装っていると、一定の距離で彼は止まった。こんな風に異性と顔を寄せるのは、元彼と別れて以来。破局は"ヴィネア"の眷族になった頃で、数年前の話だ。

葉巻に火を点けやすくするために顔を上げている都合で、わたしは視線を逸らせない。その一方で、わたしに顔を近づけた黄文の視線は下に落ちていて、一点を見つめていて。伏し目の第一従者はやけに色っぽく映る。二人して無言の空間に、わたしの心音だけが大きく木霊した。

強く匂うヤニの香と、首と項の境の左手に意識が回っていると、ふと視界に二本の白く細い煙が漂う。視線を落とせば、そのうち一本の煙の発生源が自分の口元にあると気づいた。



いつの間にか火がついた葉巻に、わたしは我に返る。点火器が黄文の懐にある今、火種となりうるのは彼の葉巻しかなかった。

「…っ」

着火だけなら点火器で事足りるのに。わざわざ顔を近づけてまで葉巻で着火するなんて、意味がわからない。しかも、視線を落としたとき、黄文の吐いた息が顔にかかった気もして。葉巻の煙以上の温度が身体中を巡り、全身が熱くなる。

「何だよ、そんなに顔赤くして…。まさか、俺にときめいた?」

葉巻を咥えるよう提言してから初めて口を開いた第一従者は、いつも通りのドヤ顔。先ほどわたしが垣間見た艶など、目の前の黄文のどこにもない。思ったままを言われて驚いた拍子に思いきり息を吸い込んでしまい、煙が喉の変なところに入ってしまう。

噎せたわたしは黄文に背を向け、咳き込んで酸素を身体に取り込む。相手に向けた背中をさすられると、触れられたところに熱が灯っていく。少し時間を置いて呼吸が落ち着いたのを待ち、改めて第一従者と向かい合った。

「そ、そうだよ。…悪い?」

あまりの恥ずかしさに、黄文から視線を逸らした。自分の気持ちを素直に表明したのに、第一従者は素っ頓狂な声を返す。

「え?じゃないよ。聞いてきたの、黄文じゃん…」

少し熱の取れた顔を第一従者に向けると、暗がりでもわかるほど彼も顔を真っ赤にしていて。からかわれると思っていた黄文の真逆の反応に、一旦引きかけた熱が再び顔に宿る。

「じゃあそういう反応すんなよ」

"そういう反応"とは。思ったままを尋ねると、またしても予想外の反応を黄文は見せた。

「か、可愛いところ見せんな。いざというときに姫君とどっちを守っていいかわかんなくなるだろ」

"可愛い"とわたしに黄文が言うなんて、"可愛げがない"とか"もっと可愛い女だったら"とか"おまえを可愛いだなんて彼氏の目は腐ってる"とか、憎まれ口の類でしかなくて。さらに守る相手として姫様と比較されるなんて、今までの長い付き合いでは考えられない。意味を咀嚼する間もなく、反射神経的にわたしは返答した。

「は?…そ、そんなの、姫様に決まってるでしょう?あんたそれでも第一従者?バカなの?」

「未来の宰相閣下にバカはねーだろ!」

思わずヒートアップしてしまったものの、先程と違ってわたしたちを諫める者はいない。皇族の寝所にも近い部屋のテラスで騒いでいれば、臥せっている紅玉様や白龍様に迷惑がかかる。一呼吸置いてからわたしは声のトーンを落とした。

「黄文、疲れてるんじゃない?…今日の黄文、なんか変だよ」

変とは何だと訝しがる将来の宰相閣下に、違和感を列挙する。わたしへの無駄な女性扱いに、咥えた葉巻同士をくっつけての点火。今さっきの"可愛い"発言も。

「おまえだって変だろーが。俺が吸ってるからって葉巻を吸いたがったり、俺にときめいたり。それに…俺が変なのはずっと前からだよ」

第一従者の発言は一理ある。今日はわたしも変だ。しかし、昔から変だったと口にする黄文の意図はわからない。"俺が変なのはずっと前から"の意味を問いたいものの、なぜか切り出すのは憚られる。

問いたい気持ちを視線で訴えるように顔を上げれば、将来の宰相閣下と目が合う。その瞳を見つめていると、両肩をがっつりと黄文に掴まれる。戸惑いを隠せないわたしをよそに、ぐっと顔を寄せた第一従者が口を開いた。



「…一緒になろう、権兵衛。結婚して、子供作ろう」

予想だにしていなかった黄文の求婚に、わたしの頭は真っ白になる。我に返ったのは、しばらくしてから。視界に映る黄文は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えない。十年以上の付き合いで初めて見る黄文に、再び顔に熱が集まっていく。

「付き合ってもないのに、いきなり結婚なの?こういうのは順番ってものが」

「そうだよ。今俺たちが生きてるのって、奇跡だろ?二週間前まで煌帝国の国民同士で殺し合ってて、少し間違えれば俺たちが死んでたかもしれない。だから…"二人の関係をじっくり育んで"とか"手順を踏んで"とか言ってる余裕はない。…互いを熟知してる俺たちなら尚更な」

登用以降の互いのことは誰よりも知っている。これはわたしたちの共通認識。恋人に知られたらドン引きされるであろう特殊性癖も、他人に聞かれたら一発で暇を出される上官の悪口も。わたしたちにとって"熟知"という言葉は、決してオーバーではなかった。

「…考えさせて」

「ダメ?」

ダメではない。首を振れば、第一従者はわたしの顔を覗き込む。葉巻の点火時に接近したことを思い出したわたしは、思わず左手をかざして距離を詰める顔を制した。

むしろ黄文の言葉を聞いて、彼しかいないと思いはじめている自分がいる。互いの恥部すらあけすけに話せる仲なら、夫婦間の隠し事もなさそうで。思考回路も食の好みもすべて知り尽くしているわたしたちだから、下手に相手を勘繰って不安になることもない。

「どうしてこういうときに得意の人心操作術を使わないの?姫様の第一従者で未来の宰相閣下なのに」

大きく目を見開いて「あっ」と叫ぶのは黄文。どうせ求婚するならもっと巧みにわたしの心を操って、断る余地などなくせばよかったのに。そうすれば「考えさせて」なんて言わず、すぐ頷いていた。

「しまった…大事なときに忘れてた」

わたしの両肩から手を放した黄文は、大きなため息をつく。"やり直し"と言わんばかりに首を振った第一従者はテラスを出て室内を通り抜け、部屋の外に出てしまう。

間もなくして早足で戻ってきた黄文は、改めてわたしの両肩を掴んだ。今度は求婚されるとわかっているわけで、わたしはごくりと息をのむ。再びわたしの目をまっすぐ見つめて、一言口にした。

「子供作ろう」

「…バカ!」

煌帝国の皇女・紅玉姫の寝所を訪ねた第一従者と第二従者が、婚約を主に報告したのは翌日の話。



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