毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


侍女(018)


"トランの民の島"に向かう商船を警護すべく、私はシンドリアを2日間留守にしていた。無事に物資を届け、シンドリアに着いたのは夕刻。

「この書類にご署名をお願いいたします」

頭を下げる部下から書類と羽根ペンを受け取り、長机に書類を置いて左下の署名欄に焦点を合わせる。

<ドラグル・ノル・ヘンリウス・ゴビアス・メヌディアス・パルテヌボノミアス・ドゥミド・オウス・コルタノーン>

世界基準でも、私の名の長さは珍しいらしい。初めて会う人間には、必ずと言っていいほど驚かれる。しかし27年間この名とともに生きてきたわけで、この長さが当たり前の私にとってはどうってこともない。

「ありがとうございます。では、失礼いたします」

部下は頭を下げると、そそくさと部屋から立ち去った。この書類への署名は、本日の商船警護が恙なく終わった証拠。大きな問題もなく商船警護を終えた安堵から、机に軽く体を預ける。ほっと息をついたのも束の間、この部屋にいたもう1人の部下が私に声をかけた。

「ドラコーン将軍も長旅でお疲れでしょうから、あとは我々に任せてください」

部下に言われるがまま帰るのは躊躇われる。とはいえ本日の仕事は終わっていた。夜勤の警備兵以外の終業時間は過ぎているし、今日中にやるべき仕事はない。

「ありがとう。お主たちも早めに切り上げるんだぞ」

上司がいると、自分の仕事が終わっていても帰りにくい。かつて酒席でそう愚痴を漏らしたのは、我が国の政務官・ジャーファルの部下。赤蟹塔に将軍たる自分がいるせいで、仕事を終えた部下が退勤できないのは心外だった。

任務のない自分が部下の負担になりたくない。それに、私の退勤後に問題が起こっても、私抜きで解決できれば部下の成長に繋がる。部下たちの手に負えないような問題なら、紫獅塔の私室を訪ねてくるだろう。私抜きで対処できる程度の問題なら、多少対処法が間違っていても明日指導すればいいのだ。

問題が起こらないに越したことはない。仮に問題が起きれば、私に指示を仰ぐかどうかの判断を含め、部下たちが自力で問題に向き合うことになるわけで。どう転んでも私の不在が後進の育成になるなら本望だ。

有事は遠慮なく私室を訪ねてほしい旨と退勤をその場にいる部下たちに改めて告げ、赤蟹塔を出る。最終目的地は妻・サヘルと暮らす部屋がある紫獅塔だが、私は寄り道を選んだ。

今回の泊りがけの商船警護以外でも、ここ数日の軍部は多忙を極めていて。あまりサヘルに構ってやれなかったと感じる。立ち寄った先は王宮内の食堂で、愛妻好みの果実酒を樽で購入した。




「サヘル、留守にしてすまなかった」

愛妻が待つ部屋の扉を開けると、彼女の笑い声が聞こえる。果実酒の樽を室内に運びながら聞き耳を立てれば、珍しく来客の声もした。樽を抱えながら改めて室内に目を向けると、そこにいたのはサヘルとゴンベエ・ナナシノ。

「ドラコーン様!お邪魔しています」

ゴンベエは2週間前にシンドリアに来たばかりの王宮料理人だ。新しく料理人を採用するときは必ず八人将と顔合わせをするのがシンドリアのしきたりで、私たちの初対面はゴンベエの入国当日だった。普通ならそこで挨拶して終わりで、”八人将と官職”以上の関係には滅多にならない。

しかし、過去に八人将の血縁者たちとゴンベエの近しい関係が発覚して。亡き妻・ルルムと新人料理人の関係を知ったヒナホホとゴンベエが一緒にいるところにたまたま夫婦そろって遭遇し、それを機に4人で食事したのだ。

「勝手に台所お借りしてすいません」

備え付けの簡易厨房に立つゴンベエは、お玉を手に頭を下げる。簡易厨房を使うこと自体は構わないが、サヘルと自分以外がこの部屋にいる事実にどうも慣れない。現在の八人将で唯一の妻帯者だからか、この部屋に客人が来た記憶はほとんどなかった。私の主でこの国の王たるシンドバッドすら例外ではない。

ゴンベエが客人第1号の可能性すらあるため、それとなく彼女がここにいる理由を妻に問う。シンドリアに来て初の非番だった新人王宮料理人に誘われ、日中は市街地でお茶会をしたらしい。

その成り行きでゴンベエに料理を教わることになり、今度はサヘルから彼女をこの部屋に招いた。客人だけが厨房に立つのは最終的な味の確認で、妻はテーブルのセッティングをしていたという。

「ゴンベエ、サヘルがすまない。せっかくの非番なのに料理なんて、勤務みたいなことをさせてしまって」

「気にしないでください!ドラコーン様のためですから」

料理の腕を磨くことがサヘルのためになるならまだしも、私のためとは。ゴンベエの言葉に首を傾げていると、皿に盛られた料理をサヘルがテーブルに運ぶ。新しい友達から妻が教わった料理は、初見のはずなのに見覚えがあった。

「ゴンベエは…パルテビアでも働いていたのか?」

私の質問にゴンベエは首を振る。曰く、私たち夫婦が出会った国で暮らしたことはあるものの、幼すぎて記憶はないという。

「アルテミュラからパルテビアに向かう船で、わたしは生まれたんです」

ヒナホホと4人で飲んだときに話さなかったか、とゴンベエは私に確認する。昼間に聞くまで知らなかった、と答えたのはサヘル。私も初耳だった。新しい国に来て日が浅く、色々な人に同じ話を何度もしたのだろう。誰にどんな話をしたか、いちいち覚えていられないのは仕方がない。

「パルテビアの宮殿レシピを母から受け継いだので、わたしもパルテビアの宮殿料理なら作れます。帝国軍に在籍していたドラコーン様なら宮殿料理を召し上がったことがあるかもしれないと思って、レシピを教えるとわたしがサヘルさんに申し出ました」

妻に目配せしながら微笑むゴンベエの背後に視線を移すと、レシピと思われる巻物の束。ところどころ調味料か何かで汚れた羊皮紙は、緑の紐で括られている。そのあと、思い出したかのようにゴンベエは付け加えた。

「でも…ドラコーン様が召し上がられた味は再現できていないかもしれません。幼すぎたわたしはパルテビア宮殿で食べた味を覚えていないし、両親が働いた時代とドラコーン様が軍部にいらっしゃった時代はおそらく重複してないので」

ゴンベエが話す間もサヘルが料理を運び続け、気づけばテーブルには3人分の料理が並ぶ。見た目はどれも、故郷の帝国軍で見たそれと瓜二つだ。

「いただきます」

先ほどの発言は謙遜ではないようで、皿の料理をスプーンで掬う私を凝視するゴンベエの目には不安が浮かぶ。その一方で見た目も匂いも記憶のそれに近く、味についても不安より期待が勝っていた。料理を口に含めば、口いっぱいに懐かしい味が広がる。

「…懐かしい」

私が頬を緩ませると、サヘルもゴンベエも安堵の表情を見せた。

「サヘルも懐かしいだろう?」

「えっ?」

妻に目配せすると、素っ頓狂な声をゴンベエがあげる。

「サヘルから聞いていないのか?彼女はとても優秀で、第一皇女の侍女だったんだぞ」

私の発言に目を丸くしたゴンベエは「初耳です」と返す。

「"ドラコーン様のために作りたい"、とだけ伺っていました。ドラコーン様、本当にサヘルさんに愛されていますね」

目を細めるゴンベエに、顔に熱が灯る。こんな姿になってもサヘルは昔と変わらず一緒にいてくれるのだから、愛されている自覚がないはずがない。とはいえ、わかっていても口にされると恥ずかしかった。自分の照れをごまかすべく、サヘルにも料理に口をつけるよう私は促す。

「…あのとき食べた料理と同じ味。本当に懐かしい。ゴンベエちゃん、ありがとう」

サヘルは涙ぐみながら、ゴンベエへの謝意を口にした。



「ゴンベエちゃん、お慕いしている殿方はいないの?」

「だからいないってば!八人将にも散々聞かれたから先に言うけど、今までもこれからも、ヒナホホさんとは何もないからね」

食器洗いを終え、食堂で私が購入した果実酒を3人で飲む。酔っ払った2人は、過去の恋愛話に花を咲かせていた。サヘルの過去の恋愛経験は一通り私も知っている。とはいえ今妻が愛してくれているのは自分であり、彼女が昔の男について話そうと気にならない。

その一方で、ゴンベエは自身の恋愛経験を頑なに語ろうとしない。何をサヘルが尋ねてもだんまりで、交際経験の有無にすら口を噤む。妻の昔話には質問攻めだったため、ゴンベエは酒で大人しくなるわけでもなさそうだ。

「…それじゃあ、どんな殿方がゴンベエちゃんは好きなの?」

サヘルの質問に、少し間を置いてからゴンベエが口を開いた。

「好きになった人がタイプ、かな?」

正直なところ、サヘルも私も肩透かしを食らった。しかし、要領を得ない回答でも、私たちはこれ以上は追及しない。今まで無言を貫いてきた客人がようやく口を割ったのだから。

反対に嫌いな男性のタイプをサヘルが問うと、新人王宮料理人は大きなため息をつく。ゴミを見るような目で、遠くを睨みつけながらゴンベエは答えた。

「具体名をあげて"この人が嫌い!"って言えるけど…サヘルさんもドラコーン様も面識ないと思うから、その人についての話は遠慮するよ」

グラスに残った果実酒を、くいっとゴンベエは煽る。その男の正体に、サヘルも私も興味を抱く。"好き"にはあれだけ時間をかけて曖昧な答えしか導き出さなかったのに、"嫌い"には具体的な人物像が念頭にあるのだから。しかし、新人王宮料理人の顔を見る限り、詮索するタイミングではなさそうだ。

「じゃあサヘルさんにも聞くけど」

質問攻めの反撃とばかりに、ゴンベエはサヘルに私の好きなところを問う。酔って声の大きくなったサヘルは、私の好きなところを嬉々と口にしていく。隣の部屋に聞こえないかと肝を冷やした私は、慌てて窓の開閉の確認に奔走する。

結局窓は全部閉まっていて、近隣の部屋で暮らす八人将に聞かれる心配はなかった。若手八人将の酒の肴にされる心配がなくなって安堵するものの、愛する妻から私の好きなところを聞けた喜びが勝る。少し気が緩んだ私はゴンベエに感謝しつつ、商船警護の疲労を労わるようにぶどう酒に口をつけた。



「ドラコーンさん、サヘルさんに愛されてますね」

翌日。朝議前、八人将で魔導士のヤムライハに声をかけられた。窓が閉まっていたのは確認したし、そのときも記憶があやふやになるほど酔っていなかったはずで。魔導士がサヘルの発言を知る理由を問う。

理由は単純で、窓は閉まっていても紫獅塔の廊下と私室を繋ぐ扉が完全に閉まっていなかったから。確かにゴンベエが私室に戻る際、扉が開いていたことは指摘されていた。しかし、そのときは結構酒が回っていて、サヘルの大声が筒抜けになっていたことにまで気が回らなかったのだ。

ヤムライハの発言で、昨日の妻の発言が頭を駆け巡る。私の好きなところを挙げる愛妻の笑顔を思い出せば、目の前の魔導士がニタニタしていようと気にならなかった。



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