毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


聞込(番外編)


禁城には、気に入らない女が二人いる。身分も年齢も違う二人だが、私が彼女たちを気に入らない理由は奇しくも同じ。私の大好きな紅炎お兄様に馴れ馴れしく接するから。

一人は前皇帝の娘・練白瑛。紅炎お兄様の従妹で、私の従姉にあたる女だ。前皇帝である伯父様が生きていた頃、白瑛は正当な第一皇女で唯一のお姫様だった。当時は"単なる皇帝の弟の長男"だった現第一皇子にとって、かつて敬う対象だった白瑛は今も無下にできない存在らしい。

もう一人は、煌帝国の王宮料理人であるゴンベエ・ナナシノ。"一介の官職"のくせに、なぜか第一皇子と親しい女だ。二人が親しい理由を知る者はいない。しかし、"辛味巡り"と称し、紅炎お兄様とゴンベエは毎月のように市街地に出かけている。これは城内の人間にとって周知の事実。

二人とも気に入らないのは変わらないが、より厄介なのは"一介の官職"だ。私の従者・夏黄文がゴンベエを想い慕っているように見えるから。



「夏黄文。あなた、最近変よぉ?全然鍛錬に身が入ってないじゃない!」

ある日の午前。鍛錬しようと城内の武道場に来たのに、相手を務める従者は上の空だ。これでは鍛錬にならない。従者の態度を指摘すれば、全然心のこもっていない声で彼は謝罪を口にする。

「…もしかして、あなた体調が優れないんじゃなくて?それなら鍛錬は切り上げましょうよぉ」

しかし、体調不良ではないと言って夏黄文は俯く。要領を得ない従者に私がやきもきしていると、空から声が降ってきた。

「ババアは身体だけじゃなくて頭もどんくせーのかよ」

「ジュダルちゃん…!どんくさくなんかないわよっ!」

宙に浮く絨毯で寛ぐ神官に話しかけると、少しずつ絨毯は高度を落とす。横向きで寝転がるジュダルちゃんは、大きな欠伸をしていて。体調不良を憂う私が"どんくさい"なら、夏黄文の状態はなにゆえか。それを問えば、ジュダルちゃんは私の興味を強く惹く一言を発した。

「女」

「しっ、神官殿!」

さっきまで元気のなかった夏黄文の大声に、ジュダルちゃんの推測が正しかったと悟る。どういうことかと従者を質せば、彼は口を噤む。

「振られたんだよ。なぁ、メガネ」

「…まあ。そうなのぉ?」

確かに、ここ数日はゴンベエを見かけない。以前であれば、毎日のように夏黄文と一緒にいたはず。私と顔を会わせることは多くなくても、楽しそうに夏黄文と話す声が聞こえてくるのだ。失恋が本当なら、いろいろな辻褄が合う。

しばらく返事を待つと、"失恋したわけではない"と従者は蚊の鳴く声でつぶやいた。それを聞いて"嘘つけ"と野次るジュダルちゃんを、夏黄文はきつく睨む。しかし、その勢いはすぐに絶ち消えて。しおしおと萎む私の従者は大きなため息をついた。

「失恋だったら、どんなによかったか…」

「夏黄文…大丈夫よっ、あなたは立派ないい子よ!」

第一従者に何があったかは、依然としてわからない。しかし、起こったことが何であれ、城内の全員が夏黄文を敵視しようと、私だけは味方でいなければならなくて。

その場にしゃがみこんだ従者に両腕を伸ばし、私は彼をそっと抱き寄せる。大柄な男性が多い禁城の従者でも背の高い夏黄文は、大きな息子のようだ。ぽんぽんと背中を優しく叩いていると、私の背後からジュダルちゃんが問う。

「女じゃなければ…怪我?なあメガネ、あの噂ってガチなわけ?」

「"あの噂"って何よう?」

「はあ?先週からこの話題で城内は持ちきりなのに、ババア知らねーのかよ!あ、そっか。ババア友達いねーもんな!」

ケタケタと絨毯で笑い転げるジュダルちゃんに、私は頬を膨らませる。もったいぶらないで教えてほしいと告げるものの、まだ我が国の神官はニヤニヤしたまま。

「お願いよぉ、ジュダルちゃん!」

低い位置で宙に浮かぶ神官にぐっと顔を近づけて懇願すれば、瞬く間に彼は高度を上げる。「厚化粧で近づくんじゃねー」などと毒づきながらも、ジュダルちゃんが"あの噂"について口を開いた。

「理由は知らねーけど、メガネと紅炎が揉めたらしーぜ。"とにかく紅炎がすげー怖かった"って話しか聞かねーんだけど」

「夏黄文、本当なの…?紅炎お兄様と何かあったの?」

"あの噂"が本当でも、私が夏黄文の味方でいることに変わりない。しかし、大好きな紅炎お兄様と揉めたとなれば、さすがに私の心中は穏やかでなくて。私の問いにびくりと肩を震わせる夏黄文は、まるで人間に痛めつけられた子犬のよう。

「た…体調が優れないので、休ませていただくでありますっ」

そう口にした夏黄文は、そそくさと武道場を去った。その俊敏さは、とても身体を病んでいる者とは思えない。ニタニタしながら「嘘つくならもっとうまくやれよ、メガネ」と、ジュダルちゃんが煽る。しかし、第一従者の耳には届かないようだ。

ジュダルちゃんは冷やかしに来ただけで、鍛錬に付き合ってくれるわけではないらしい。絨毯に乗ってどこかへ消えたジュダルちゃんを見送ったあと、武道場を私もあとにした。



「あくまで噂ですよ…?"黄文さんがゴンベエさんに手を出して、紅炎様に殺されかけた"って」

「えっ?…"紅炎様と黄文殿がゴンベエ殿を巡って決闘して、黄文殿が深傷を負った"と私は伺いましたが」

「全然違うじゃないですか。"紅炎様とゴンベエ・ナナシノさんが逢瀬していた彼女の部屋に夏黄文さんが乗り込んで、夏黄文さんが返り討ちにあった"って聞きましたよ」

昼餉のあと、近しい従者たちを相手に私は聞き込みに奔走する。聞き込みを重ねれば重ねるほど新たな証言を聞く羽目になり、どれが真実なのかさっぱりわからない。

もっとも、どの証言も三点で共通していた。夏黄文が紅炎お兄様を怒らせたことと、第一皇子が私の従者に怪我させたこと。そして、二人の諍いの火種がゴンベエにあったことだ。

夏黄文はあの調子だし、第一皇子に聞くなんて到底不可能。なぜか火種・ゴンベエは姿をくらませている。王宮料理人と私の生活圏が合わないだけかもしれない。しかし、それにしても夏黄文といる姿すら見ないのは不自然だ。

「…もっと信憑性のある情報を仕入れなきゃ」

噂レベルでしかジュダルちゃんは"あの噂"を知らないようだし、こうしたゴシップの類に白龍ちゃんは興味を持たない。信じたくないが、この件には紅炎お兄様の痴情の縺れに端を発した可能性があって。それを白瑛に聞くなんて、もってのほかだ。

「…そうなれば」

行き先が決まった私は、お兄様に話を聞くべく歩みを進めた。



「そんなぁ」

廊下で顔を合わせたのは、魔導士の仁々。彼女の主に会いに行こうとしていた私は、お兄様の居場所を問う。しかし、紅覇お兄様は数日前から任務で国を離れているらしい。

「…数日前から留守なら、ご存知ないかもしれ」

「こっ…紅明様!」

私が言い終えないうちに声をあげた仁々は、私の背後の人物に頭を下げる。大きな欠伸をしながら、紅明お兄様は仁々と私に交互に視線を向けた。そんな第二皇子に、私はある違和感を覚える。今日はいつものひよこ色の羽織を着ていないのだ。

「紅玉に仁々とは…珍しい組み合わせですね」

「ええ…紅覇お兄様にお聞きしたいことがあって、居場所を尋ねていましたの」

弟の名前に、ぴくりと紅明お兄様の眉間が動く。

「そうでしたか。紅覇でなくてもよければ、私が聞きますよ」

左手で後頭部を掻きながら私に確認する第二皇子は、まさに渡りに船。しかし、紅明お兄様に尋ねたら、私が"あの噂"について嗅ぎ回っていると紅炎お兄様の耳に入るのではないか。懸念をごまかすように、急いで口の周りを大きな袖で覆った。

とはいえ、目の前の第二皇子は煌帝国一の知将。頭脳戦に長けているなら情報収集にも抜かりないはず。つまり、紅明お兄様がより正確な情報を知っている可能性は高い。

「あのっ…料理人のゴンベエを探していますの!近頃夏黄文が元気ないみたいで、夏黄文が好きな味のお粥を教わりたくて…」

夏黄文が意気消沈しているのは事実だし、ゴンベエを探しているのも事実。せめてその裏を探られぬよう、あくまで夏黄文の身を案じていることを私は強調した。しかし、王宮料理人の名を告げると、紅明お兄様のみならず仁々の表情にも緊張が走る。表情筋を強張らせた仁々と私は、揃って第二皇子に視線を移す。

「ゴンベエは…もう煌帝国を去りました」

「えっ?」

詳細を尋ねたい気持ちもあるが、それより反応に乏しい仁々が気になって。いくら無表情な仁々とはいえ、親しくしていた同僚が唐突に城を去れば、多少動揺を見せるはず。しかし、仁々の表情は変わらない。おそらく、仁々はゴンベエの下野を知っていたのだ。

「紅玉…仁々も」

「はいっ、お兄様!」

私の知らない事情を知る従者を疑問に思っていると、紅明お兄様が私たちを呼ぶ。

「いいですか、二人とも…その名は二度と口にせぬように。あとで城内に御触れを出させますから」

「…はい」

私たちの返事を待って、第二皇子は私室の方角に向かう。紅明お兄様にゴンベエの名を口にするなと言われた以上、仁々に詳細を詰めるのは憚られた。



その場で仁々とも別れ、一人私は私室の寝台に寝転ぶ。どう考えても真相には辿り着けなさそうだが、真相に近づくことはできる。そこで、さまざまな証言の共通点を今一度整理してみた。

夏黄文が紅炎お兄様を怒らせたのは多分本当だ。しかし、お兄様が私の従者を怪我させたのは多分嘘。いくら感情的になろうと、お兄様が従者を傷つけるような真似をするとは思えないから。

かといって、火のないところに煙は立たない。夏黄文が怪我したのも本当だろう。怪我がどうこうとは、武道場でジュダルちゃんも言っていた気がする。つまり、夏黄文を怪我させた人間は他にいるのだ。

「あの女ね…」

気づけば、ぷるぷると頬の筋肉が震えてくる。今まであの女に追及の手が及ばなかったのは、紅炎お兄様の庇護下にあったから。"一介の官職"のくせに第一皇子に目をかけられるなんて、お兄様を唆してたぶらかしたに違いない。

二人に何があったかは知らないが、あの女が夏黄文を怪我させて。自分の立場がまずくなると色目を使い、紅炎お兄様に国外へ逃がしてもらったのだ。

紅炎お兄様とほぼ同年代なのに、あの女が担当するのはお兄様たちの食事の調理。あの年齢で次期皇帝候補筆頭の料理番になるなんて、よほどの芸当の持ち主以外ありえない。それでもあの女がそこに上り詰めたのは、第一皇子の後ろ楯があってこそ。

つまり、あの女は第一皇子を出世の道具に利用し、いざとなったらポイ捨てした。夏黄文にも気を持たせるような態度を取っておいて、怪我させた責任すら取らずに国外逃亡。

「なんて小賢しい女…」

紅炎お兄様をたぶらかしたうえに夏黄文を切り殺そうとし、逃走した罪人だ。そう思えば、身体の前で組む両手に力がこもり、手の肉に爪がめり込む。しかし、その痛みなど気にもならないほど、私は怒り狂っていた。

「絶対に、絶対に絶対に絶対に絶対に許さない…ゴンベエ・ナナシノ!」



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