毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


間食(158)


「ヤムちゃん、研究はいいの?」

「研究は明日も明後日もできるけど、ゆっくりゴンベエちゃんと会えるのは今日までだから」



マグノシュタットからゴンベエちゃんが去る前日。学院厨房での修行を終え、荷造りの最中であろう親友の部屋に私は向かう。南国の王宮副料理長が修行でマグノシュタットに滞在する間、ほぼ毎日のように親友の部屋を私は訪ねていた。

さまざまな商会から資金援助を受けて開発研究をしている私たちは、並行していくつもの案件を抱えている。スケジュールはタイトだし寝不足が続く日もあるが、親友と過ごす時間には代えられない。シンドリア時代の仲間と気軽に会えなくなってしまった今だからこそ、近くにいる仲間を大切にしたかった。

シンドリアの王宮副料理長の部屋に入ると、奥から甘い香りが漂う。お菓子を焼いている途中のゴンベエちゃんは、適当な席に座るよう私に促した。私が着席して待っている間に、お湯で温めたティーカップを親友が用意してくれる。

「明日にはパルテビアにゴンベエちゃんが行っちゃうなんて寂しい」

「わたしも寂しいよ。ヤムちゃん以外にも…マグノシュタットの方にはよくしてもらったから」

ゴンベエちゃんの言葉に、私は胸を撫で下ろす。レームとの戦争後、シンドバッド様や八人将は未だマグノシュタットを訪れてない。そのため、近しい非魔導士にこの国がどう映るか、本音では不安だった。

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、本当は早くパルテビアに行きたいんでしょう?」

「もう…ニタニタしないで!」

私のニタニタの根拠は、部屋の隅にまとめられた荷物。まだ出国まで24時間以上あるのに、ほとんど荷造りは済んでいる。ゴンベエちゃんの私物で荷造りされてないのは、明日の服や湯浴みに使う物など、必要最低限だけだ。

「パルテビアに行きたくないって言ったら嘘だけど、まだマグノシュタットを出たくない。これも本当」

「それなら、もっといてくれてもいいのに。…これは私1人の意見じゃないから」

たった二月の滞在だったが、ゴンベエちゃんの存在は学院外にも広く知られている。その理由は、マグノシュタット入国日にシンドリアの王宮副料理長が提案した、ムスタシム王宮料理の普及活動。

提案翌日には国民に通知し、その翌日から始まった普及活動は、私たちの想像を超える盛況ぶりを見せた。"マグノシュタットに誇りを持つ者"や"余所者の講釈を快く思わない者"からの反論。こうしたゴンベエちゃんの懸念は、ほとんど杞憂に終わっていた。

レシピ自体は二月できっちり伝えたものの、技術の伝播に二月は短すぎて。残された修行期間が短くなっていくにつれ、滞在を延長したいと毎日のようにゴンベエちゃんは嘆いていた。逆もまた然りで、滞在延長を伝播者に望む国民の声も届いている。

「そうしたいのはやまやまなんだけど…。早くシンドリアに戻って、ドラコーン様たちに恩返ししたいから」

どんなに相思相愛だろうと、修行期間はきっかり二月。これは最初から決まっていた。色々あって当初の修行予定から二月遅れていて、これ以上ドラコーン王やシンドリアの王宮厨房に迷惑をかけたくない。そう王宮副料理長は口にする。

予定がずれ込んだ事情は、どんなに私が問うてもゴンベエちゃんは教えてくれない。"色々あって"と、濁されてしまうのだ。学院都市国家の前に修行者が滞在していた国のファナリスにそれとなく問うたが、彼もわからないと言っていた。その辺の事情は私同様にマスルールくんも口を濁されたという。

もっとも、レームより前にいた南方の国では、予定通りに修行終えたようで。エリオハプトを出てレームに着くまでに、何かがあったのは明らかだ。とはいえ、多くをゴンベエちゃんが語ろうとしない以上、私たちが真相を知る手立てはなかった。



「パルテビアに行っちゃうのは寂しいけど、マグノシュタット・パルテビア間の飛空挺は毎日飛んでいるから。いつでもマグノシュタットに遊びに来てね」

シンドリア商会はマグノシュタットの最重要顧客。飛空艇も通信器も開発・商品化に大きく私が関わった縁もあって、マグノシュタットのパルテビア発着便は多い。1時間に1本近いペースで発着していて、何度も日帰りの打ち合わせで私も利用していた。

しかし、私の提案になかなかゴンベエちゃんは首を縦に振ろうとしない。飛空挺は高額だの、往復は時間がかかるだの、ぶつぶつ文句を言っている。

「ゴンベエちゃんの言うことも一理ある。それに…マグノシュタットに頻繁に来たら、ジャーファルさんが嫉妬しちゃうもんね」

「そうじゃないってば、もう」

ニタニタする私にゴンベエちゃんが掴みかかろうとすると、タイミングよくお菓子の焼き上がりが告げられた。席を離れて焼き窯の前に立った修行者は、熱々の鉄板を取り出す。

焼き窯に並ぶカップケーキを取り出したゴンベエちゃんは、無作為に選んだ一つに竹串を刺した。南国の王宮副料理長の表情を見れば、カップケーキの出来具合は私にも一目瞭然だ。

「パルテビアに着いたら、シンドバッド様から早く通信器をもらってね」

カップケーキのペーパーカップをフォークで剥がしながら、そう私は口にする。シンドバッド様から私たち前八人将に通信器がプレゼントされたのは一般発売前。

もっとも、マグノシュタットに戻って比較的すぐの段階で、開発に関与していた私は通信器のプロトタイプを手にしていた。前八人将ではないにせよシンドバッド様に近しい存在のゴンベエちゃんは、一般発売後の今もなぜか通信器を持っていない。

通信器をもらわないゴンベエちゃんの意図も、彼女に通信器をプレゼントしないシンドバッド様の意図も、私には測りかねる。ゴンベエちゃんとの連絡手段は前時代的なものに限られ、他の仲間たちに比べて連絡にはかなり手間がかかっていた。

「もちろん。ちゃんと買うよ」

ゴンベエちゃんが私に差し出したのは、再度沸かしたお湯を入れたティーポット。気分で選んだダージリンのティーパックをお湯に沈め、ポットに私は蓋をした。

「シンドバッド様とゴンベエちゃんの仲なら、買わなくてもいただけるでしょう?そうじゃなくても、ジャーファルさんがプレゼントしてくれるよ」

シンドリア商会でも、相変わらず多忙を極めていると聞くジャーファルさん。シンドリア商会とやり取りする機会こそ多くても、ジャーファルさんと私が連絡を取り合う機会は少ない。学長という立場もあり、私の場合はシンドバッド様が直接連絡をくださることが多いのだ。

もっとも、資金面のやりとりをするときは例外。シンドリア商会の資産管理の中枢を担うのはジャーファルさんらしい。援助していただける資金について私が問うて、「それならジャーファルに話を通してくれ」と言われたことがある。

王国時代とは比べ物にならない巨万の富を築いたシンドバッド様は、元々お金には無頓着な人だ。大きなことをなすために多くのお金が必要だから、多くのお金を集めるだけで。元よりシンドバッド様は羽振りがいい人だし、一般国民でも手の届く価格の通信器一つを彼が出し渋るとは思えない。

金銭面のやり取りはジャーファルさんの担当だからといって、彼と私が連絡を取り合うわけではなかった。私もまた、学院の金銭管理の担当ではないから。結局ジャーファルさんとイレーヌがやり取りをしてくれていて、そのおかげで私は開発研究に集中できていた。

しかし、たまに会長室室長から私に連絡が来る。十中八九、目的は恋人の情報収集。マグノシュタットにゴンベエちゃんが来てから、特にその頻度は増えていて。そのたびに本人に代わると申し出るものの、なぜか断られてしまう。

「ヤムちゃんの言う通りだけど、自分でお金を払って友達の商売を応援したいから」

思いのほかお金も貯まっている、と言ってゴンベエちゃんは微笑む。ゴンベエちゃんの料理修行は、あくまで"シンドリア王国との国交の一環"の大義名分の上に成り立つ。国交の一環である以上、マグノシュタットからの賃金は発生しない。名目上は国使として遣わされている以上、給与はシンドリアから支払われているはずだ。

もっとも、私とシンドリアを発った時点でゴンベエちゃんは休職していて。ドラコーン王と本人以外に、給与面の実態を知る由はない。

とはいえ、いくら名目上は国交の一環で実態は個人的な料理修行だからって、ゴンベエちゃんほどの料理人をただ働きさせるわけにはいかないのだ。ゴンベエちゃんの料理修行の目的は、各国の伝統料理や技術の習得。そうした知識や技術を修行の対価と見なせば、賃金はいらないと考えることもできた。

しかし、王宮や市街地の料理人に、ゴンベエちゃんも経験や技術を与えている。そのため、過去に修行者を受け入れた国は、修行期間の賃金を支払ったと聞く。国によって金額差はあるものの、基本的にはお小遣い程度の額だ。しかし、マグノシュタットでは他の国よりもいくらか弾ませた賃金を修行者に支払っている。

ムスタシム王宮料理の普及活動もあり、マグノシュタットはゴンベエちゃんから与えられたものが特に多い。言わずもがな、私もその恩恵に与る1人。学院の資金の用途は、当然私の独断では決められない。マイヤーズやイレーヌ、他の上級魔導士たちの承認を得たうえで決めた金額だ。

「マグノシュタットも研究資金が必要なのに、ありがとう。ヤムちゃん、やっぱり…これはもらいすぎじゃないかな?」

「そんなことないよ、きちんと対価は受け取って。このお金で通信器を買って、ちゃんと私に連絡してね」

そう言うと、ありがとうとゴンベエちゃんは頭を下げた。



「飛空艇が来たぞ」

一夜が明けて、飛空艇の発着場。午後一番の便でパルテビアにゴンベエちゃんは向かう。シンドリア・パルテビア間のお披露目運航に次いで、2回目の飛空艇だとゴンベエちゃんは話す。

「シンドバッド様に連絡したら、商会の人を迎えに行かせるって仰っていたよ」

昨夜の宴中に連絡したと伝えれば、とゴンベエちゃんは安堵の色を浮かべた。

「…ジャーファルさんにも会えるといいね」

「彼は忙しいので、滞在中に一度くらい会えるといいのですが」

そう言ってゴンベエちゃんは笑うが、絶対に会えるに決まっている。本人が思っている以上にジャーファルさんにとって恋人は大切な存在だ。この二月で私の通信器に連絡をよこした回数からも、それは明らか。1年以上声も聞けていない恋人が自国に来るなら、何としてでもジャーファルさんは時間を工面するに違いない。

「修行の件も…シンドバッド様が仲介してくださるなら、大丈夫だよ」

「あくまで名目上はパルテビアとシンドリアの国交ですし、シンドバッド様のお力添えがあったところで、"元パルテビア軍の軍人が現王のシンドリア"との文化交流を承諾してくださる保証はありませんから」

ご両親がパルテビア宮殿で働いていたことはあるものの、それはゴンベエちゃんが生まれた直後の話。つまり、パルテビアの王族との接点をゴンベエちゃん自身が持っているわけではない。正式なパルテビア宮殿での修行許可は得ておらず、行ってみないとわからないと南国の王宮副料理長は言う。

そこで仲介を申し出たのがシンドバッド様。彼を通じて皇帝に修行許可を得るため、まずはシンドリア商会の本部にゴンベエちゃんは向かう。パルテビア皇帝とシンドバッド様の関係性は知っているし、"七海の覇王"という後ろ盾があれば料理修行はほぼ確実に可能なはずだ。



「ヤムライハ学長、マイヤーズ様、イレーヌ様。この二月、本当にありがとうございました」

飛空艇に乗る直前、改めて私たちに頭を下げるゴンベエちゃん。二日酔いと寝不足でマグノシュタットに来たのが昨日のようだ、とマイヤーズは笑う。

両親からパルテビアの料理を教わっていたゴンベエちゃんは、その料理で元パルテビア軍の軍属魔導士であるマイヤーズ・ドロン姉弟からすっかり気に入られている。非番の多くをゴンベエちゃんと過ごしたイレーヌは、修行者と比較的年齢が近く、私たち3人の誰よりも寂しそうだ。

宙に浮いた飛空艇は、南西に位置するパルテビアの方角に進む。比較的飛空艇が多く発着するこの国では、見慣れた光景のはずなのに。親友が乗った飛空艇を見送る景色は、私の目にはいつもと違って見えた。



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