毒薬 -Love is a Poison...-(ジャーファル) | ナノ


窃盗(150)


イムチャックでゴンベエが料理修行を始めて約二月。翌朝にはこの地を去る修行者の送別会が、大々的に開かれている。

「ゴンベエ!私たちの料理をたくさん食べてってよ」

「またイムチャックに遊びに来てね」

いたるところで国民に声をかけられて縦横無尽に会場内を駆け回るのは、本日の主役・ゴンベエ。無事に料理修行を終えただけでなく、修行者は広く国民に受け入れられたようで。遠巻きにゴンベエを見守る俺は安堵する。

イムチャックで料理修行したいとシンドリアで相談されて二つ返事で承諾したものの、不安がなかったわけではない。不安と言っても修行者に個人への不安ではなくて、元々のイムチャックの国民性と料理修行の取り合わせの問題だった。

部族間抗争をしていた時代に顕著だった縄張り意識の強さは、現在のイムチャック人にもわずかながら受け継がれている。未だに諸外国からイムチャックが蛮族扱いされるのも、かつての苛烈な部族間抗争に見られた縄張り意識の強さが一因だ。

首長・部族長・村長による現行の国家体制では落ち着きを見せているが、風土や文化を理解する努力もせず土足で入る者には今でも国民は容赦しない。"二月でイムチャックの食文化を吸収したい"なんて修行者の要求は、イムチャック人から拒絶されてもおかしくなくて。しかし、国民はゴンベエを受け入れた。

もっとも、これはかつてこの国で王宮副料理長を務めた父君の存在と、本人も五年間この地で暮らしていた事実があってこそ。他の王宮料理人が追随しようとしてできるものではない。イムチャックの文化を修行者自身も理解しているし、さらに理解を深めようとしたからこそできたこと。

また、ゴンベエがルルムを実姉のように慕っていたことも大きい。イムチャック人に比べてひどく小柄なナナシノ一家はとても目立っていたため、この国の姫と行動を共にしていた子供を覚えていた人は多いのだ。

さらに「国民が反対するなら賛成できない」と義父は考えていた一方で、国民もまた彼を慮っていて。「ルルム様と一緒にいたあの小さな女の子ですよね?」という声だけでなく、「ラメトト様とご縁のあった方なら」という声もちらほら聞こえていた。

「次の国は遠いんでしょう?これ、ゴーカイウナギとデカメグトマトの煮物だから。明日のお弁当にして」

「すごく助かります!これなら日持ちしますし、暗黒大陸付近の暑さにも耐えられますからね」

声がかかれば、大柄なイムチャックの間を縫ってちょこまか飛んで行くゴンベエ。数えきれないほどの餞別を国民から受け取っている。それぞれの餞別は小さくても、数が増えればとんでもない量になるわけで。もはや修行者の両手には持ちきれておらず、俺の命令で彼女につかせた女官が餞別専用の荷袋を用意しているほど。

餞別は縄張り意識の強い国民が心を許している証と理解しているゴンベエは、ニコニコしながらすべての餞別を手にする。あまりに大荷物になるなら選別した物だけ持って行くよう進言するつもりだ。しかし、俺の知る南国の王宮副料理長のことだ、すべて持って行くのだろう。



「ヒナホホ首長、ラメトト様。この二月、大変お世話になりました」

国中を挨拶して回るゴンベエが、義父と俺に拱手した。修行者の一歩後ろにつく女官が持つ荷袋はパンパンに膨れている。俺たちの前で南国の王宮副料理長が立ち止まるとすぐ荷袋を地に着けたことからも、かなり重いと思われた。

先にゴンベエの部屋に荷袋を運ぶよう声をかければ、俺たちに一礼した女官は王宮に向かって歩き出す。小さくなる女官の背中を三人で見つめた後、再び修行者は前首長と俺に向き直る。

「わしらは何もしてない。なあ?」

そう言って、俺に義父が目配せした。ゴンベエの人望の厚さの賜物と口にする義父に、俺も同調する。

「そうだといいのですが」

前首長に現首長の俺、他にも部族長などが揃い踏みの場であることを踏まえて俺たちに恭しい態度を取りつつも、へらりと笑うゴンベエ。この笑顔はシンドリアの書店で初めて出会った頃と変わらない。俺は知らないが、この地でルルムと過ごした頃の笑顔とも変わらないのだろう。

本当は義父と俺の子供たちの少人数で、ささやかな送別会をする予定だった。しかし、ゴンベエの餞の場を設けてほしいと願う声が王宮に届き、急遽大きな宴を開くことになったのだ。その規模は謝肉宴と変わらず、客人の送別会としては異例なほどに大きい。

「あと、ルルムちゃんのお墓にも手を合わせられて感謝しております…。ヒナホホさ…首長からルルムちゃんの死を伺って以来、墓前で手を合わせたいと願っておりましたから」

ゴンベエをルルムの墓に連れて行ったのは、入国から一週間後。最初の非番に、俺たち家族と一緒に手を合わせたのだ。

旧シンドリアで命を落とした者たちの石碑は、現在のシンドリアにも存在する。シンドバッドたちとは南国で手を合わせることが多く、国民以外で愛妻の墓に手を合わせる者はほとんどいない。

ルルムの死から十数年経っても彼女を忘れず、イムチャックで墓前に手を合わせたいと思ってくれていたゴンベエ。彼女には義父も俺も感謝してもしきれなかった。

「このアバレイッカクの首飾りは…ルルムちゃんからの贈り物で、イムチャックを発ってからもずっとわたしのお守りだったんです。これからも大切にします」

自身の胸元に手を突っ込み、真っ赤な角を加工した首飾りを手に取るゴンベエ。思い返せば、すべての始まりはこの首飾りだった。ゴンベエと初めて出会った書店で彼女に俺が興味を持ったのは、この赤い角を目にしたからだ。

「ルルムも喜んでるよ」

「間違いねえな」

ゴンベエの発言に目を細めた義父は、彼女の空きグラスに熱した葡萄酒を注ぐ。注ぎ終わると、南国の王宮副料理長は熱々の葡萄酒に吐息を吹きかける。グラスからゴンベエが口を離すのを見計らい、イムチャック生活の感想を俺は問うた。

「最高でした!」

興奮気味の修行者に詳細を求めると、少し考えてから彼女は口を開く。

「前にイムチャックに住んだときは、ただ両親に付き添って暮らすだけでした。しかし、今回はあらゆるイムチャックの文化を仕事に結びつけられて、一料理人として大きな収穫になりました。特に、寒冷地での食材の保存方法は目から鱗で…」

目を輝かせ、立て板に水を流すようにペラペラと喋るゴンベエ。その姿に、魔法になると見境のない天才魔導士をふと俺は思い出した。



「ゴンベエ」

修行者の左肩に、顔に赤みを宿した義父が手を乗せる。倍近い身長の義父の顔を、首を曲げてゴンベエは見上げた。

「ときに…あの坊主は元気にしてるか?」

義父の質問に、ゴンベエの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。もっとも、俺も前首長の意図を図りかねていた。

「"あの坊主"とは…シンドバッド様のことでしょうか?」

ゴンベエの問いに、義父が首を振る。"あの坊主"はシンドバッドとばかり、俺も思っていた。

「違う、シンドバッドと一緒にいた小坊主だ」

"シンドバッドと一緒にいた小坊主"なら、彼より"小坊主"は小柄なはず。俺の義父と面識がある"小坊主"の候補は、かなり限られる。

「もしかして…ジャーファル?」

「そう、そいつだよ。シンドバッドの寝床を襲った暗殺者の」

"小坊主"の正体がジャーファルと判明すれば、俺は納得した。確かにあいつなら義父と面識があるし、シンドバッドより小柄なのも当然だ。納得する俺の正面で、義父の言葉に疑いの目を向けるのはゴンベエ。

「寝床を襲う?ジャーファルがそんなことを?」

「昔の話だけどな。今のジャーファルしか知らないゴンベエには想像できないだろうけど」

あの頃のジャーファルは口が悪かったし、目つきも悪かった。今でも身体の線は細いが、当時は線が細いなんてものじゃなくて。当時の暗殺者を今のゴンベエが見たら、徹底的に食事面をサポートしたに違いない。ルルムが商船でそうしていたように。

「それより、ゴンベエ。おまえは小坊主と…」

いい仲なんだろう?と、ゴンベエに義父が目配せした。前首長と目の合った修行者は、頬を赤くして逃げるように葡萄酒に口をつける。

「いつからラメトト様はそれをご存知で…?」

わざわざ義父相手に恋人や俺がそういう話をするとは思えない、とゴンベエ。彼女の言う通り、俺は何も話していない。いくら共通の知人とはいえ、ピピリカや子供たちでもない第三者の恋愛事情を義父に話さないはずだ。

「何年か前、シンドバッドと小坊主がイムチャックに来たんだよ」

「え?ヒナホホさんではなく…?」

義父の発言に、ゴンベエと一緒に俺も首を捻る。赴く先が八人将の出身地なら、その地出身の八人将を帯同させるのが当時のシンドリアでの慣例だった。しかし、俺ではなくジャーファルがイムチャックに帯同することなど、あっただろうか。

「…思い出した!一度だけ、シンドバッドがジャーファルを指名したことがある」

いつのことかと俺に尋ねるのはゴンベエ。南国の王宮副料理長曰く、そんな話を恋人から聞いた覚えはないという。

「ジャーファルとゴンベエが険悪だったときだよ。ウイスキーボンボン事件の直前の」

俺が説明すると、納得の表情をゴンベエは浮かべる。反対に「"ウイスキーボンボン事件"とは何のことだ?」と、ニヤニヤしながら問うのは義父。話の流れから説明しないわけにいかず、ゴンベエの許可を得てその事件を説明した。

「なるほどな…。そういうことだったのか」

何かに合点した義父は、一人で笑みを浮かべる。その笑みの理由は、ゴンベエにも俺にもわからない。

「ラメトト様…?」

「ちょっと待ってろ」

俺たちにそう言い残し、どこかに義父は消えていった。



「こっちに来い、ゴンベエ。ヒナホホもだ。いいものを見せてやる」

義父が戻ってきたのは、十分ほど経ってから。

「これは一体…?」

「写真だよ。ルルムとゴンベエの」

前首長の手には、少し色褪せた巻物。巻物を開くと、隙間なく敷き詰められた写真があった。年代を辿ると幼少期のゴンベエはもちろん、数多の写真のうち数枚には俺も写っている。

幼少期の俺は弱々しく、ルルムは昔から可憐で。八歳から十三歳をイムチャックで過ごしたゴンベエの顔には、今の面影が残る。目元や口は今と変わらないものの、表情はあどけない。

「懐かしい…!ルルムちゃん、すごく可愛い」

「俺の自慢の娘だからな」

大きく口を開けて、豪快に義父は笑う。イムチャックをゴンベエが訪ねてからの二月、義父はよく笑っていた気がする。孫たち以上に娘の名を多く口にする修行者の来訪は、義父にとってもいい期間だったようだ。

思い出に目を輝かせながら巻物に目を通すゴンベエに、ある箇所を義父は指さす。

「ここ、一枚欠けているだろう?」

前首長が指さす先は、隙間なく埋められた写真にある空白。どんな写真があったのか、一切思い出せないと義父は口にする。義父の言葉に、俺はその写真の所在を尋ねた。

「いつの間にか、誰かに盗まれちまったみたいだ」

まだ文脈を理解できない南国の王宮副料理長に、ジェスチャーで義父が何かを伝えようとする。親指と人差指、中指を何かを摘まむようにくっつけた右手を鎖骨あたりに置き、右手を胸元に下ろす。そして指を開いた左手のそばに持って行った右手を、左薬指の先から付け根に向かって下ろした。

「そういうことか」

義父のジェスチャーの意味に気づいた俺は、思わず口元を右手で覆う。写真を盗んだ犯人とは長く行動をともにしていたが、そんな素振りは微塵も見せなかった。

自身の鎖骨辺りにぶつかる違和感に気づいたゴンベエは、先ほどしまった首飾りを再び服から取り出す。アバレイッカクの赤い角と一緒に鎖に通されているのは、"偽装婚約"時に作った指輪。

「そんなの、知らなかった…」

イムチャックに来たときの恋人の様子を知ろうと、ゴンベエは義父に詰め寄る。しかし、写真の一件以外について前首長は語ろうとしなかった。



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