気持ち 前編
冷ました料理に ラップをして冷蔵庫にしまい
ソファに寝そべって 足をぶらぶらと動かしながら
この間 買った本を読んでいる息子に声をかけると
「樹 お昼ご飯は冷蔵庫にあるから ちゃんと温めて食べるんだよ
おやつを食べる前には 手を洗うこと わかった?」
「はーい!」
元気よく返事をすると本を閉じ
ソファから降りて ぱたぱたと近寄ってくる
お昼は何かと聞いてくるので ナポリタンだと言えば
やったと喜ぶ 樹の頭を撫で 今日の仕事はポアロのみ
勤務も午後4時までだから 夕飯は一緒に食べられる事を伝えると
さらに喜んだ
「夕飯は何にするの?」
「んー まだ決めてないからな…
パパが帰ってくるまでに 考えててくれるか?」
俺がそう言えば 樹はとくじょーずし!なんて言うもんだから
頭を軽く小突くと けらけら笑い出した…まったく
特上寿司なんか食べさせた事がないのに どこで知ったんだか
大体はテレビから輸入したことばかりなんだろうけど
変な知識を仕入れやしないか 時々心配になるものだ
そろそろ行かなくてはと上着を羽織り ポケットに入れてある
車のキーを確認するのに 手で抑えるもその感触がない
昨日帰ってから 取り出した記憶がないため首を傾げ
どこに置いたかと部屋を見渡すと にやにやと笑っている犯人がいた
「……樹〜」
「ふふっ なーに?」
じりじりと近づけば その分だけ離れていく息子に
しょうがないなと ふっと笑い身構えると 途端に逃げだした
「こら 待て!」
「きゃあー!!」
子供特有の甲高い声を上げながら
ドタドタと逃げ回る息子を追いかける
ソファを飛び越えたり テーブルの下を潜り抜けたりするなどして
上手く逃げている樹と少しの間 追いかけっこを続けてから
本気を出して 正面へ回り込んだ
「わぁっ!」
「はい 捕まえたー」
捕獲した樹を 後ろから抱き締める体制に変えて床に座り
瞬時に服の中に手を滑り込ませては指を動かした
「鍵はどこかなー」
「あ…わっ…まって!」
「んー こっちかー?」
「ちょ…あははっ くすぐったい!」
やめて やめてと笑い叫ぶのを無視して
これでもかと言うくらい 擽りまくってやる
始めは大きかった声も 擽られ続けて疲れてきたのだろう
段々とか細くなった声に そろそろ勘弁してやるかと思い
擽っていた手を止め 樹の顔を覗き込んだ
「降参するか?」
「…はぁ……こうさん…する…はぁ…ふふっ」
降参宣言した樹を解放してやれば ごろんと寝転んだ
擽られた感触がまだ残っているのか 息切れしながら
ふふっと笑っている後ろ姿は 不気味な可愛さがある…たぶん
擽ってる間にちゃっかり鍵を奪った俺は ポケットに入れ立ち上がり
時計を確認すると 出勤時間まであと30分ほどしかなく
走り回ったせいで乱れた 髪や服を簡単に整える
「樹ー パパもう行くよー?」
「ふふっ……いってらっしゃ〜い」
寝転んだまま 手だけひらひらと振って
こちらを見向きもしない息子に 若干不満になる
ま あの状態じゃ動けそうにないか……待っていると
仕事に間に合いそうにないので 名残惜しいが玄関へ向かい
廊下を渡ると 固くはないが何かを踏んづけた感触に
足の裏を返せば セロハンテープが引っ付いていた
きっと樹が使っていた時にでも落としていたのだろう
丸まったセロハンを靴下から剥がし ゴミ箱へ捨てに戻り
まだ床で寝転んでいた樹へ きちんとゴミを捨てるように言い
足早に廊下を進むと また同じ感触に片方の眉がぴくりと上がる
今度はセロハンが二つも引っ付いているのを変に思い
仄暗い廊下を目を凝らして よーく見てみると
丸まったセロハンが 玄関付近まで散りばめられていた
その数に一瞬頭を抱えては ぺりぺりと全部剥がしていき
罠を仕掛けた樹を呼び 罠の後始末をするよう言いつけると
当の本人は悪びれもせず クスクス笑いながら
セロハンの山を手にして リビングへ消えていった
車のキーを隠したりセロハンの罠を仕掛けたりと
可愛いい悪戯をする息子に笑みが溢れ 今日はどの靴を履こうかと
にやけた表情のまま シューズボックス開けて中を覗けば
俺の靴が一足もない状況に 唖然とした次の瞬間
この犯行をしでかした犯人の名を叫んだ
「樹ー!!」
俺の怒鳴り声のすぐ後に 盛大な笑い声が部屋に響き
靴が見つかるまで かなりの時間を要するのだった
ーーーーーーーーーー
「……遅刻してしまい すみません」
「いえ そんなっ 五分くらいならセーフですよ!」
社会人としては 十分アウトですけどね
僕に気を遣って フォローしてくれる梓さんに再度謝る
今日はマスターがいない日で良かった
遅刻したなんて知られたら どう思われるか
そんな僕の考えがわかったのか 梓さんが
マスターには内緒にしときますねと言ってくれた…優しい
「安室さんでも 寝坊したりするんですね
あ…違ってたらごめんなさい」
「いえ 僕でも寝坊くらいしますが
今日はちょっと…悪戯をされまして」
「えぇっ 悪戯…ですか?」
眉を下げて 心配そうな表情で僕を見てくるもんだから
可愛い方の悪戯だと教えるとホッとした彼女は その悪戯が
どんなのものか気になり 聞きたそうにしている
「車の鍵と 僕の靴を全て隠されてしまいまして…
鍵はすぐに見つかったんですが 靴を探すのに
時間が掛かってしまい 遅刻する羽目に……」
廊下には 丸めたセロハンが仕掛けられていたのと
隠されていた靴は 浴槽で綺麗に並べられていたんですと
肩を竦めて話す俺に クスクスと笑う彼女は
何かを思い出しかのように 手をポンと叩いた
「もしかして! この間の子猫 飼ったんですか?」
また子猫に結び付けるとは……何故だ
子猫がどうやって 丸めたセロハンを仕掛けるんだ?
どうやって靴を浴槽に運べると言うのか教えてくれ…
あ でも俺からしたら 樹は可愛い子猫みたいなものだから
別に子猫だと思われても構わないか…この間はコナンくんの事を
話に合わせたとは言え 子猫に例えたのだから
優しい安室さんは 今回も猫にしといてあげようか
前の子とはまた別の 僕がとても大事にしている子猫だと話せば
食いついてくる彼女に 種類や毛並みを聞かれて考える
樹の性格からすると マンチカンがぴったりじゃないだろうか?
活発で好奇心旺盛だし 甘えん坊な所も似ている
色は茶トラで決まりだな
あの短い足でちょこちょこ動く姿は樹そのものだ
やばい 想像したら めちゃくちゃ可愛いぞ……
帰りに 猫じゃらしでも買おうかな
「あれ……でもマンチカンって小さいですよね? 子猫なら尚更
靴も重いだろうし…どうやって浴槽の中に持ってったんだろう?」
しかも綺麗に並べられるだなんて と呟く彼女に
そりゃそうだと頭の中で返し やっと気づいたのかと苦く笑う
話を合わせた手前 今さら息子ですと言うのも面倒に思い
適当に話を繋げることにした
「あぁ うちの子お風呂が大好きなので 自分から入れる様に
猫専用の階段を浴槽に設置しているんです あ もちろん
溺れないように 僕が抱っこするんですけどね それに
マンチカンは骨格も頑丈で筋肉質だから 結構力もあるんですよ」
自分でも感心するくらい ぺらぺらとよく動く口だ
お風呂が好きな猫は ちらほら耳にしたことはある
ソファに登り下りする為の 階段があるのも知っている
しかし 浴槽に取り付けるタイプの階段は 見た事も聞いた事もない
設置費用とか 聞かれたらどうするかな…
6万くらいかな……高いか…いや 安いのか?
適当言ってたのがバレたら後が面倒だが この際仕方がない
自分の言い訳に呆れて 遠い目をしていると ご来店のベルが鳴り
助かったと すかさずその場を離れた僕は
とびきりの営業スマイルで お客様をお出迎えした
一方 安室の言い訳を信じて疑わない彼女 梓は
安室が 子猫と一緒にお風呂に入ってるのを想像してしまい
両手で頬を抑えながら 一人赤面していた
ーーーーーーーーーー
「ありがとうございました」
お客様を見送り テーブルを片付ける
休日のお昼時だと言うのに お客が全く来ない
平日よりも少ないんじゃないかと思うくらい暇だ
「……お客さん 来ませんねー」
「…そうですねー」
ぼーっとしながら 食器を洗う梓さんを見てると
自分まで移ってしまい ぼーっと相槌をうつ
店内には僕と彼女しかいない
する事がないので 彼女が洗った食器を拭いては棚に仕舞う
拭く物もなくなり 手持ち無沙汰になった俺は
本日5回目になる 外の掃き掃除をしに 箒とちりとりを取りに行く
すると店の電話が鳴り 梓さんがそれに出た
電話はマスターからで ポアロの状況が気になったらしく
掛けてきたそうだ
梓さんはお客さんが全く来なく 現時点での売り上げも
平日以下だと伝えるとマスターに何か言われたらしく
今からですか!? と驚いた声を上げ 少し話してから電話を切った
箒を手に取り 電話の内容を聞く
「マスターは何と仰っていました?」
「今日はもう お店を閉めちゃっていいそうです」
「えっ いいんですか?これから来るかもしれませんよ」
「実は今日 近くに新しいカフェがオープンしたらしくって
殆どのお客さんがそっちに行ってるらしいんです」
マスターがそう言ってましたと話す梓さんに 成る程と納得するも
常連客の変わり身の早さに 少なからず驚く
彼女も 同じ事を考えていたらしく
肩を竦めて残念ですと苦笑し 次に笑顔を見せては
早く帰れてよかったですねと言ってくるのを
今日は暇でしたからねと返した
「それもそうだけど……子猫が寂しがってると思うし」
「…え?」
「だって 物を隠したりするんでしょ? それって安室さんに
構って欲しいからするんだと思う 仕事に行かないで
もっと一緒にいようよってね きっと寂しいんですよその子」
まだ子猫だし と付け加えた彼女の言葉は耳に入らなかった
今朝 鍵を取り返した後も 靴を探していた時も
あの子はずっと笑っていた ようやく見つけた靴を急いで履き
部屋を出る際に見た樹は 相変わらずにこにこと笑っていて
いってらっしゃいと いつもの様に見送ってくれたんだ
だから 子供のする可愛い悪戯だと 深く考えもしなかった
けれど笑顔の裏では? 梓さんの言った通りで
本当は寂しかったのでは? そう考えると
どうしようもない気持ちで胸がいっぱいになり 苦しくなる
セロハンの罠もそうだ 俺を少しでも足止めしようとして
仕掛けられていたのだとしたら…
(そんな事にも 気付けないとは)
急降下する気持ちと一緒に 頭も下がっていき
支えるのに 箒の柄へゴツンと額を乗せた……痛い
横で梓さんが何か言っているけど 聞く気が起きず
手を強く握りしめては 掃き掃除をするんだったと思い出し
ちりとりを持っていなかった事に気づき 取りに行こうと
掃除用具がある場所へ向かうと 既にちりとりを手にした梓さんが
俺の持つ箒を奪い取った
「後は 私一人でやるので 安室さんは先に帰ってください」
「いえ……流石にそれは悪いですから」
「早く帰れば その分一緒にいれる時間も多くなって
その子の寂しい気持ちも吹き飛びますから!」
ね! と微笑んだ梓さんは
奪った箒で俺を掃く真似をして 帰れコールを繰り返す
そんな優しい先輩にお礼を言った俺は急いで店を出た
いつもより雑に車を止め エレベーターへ乗り込む
自分の階に着くまでの時間が いつもより長く感じるのは
気のせいだとわかっているのに 早くしろと思ってしまう
扉が開くと すぐさまエレベーターを降りて通路駆けた
部屋の鍵を開け靴を脱ぎ 居間に向かえば
ソファに座って おやつを片手にテレビを見ている樹がいた
「……パパ どうしたの? まだ帰ってくる時間じゃないのに」
少し切らした息を整えながら
驚いている樹の隣に そっと腰掛け簡単に説明する
早く帰れた事を伝えると ふぅんと気の無い返事が返ってきたが
僅かに口角が上がったのを 本人は気付いていない
樹に早く会いたくて 急いで帰ってきたんだ
そう話せば また少し口元が緩み そわそわと動いては
おやつを手に取り 一口かじる
この様子からして 樹も俺と同じ想いに違いない
寂しい思いをさせていたけれど 今日の夜は一緒にいられるから
沢山話しをして 沢山遊んで 一緒に寝よう
そんな俺の気持ちが伝わっているのかは わからないが
樹は口の中の物がなくなると ふわりと微笑んだ
「ぼくも会いたかったから 嬉しい!」
天使の様な笑顔に 我慢出来なくなった俺は樹の頭に手を添え
頬にキスしようと近づいたと同時に 乾いた音が部屋に響いた
「痛ってぇ!!………えっ?何で!?」
痛む頬を抑えて 叩いたと思われる張本人を見る
油断していたとは言え 避ける事が出来なかったのと
叩かれた理由が全くわからず 目を丸くする
「……えーと 樹くん? …痛いんだけど?」
叩いた本人も 自分のした事に大層驚いているのか
困惑した表情で俺を見つめていた……えっ どうしたの
また叩かれるのも嫌なので 少しばかり距離を取ると
樹がぽつりと話し始めた
「……帰ったらまずは 手洗いうがいだと思ったの」
そう言おうとしたら それよりも先に手が出ちゃったのだと
気まずそうに話す息子に唖然とする
えぇ…無意識に叩くとか……何それ怖い
それよりも 樹に叩かれるとか初めての事に
ショックのあまり酷い痛いと呟いては 背凭れに項垂れる
おやつを食べる前に手を洗えって 俺が言ってたからと続けられ
確かにいつも言ってはいるけど おやつを食べようとしたんじゃない
俺は樹に ちゅーしたかっただけなんだ!
「ばい菌 落としてきてね」
「……はい」
俺の主張も虚しく 手と口が ばい菌扱いされた…泣きそう
頬が痛いし心も痛い……傷ついた かなり傷ついた
こんな所で 普段の躾が仇になるとは思いもしなかった
無意識だったとはいえ 自分の子供に叩かれるなんて
親父にもぶたれたことないのに
相思相愛が一瞬にして崩れ去り どんよりとした空気を纏う
洗面所の鏡に写った俺の頬には 手形がくっきりと残っていた
結構痛かったなと 赤くなった箇所を指でなぞり
小さな紅葉マークを見ていると ある事に気がついた
どうやら俺の樹は 手形も可愛いみたいだ
叩かれるのも 多少は悪くないかもしれない 痛いのは嫌だけど
のろのろと樹の元へ戻ると ちゃんと洗えた? と
いつもと逆転した会話に 返事をする
今度からちゃんとしてねと言われ 力なく頷けば
おずおずと頬に触れられ 叩いてごめんねと謝る息子に
とっくに痛みも引いてるから 大丈夫だ って言うのに口を開くと
おやつを放り込まれた……危ないからやめようね
「そのクッキー おいしいでしょ?」
「うん 美味しい」
俺が作ったから当然だな もぐもぐと咀嚼してたら
頬に温かいものが触れて キスされたんだと気付く
「いたいのが消える おまじない!」
照れ笑いをする樹に 胸がきゅんとする
叩かれた頬とは逆側だったけれど そんなの気にしない
チャンスだと思った俺は まだ痛みが引かないと嘘をついた
「まだ少し痛むなぁ…そのおまじない 効かないんじゃないか?」
「えー? パパにしてもらったら効いたのにー」
こてりと首を傾げて 可愛い発言をする樹
数が足りないのかなと 膝に跨りもう一度頬にキスしては
効いたー? と聞いてくるので
少しは効いたかもしれないと言えば 俺の頬をぷにぶにと揉む
「パパは大人だから こーかがうすいのかな?」
「あー …そうかもしれないな」
いやいや ものすっごーく効果があるよ
あるけど 本当の事を言ったらやめてしまうので
まだ痛むと伝えれば 再びチュッと可愛いリップ音がする
ここは天国か
「ぼくはね パパにちゅーしてもらったら ぽかぽかするんだよ」
そうだったのか 知らなかった
なら寒くなったらいつでも パパがちゅーしてやると言えば
しつこいからいやだと言われた そんなことない
10回くらいで止める……え? 駄目か?
そんな事を考えてたら まだ消えないの? と聞かれ
まだ全然消えそうにないと応えた
「ほんとにー?」
「……ほんとだよ」
「あー! パパ 笑ってるから嘘だー!!」
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