観察 〜きっかけと後日談〜





きっかけ 〜出会い〜


「動いちゃダメよ じっとして」

慣れない化粧の擽ったさで動くのを 注意したベルモットは
その可愛いお口と目も閉じてと優しく言葉を紡ぎ
素直にきゅっと両方閉じて大人しくなった樹に良い子ねと微笑んだ
きめ細かい褐色の肌をファンデーションで埋めていき
小さい顎を持ち上げては 柔らかな喉元にもパフを滑らせる
変装させるならマスクを併用した方が完成度も高く
相手の目を欺ける確率も格段に違うのだが 生憎と
マスクを用意する時間が無いからとメイクのみとなっていた
白くしただけの肌は少々不自然に見える為
丸みのある頬には ほんのり色付く程度にチークが施される
耳は髪で隠すとして 手も手袋を着ければ何とかなると踏み
最後の仕上げに セミロングの黒髪ウイッグを綺麗にセットされると
樹はお伽話に出てくるような 可愛らしい女の子に変身した

「うわぁ〜 女の子になってる!」

樹は惚れ惚れとした顔で手鏡に映る自分を見つめ
その反応に満足したベルモットは素敵でしょ? と得意げに笑う

「いい? メイクが崩れるから 顔は絶対に触らないこと」

「うん!」

仕上がった姿を念入りにチェックしていた彼女は
樹の特徴的な蒼い瞳に 洞察力の鋭いバーボンなら
すぐに気づく恐れがあるかもしれないと考え
用意していた子ども用の眼鏡を樹の耳に掛けていく

「ぼくが使ってたメガネは?」

「あれはサングラスだからダメよ」

いくつか試した結果 フレームが大きい赤の眼鏡に落ち着いた
見た目はダサいが 敢えて似合わないのを付けることで
瞳から注意を逸らす作戦に出たようだ

(……それにしても よく似てるわね)

母親の遺伝子は母胎に置いてきたのではないか
誰もがそう思うほど 樹の容姿は父親と瓜二つ

そんな樹とベルモットが出会ったのは ただの偶然だった
電話をしながら街を歩いていたところ 話し込んでいた彼女は
足元まで気が回らず 子どもとぶつかってしまった
そのぶつかった子どもが樹だったのだ
注意力が散漫していたと溜息を吐き 相手に一言入れてから
通話を切った彼女は 尻餅をついている樹に近づいて膝を折る

(…親のを使ってるのかしら? 随分おマセさんな子ね)

ぶつかった際に落としたのだろう 目の前の子どもが着けるには
些かサイズが合わないサングラスを拾い 持ち主へ視線を移した
ベルモットは子ども特有の背伸びをしたお洒落かと思いきや
ニット帽にマスクと顔を隠す装いを 訝しげに見つめながらも
ごめんなさいねと手を引いて立ち上がらせる

「ぼくの方こそ ごめんなさいっ」

隠したままでは失礼だと思ったのか マスクを外して
きちんと謝る樹の顔を目にしたベルモットは ハッと息を呑んだ
褐色の肌に金の髪 垂れ目な蒼い瞳で見上げてくる容姿は
よく行動を共にしている人物と瓜二つで 彼女は驚きのあまり
「…バーボン?」と頭に浮かべていた男の名を口にした

当然 自分の父親のコードネームなど知らない樹は それが名前で
あることすら分からず ベルモットの言葉に首を傾げていた
地球上には同じ顔が三人も存在するのだし それ以上の説もある
加えて 樹の反応で違うのだと判断したベルモットは
何でもないのよと首を振ると サングラスを樹の手に握らせる
(バカね…彼が幼児化したと思うだなんて)
組織が開発した新薬 APTX4869で幼児化する現象を
知っているだけに 樹を見て勘違いするのも無理はなかった
仮にバーボンがその薬で始末されとなれば
自分の秘密が明るみになってしまうのをベルモットは恐れていた
それだけは避けたいことから 只の子どもで間違いないのだと
彼女は自分へ言い聞かせるようにして納得すると
見れば見るほど似ている容姿に バーボンの幼い頃も
こんな感じだったのだろうかと想像し
樹に怪我がないのを確認すると 折っていた膝を伸ばした

「あっ!…お姉さんの匂い パパの車でしてる匂いと一緒だ」

「え?」

その場を去ろうとしていたベルモットは樹の台詞に耳を疑い
考えるよりも先にどういうことかと尋ねていた
父親がよく助手席に乗せている人の匂いなんだとの返答に
ベルモットは まさか…と目を細める

「…あなたの お父さんの名前を聞いても?」

「安室 透だよ?」

馬鹿正直に答える樹に ベルモットは自らをクリスと名乗った
あなたの父親とは友達だ その言葉をあっさり信じた樹は
彼女が友達だと分かった途端 一切聞かれてもいないのに
学校から出された宿題のこと 仕事観察で働く姿を見ることや
その父親が働いている店へこっそり向かってる途中なのだと
ペラペラ喋りまくっていた
樹の話しを聞くや 面白いことになりそうねと
口元に孤を描いたベルモットは 協力してあげると一言告げた
彼女が言葉巧みに誘わずとも いとも簡単に頷いた樹は
伸ばされた手に何ら疑うことなく自分の手を重ね
そのまま樹を連れて衣類や小物を調達したベルモットは
意外にも 慣れた手つきで樹を手早く着替えさせてから
持ち前の変装メイクを施して今に至る

「クリスお姉さんすごいんだね 魔法みたいに変身しちゃった!」

ベルモットは すごいねと何度も褒めては鏡を見続ける樹の様子に
初めてバーボンを特殊メイクで変装させた日を思い出していた
さすがに樹みたいなリアクションをされると引くものの
もう少し驚いてもいいのではと言うくらい 特殊メイクに対して
反応を見せなかったバーボンに眉を釣り上げた記憶がある

「彼も あなたみたいに可愛げがあればいいのだけれど…」

「かれって?」

「何でもないわ…いい? パパの前では喋っちゃダメよ
  店に着いたら 練習した通りにやれば問題ないわ
  それから たとえ店の中でも手袋は絶対に外さないこと
  最後に……自分のことは"私"って呼ぶのよ いいわね?」

「うん! ぼく…じゃなくて……わたしがんばる!」

「ふふっ その意気よ」

両拳を握り 張り切る樹を横目に
ベルモットは樹が脱いだ服と小物類 そのほかにも
衣装合わせで購入していた予備の洋服を紙袋に詰めると
あなたの荷物ねと言って樹に渡した
その後 ポアロの近くまで樹を送ったベルモットは
別の店でお茶をし 紙袋に忍ばせた盗聴器から
店内で交わされている会話の内容を聴いていた
偶然にも バーボンがフロアから離れていたのが幸いし
20分にも及ぶベルモットの演技指導を受けた甲斐もあってか
女性店員梓の情を誘い 保護者同伴でなくとも入店できた樹
ほぼ満点の演技力に賞賛していたベルモットは
小五郎達から幼児性愛者疑惑をかけられていたと知ったバーボンが
樹に意味を問われ その無理のある返しに
噴き出しそうになるのを必死に堪えていたのだが
周りの目には 俯きながら口元を抑えて肩を揺らす姿は
失恋して悲しんでいる女性に映っていたのだとか…



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後日談 〜らぶらぶするの?〜


「バーボンったら まだ根に持ってるの?」

「…根に持ってるとは? 何のことを言っているのか
  わかりませんが 僕は日頃から根に持たない性格なので
  この間の変装騒ぎとか まったくもって気にしてませんよ」

安室の棘のある返しに 十分根に持ってるじゃないと
ベルモットが吐いた溜息はロータリーエンジンの音に掻き消され
沈黙する車内でふと 彼女は思いついたことを口にした

「そういえば貴方 私がプレゼントした服を
  チャイルドに着せて楽しんでるそうじゃない」

「っ!?…どうしてそれを!」

「……冗談のつもりで言ったのだけど
  その様子じゃ気に入ってくれたようね」

ベルモットはまさかの事実に目を瞬かせると
さすが特殊な性癖を持つだけのことはあるわと言葉を並べ
その嫌味な台詞に 安室の端正な眉がピクリと動いた

「貴女だって人のことを言えないんじゃないですか?
  随分とあの少年を気にしてるようですからね」

「…ちょっと それとは関係ないでしょ」

「いいえ大有りです 僕だけ言われるのは心外ですから
  貴女はあの少年だけでなく 彼女のこともありますし
  何なら 僕以上に性癖の問題があると思いますけど」

「待って 聞き捨てならないわ 今の言葉取り消してちょうだい」

「取り消すには まず僕に対するイメージを拭い去ってからです」

「どうして私が? 貴方が先に取り消すべきよ」

睨むベルモットに負けじと睨み返す安室
売り言葉に買い言葉と互いに冗談で言い合っていたつもりが
次第にヒートアップしていく論争に歯止めが効かなくなっていた
何故こんなにも苛々するのか 普段であれば
ベルモットとの仲を取り持つ為 当たり障りのない言葉を
選びながら話しているというのに……
ピリピリした空気に安室が耐え切れなくなってきた頃
突然 後ろを振り返ったベルモットが声を上げた

「…っ あなたどうして!?」

彼女の反応に驚いた安室も後部座席に首を回すと
二人が座るシートの間から顔を覗かせる樹に目を見張った

「樹!? 何やって!……っ」

樹がいる事実に驚愕してしまい ハンドル操作を誤りかけるも
なんとか立て直した安室は 首都高を走る今を恨めしく思った

「くそっ いつのまに…危ないからすぐに座るんだ
  シートベルトも締めて……一体どうやって乗った?」

組織と関わらせないよう 普段から気を配っているだけに
樹が乗っていたのを全く気づかなかった安室は 自身に対する
苛立ちを隠せないのか 無意識に口調がきつくなっていた
それを感じ取ったベルモットが咎めるような視線を向けると
安室はすぐに気がついて すみませんと唇を動かした
幸いにも口調の変化に気づいていなかった樹へ
纏っていた雰囲気を柔らかくした安室は 普段通りに取り繕う

「それで?…樹はどうやって車に乗ったんだ?」

安室からの質問に 悪戯な笑みを浮かべた樹は持っていた鍵を見せる
勝手にスペアキーを持ち出した息子に 悪い子だと微笑んだ安室は
叱りはしないで そのまま話を続けるように促した

「だって梨々香ちゃんが パパとクリスさんを……らぶらぶ?
  よくわかんないけど させちゃだめって言ってきたんだもん」

「……誰なの?」

「樹のクラスメイトの女の子ですよ…はぁ……ったく」

組織でも互いの仲を噂されているのは 何度か耳にしていたが
樹から話しを聞いただけの少女が想像を膨らませて
言ったのかと思われる内容に 最近の子どもは…と安室は額を抑えた

「…らぶらぶするの?」

その言葉の意味をさっぱり理解していないくせに
尋ねてくる息子へ 苦い笑みを浮かべた安室は
すると思われていた相手にちらりと横目を向ける

「まさか 絶対しないさ」

「あら 絶対とか本人の前で言うのは失礼じゃない?」

「貴女だって同意見でしょう」

「そうだとしてもよ もう少しオブラートに包むべきよ」

「オブラートに包んだところで 何も変わらないのでは?」

またもや言い合いを始めた二人に やれやれと肩を浮かせた樹は
大きな溜息をついたのと同時に 浮かせていた肩も下ろした

「ふたりとも ケンカしちゃだめだよ…?」

「「してません」」

「あははっ いっしょに言ってる〜!」

車内に響く樹の笑い声に どうにも調子が狂う二人
今日のところは一先ずおあいこにしましょうか
安室と視線を交えたベルモットは体を少し右に捻ると
樹の顔を直視する

「その女の子に伝えてくれる? 彼には興味ないからって」

ベルモットの言葉にわかったと返事をした樹は
「でも…」と続けられた台詞に首を傾げる

「あなたには興味があるからって伝えるの 忘れないでね」

「……ぼく?」

きょとりとする樹にベルモットは片目を閉じて微笑んだ

「ちょっ…話しをややこしくしてどうするんですか!」

「事実を言ったまでよ いちいち噛み付かないでくれる?
  樹もちゃんと伝えるのよ 私との約束ね…わかった?」

自分と樹に接するのとでは まるで違う彼女の温度差に
気に食わないと握っているハンドルを指で叩いた安室は
二人で交わされる約束事に しなくていいと口を挟んだ
けれど それよりも先に頷いてしまった樹は困ったと眉を下げる

「え〜 でも もう約束しちゃったよ…」

「ですって 残念ね?」

「ぐっ……」

意地悪く微笑むベルモットに悔しげな表情を浮かべた安室は
彼女を目的地まで送り届けたあと 車を自宅へ走らせている間
こっそり車に乗り込んだ樹に みっちり説教していた


翌日 梨々香ちゃんへクリスからの伝言をしっかり報告したことで
幼い少女が想像上の美人へ 沸々と嫉妬の炎を燃やしていることに
鈍い樹が気づくはずもなく 怒りを向ける矛先がいないからと
少女から理不尽な八つ当たりを受ける樹だった



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〜オマケ〜


いつものように
バーボンに送り届けてもらったベルモットは 目前の建物に
入ろうとしたところ 耳に違和感を覚えて指先で触れた
ピアスを片方落としたのに気づいて踵を返した彼女は
まだ発進しないでいた車の窓をノックすると
ウィンドウが下げられるのを待たずにドアを開ける

「ねぇ ピアスが落ちてると思うんだけど……何してるの?」

「その……空気の…入れ替えを…」

バツを悪そうにして言い淀むバーボンの手には消臭スプレー
それを目にしたベルモットは「最低ね」と吐き捨てた

「っ…仕方ないじゃないですか! 嗅覚が犬並みってくらいに
  乗せたのを毎回 言い当てられる僕の身にもなってください!
  浮気してるのかと迫られている気持ちなんですよ! こっちは!」

例えそうだったとしても 自分の匂いをこれ見よがしに
消臭されているのを目撃したら 誰だって気分は良くない
必死に言い繕うバーボンにベルモットは「あらそう」と冷たく返した

「…わからなくもないけど 要は受け取りようの問題じゃない?
  別に あの子は気にしてないみたいだし 私にも懐いてるでしょ」

「だとしても 僕が嫌なんです」

「あぁ もう…わかったから 早くピアスを拾ってちょうだい」

ここ最近 目にする機会が多くなったバーボンの親馬鹿振りに
面倒なんだからと呆れたベルモットは ピアスを受け取った去り際
自身の愛用している香水を車内に振り撒くと 瞬時にドアを閉め
車から漏れ出るほどのバーボンの怒号に フンと鼻で笑った
気持ちをスッキリさせたことで クライアントとの商談も
トントン拍子に成立し 気分をすこぶる良くした彼女は
さすがにやり過ぎたかと反省し 後日バーボンへのお詫びとして
樹のために見立てたロリータファッションの衣類を
彼の自宅へダンボール3箱分ほど送りつけるのだった






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