おニュー 前編






ポコンポコンと不思議な音を鳴らし
部屋を走り回る樹は 愛用の傘を剣に見立てて遊んでいた
普段 傘で遊んだりすれば 直ぐさまお叱りが飛んでくるのだが
その叱る人物はポアロでバイトの為 自宅には樹一人
寂しくないと言えば嘘になるけれど それも慣れたものだった

「むっ…見つけたぞモンスターめ! えいっ やぁー!」

傘でぼよんっと叩いたのは ピラミッド型のビーズクッション
樹が剣士で クッションはモンスター役が振り分けられている
モンスターから反撃を受けた樹は 傘を開いて身を守ると
素早く後ずさり ソファの陰に隠れて息を長く吐いた
静まるリビングでは一見
ただ隠れているだけに見えるかもしれないが
樹の眼には モンスターから吐き出される物体が見えているのだから
子どもの想像する力は不思議なもので 現在の状況を説明するなら
ソファを厚い石壁に見立て 攻撃に耐えているところだろうか
止むことのないヘドロ攻撃で みるみる削られていく防御壁
次第に焦りの表情を浮かべた樹は喉をごくりと鳴らし
覚悟を決めて脱げたフードを深く被り 開いたままの傘を閉じた
先端から柄に向かって流れるようにねじり畳むと
ショットガンのように持ち替えて弾を装填する動作をする
剣だった筈の武器が銃やら盾やらと 変幻自在な設定に
もしも 相手のモンスターが口を聞けたとすれば
樹にハンデがあり過ぎると文句を言っていたことだろう
勢いよく転がるようにしてソファの影から飛び出した樹は
傘の先端をモンスターへ向け バン! と音を飛ばした

「ドォーンッやった! 倒した! よーしコインを落としてる
  いち に……いっぱい貯まったから新しい防具を買お〜っと」

なりきり感をより味わうため 事前にクッションの下へ
置いていたおもちゃのメダルを拾い 腰にぶら下げた巾着へ入れると
『アイテム屋さん』と名付けたリビングテーブルの椅子に座った
テーブルには家にある物から厳選した雑貨が並べてあり
その手前に 商品名と値段を手書きで書いた紙があるお陰で
多少なりとも お店とアイテムっぽさが増していた
どんな遊びでも一切の妥協をしない樹は
とことん楽しめるよう 自分なりに工夫して遊びに興じていた

「どこでもカードをください はーいメダル3枚です」

遊びでは一人二役は当たり前で 状況によっては何役もこなす樹
折り紙で作った箱にメダルを入れると
購入したどこでもカードを(ただのICカード)高く掲げた

「えーと…これを使うと行ったことのある場所なら
  どこへだって一瞬で行くことができるのだ!」

テッテレ〜!と効果音を脳内で再生してカードの説明をする樹
もちろん普通のICカードなので そんな効果は無いのだが…
いそいそとパスケースに入れたカードをベルト通しに引っ掛け
満足気にそれを見つめていたかと思えば ある物に目移りしたことで
先程までの楽しそうな雰囲気は何処へやら 樹は口を尖らせていた
あれほど楽しんで遊んでいた筈の樹だが
実のところ 気を紛らわしていたのが本音だったりする
戦っている間も 頭の中にちょろちょろと浮かんでは消え
浮かんでは消えるのが繰り返されながらも遊び続けていたのだ
そうまでして気を紛らわしていた物の正体は
樹の足元で山吹色に輝く長靴だった

先週買ってもらったばかりのこの長靴は まだ一度も
外で履いた試しがなく その理由も単純で
一向に雨が降らないからだった
この一週間の秋晴れの天気は 樹にとって素直に喜べるものではなく
外で履けないぶん 今日みたいに室内で履くことで
欲求を満たそうとした結果 レインポンチョに長靴と雨が降ったら
直ぐさま外へ飛び出せるよう 雨待ちの格好になっていたのだった
そんなことをすれば余計に天気のことが頭にチラつき
不満が募るばかりで 逆効果だと一切気づいていない樹は
座っている体勢を横向きに変えると 足を左右に揺らして
靴同士がポコポコとぶつかるのを眺めていた

あのまま続けていれば どこでもカードを使って城に行き
王様から 勇者の兜を手渡されるシナリオとなっていたのだが
集中が途切れて 遊ぶ気もすっかり失せた今は
そのシナリオが実現されることはなくなったとみていいだろう
光の反射でピカピカに輝く長靴を 悶々とした表情で
見下ろしていた樹は「むぅ〜」と変な言葉を発しながら後ろへ倒れた
不満なのだと言わんばかりに足を激しくバタつかせ
相当ご立腹な様子の樹は上体を起こすと
勢いよく椅子から飛び降りて ある場所へ向かった


『いいか?樹…部屋で履いてもいいけど 風呂場には入るなよ』


「絶対だぞ」と樹は念を押されていたのを思い出しながら
ポテポテと音を立てて脱衣所を歩き 浴室をひょこりと覗いた
昨年の夏 留守番をしていた樹は父親に内緒で
浴室に水鉄砲などの玩具を持ち込んで水遊びをしていた
今のとは別の物だが その時も長靴を履いており
遊ぶにつれて動き回った結果 樹はつるりと足を滑らせ
思いっきり転倒してしまい 頭を強く打ちつけてしまったのだ
そこでタイミングが良いのか悪いのか 帰宅した父に発見された樹は
心配とお叱りとでダブルの説教をくらって以来
浴室で遊ぶのを禁止されていた

もちろん 自分が悪いのだと理解し ちゃんと反省もしているが
やりたくてもできない状況にぶすっと不貞腐れると
持っている傘で八つ当たり気味にシャワーヘッドをつついた
これも全部 雨が降らないせいだと頬を膨らませたまま
リビングへ戻った樹は 窓の向こうで覗く空をキッと睨んだ
どんなに睨みつけたって天気が変わることはないのだが
溺愛する父親が見ていたら そんな表情も可愛いとの台詞と共に
シャッター音を鳴り響かせていたことだろう
もしそうなれば 不機嫌な樹のことだから
恐らく叩き落としていたに違いない
雨さえ降ってくれたら そんな樹の願いも虚しく
今朝見た週間予報でさえ 晴マークが続いていたことから
これっぽっちも降りそうにない快晴ばかりの天気に小言を漏らすと
とうとう拗ねてしまい 先程までモンスター役だったクッションへ
全身の力を抜いてぼふんっと倒れ込んだ
ただ新しい長靴で 雨の散歩を楽しみたいだけなのに
かれこれ一週間ものお預けを食らい 我慢の限界も近いうえ
いつでも飛び出せるようにスタンバイしているのが
惨めに思えて仕方がなく 不貞寝の体勢に入る樹

雨が奏でる音色をBGMに
黄色で統一されたお気に入りの傘と お気に入りのレインポンチョ
それから新品の長靴を履いて いざ雨の冒険へ──
梅雨の時期みたく カエルやカタツムリはいないけれど
水溜りで遊ぶのはきっと楽しいだろうし そこに映った空の景色は
晴れの日とは また少し変わった見え方で面白いだろう
演奏が終われば 綺麗な虹が現れるかもしれない
雨上がりの散歩では すれ違う人から「かっこいいね」
「素敵だね 」と長靴を褒めてもらう想像を膨らませる
微睡んでいた意識の中で 雨の散歩かそれとも長靴の自慢か
この一週間 長いこと天秤にかけられていた選択肢がついに傾いた

「樹たいいん! 今から君に任務を与える
  はいっ たいちょー! 一体どんな任務でしょうか!」

勝者は長靴自慢に決まり
飛び起きた樹はノリノリで一人芝居を始める
遊んでいた玩具もそのままに おでかけ用のリュックを持ち出し
あれとこれとそれと冒険グッズを詰め込んだ
よっこいしょと肩にかけたところで ポンチョを着たままでは
背負い辛いのに気づくと リュックを逆さまにして中身を全部出した
それならばと次に持ってきたのはウエストポーチ
玩具は減るが 無いよりはマシだと入るだけ詰め
辿々しい手つきで腰に巻いては 父親がいつもしているように
姿見で身だしなみをチェックする

「かっこいいぞ〜」

鏡の前でくるくる回ると玄関へ走り
フローリングが途切れるギリギリの場所で立ち止まっては
ズボンのポケットに触れて そろりと三和土に降りた
ゆっくり扉を開ければ 外の空気が室内に流れる
冷んやりとした外気温は 慌ただしく動いていた体に丁度良く
元々体温が高いこともあり そこまで寒いと感じていない樹は
12月に入っても未だに半ズボンだ
頭だけぴょこりと出して 右よし左よしと 一体何の確認かは不明だが
通路に誰もいないのが分かると ササッと素早い動きで戸締りをする

「よーし しゅっぱーつ!」

元気よく叫んだ樹は握り拳を突き上げながら
エレベーターまで続く渡り廊下を駆けた


◇ ◇ ◇


マンションを出てからというもの樹は小走りで
近所を散策しながら 道行く人に長靴の自慢をしていた
樹を知るご近所さんは 幼い子どもの自慢話しに
微笑ましい気持ちで耳を傾けてくれていた そんなことがあり
気分の良い樹は見ず知らずの人にまで声を掛けていき
知らない子どもから いきなり長靴の自慢話をされた人は
少し困惑気味になりながらも 褒め言葉を与えてくれていたのだった
一通り近所を回り終えた次は商店街へ向かい そこでも同じように
話して回り 一番お世話になっている青果店にも顔を出した

「渡辺のおばさん こんにちはー!」

「あら 樹くんこんにちは 今日は一段と元気だこと!
  それにとっても嬉しそうね〜…何か良いことでもあったの?」

教えて頂戴とおばさんに訊かれた樹は
それはもう嬉しそうに笑みを浮かべながら 長靴の自慢をした

「そう おニューなのね〜 よく似合ってるわ」

「…おにゅう?」

樹は聞き慣れない単語に首を傾げる
新しい物のことをそう言うのだと おばさんは教えた
ほら とおばさんは自分が着てる服の裾を少し引っ張り
これも昨日買ったばかりのだから 樹と同じおニューのだと話した
おニュー仲間がいたことに喜んだ樹は おばさんと別れてからも
その言葉を使って商店街の人達へ自慢しに回った

「おっにゅう♪ おっにゅう♪」

知り合いから全く関係ない者と 幾多の人に褒められたことで
機嫌も鰻登りに上昇中の樹は 覚えたての言葉を口ずさみながら
軽やかにスキップをしていた
すると 前方から近づいてくる団体が目に入るや否や
褒めポイント連続ゲットチャンスに走り よそ行きの顔で挨拶をした

「こんにちは」

「こんにちは坊や どうしたの?」

樹は女性の質問に何も返さないまま にっこり笑うと
ちょこんとつま先を地面から浮かして片足を前に出した
何も言わない樹に女性は困惑していたが
きらりと光る長靴に注目すると 要求に気づいて成る程と頷く

「綺麗な山吹色ね 買ってもらったばかりなのかしら?」

「うん! そうだよ かっこいい?」

「えぇ とっても」

樹の年齢に近い孫がいるだけに 耳を傾けずにはいられない女性は
背を屈ませて樹へ笑いかけた

「…佐々木さん何してるの?」

「長靴を見てほしいんですって」

「あらまぁ 可愛らしい格好してるわねぇ」

一人 二人と樹を囲む人数が増えていき
クリーム色の髪を見て「外国の子かしら?」と興味を示していた
注目を浴びて綺麗な色だと髪を褒められているのに対し
長靴を褒められているものだと勘違いしている樹は
もっと褒めてもらうべく にこにこと愛想を振りまいていた

「おばさんたちって みんなお友だちなの?」

「いいえ 違うわ」

友達もいれば初対面の人もいるのだと
佐々木と呼ばれていた女性が樹に説明する
話によると全員 都内での商店街巡りバスツアーの参加者で
各商店街では自由行動になり 各々で見て回っているそうだ

「へぇ〜 それって楽しいの?」

「えぇ 美味しい食べ物や素敵な小物を扱うお店が沢山あるし
  それぞれの地域の人達から話を聞くのも とても楽しいのよ」

ツアー参加者の大半が 都心に住んでいることから
中野区やその周辺に来る機会は日々の生活でも滅多にないようで
それも兼ねて 今回参加した者が多いのだとか

「ねぇ あの人はどうして旗を持ってるの?
  あの男の人もツアーの人なんだよね?」

そう尋ねる樹が指さした先では
三角形の水色の旗を持った男性が立っていた

「あの人はね このツアーを先導しているガイドさん
  ツアー参加者の私達が 遠くからでも分かるように
  ここですよーって 目印として旗を持ってくれているのよ」

佐々木は自分も持っているのだと今回の記念品として
参加者全員に配られたミニサイズの旗を左右に振った
それを見て振りたそうにしている樹に 旗を持たせると
賑わう通りをぐるりと見渡してから また樹に向き直る

「この辺りは落ち着いてていいわね 坊やは近くに住んでるの?」

「うん! ここの商店街にはよく遊びに来てるよ」

「じゃあ オススメのお店とかあるかしら?」

「んー……おすすめって?」

またもや初めて聞く言葉に 頭をこてりと傾ける
今日は初めて聞く言葉が多い日だなぁと樹は思っていた

「坊やが 1番いいな〜って思うお店のことよ」

「へぇ〜」

そう言うことかと分かっているようで分かっていない樹は
通りに並ぶ店の名を 端から順に言っていく
一つだけ聞いたつもりが 次々と挙げられるオススメに
「あらあら」と口にした彼女は 目尻の皺を柔らかく刻んでいった

「沢山あるのねぇ」

「うん! だってどれもいちばん好きだもん
  それにね ここの人はみーんな優しいんだよ」

樹の言葉に より一層笑みを深めた佐々木は
いい子いい子と優しく頭を撫でた

「ありがとう坊や 教えてくれたお礼にその旗はあげるわ」

「えっ…いいの? ありがとう!」

ミニサイズの旗を貰って喜ぶ樹に
佐々木はそれじゃあねと言い 近くの店へ入って行った
それに続いて集まっていた人達も離れていったのだが
中には まるでご利益があるかのように樹の頭を撫でる人もいて
皆から褒められたお陰で ちっとも悪い気がしない樹は
されるがままに頭を撫でさせていた


最後に撫でられた人から 同じ旗を貰い
2本に増えた旗を揺らしていた樹は 自分を見つめる存在に気づいた
3〜4歳程の 自分よりも小さな男の子に笑みを向けると
静かに側へ行き その子の母親と思われる女性を見上げた
母親は店員との話しに夢中なのか 話し相手も然り
どちらも樹の存在には気づいていないようだった
大人の話しは不思議なくらい長く それも知り合いだと尚更のこと
その間 待ち惚けをくらう子どもの気持ちなんて露知らず
延々と続く話しに退屈そうにしてるのを見兼ねた樹は
「大人しく待ててえらいね」という気持ちで頭を撫でてやり
自分の持っていた旗を一本 その子の手に握らせた
子ども同士ならではの通じる何かがあるのだろうか
お互い歯を見せてにかりと笑い合うと
特に喋りもしないまま 樹は手を振ってその場を離れた


「…あら?」

長話を終えた母親は 息子が持つ見に覚えのない物に首を傾げる

「それ どこで拾ったの?」

「おひさまの子にもらった!」

「…おひさまの子?」

首を傾げる母親をよそに 男の子は商店街を駆けていく樹の髪が
光りの反射具合で輝いたのを見て にこりと笑っていた



◇ ◇ ◇


皆にチヤホヤされてすっかりお調子者の樹は
どうせなら隣街でもうんと褒めてもらおうと
佐々木たちを真似て 急遽 長靴自慢ツアーを企画していた
自慢するという根本的なものは何も変わっていないのだが
要はツアーだからバスに乗るという事だった

「ふぅ…ちょこっときゅーけー」

だいぶ歩き回ったこともあって 疲れを覚えた樹
目当てのバス停に辿り着くと ベンチでひと休みしながら
路線マップに目を通した
以前 仕事観察をする為に こことは別の停留所から
隣町の米花町に行ったことがあり その米花へ
今から来るであろうバスが停車するのが分かり
運が良ければ 向こうの友だちにも会えるかもしれないと
一度きりしか遊んでないものの 仲良くなったコナン達を
頭に思い浮かべて微笑んだ

暫くして バスが到着した
プシュウと停車したバスから出る音に驚きながらも乗車し
自分より頭ふたつ分程 上にある機械にICカードをかざした
ドア付近はどこも埋まっており 座れないのを見て
今日は利用客が多いのだと納得すると 他の席を探すべく
発車して揺れる車内に ちょっぴり不安になりながら
各箇所にある出っ張った手すりを掴みつつ後方へ進んだ
ちらり ちらりと左右の席が埋まっているのを確認していた瞳が
最後列で空いてる座を見つけたことで喜びの色が浮かぶ
持っていた旗を座席に置いてから 手をついてよじ登ろうとした樹は
すぐ隣に先客が居たことに気づいて その人物を見上げた
榛摺はりずり色のスーツを身に纏う男とバッチリ目が合った次の瞬間
突然急ブレーキが掛かり 車体が大きく揺れ
中途半端に座席に手をついている体勢だった樹は
軽々と後ろにひっくり返ってしまった

「わっ……!」

受けるだろう衝撃にギュッと目を閉じた樹は
訪れない痛みに不思議に思いながら薄目を開ける

「平気か?」

「ぅ……うん…だいじょうぶ」

転びそうになった樹を助けてくれたのは先程目が合った男だった
大柄でかなり厳つい風貌目の前にして 思わず樹の声が窄まる
急ブレーキを掛けたお詫びのアナウンスが流れ バスが動き出すと
立ったままでいる樹に男は座るよう促した
次はちゃんとよじ登って座ることができた樹は
助けてくれた男に小さい声ながらも お礼を言うことができた
怖いけれど気にはなるのか 樹はちらちらと横目で相手を窺い
片方だけ黒レンズの見たことのない眼鏡に視線がいく
眼鏡では隠しきれていない火傷の痕にやはり怖々とするも
頬から顎まで覆われたビアードスタイルの立派な白髭は
触れたらどんな感触だろうと気にもなっていた
好奇心か恐怖心からか 樹はどちらとも言えない緊張感を
紛らわせる為に もぞもぞと手足を動かしていた
そんな樹が気になったのか 男が視線を向ける
今日は雲ひとつない空 午後から天気が崩れる予報でもないのに
合羽着を身につけ長靴を履く子どもは 男から見ると変だった
男の視線に気づいた樹はその先を辿り 自分の長靴を
見ていることが分かると 緊張しながらも口を開いた

「…あのね これパパに買ってもらったおにゅうの長靴なんだよ」

自身の顔がどう思われるか理解していることから
まさか 話し掛けられると思っていなかったのだろう
少し反応が遅れた男は目を瞬くと そうかと呟いた
如何にも緊張してますという表情にぎこちない話し方
けれど もっと話したい雰囲気を漂わせる幼子のそれを
感じ取った男はどうしたものかと考える


「おニューと言えば…私の携帯も最近買ったばかりでな」

「!」

「君の 素敵な長靴と同じだ」

素敵な長靴だと褒められるだけでなく 渡辺のおばさん以外にも
おニュー仲間と出会えたことで 樹の緊張が解れたのか
怖いと感じていた気持ちも簡単に薄れていく
父親に似てお喋りな樹は 見ず知らずの相手でさえ
一度言葉を交わしてしまえば 友達になったものだと認識し
SNS並みに軽い友達申請を行うちびっ子安室に
毎回頭を悩ませるのは 絶賛バイト中の身である大っきな安室だけだ
本日はというと 新記録を出したことから
急激に増えた友達の数に 頭を痛めるのが予想される

「このポーチも見て かっこいいでしょ?」

良く言えば打ち解けた 悪く言えば馴れ馴れしくもある
先程までの緊張が嘘のように解けた子が話し掛けてくるのを
男は特に嫌がるわけでもなく そうだなと頷いた
黄色いチェック柄のウエストポーチを気に入っているのだと話し
チャックを開けては ポケットティッシュにハンカチと
中に入れている物の説明をしながら 膝の上に出していく
大きな物は入れられなかっただけに 細々とした玩具を
ひとつひとつ説明し終えると 今度は
ズボンに取り付けていたICカードをチラつかせた

「それからこれは…どこでもカード! これを使うと
  バスや電車にかんたんに乗れるんだよ それから電車で
  ピッてする…えっと……ピッてして通るとこがあって…んー?」

名称が思い出せず眉根を寄せている樹へ
男は「改札か?」と助け船を出す

「そう かいさつ! そこでカードをピッってすると子どものだけね
  ピヨピヨってひよこの鳴き声がするんだよ! すごいでしょ?
  でもぼく 電車にはあんまり乗らないから聴かないんだけど
  バスも鳴ればいいのに…あっ それから これも見せてあげる!」

男は樹の途切れることのない会話に苦笑しながらも
どれどれ…とズボンのポケットから取り出された物を覗き込んだ

「パパが作ってくれたお守り この車はカウンタックだよ!」

よく見ていいよと樹から手渡された御守りを受け取った男は
見事なスーパーカーの刺繍に器用なものだと感心していた
車のカラーは黄色で 樹が身に付けている物の大半が黄色いことから
この子の好きな色なのだろうと考える

「君の父親は 随分と心配性のようだ」

「?」

「いや…何でもない この御守りも素敵だよ」

こてりと首を傾げる樹の髪に触れ ひと撫でしては御守りを返し
失くすと困るだろうからと 仕舞っておくように言った
男の言いつけ通りに御守りをポケットに仕舞った樹は
ポンチョの首元を摘んでパタパタと動かしながら
中に籠もった熱を逃がそうとしていた
外はともかく暖房が効いた車内で合羽を着たままでは
蒸れて暑いだろうに 脱がないのかと尋ねる男へ樹は首を振る

「かっぱじゃなくて ポンチョって言うんだよ」

暑いどうこうよりも合羽着の名称間違いを指摘しては
腕を小さく広げて マントみたいでかっこいいでしょと話す樹
本人がその格好を気に入っているのなら それでいいのだろう
自分がとやかく言うものではないなと男は黙って頷いた

「おじさんは いつもこのバスに乗ってるの?」

樹からの質問に 男は いや…と首を振る

「今日は用事があって江古田に来たんだ 今はその帰りでな
  普段の移動手段は車だったんだが……目が覚めて
  日が浅いものだから 医者に運転するのを止められてね…」

かれこれ10年近く 眠っていたのだと話す男を
信じられない気持ちで見つめる樹 それを知ってか知らずか
男はにやりと微笑むと自分の頭を指さした

「この髪も眠る前は黒髪だったんだ」

「え〜!? …ホントなの?」

「本当だとも 起きたら白髪になっているし 電子機器は
  変わっていたりで…まるで浦島太郎にでもなった気分だよ」

「あははっ」

果たして そこは笑うところなのだろうか? 聞く気は無くとも
耳に入る会話の内容に周りの乗客はひっそりと突っ込んでいた

「乙姫さまには会えた?」

話に合わせた樹が冗談で訊けば 男は肩を竦めて苦笑すると
内緒話しをするかのように樹の耳元へ顔を寄せた

「実は 助けた亀が陸亀でね」

「!……リクガメさんだから…泳げない?」

小声で囁かれた返答に目を大きく見開いた樹は
先程の仕草を真似て こしょこしょと男の耳元で話す
樹の賢い問いに男はその通りだと頷いた

「ふふっ リクガメさんだったんだ…ふふふっ」

思いのほか陸亀がツボにハマったのか くすくす笑い続ける樹に
竜宮城には行けなかったが玉手箱だけは貰えたのだと
男が冗談を付け加えたお陰で最小限に抑えていた笑い声が
一際大きくなっていく するとそれを指摘するかのように
乗客の咳払いが車内に響いた
その音にハッとした樹は人差し指を顔の前へ持ってくると
男に向かって「しーっ!」っと囁いた
まるで騒がしくしたのは自分だと言わんばかりの樹の行動に
男は頬を掻きながら小声ですまないねと謝るのだった

そんなこんなで すっかり男との会話に夢中だった樹は
次は米花図書館前のアナウンスに反応して降りなくちゃと呟く
樹の言葉を聞き 親切心で降車ボタンを押した男だったが
自分で押したかったのにと頬を膨らます子どもに
余計なことをしてしまったかと苦笑いを浮かべた
不貞腐れてるように見える樹だが 実のところそんなに
怒っているわけでもなく次の停留所で男も降りるのか尋ねた

「私の目的地は まだ先だよ」

「そっかー…じゃあここでお別れだね! バイバイおじさん」

「あぁ 樹くんも迷子にならないよう気をつけなさい」

「うん!」

停車すると たったか通路を歩いてバスから降りた樹は
男が見える窓へ近づき バイバイと大きく手を振る
そんな樹へ男は柔く微笑み 軽く手を振り返した
発車するバスを見送り バスとは逆方向へと歩きだす樹
初めは怖い顔つきの男に緊張していた樹だったが
話してみたら意外にも面白く 沢山お喋りもできたことだし
人を見た目で判断するものじゃないと改めて思うのだった
また会える機会があれば あの白髭を触ってみたいものだ
そんなことを考えては へへっとだらしなく笑う

「ふわふわなのかなぁ〜……あれ?」

髭の触り心地を勝手に想像していた樹はふと
男と最後に交わした言葉に引っかかりを覚え 足を止めて振り返る
一方的にもお互いにも自己紹介をした覚えはなかった筈だと
遠ざかるバスを見つめる樹の頭上には
真っ赤なクエスチョンマークがぷかぷか浮かんでいたが
騒ぎ声が耳に届いたことで ぱちんと弾けて消えてしまった
きゃっきゃと楽しそうにはしゃぐその声は
図書館に隣接する公園で遊ぶ 子ども達のものだった
中には樹と近い歳の子ども達も遊んでいたので
誰か知っている子がいるかもしれないと意気揚々に足を踏み入れ
敷地内を見渡した樹は 知らない顔触れに目に見えて肩を落とす
「いーれーて!」の一言で遊びに混ざろうと思えばできるけれど
友達に会えると期待していただけに あまり気分が乗らず
意味もなく遊具の周りをうろうろしだした

「なーな はーち…あっ ここも! きゅーう じゅー…ん?」

ちょっとした暇つぶしに 遊具のボルトの箇所を数えていた樹は
僅かに聞こえた水音に数えていた手を止め 音の出所へ顔を向ける
そこで見たのは 公園では見慣れている立形水飲水栓だった
砂遊びのあとだろうか 親に手伝ってもらいながら
手を洗う子どもの様子を樹はジッと見つめ
洗い終えた親子が離れたのを見計らい その場へ走った
(ちょっとだけ…ちょっとだけ)
公園の水を遊びに使用してはいけないとの教えが頭によぎるが
始めから誘惑に負けている樹はカランをほんの少し捻り
チロチロと水が流れ出てくるのを確認すると さらに強く捻った
勢いを増した水に 長靴の先を掠めるように当てては
触れた水が跳ねたことで 樹の口角が無意識に上がる
ぱしゃぱしゃと水を切るようにして動かしていた足を止めると
水の勢いを弱めて 受け皿にした手に溜めていく
その冷たさに驚き「ぴゃっ!」と変な声が出たことに照れながら
せっせと水を撒くのを数回繰り返し 地面の染みが広がったのを見て
方膝を高く上げた樹は 濡れた地面をぺたりと踏んづける

「……?」

想像していたのとは違う感触に 樹は疑問符を頭に浮かべ
踏んづけた所をなんとも微妙な面持ちで覗き込んだ
ぺたぺたと足踏みをしたからといって その感触が変わるはずもなく
如何せん水溜まりとは程遠いそれに 口をへの字に曲げていた樹は
まさかと雷に撃たれたかのような表情をした
(……じょうろがないとできない?!)
稀におつむが弱いのを発揮してしまう樹はそーれそれと
まるで雨を降らすようにして 細かい水を撒くことでしか
水溜まりが発生しないんだとの答えに行き着いてしまい
誰もがそうする浅い穴を掘ればいいとの発想までに至れなかった

「……むぅ〜」

どうにか別の手はないだろうかと 恐らくツアーのことも
友達を探すことも すっかり忘れているだろう樹が難しい顔で
あーでもないこーでもないと 考えに考え抜いた数分後
嬉々としてカランを捻った幼い瞳には 閃きの色が溢れていた



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