気紛れ





今日も一人 留守番をしていた樹はお昼を済ますと
ぱっちりおめめの桃豚貯金箱とテーブルで向かい合っていた
再放送の古いアニメで 貯金箱を金槌で壊しているのを観て
一度 やってみたかった樹だったが せっかく買った物を壊すのは
勿体無いだろうと 父の言い分によりお高い陶器製ではなく
合成樹脂製の お買い得セールで売り出されていた可愛い桃豚が
樹のマイ貯金箱となっていた
当初に比べて見た目変わらず 体重だけが増えた桃豚を
横に寝かせると おへその蓋を開け中身を全部出した
ジャラジャラと出てきた硬貨は 全て十円玉で
樹が これまでお手伝いなどをして貯めたお金だった
十枚ずつ列を作って並べ 数えると全部で九十八枚もあり
それを一枚ずつ指で押さえながら テーブルの端まで滑らせ
ぽっかりと口を開けた 金魚型のがま口財布へ落としていった
全部入れ終わり口を閉じると 重くなった財布を首にかけ 自分の
目線の高さまで持ち上げては ぱんぱんに膨らんだ財布を眺める
なんだか お金持ちになった気分の樹は へらりと笑い
キャラメル色の小さなリュックを背負って部屋を出た

鼻歌交じりにスキップをしている樹は誰の目から見ても
ご機嫌なのが伺え 跳ねるたびに揺れているがま口財布の金魚も
樹の気持ちと シンクロするかのように泳いでいた
たったか歩いて大通りに出ると 行きつけの商店街に辿り着き
二百メートルほど続く 古びたアーケードを見上げた
大勢の人が行き交い 活気溢れる商店街へ足を踏み入れた樹は
歩行者の隙間を縫うようにして進むと 沢山の野菜と
果物が並ぶお店へ近寄り 見知ったおばさんへ声をかけた

「あら〜 樹くんじゃないの」

彼女──渡辺 芳子わたなべ よしこは 夫婦ともに渡辺青果商店を経営しており
気さくで人柄も良く 商店街では人気のおばさんだ
少しばかり皺のある手で樹の頬を包んでは
「よく来たねぇ」と柔らかい顔を揉みくちゃにする
他の客がいるのにも関わらず 奥に居た旦那さんを呼びつけては
営業を任せて 樹とお喋りを始めだした
渡辺のおばさんは よく父親と買い物に来る樹を孫のように可愛がり
普段から 何かと世話を焼いているのだ
貯まったお小遣いを持って来れば 両替だってしてくれるし
美味しい水菓子だってくれるおばさんに 樹はよく懐き
今日みたいに学校が休みの日は よく遊びにも来たりしている
「今日は何枚交換する?」とのおばさんに聞かれた樹
「3枚!」と言っては 自分よりも大きい手に三十枚の硬貨を乗せ
おばさんにも数えてもらってから 百円玉に両替してもらう
彼女はいつも 樹のために綺麗に磨いた硬貨を用意していた
ピカピカに輝く百円硬貨を見ると ガチャガチャで良いおもちゃが
当たる様な気がし 樹はおばさんの百円玉がとっても好きだった
両替の数はいつも決まって一回分だけで 明日にも
明後日にも楽しみを取っておきたい考えから そうしており
ピカピカの硬貨を大事に仕舞う樹へ
渡辺のおばさんは一枚の紙切れを寄越した

「お 大人のふくびき…」

赤い紙に でかでかと書かれた文字を読み上げた樹は
『大人』の部分にちょっぴり胸を高鳴らせる これが
すさんだ人間の場合 厭らしい想像をするものだが そんなものとは
無縁の清い子どもは「大人になれるの?」と無垢な瞳で
なんともピュアな質問をし 既に掴んでいたおばさんの心を
再び鷲掴みにするという 凄技を繰り出していた

「ふふふ そうねぇ…大人にはなれないけど
  大人に関連した景品が当たるんじゃないかしら?
  おばさん福引きとかしないからねぇ よかったらやってきなさいな」

今川さんの所でまだやってるはずだから
彼女はそう言うと 持っていた福引券を折り畳み
失くさないようにね とちっちゃな手に握らせた
「また帰りにでもお話しを聞かせて頂戴」と話すおばさんへ
樹は大きく頷き手を振った


「今川のおじさん こんにちはー」

「お! 樹くんじゃないか こんにちは」

元気の良い挨拶をしてきた子へにかりと笑い 屋台から
身を乗り出すようにして 今日はどうしたんだ? と尋ねた今川は
福引きをしに来たんだと 手渡された物を受け取り
一枚しかない券に困ったなと眉を下げた

「悪いなぁ樹くん…この紙な 全部で5枚ないと
  福引きができないんだよ ほら ここんとこに書いてあるだろ?」

ぽけっ としている樹へ 券の隅っこの方に
書かれている文字を見せながら あとこんだけいるんだよ と
四本の指を示し 近くのスーパーやお店で
千円以上の買い物をしたら 一枚もらえる事も教えた
この説明を理解できているのか いないのか
おばさんから貰ったのだと話す子どもに 今川はうんうん頷き
五枚集まってから また来るようにと話した
樹は頷くと 来た道を戻り人混みの中へ消えていった

少しして 商店街のベンチに座っていた樹は
足をぷらぷらさせ これからどうしようかと考えていた
福引きをしないと言っていたことから 渡辺のおばさんは
券が五枚必要だったのも 知らなかったのだと思える
約束した手前 それを言いに戻るのも悪い気がしてしまい
どうにかして 福引き券を手に入れる方法はないか考え
うんうん悩んでいた樹だったが いい案が浮かんだらしい
ちょうど目の前にあった花屋に入って行くと
あまり話したことのない つり目が特徴のお姉さんへ声をかけた
樹に気づくと 作業の手を止め「何か用?」とぶっきらぼうに
話すお姉さんへ 福引き券を集めている事を話した

「それなら 買い物したら貰えるわよ」

「うん でもね…ぼくのお金じゃ足りないから
  ふく引きけんを集めることができないんだ」

「…それを私に言って ぼくはどうしたいわけ?」

ぱちん と枝を切り 台の上に落としてる彼女へ 福引き券を
持っているか尋ねた樹は 持っていると答えたお姉さんに
使わないのであれば譲って欲しいことを伝える それに対し
はっきりと使わないと言った彼女だったが どうした事か
譲るのを拒否するお姉さんに 樹は「どうして?」と首を傾げる
切り落とした枝を集め ゴミ箱に捨てた彼女は
花鋏を台へ置くと 樹の方へ手を伸ばした
差し出された手にきょとりとした樹はよくわからないまま
自分の手を乗せてみたが それも振り払われてしまい
交換を要求してきた彼女に目を瞬かせた

「…ぼく 980円しか持ってない」

「……誰がお金って言ったのよ物を要求してるの 言っとくけど
  自分の欲しい物が簡単に手に入れられると思ったら大間違い
  世の中そんなに甘くないの わかる? それでも私は交換なら
  してあげるって言ってるわけ だからほら…早く何か出しなさいよ」

こっちは仕事で忙しいんだから と話すお姉さんに
樹は慌てて 何かないかとリュックを漁る
あったのは ポケットティッシュと車柄のハンカチに
それから水筒しかなく 交換できそうな物はこの三つだけだった
けれど ティッシュやハンカチは要らないと言われ 迷った樹は
水筒に付属しているコップへお茶を注ぎ おずおずと差し出す
美味しいから飲んでみて と樹が言えば
渋々コップを受け取り 口をつける彼女 ただのお茶が
とびきり美味しいかどうかなんて よっぽどのお茶好きか
それとも茶道に関わりのある人にしかわからないだろう
香りの強い麦茶を飲んだ彼女は 煮出しで作ってるのねと言った

「にだし?」

「何て言えばいいのかな…あぁ ほら
  お茶を作る時 パックをヤカンに入れてない?」

「ピーって音が鳴るやつ?」

「そうそう たぶんそれ」

お茶を飲み干した彼女はコップをゆすいで返すと
財布から取り出した福引き券を樹へ見せる

「…くれるの?」

「あげてない 交換しただけ」

さっさと受け取れと言わんばかりに押し付けてくる彼女から
福引き券を受け取った樹は 満面の笑みでお礼を伝えた
何度もお礼を言う樹に「はいはい」と返し
作業を再開した彼女だったが 店から出て行った樹の
姿が見えなくなった途端 持っていた鋏を台に放り投げ
二階に続く階段を駆け上がると 洗濯物を畳んでいた母親へ
わっと喋りだした

「お母さん見た!? 今の見た聞いた?
  樹くんが話し掛けてきたんだけど 何あの子めっちゃ可愛い!
  今日も ベンチに座ってるとこ見れてラッキー とか思ってたけどさ
  まさか お店に入って来るだなんて思ってもなかったし
  それに 樹くんからお茶貰ったんだけどヤバくない?
  しかもお手するとか何? もう犬じゃん! 仔犬じゃん!!
  どうしよう 話しかけられて超嬉しい…生きてて良かった」

さっきまでの 愛想の悪い態度は何処へ行ったのか
はっちゃけた口調で 嬉し過ぎて死ぬかもしれないと蹲る娘に
また始まったと 母親は呆れながら畳んだ洗濯物を箪笥に仕舞う
「マジ天使!」などと叫ぶ彼女…実は大の子ども好きだったりする
目つきが悪く 怖そうな見た目から泣かれることも多々あったせいか
子どもと話すとなると緊張し 気づけばぶっきらぼうな口調と
態度になってしまったのだが…泣きもせず 己を怖がりもしないで
接してくる樹を いつしか純真無垢な天使と崇めるようになっていた
大袈裟に騒ぎ立てる娘へ そんなに可愛いと思うのなら
その無愛想な態度を直せとか 子どもから物を要求するのは
カツアゲと一緒だとか 説教じみたことを言うも
全くもって人の話を聞いていない挙句 次会った時にでも
お菓子やら何やら与えれば 部屋に連れ込めるのではと
一歩間違えれば犯罪紛いなことを呟いている彼女へ
「いい加減にしなさい!」と母親は洗濯物を投げつけ
娘の将来を不安に思うのだった

一方 花屋のお姉さんにあんなにも好かれているのを
知る由もない樹は タダで貰うのはダメなんだと
自分の麦茶と交換する作戦で 着々と福引き券を入手していた
五枚集まった福引き券を手にしながら 戻ってきた樹に
今川のおじさんは舌を巻くと「当たりを引けよ」とにこやかに笑う
大人の福引きということもあり 景品はどれも
お酒や高級おつまみといった 大人向けの物ばかりで
当たったとしても 樹にはあまり意味のなさそうな物だが
福引きをするのが目的の樹に 景品のことはあまり関係なかった
頑張って背伸びをするも ガラポンを半分しか回せていない姿に
今川のおじさんは屋台から出てくると 親切にも樹を抱き上げ
その体制のままガラポンを回させてくれた
ころん と出てきた緑色の玉に おじさんは四等だなと言って
中に戻り台の下から箱を取り出しては その中身を樹へ見せる
透明の袋に入っていたのは 手のひらに収まるサイズの球体
カラーバリエーションが豊富な中から どれかひとつ
選ぶよう促された樹は派手なピンク色を手にする
このよくわからない球体の使い方を尋ねられた今川は
球体を袋から取り出して上蓋を開けると
蜂の巣状の穴を指し これの用途を丁寧に説明した
要するに大人のおもちゃみたいな物かと納得している樹に
まぁ…そんな感じでもいいかと頷いておく

「下の部分をはずしたらどうなるの?」

「ん? あぁ…そこを外したら卓上で使えるんだ」

「…たくじょー?」

「転がらないようにするんだ」

さっそく それで遊び始めた樹が その辺の小石を拾い
穴に詰めてはシャカシャカ振り 音を聴いて楽しむ様子に
そんな用途もあったのかと 子どもが考える遊びに
感心した今川は すっかり忘れていた当たり鐘を鳴らした


無事 福引きのミッションを終えた樹は 商店街を抜けると
数百メートル先に離れた ガチャガチャがある方向へ歩いていた
距離が近づくにつれ 見慣れた機械に
首に下げた金魚へ手をやった樹は 機械のすぐ側の
道路脇に停められていた車を目にした途端
ガチャのことは後回しにして その車へと駆け寄った
独特な丸みが特徴的の小型スポーツカーに目を輝かせ
ちょこちょこと忙しなく動くと 様々な角度から眺めては
初めて目にするポルシェ356Aに はしゃぐ樹
内装はどんな感じだろうかと 車に触れないよう気をつけながら
爪先立ちになると 車内を少しは覗くことができた
エンジンパネルやレバーをもっと見たいのだけれど
背伸びをしてギリギリ覗ける高さでは よく見ることができず
ぷるぷると震える足がよろめき 浮いていた踵が地面に触れる
もう一度 踵を浮かせて中を覗こうとした樹は窓に映る影に
背後に人が立っているのだと気づき振り返った
深く被ったボルサリーノに 上から下まで黒という
何とも怪しい格好で身を包んだ男が 紫煙を燻らせる姿に
びっくりしたのか ぽかん と口を開け見上げていると
器用にも 煙草を咥えたまま邪魔だと言ってのける男へ
咄嗟に謝り その場から一旦離れた樹だったが
男がポルシェに近づくのを見ると 距離を詰めて行く

「このポルシェ おじさんの?」

「…だったら何だ」

「かっこいいね!」と車を褒めている自分へ 男が冷たい視線を
向けているのも気にせず…と言うよりも気づいていない樹は
普段 父親へ話すのと同じ様にして 車トークを始めるのだった

「このポルシェって 1956年式の356A型だよね?
  B型とかC型とか種類が沢山あって 覚えるのが大変だったけど
  ぼく全部知ってるんだよ クラシックカーシリーズの本に
  載ってたんだ その本に載ってたポルシェは白だったけど
  黒いボディもかっこいいんだね! ぼくが一番好きなのは
  1963年モデルの 356C/2000GSなんだ〜!
  あっ…そう言えば 次の年のモデルはタコメーターが
  ケーブル式から電気式に変更されたんだけど おじさん知ってる?
  もちろん 電気式の方が良いとは思うけど 356だったら
  ケーブル式の方が やっぱりクラシック感があって──」

聞いてもいないのに ペラペラと喋り続ける樹に対し
男は舌打ちをして屈むと その小さな顔を片手で掴んだ

「…いけ好かねぇ顔してやがる」

急に顔を掴まれた樹は きょとんと目を瞬かせると
男の言ったことを復唱する

「いけ好きねー? おじさん コイが好きなんだ?」

樹のトンチンカンな質問に眉根を寄せた男は
掴んでいた手を緩め その頬をギュッと抓った
痛がる樹を鼻で笑い さっさと失せろと言って立ち上がると
咥えていた煙草を地面に落とし 靴で踏み消した
その一連の動作を見ていた樹は 痛む頬を抑えながら
男を睨みつけると 厳しい口調でポイ捨てを咎める
喧しい子どもに何処と無く苛立ちを隠せない男は
コートのポケットから黒い塊を取り出すと
その先端を樹の頭に押し当てた


「わぁっ 鉄砲だ! かっこいー!」


安全装置を掛けていることから 間違って発砲する事はないものの
本物の拳銃を突きつけているというのに 怖がるどころか
喜んでいる子どもに男は大層呆れていた 平和な島国で
育っているからなのか 玩具だと思われていても仕方ないが
逃げるか又は怯えるだろうかと思っていただけに 気分が萎えた男は
拳銃を仕舞うと「もっと よく見せて」と近寄る樹を蹴飛ばした
軽く蹴飛ばしたつもりが 思いのほか吹き飛んだ体に
加減が難しいものだと息を吐いた男は 次に起こる展開を予想し
面倒な事になる前に場所を変えようと車へ足を向けたが
子どもが泣き出さないのがわかると 怪訝そうに視線をやる
蹴飛ばされた衝撃で ズボンのポケットから転がり落ちた球体に
目が釘付けとなっていた樹は 体の痛みも忘れてその球体を
手にすると 上蓋を開けポイ捨てされた煙草を穴に詰め
今川のおじさんから聞いた 本来の使い方を真似る
遊びに使っていた樹だったが どうせなら
使い道のある人間が持っていた方がいいだろうと
見ず知らずの男へ 携帯灰皿をあげようとしたのだが
断られたことに ふぅん…と呟いては灰皿を揺らし
何となく 男にも向けてシャカシャカ音を鳴らして笑った
福引きで当てた旨を得意げに話す樹は後回しにしていた
ガチャガチャの話題へころりと変えてゆき 機械の方へ足を進める


「──でね 今日はガチャをしにきたの この車のやつ…って あ!」

振り向いた樹は 男がいつの間にか
車内にいるのを見て 不満そうに頬を膨らませたが
そのまま待てども 発進しない車に頬に溜めていた空気を抜くと
車へ歩み寄り 窓をコンコンと叩いた
始めの内は無視していた男も 何回もされると諦めて
レギュレーターハンドルを回して窓を下げた

「…何だ」

「お話し しよーよ」

「ガキと話すことなんざねぇよ」

男がそう言っているのにも関わらず
樹は爪先立ちになると がま口財布を全開になった窓の淵に置き
金魚の口を開けて 中に沢山入っている小銭を見せた
ピカピカに輝く百円玉でガチャをするんだと 嬉しそうに話す樹に
一人でやってろと冷たく言い放った男は 手動ハンドルを回し
窓を上げようとしたのだがその弾みで財布が傾き 中身が
零れ落ちてしまい 車内に散乱した小銭に思い切り舌を鳴らすと
煩わしそうに車から降り 落とし主へ拾うよう顎で示した
けれども そうとは捉えずに車へ乗り込んだ樹は
小銭を拾おうとしないで シートに座ると両手でハンドルを握り
何とも嬉しそうに ほくほくとした笑顔を男へ向けるのだった
その行動に こめかみをピクリと引き攣らせた男は
上機嫌な様子で足をぱたつかせる子どもへ腕を伸ばした

「おい クソガキ…俺は拾えと言ったんだ わからなったのか?」

「うぅ〜 拾えだなんて言われてないもんっ
  ちゃんと喋らなかったおじさんが悪いんだ!」

頭を鷲掴みにされ 締めつけてくる大きな手に痛いと呻き
ぺちぺち叩いたりと 抵抗して引き剥がしては
だったらそう言えばいいのに…とぶつくさ呟いて小銭を拾う樹
のろのろとした動きに苛立ちを隠せない男は 少しでも
気を紛らせようと煙草を咥え 慣れた動作でマッチ棒を擦った
シュボッと音を立ててついた火に 樹は興味が移り 座席から
身を乗り出しては 煙草に火がつけられる瞬間をジッと見つめる
軽く振られた事で火が消えたマッチは 地面へ落ち
またもやポイ捨てをした男へ 樹は注意しようとしたが
自分へ向けられた物に目を張り 体を後ろへ引いた

「それ…あつい?」

「試してみるか?」

ゆっくりと近づけられる煙草に首を振り後ずさる樹は
さっさと拾えと急かされ 小銭を全部拾い終えたのを
確認した男に 車から降りるよう言われたが
そうしようとはせずに 体をもじもじ動かす

「…あのね ちょっとだけでいいから おじさんに
  見てほしいものがあるの そしたら ぼく ちゃんと帰るから…」

抓られたり蹴られたりと普段であれば
泣いてもおかしくない程 酷い事をされているのに
紙面でしか見たことのないポルシェ356Aに遭遇し
偶々 乗車する事もできたおかげで相当浮かれているのか
何をされても 何を言われてもまったく気にしない
樹の頭の中は 蝶が飛び交うお花畑状態となっていた
こんな状態の樹を 父親が見たらどうなることか
知らない人 変な人 怪しい人と話さないついて行かないと
あれほど毎日 口酸っぱく言われているというのに
スポーツカーが付属しただけで このありさまなのだから
知らない・変・怪しい の三つを兼ね備えている男を前に
樹の危機感センサーは簡単に遮断されてしまっていた
その一方で 酷い事をしている自覚がある男はというと
何故こんなにも 自分へ懐いてくるのかが理解できず
上手いこと追い払える方法を考えあぐねていた
そもそも子どもなんて ただ鬱陶しい存在でしかなく
関わりたくないのであれば 自分が立ち去れば済む話だ
男の様子を伺っていた樹は 何の反応もしてくれないのを見ると
やっぱり無理かと肩を落とし 諦めて車を降りる


「……何を 見てほしいんだ」

男の言葉に 驚いて顔を上げた樹は
口にした当の本人が 一番驚いているだなんて知りもしないで
声を弾ませながら 二段式のガチャガチャが並ぶ方へ手招きし
車のドアを閉めて ゆっくり歩み寄ってきた男へ
下の段のパッケージイラストを見るように促した
パッケージにはパトカーモデルのスポーツカーが5種類と
シークレットが1種類の 計6種類が載っていて
そのイラストを指しながら 今自分が集めていることを話し
「見ててね」と念を押してしゃがんでは 先ほど自慢していた
ピカピカの百円玉を三枚 投入口に入れてガチャを回した
ゴトンと音を立て 出てきたカプセルを開けようとするも
セロハンでしっかり固定されているせいで 苦戦する樹
もたつく樹に苛立ちを感じた男は カプセルを奪い取ると
セロハンを爪で剥がし いとも簡単にカプセルを開けて渡した
開けてもらえたのに対してお礼を言った樹は 中に入っている
フォードマスタング マッハ1 のミニカーを
男にもよく見えるようにと高く掲げた
そうすると またもや車スイッチが入ってしまったのか
このスポーツカーが どれほどかっこよくて素晴らしいかと
演説の如く繰り広げられる樹の話しを聞き流していた男は
こういった子どもが大人に成長すると 世間で言う
マニアやオタクになるのだろうと ぼんやり考えていた

長い演説を終えてスッキリしたのか 満足そうに微笑み
別れを告げた子どもに呆気にとられ うんともすんとも
言えないまま 走り去っていく後ろ姿を見ていた男は
何とも表現のし難い モヤモヤとした感情が胸に渦巻いていた
それが 少しずつ苛立ちに変わっていくのがわかり
暫くしてから 何も知らずに戻ってきた連れに
自身の よくわからない苛立ちをぶつけるのだった


ーーーーーーーーーー


翌日

今日もガチャガチャをしに来た樹は昨日と同じ
ポルシェが停まっているのを目にし 頬を緩ませた
駆け寄って来るのが見えていた男は 気づいていないフリをして
やり過ごそうとしていたが 何度もノックされる状況に
深い溜息を吐き出して 仕方なく窓を下げてやると
大声で挨拶をかましてきた樹に煩いと言って拳骨を落とした
痛む頭を抑え 若干涙目の樹は「だってぇ…」と零す

「窓を叩いてるのに おじさんが気づかないから…
  昨日もそうだったし…おじさん耳が悪いのかと思って」

中々 失礼なことを抜かすのに加えて
無視されているのだと気づいていない子どもに
めでたい頭だと嘲笑していた男は いつぞやの金魚が
窓の淵に置かれようとしているのがわかると
また 小銭をばら撒かれるのは御免だと素早い動きで
金魚の口が開かれないように掴んで樹を押しやる
「今日も ガチャをしに来たんだ」笑顔で報告してくる樹に
期待のこもった眼差しを向けられているのに気づき
一度は目を逸らしたのだが 注がれる鬱陶しい視線に折れ
何だと睨みつけると 案の定ガチャのお誘いを受ける
またか…と悪態をついた男は 今日こそは一人でやれと
きっぱり追い払うつもりでいた筈なのに 何を思ったのか
断ることで纏わりつかれるよりも 付き合って早く済ませた方が
得策だと考えたらしい 窓を開け放したまま車から降りると
したらすぐ帰れと付け足し ガチャを回す樹の隣に立った
どうせ 開けるのに手間取るのだろうと何も言わずに
男は樹よりも先に 出てきたカプセルを手にし ぱかりと開ける

「ホンダのNSXだ!」

まだ持っていなかった車種を嬉しそうに掲げていた樹は
男が車に戻るのを見ると つい先ほどまでの笑顔も消え
寂しそうな雰囲気を醸し出しながら車へ近付く

「おじさん 明日もいる?」

「…さぁな」

質問に言葉を濁す男へ 明日もガチャをしに来ることを
教えた樹は また会えたらお話ししようと話す

「あっ でもね ぼく──」

樹が言い終わる前に 男は手動ハンドルをくるくる回して窓を閉める
ぱくぱくと動いている口に まだ何か話しているのがわかっていたが
これ以上付き合ってられないと ボルサリーノを深く被り
顔を背けては 完全に無視を決め込むことにした


無視を決め込んで暫く経ち ノックの音を耳にした男は
まだ居やがったのかと思い切り舌を鳴らし 勢いよくドアを開け
外に立っていた人物に「…ウォッカか」と呟いた
ウォッカと呼ばれた男は 自身が兄貴と呼び慕っているジンへ
助手席側の鍵を開けるよう頼み 車へ乗り込むと アタッシュケースの
中身をジンに見せてから 後部座席に置いて取引きの進み具合を話した

「あの社長…今日はちゃんと居ましたぜ
  麻薬売買の事を切り出せば こっちが知らない
  情報までペラペラ喋りやがったんで そのネタで揺する前に
  向こうから 上乗せで金を用意すると持ち掛けてきました
  上乗せの分は明日…今日と同じ時間には用意するらしいです」

「フン…金なら腐る程あるってわけか」

麻薬に金と 何やら物騒な会話をしている二人
彼らの見た目と会話の内容からして やはり裏社会に
通ずる人間なのは間違いないだろう それに加えて
拳銃も所持しているのだから 物騒極まりない連中だ
そうして話をしていたジンは 取引きの点で幾つか指摘する
数ヶ月前 事件に巻き込まれ亡くなった仲間がしていた仕事を
今ではウォッカが引き継いでいるのだが 如何せん
どうも手際が悪い所がたまにある 今回もそうだ
本来なら昨日 取引きが行われていた筈だったのに
日時の指定が相手にしっかり伝わっておらず
その結果 ジン達は無駄足を踏むことになったのだ
殺しよりも圧倒的に簡単な任務に 時間をかけるのを
良く思っていないジンは ああしろこうしろと簡潔に言い
二日続けて 兄貴からダメ出しを喰らうウォッカ
サングラスを掛けてることから 表情の全ては見えないものの
下がりまくった口元に 落ち込んでいるのがわかる

昨日からどうも 自分が戻ってくると機嫌が悪くなっているジンに
少々気になっていたウォッカは 思い切って尋ねてみた
すると あぁ…と呟いただけのジンに 訊かない方がよかったかと
冷や冷やしながら 他の話題に変えようとすれば ジンが先に口を開く

「……ガキが一匹 鬱陶しいんだよ」

「ガキ ですかい…?」

てっきり仕事のことだと思っていたのにまさか子どもが原因とは…
昨日 妙に苛立っていたのは その子どものせいかとウォッカは考え
予想外な話に どう返答すればいいのか困りかねていると
その子どもが関係しているのかは よくわからないが
明日の取引き時間を 変更するように言われてしまい
これ以上機嫌を損ねたくない思いから 素直に了承すると
さっそく 取引き相手に変更の旨を伝えるのだった



次の日 ウォッカを待っている間
ジンは切らした煙草を買いに 近くのタバコ屋へ寄っていた
古びた店の雰囲気から 長いこと経営していると思われる
ここの店主の拘りなのか カードは扱ってないらしく
小銭を持つのを嫌うジンは 渋々お札で支払いを済ませ
細かくなるよ と店主から返ってきたお釣りを受け取った
買ったばかりの煙草を吸いながら 来た道を戻ると
自分の愛車の横で ここ最近見慣れた物体が
突っ立っているのを目撃し 思わず足を止める


「…あっ ポルシェのおじさん!」


会えると思ってなかった と歯を見せて笑う樹に
意味合いはかなり違うが ジンも同じ気持ちだった
何でこの時間にいるのか訊けば学校だったとの返答に
どう見ても 未就学児にしか見えない子どもが小学生だったことに
驚きを隠せないでいたが それよりも昨日 窓越しに話していたのは
学校の事だったのかと 最後まで聞かなかった自分を恨めしく思う

「ふふっ おじさんって優しいんだね」

「……あ?」

「だって…ぼくが学校だって言ったから
  この時間まで まっててくれたんでしょ?」

口元を隠しながら 堪えきれていない笑みを零す樹に
そう捉えるか…とジンは苦虫を噛み潰したような顔になる
会うのを回避しようと 取引時間を変更したというのに
こうして出会ってしまった挙句 優しい人だと勘違いされてしまい
できることなら訂正したいジンだが 何でも自分の
都合の良いように捉えてしまう子どもには 言っても無駄だと悟る
訂正するのは諦めたものの 勘違いされているのも癪なので
煙草を口から離すと 樹に向けて煙を飛ばした
思い切り吹きかけられた煙に咽せている様子を見て
多少なりとも気は晴れたのか 僅かに口角が上がる
そんなジンの嫌がらせを物ともせず 樹はお喋りを始めるのだが
そもそも 嫌がらせだと理解できているのかすら怪しい

「ぼく 耳の上らへんが癖っ毛なんだ
  いつもね ぴょこって浮いちゃうの」

ほら と手櫛で梳いては 一部分だけ浮いた横髪を見せる樹
癖毛なのかは知らないが 見ようによってはそう見えるし
普通の毛にも見える気がするのだが
本人が癖毛と言うのだから きっとそうなのだろう
己が無視を貫いても 構わず話しかけてくる子どもなのだと
この2日間で学んだ男は適当に相槌をうち 煙草をふかしていた

「伸ばしたら浮くこともねぇだろ…嫌なら切れ」

「ううん 嫌じゃないよ パパと一緒だから好きなんだー」

えへへー と笑う樹へ だったら一々言ってくるなと
胸の内で突っ込み くだらない話しに黙って耳を傾けていたジンは
樹のころころと変わる表情から目を逸らし 今日はしないのかと
ガチャの話題へと変える

「このガチャね 今日で最後なんだよ 明日には
  新台に入れ替えるんだって ぎょーしゃの人が言ってた」

あと一種類でコンプリートできるらしいが
シークレットだから何の車種かわからないそうだ
気合を入れてガチャを回した樹は この二日間の流れで
カプセルを開けてもらうのが当たり前になり ジンへと渡す
その事に対して ジンも何か文句を言うわけでもなく開けていた
中身を確認した樹は 既に持っていたミニカーだとわかると
残念そうに肩を落とし ミニカーをリュックへ仕舞った
当たりを引いた樹が また馬鹿みたいに喜ぶのを想像していただけに
今回の反応は ジンにとって面白くないものだった
不服がある というよりは今の状況に変な流れを感じてしまい
それに気づいてしまったジンの眉間に 皺が深く刻まれていく
煙草を買った時 細かくなると返された小銭の中に
ピカピカだったか キラキラだったか忘れたが
樹が言っていた 例の輝く百円玉が数枚あったのを
嫌でも覚えていたジンは 胸ポケットの財布をこっそり確認する
百円ともなれば ほぼ毎年発行されているのだから
真新しい硬貨がお釣りに混ざっていたとしても 別段おかしくはない
けれども 五枚ある百円玉の内 真新しいのが三枚あることに
これはもう そういう事なのでは? とジンは考えてしまう
明日には総入れ替えのガチャに 気の毒にも外れを引いた樹……
貯めていたお小遣いも 殆ど使い切ってしまったお陰で
シークレットがどんな車種だったかわからずじまい
それで終わる筈だったのに 偶然にもあと一回分だけ
ガチャを回せる小銭を 所持している自分に笑いが零れる
誰が仕組んだ訳でもないのに この出来過ぎた状況と
辺りを漂う空気がジンへ告げているのだ…ガチャを回せと

一旦は胸ポケットへ仕舞った財布に再び手を伸ばすジンだが
もしこれで 外れを引いたらどうするんだと思い留まる 流れ的には
そうかもしれないが 確実にシークレットを引ける保証なんて
どこにもないのだ…それを考えると 自分がやろうとしている事は
無駄なのでは? そもそも 何故自分がこんな子どもの為に
するのかと 考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなってしまい
外れを引いたことで落ち込んでるだろう樹を見下ろした

先程から不可解な動きをするジンを不思議そうに
見ていた樹は 目が合ったことで 何となく微笑んでみせる
その笑顔が決め手となったのかは 定かではないが
もはや 考えること自体を放棄したジンは
投入口へ硬貨を流し入れると 人生初のガチャガチャに挑んだ
黒尽くめの格好をした大の大人が しゃがみ込んで
ガチャガチャをする姿は正直不気味だが そこへ幼い子どもが
付属することにより その不気味さも多少は和らいだと思える
ジンの隣で 樹も同じ様にしゃがんでは ぺりぺりと
ゆっくり剥がされるテープに焦れったく感じつつも
大人しく 開けられるのをドキドキしながら待っていた
音を立てて開いたカプセルに とうとう我慢できなくなったのか
ジンの肩へ寄り掛かるようにして覗き込むと
まだ 持っていない車種を見て 「シークレットのだ!」と叫んだ
耳元で甲高い声を上げる樹を押し退けては
ミニカーを高く放り投げ 上手いことキャッチする樹

「すごいや! これフェラーリF430って言ってね
  実際には パトカーに使われてないんだけど
  レプリカが名古屋の会場で展示されてたんだよ」

シークレットが当たった喜びで 飛び跳ねている樹を
満更でもない表情で見つめていたジンは
自分へ返されたミニカーに眉を釣り上げ「やる」と呟いた

「もらってもいいの?」

「…いらねぇのなら捨てとけ」

「ううんっ 大事にする! …おじさん ありがとう!」

貰ったミニカーをリュックに仕舞った樹はお返しにと
あれから持ち歩いていた携帯灰皿を ジンへあげようとしたが
要らないと突っぱねられてしまい 口を尖らせたる
ショボくれている樹に 一々面倒な子どもだと
溜息が零れそうになるのをジンは堪え 仕方なく手を伸ばしてやる
そうすれば ころっと明るくなる表情に やはり面倒だと思いつつ
欲しくもない携帯灰皿を受け取った

「下のとこをはずすと たくじょーになるんだって」

活き活きとされる説明を耳にしながら コートのポケットへ入れ
陽が暮れてきたのを口実に そろそろ帰れと促した
もちろん 心配なんて微塵もしていないジンだが そう言えば
子どもの樹は帰るしかないのだとわかっているからだ
ちょっぴり寂しくもなる樹だったが 今日は 沢山話せたのと
シークレットを手に入れて満足したとで すんなり帰る事にした

「おじさん またね!」

大きく手を振る樹は 何もしないジンを気にすることなく
無邪気に笑うと 家までの道をぴょこぴょこ駆けて行った
時折 跳ねる後ろ姿を何となしに見送っていたジンは 携帯の振動に
気づいて画面を開くと ウォッカからの取引完了メールに目を通す
樹の言っていた また がもう無いだろう事に鼻で笑い
間も無く戻って来るだろうウォッカを車内で待つことにする
座席に凭れて一息つくと 樹から貰った灰皿を手のひらで揺らし
そういえば卓上になるんだったなと 下蓋を外した
ダッシュボードの上──左隅ら辺に設置してみたけれど
車内に似つかわしくない ド派手なピンク色の灰皿に
「…だせぇ」と呟いたジンは 喉をくつくつ鳴らしながら
だいぶ短くなった煙草を その灰皿に押しつけ 火を消した







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