シャルロット番外編 | ナノ


▼ アップルパイ×二人

※短編「暖かな掌」の後日談です


酔っ払った男からマスターが私を守ってくれた日、屋敷に唯一外部の情報が分かるラジオで、とある事を聞いていた。それは気まぐれに料理番組にチャンネルを合わせた時――

《今日は友人達に良く作るアップルパイをご紹介します》

「……アップルパイ」

パイ系はまだ作った事が無かった。
マスターは多分好きだろう。
お菓子系のものが紹介されると、すぐにマスターが頭に浮かぶのが癖になっている。
しかし初の試みでもあるから、メモを取るか少し迷う。

《アップルパイは一人じゃ食べきれないもの。仲の悪いお友達を近づけるには美味しいアップパイが一役買うかもしれませんよ》
それでは、と料理人のアシスタントをする人が材料を述べはじめた。
気がつくと右手はノリよく紙にペンを走らせていた。

***

調理台に立ち、並んだ物を見る。
必要な材料は全て揃った。血を吸ったように真っ赤な林檎が並んでいるのを一つ手に取る。
この林檎を見ていると、マスターの手の暖かさが蘇る。
マスターにお礼も兼ねて、出来れば美味しいものを作りたい。
そして――エリックにも。
ラジオを聞いて真っ先にマスターとエリックが浮かんだ。
二人は会うといつも喧嘩をしていた。それはマスターがいつもエリックを怒らせるから。
マスターの方はエリックの事が嫌いじゃない気がする……マスターは本当に嫌いな相手にはきっと構わないから。
でもエリックはどうなのだろう?
包丁で林檎の皮を向きながら、仲良く二人が会話する姿を想像しようとしたが、上手く出来ない。

それも、今から作るアップルパイが変えてくれるのだろうか?
そうこう考えている内に、一度も途中で切れていない林檎の皮が、しゅるりとまな板に落ちた。


***

オーブンを開けると、パイ生地の焼ける良い香りと、焼けた林檎の甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐった。
細かな花の刺繍が施されたミトンで、熱々のパイを取り出す。
焼き目も良い具合について、見た目は申し分無いように見える。

レシピ通りに作ったから少し甘めかもしれない。
切り分けて味見をしたかったが、ナイフを通すのは今じゃない気がした。
味見をしないのは不安だけど、多分美味しいと……思いたい。

一仕事を終え、エプロンを外して椅子に腰かける。
そういえば、電話した時のエリックが少し変だった事を思い出した。


……――受話器から発信音が聞こえる。

私は応接室のディルトの机にある黒色の電話からエリックがいつも働いている店に電話をかけていた。
電話をかける事は殆ど無いから、少し胸がざわざわする。

中年と思われる無愛想な男から、エリックへ取り次がれた。
ガヤガヤと騒がしい中、「……ドルチェ?」と驚いているような声が受話器から聞こえた。
耳に聞き慣れた声が聞こえると、一気に気が緩んでいく。

「うん。突然かけて……迷惑だった?」

「い、いや。で、どうしたんだ?」

「明日、用事ある?」

「明日?……あー別に大丈夫だけど」
後ろの方で何が大丈夫なんだよ!と太い声が聞こえる。くぐもった声でうるせえと言う声も。

「……やっぱり忙しい?」
『いーや、多分行ける!こっちの事は気にすんな。まーまー融通聞くしな』

良かった……エリックがいないと意味がない。

「じゃあ待ってるね」

『おう。じゃあな』

「あ……待って。お腹を空かせて来て欲しい」

『ん?……ああ分かった。んじゃな』

ガチャリと通話が切れる。
迷惑では無かっただろうか。
エリックは楽しそうな声をしていた……はず。
マスターにはなんと言って誘えば良いのかと頭を一瞬悩ませたが、『甘い物を食べましょう』と一言添えるだけで良いと納得した。


――……そうして二人を誘って、待ち合わせの時間までもう二十分しかない。
美味しい紅茶も煎れなくては。
そわそわする。
でもそれが少しだけ胸が躍っているのは分かった。

***

「待て。なんでおっさんがいるんだよ」

エリックがマスターを凝視しながら言う。
マスターの方を見ると、少し驚いた顔をしていた。

「ドルチェが私と郵便くんを集めるなんて……一体どうしたのかな?」

応接室にセッティングした脚の長いテーブルと二つの椅子、そしてテーブルに置かれた布の下にある膨らみ。
興味津々と、マスターはその中を見ようとするから、思わずその手を叩いてしまった。

「すみません。……でも駄目です」

マスターは子供っぽくおどけて見せて笑った。
「……分かったよドルチェ。でも気になるだろう?」

「ちょっとだけ待っていて下さい」

そう二人に言い残し、私は応接室から出ると、既に廊下に待機させた熱々の紅茶を乗せたキッチンワゴンが待ち構えていた。
キッチンワゴンを押して、すぐに中に戻る。
目に飛び込んできた光景にため息が出た。
マスターはまたエリックをからかったのか、エリックの機嫌はとても悪そうだ。
どうして二人はいつもこうなってしまうんだろう。
そう思いながら足を進めると、紅茶の匂いに気がついたのか二人の口は静まった。
テーブル付近にキッチンワゴンを止めて、紅茶をテーブルに並べる。

「良い香りだね」
ほのかに湯気の立つ紅茶を見てマスターは呟いた。

「エリック、マスター、椅子にかけて下さい」

「何が始まるんだ?」

椅子を引きながらエリックは独り言のように言う。

「今日……二人を呼んだのは、これを食べて欲しいからです」

テーブル中央の布を取った。
そこから溢れる甘酸っぱい香りと芳ばしい香り。

「アップルパイです」

ナイフをマスターに渡す。
「アップルパイは……仲良くなる為に良い、と聞いたんです」

そう言いエリックを見ると、エリックは酷く嫌そうに目を閉じてこめかみを押さえていた。

「…………まさか、おっさんと俺を仲良く、っていう事か?今日呼んだのはそれが理由か?」

エリックの問いに頷くと、マスターが肩を震わせた。

「っそうか、分かった……くっ、ふ……うん、じゃあ仲良く食べようか、郵便くん」

マスターは震える身体で深呼吸した後にパイにナイフを当てた。
サク、ザクとパイの切れる音がする。

「はい、郵便くんの分」

そうマスターは綺麗に切られたパイをお皿に乗せてエリックに手渡す。
動作は鈍いがエリックも受け取った。

「これは私の……分っと」
「おい、待て。何でおっさんのが一回りも大きいんだよ」

見ると明らかにマスターの方が大きく切り分けられている。
いくら自分が甘いものが好物だからといって、マスターはどうして大人気ないんだろう。

「ああ。でも郵便君は甘いものが苦手だと……前に聞いた気がするから、最初は少し小さくカットしてみたんだけど……って、ドルチェは意外そうな顔をしているね?全く……私がいくら甘い物が好きだからってそんなに依怙贔屓しないよ。心外だなあ」

少し眉間に皺を寄せた仕草をするが、マスターの口元は弧を描いていた。
そうだったんだ。
最後のは首を傾げてしまいそうだけど、マスターは私が思っているよりもエリックの事を考えている……のかもしれない。

「…………ふん」

そう小さな声でエリックが呟くと、アップルパイにかじりついた。
エリックは一度目を見開いて、それから徐々に優しく細められた。

「ん、美味い」

次いでマスターも一かじり。

「うん……美味しいね」

二人の柔らかくなった表情に胸を撫で下ろす。

「安心しました」

「分け合わなければ、食べれないものか……ドルチェも余計な事を……美味しいけど」

小さい声でエリックが呟く。

「……?エリック、嫌だった?」

エリックが慌てて口を開く前に、にんまり顔のマスターがエリックの肩を引き寄せた。
体勢を崩したエリックが「うわっ」と声をあげる

「ドルチェ、私と郵便くんは仲は悪くないんだよ」

眉尻を吊り上げて酷く嫌そうな表情のエリックが、マスターから体を剥がそうと押しのける。

「おいっ何言ってんだよ!」

「……そうは見えません。……やはり、アップルパイじゃ駄目ですね」

そう簡単に上手くいかない。
そうは思っていても、もしかしたらマスターとエリックが仲良くなれるかもしれないと思ったから……

言いながらいつの間にかうなだれていた私の頭上で、エリックとマスターが話し始めた。
何を話しているんだろう。
頭をあげるとそこには、満面の笑みのマスターと……笑顔のエリックがいた。

「ドルチェ。郵便くんがどうしてもドルチェに言いたい事があるらしいよ」

ちらりとエリックを見る。
笑顔。まるで張り付いているかのような笑顔だ。

「ド、ドルチェ。……アップルパイを食べたら、なんかおっさんに日頃の、か……か……カンシャっつうか……まあそんなんが湧いて来たナア!」

「…………エリック?」

今のエリックは、まるで片言のロボットみたいだ。

「なんか変、「今回だけじゃなく、ドルチェがいない所ではとっても仲良しなんだよ」

変なエリックと言おうとしたが、マスターに遮られた。

「本当……ですか、マスター?」

「そうそう、郵便くんは普段素直になれないだけで、本当は私やドルチェが大好きで仕方ないんだよ!ねえ郵便くん」

実に愉快そうな笑みを湛えながら、マスターがエリックを見る。
本当に……?でもエリックは普段こんな事を言われたら、黙っていられない、と思う。

「…………ああ、そうだ。だからな、ドルチェはあんまり心配すんな……!」

――『そうだ』
エリックの肯定の言葉に思わず目を見開くが、二人はニコニコとしている。

「……とても不思議ですが、良かったです。安心しました」

私は普段のエリックしか知らない。エリックがマスターの前では違うと言うのなら……そうなのだろう。

「ああ、良かった良かった。ドルチェのアップルパイは本当に美味しいねえ、郵便くん?」

「ああ、本当にな……美味すぎて涙が出る」

パクリとアップルパイを食べるエリックは長い任務を終えたかのような、穏やかな笑顔。
マスターはというと、終始楽しそうな笑顔でアップルパイを頬張っていた。


***

食器を下げながら、誰もいない部屋を見渡す。
今回してしまった事は……良かったのだろうか。
流石にエリックは……アップルパイじゃマスターとの仲を変えられないだろう、と思う。それでも、今回マスターとエリックは私の知らない所で接点が予想よりもある事が分かった。なんとなく……だけれど。
アップルパイでは仲良くなれなかった。けれど、もっと他に良いアイディアがあるのかもしれない。

「……ありがとうございます」

そう、この場にいない二人に向けて。


――次回はもっと二人が仲良くなれる何かを探そう。
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