little sprout


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聖域がどうであるとか、日本での暮らしがどうであるとか、とりとめの無い話を一度始めれば意外とお互いに話題は尽きないもので、双魚宮へ辿り着いた時ですら瞬にはまだ話し足りないほどだった。
どうぞ、と言うアフロディーテの社交辞令もさらっとしたものである。
自分がもし彼を部屋に招く立場だとして、ここまで優雅に且つ自然な態度ができるだろうかと考えて、瞬は感心するばかりだった。
宮中とは言うが本来十二宮は通行の関所の役割が大きいものであって、根本的な作りは古代の遺跡にある神殿同様、台座と柱と屋根のみで構成されている。
無論、その特質に忠実に沿って、宮の半分は通路なのである。
だがこの地で宮を守護する他に別な任務も同時に仰せ付かっている童虎の天秤宮は例外として、通路の脇にひっそりと佇むような形で黄金聖闘士達は皆それぞれ居室を持っている。
つまりは黄金聖闘士に取っては自宮とはプライベートと公務の場が一体化したような存在であって、外見からは無味無臭の空気が流れる"ただの通路”でも、その分厚い壁を隔てた向こう側には各人思い思いの生活の場があった。
例えば先程の処女宮などは、シャカの私生活の淡白さとも相まって扉一枚隔てていても通路と同じく、必要最低限のものと若干の仏具しかない質素な佇まいである。
特徴のある宮としては、双魚宮の一つ隣にある宝瓶宮。
主である水瓶座のカミュが氷の聖闘士であるため常にひんやりとした空気が漂うのがこの宮であるが、それよりもこの宮には隣接して聖域随一を誇る巨大な書庫がある。
もっともカミュ自身にとって書物は暇な時間に嗜む程度で、書庫が隣接して必要なほど籠り切って作業したりと言う習慣はない。
これはカミュの先代に中る水瓶座の聖闘士が管理していたものらしく、その時代に同期であった現教皇のシオンの話によれば、先代の水瓶座はドがつくほどの本の虫であったそうだ。
先代が残したものを疎かに扱うわけにはいかず、カミュはこの書庫の管理も受け継いでいる。

双魚宮にもこうした先代、もしくはそれ以前の聖闘士達の名残は色濃く残っていた。
宮に入ってまず誰もが目を奪われるであろう、眼下に広がる広大な花園である。
ただの花園ではない、好奇心に任せて一歩でも足を踏み入れようものならその者の命を容赦なく手折る毒薔薇の葬列である。
魔宮薔薇と呼ばれるこの薔薇畑は、有事の際には教皇宮に続く通路にも魚座の力によって張り巡らされ、代々双魚宮に仕える者にとって代名詞とも言える存在であった。
魚座に取っては魔宮薔薇は自宮と同程度に重要な拠点であり、万一無関係の人間が迷い込んだりした際には一時的に毒薔薇の効力を抑えたりなど、徹底した管理が要求される。
瞬と星矢もかつて、この薔薇達の手にかかって危うく命を落としかけた経験があるため、その毒性の凄まじさは身を以て知っている。

「(その毒薔薇の絨毯をこうやって横目に眺めながら、よもやこの人の宮でお茶を飲む日が来るなんてなあ・・・)」

そう考えて、瞬は感慨深いような複雑な気持ちに浸っていた。
魔宮薔薇を覗き込む瞬に対してアフロディーテは、あまりそっちに近付いてはいけない、と困ったような顔で呼び止める。
忠告には素直に従い、瞬は身を翻した。

殆ど勢いでアフロディーテの誘いに応えた瞬だったが、無論聖戦後に彼とこういった面識を持つのは初めてであり、心底浮かれて楽しい気分であるかと言えばその答えは限りなくノーである。
むしろ不安の方が大きい。
何せ相手は、かつて自分の師を殺害し、その因縁も含めて自分と死闘を繰り広げ、結果相討ちと言う形ではあるものの自らの拳で死に至らしめた人間である。
そんな人間を前にして心から楽しんで談話しながらお茶を窘めと言うのは無理難題と言うものである。
されど、そういう浅からぬしがらみを持つ瞬をこうして対話の席に誘ったのはアフロディーテ自身であり、それをあえて承諾してここまで来たのも瞬自身の選択。
胸の内に抱えている思いは、きっとこの人も同じなのだと瞬は感じていた。
かつて十二宮戦で対峙していた時とは、彼に対する思いは全く異なっていた。
時が経過し、考える時間が増え、命を張って拳を交える回数が増えれば増えるほど、あの時は気付かなかった深層の真理に瞬は気付き始めていた。
果たしてその思いは決して間違ってはいなかったと、再びアフロディーテと言葉を交わして思う。
表面上では決して気付けないほどの深い考えを胸に秘め、彼もまた彼自身が信じたものを貫いて戦い続けていたのだろう。
聖戦を終えた際に、アテナが瞬に告げたのだった。
あの人は本当は誰よりも平和を愛してやまないのだと。だから憎まないであげてだとか、だから仲違いを修繕して、などとは女神は一言も言わなかった。
もう既に瞬にとっては、それは導き出された答えであったからだ。

「・・・貴方とは、できるだけ早く話をしなくちゃなって思ってたんだ」

椅子に座ったままでそう瞬がぽつりと漏らすと、ティーカップに紅茶を注ぐアフロディーテの手が一瞬止まった。
その一言を切り出すまでに、瞬もどれだけの勇気を振り絞っただろう。
アフロディーテは穏やかな顔をしたままで何も言わない。
それが意味する事を享受しているから、瞬も気にはしない。

「私はね」

一つのティーカップとスプーンを皿に乗せて、瞬の前に差し出したアフロディーテが口を開く。

「今更どんな顔をしてこの世に生き返れと言うのかと女神を恨んだものだよ。昔の私には後悔なんてなかった、自分の信じているものを信じ続ければ、やがてはそれがこの地を守る正義になると思っていたからね」

ひとかけらの砂糖が溶け込んだ紅茶を口にする。
贖罪の言葉を語るには、あまりに優しすぎる香りだった。

「・・・けれど、いざこうして生き返ってみると情けない事だ。負い目を感じずにはいられなかった。私が自分の下した道に負い目を感じてしまったら、私がこの手で殺めた人々の生を否定し踏み躙った事になってしまう。それは魂に対しての冒涜に他ならない。人を殺せばその分の人生を背負って生きなくてはいけない。だが、結果として私は自分が背負い切れないほどの命を手折ったのだと気付いてしまった」
「・・・・・・・」
「正直言って、君には生涯かけて恨まれても仕方ないような事しかしていない。それなのに君は、私と話をしたいと言ってくれた。・・・私にはそれだけで十分だよ」

自分で淹れた紅茶に全く手をつけないアフロディーテの向かい側で、瞬は二口目を嚥下した。

「・・・僕には、全然十分じゃないよ」

かちゃり、とカップを皿に置くと同時に伏目がちにそう瞬が洩らすと、ぴくりと一瞬アフロディーテの肩が揺れた。
自嘲気味の笑みを溢している。

―・・・違う、何もわかっていない、僕は貴方にそんな顔をしてほしいわけじゃない。

「貴方達黄金聖闘士と戦った後に」

伏せていた目をアフロディーテの視線へ戻し、瞬はまた口を開く。
そのあまりに純粋で真っ直ぐすぎる瞳にアフロディーテの方が少し動揺したようであった。

「・・・冥王戦の前に、海界でポセイドンや海闘士との戦闘があったんだ。ポセイドンの地上粛清は闇雲に水害で人々の生命を奪うだけで、決して許せるようなものじゃなかった。そんな神についている海闘士の事を僕は心のどこかで悪の手先のように思っていたと思う・・・。」

一つ一つ事柄を思い出しながら、時折言葉を選んでいるのか瞳を宙へ浮かせながら語る瞬の姿は年相応に幼い。
そして自分の過去の至らない考え方を恥じるように語尾に於いては目を伏せる。
子供だった。
目の前にいるのはたった13歳の子供の仕種そのものであるはずなのに。

「でも、僕が戦ったソレントと言う海魔女の海闘士は目が醒めるような美しい音色で笛を奏でる人だったんだ。本当に美しかった。今まであんな澄んで清らかな音楽を、僕は聞いた事なんてなかった・・・。そして思ったんだ、こんなに心の底から美しい音色を導き出せる人が悪であるはずがないっ、て」
「・・・君らしい考え方だ」

初めてアフロディーテは相槌を打つ。
相槌と呼べるほどのものであったかどうかは知らない。ともすれば若干の皮肉も混じった言葉に取られるだろう。
けれどアフロディーテには揶揄ったつもりは毛頭なかった。
以前の自分であれば、『甘い』や『所詮戯言』などの容赦ない棘のある切り返しをしていただろう、とも思う。

「優しさや純粋さ、直向きさ、人からすれば甘さにも繋がる物を全て“強さ”に変えてしまう・・・君らしい考え方だ。アンドロメダ」

そして実際にそう信じた心があったからこそ、彼が海魔女に敵ったのだろうと言う事も想像がついた。
正面きって彼の拳と思いをぶつけられたアフロディーテにはわかっていた。

「うん・・・、でもそれだけじゃない。僕はその時気付いたんだ、貴方も同じだったんじゃないかって」
「私は笛を奏でるような技量は持ち合わせてないさ」
「笛に限った話じゃないよ。・・・双魚宮の横にいつも咲いている魔宮薔薇。見事だよね。傍から見たら毒の迷宮だなんて思えないくらい、立派に咲き誇ってる。沙織さんから聞いたけど、あれは魚座の聖闘士が代々受け継いでるものなんでしょう?」
「・・・あれが君の言う“笛の音”に値すると?それは買い被り過ぎと言うものだ。私は花を愛でるために魔宮薔薇を管理しているわけではないのだからね」

フフ、と真理をはぐらかす様な微笑と共にアフロディーテは優雅に紅茶を口に運ぶ。
瞬は少し難しげな顔で、どう言ったものかと首を傾げて考えながら言葉を紡ぐ。

「それは・・・そうなんだけど・・・、でもあれは有無を言わさず敵を殺すような殺戮のためにあるものじゃないよね。むしろ、大事なものを守るための最後の砦・・・。ねえ、貴方には貴方の、守りたいものがあったんだよね。自分の命も何もかも捨てて、最後に放つブラッディーローズに懸けてでも、僕を倒してでも守りたかった人が」

貴方が守る十二宮最後の宮のその先に、と言う言葉を瞬は呑み込んだ。
アテナを信じ、アテナを守るために存在する、その頂点の黄金聖闘士に対して安易な想像で言える言葉ではなかった。
けれど瞬自身その想像が的を外れているとも思っていない。
不確かな神よりも、ずっと近くで見て来た先輩である同胞に懸けたい、彼を信じたい、そんな想い。
信じたいと言う思い、信じると言う行為は瞬の生きる力でもあった。
矢張りアフロディーテは何も語らない。語らないけれど。

「・・・僕、貴方の事がもっと知りたい。貴方の考え方とか、信じてる事とか、好きな物とか、嫌いな物とか、紅茶の美味しい淹れ方だとか、そう言う他愛のない事もひっくるめて全部。知りたいんだ。貴方の目線に近付きたい」

突然身を乗り出して熱意の小宇宙さえも交えて喋る瞬の言葉に、流石のアフロディーテも少し驚いたように気圧された。
目をぱちぱちとさせて固まっている彼の姿を見て、瞬も自分のこもり過ぎた熱意に気付いたのか慌てて椅子に座りなおした。

「え・・・えっと・・・ごめん。でも、貴方の事を知りたいって気持ちは絶対嘘じゃないから!」
「・・・・私の事が知りたいなんて、」
「・・・え?」
「・・・そんな事言ったのは君が初めてかもしれないよ、アンドロメダ」

自嘲でもはぐからすような笑みでもない、緊張がほぐれるようなふわりとした笑みだった。
初めて見たアフロディーテの心からの楽の表情に、瞬は88聖闘士中随一の美しさを真に垣間見たような気がして、つられて笑むのを禁じ得なかった。

「瞬!!」

唐突に瞬はそう自分の名前を言うと、席から立ってアフロディーテの両手を取った。
そのあまりに急なスキンシップに、笑みは崩さないながらもアフロディーテは確実に狼狽えている。

「アンドロメダ、じゃなくて・・・瞬って呼んで!」

きらきらとした宝石のような幼い瞳が見詰めてくる。
純粋で可愛いながらも、それ故に何か逆らい切れないものを感じてアフロディーテは曖昧に口を開く。

「わ、わかった・・・、わかったから・・・・・・、瞬」
「うん!なに?」
「手を離してくれないと、君も私も紅茶が飲めないよ」
「・・・あ!そうだね、ごめんなさい」

ぱっと彼は即座に両手を解放する。
されど初めて彼の唇を通して空気を震わせた、自分の名前を紡ぐその音に、抑えきれない笑みが顔に漏れる。
たった一言名前を呼ばれただけでこんなにも嬉しげな表情をする瞬に対して、アフロディーテはかつての聖域で年下の黄金聖闘士達の面倒を見ていた時のような、懐かしい雰囲気をひとり感じていた。
弟がいたらきっとこんな感覚だろうとあの頃もそう思っていた。
神はいなかった。だがアフロディーテにとっては一番平和な記憶だった。

「あのね・・・もっと隣に座ってもいい?」
「・・・うん?ああ、構わないよ」

刹那の物思いに耽っていた所へ瞬が少し遠慮がちに、けれど期待に満ちた瞳で尋ねて来た。
やった、と言わんばかりの花の咲くような小宇宙を綻ばせて、瞬は向かい合うように腰掛けていた椅子とティーセットをアフロディーテの隣へ運ぶ。
何がそんなに機嫌を良くさせているんだろうと不思議にすら思って瞬の顔を見ていると、目が合う。
ほわっとした力の抜けた笑顔が返って来て、思わずこちらの口元も緩んでしまう。

「ところで、さっき話の続きに興味があるな。君達は城戸邸でどんな生活をしているんだい?」
「あっ!あのねー、面白いよ。星矢はわかるよね?星矢はさ、・・・」

どうやら予想以上に懐かれてしまったらしい13歳の後輩聖闘士は、澱みなく日常生活トークを始める。
話の内容もさる事ながら、夢中で話すその姿を眺めるのが何よりも面白い。
あのサガの反乱があってから、硝子が砕けるように心が散り散りになってしまった自分達12人。
もう二度と戻れないと思っていた宝石の日々は、今再び隣に在った。
まるで『以前からそうだったでしょう?』、と問いかけるように当たり前に。

いつものように紅茶と花が香っている。
彼がカップを置くたびにティーの中に咲く波紋を、ただただ愛おしげにアフロディーテは見ていた。




[fin.]


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