あの星に代わって


 女の子は変身するのが好きだ。いつの時代も玩具売り場を覗けば、キラキラと装飾されたステッキやコンパクトが並び、幼い瞳は憧れに輝く。かくいう私も、かつてはそんな女の子のひとりだった。
 アニメの中の彼女たちが変身するとき、どうせグローブで隠れてしまうのに、爪には色が塗られていく。自分のためだけにしたオシャレみたいで、それが好きだった。少しお姉さんのキャラクター達には唇が色づく演出がされているのが、大人の証のようでドキドキした。なにより、女の子も変身して大事な人のために戦えることを知った。可憐で強く優しい彼女達は、時が経っても私の憧れのままだ。

「ただいまー」

 振り落とすようにして脱いだパンプスを靴箱にしまった。わずか数センチのヒールだけど、普段フラットな靴しか履かない私のような人間からすると、朝から晩までこれで過ごすのは結構辛いものだ。靴擦れこそ起こさなかったけど、一日不安定な踵で体を支えた足はジンジンと疲労を訴えている。ジャケットを脱いでハンガーにかけ、寝室のクローゼットへとしまう。それだけで肩が軽くなって体の力が緩み、ふぅと深めのため息が出た。そういえばやけに静かだな。
 彼の方はお休みだったし、夕飯についての連絡もあったから家にいるはずだ。靴はあったから外出している訳でもなさそうだし、ベランダにでも出てるのかな。そう思いつつリビングのドアを開けると、見慣れた黒い部屋着がソファに転がっていた。

「……寝てる?」

 テレビをつけっぱなしのまま、上半身をソファに横たえて寝息を立てている。キッチンの様子からしてある程度夕飯の準備を整え、一息ついている間に眠ってしまったようだ。珍しいこともあるもんだと思ったけど、ここ最近の彼の様子からしたら無理もないと思う。独立したばかりの仕事を軌道に乗せるために、頑張っていたから。
 ぺたりと床に座って寝顔を眺める。じっと見つめるだけにするにはあまりに無防備な寝顔。相変わらずまつ毛が長くてちょっと憎らしい。衝動のままに頬を撫でると、程なくして瞼がゆっくり持ち上がった。

「ただいま」
「おかえり。ワリ、寝てた」
「ううん。忙しくしてたじゃん。疲れてるんだよ」

 頬を撫でていた手を取られる。まだ少し微睡の中にいるのか、掴んだ手に擦り寄るような仕草にぎゅうと心臓が鳴った。かわいいなんて言ったら怒られそうだけど、弱々しい仕草を見ると甘やかしたくなって、空いている方の手で頭を撫でる。髪の柔らかい手触りが心地いい。

「それもいいんだけどサ。こっちきて」

 伸びてきた両手が背中にまわり私を誘う。上手くソファに手をつく暇もなかったから、半ばのしかかるようになってしまった。重いかと聞けば「丁度いい」と言うけど、やっぱり少し気になる。自力で体を支えようと身動ぎしたら、阻止するように腕の力が強くなる。

「充電中だからちょっと待って」
「電池切れして寝てたの?」
「そ。なんでオマエは休みじゃねぇのって思ってた」
「んふふ。うん、私も休みたかったな」

 今日はとても大事な仕事があった。いわゆる勝負所ってやつで、履き慣れない靴もジャケットも、全ては気合いを入れて臨むための装備だ。メイクもいつもよりキリッとさせて、デキる女風にして挑んだ。その甲斐あって上手くいったけど、気を張っていたから疲れもある。だけど、そんなの些細なことだ。

「隆くん。頑張るの、もうちょっとゆっくりでもいいんだよ。私がいるんだし」

 夢に向かって走る彼が好きだ。家族に加えて私のことまで背負おうとして、頑張ってくれているのも分かっているし、応援するつもり。
 だけど、もっと私を頼ってほしい。もしも上手くいかなくても、それでいいよ。アニメみたいに音楽に合わせてカッコよくなんてできない。自分の手でメイクして着替える。そんな地味なやり方だけど、貴方を守れる私にいつでも変身できる。そのための原動力も貴方がくれる。頬に移ってしまったアイシャドウのきらめきも、そのうちのひとつだ。
 「ありがとな」と言って暫く私をきつく抱いた後、むくりと起き上がる。充電、完了したのかな。頬に薄く乗ったパールの粒子を拭う。

「アイシャドウついちゃったね」
「これ、俺があげたやつだよな?朝使ってるの見てた」

 私を思って贈られたパレットに並ぶ四色は、とてもベーシックな色だ。でも、私には空を飛べる妖精の粉くらい特別な物。黒一色のパッケージのそれが、私にとっての変身コンパクトだ。

「そう。もったいないから、大事な日につけてるの」
「大事な日ねぇ」

 不満気というか、納得していないように見えるのは、どういう気持ちからくる表情だろう。少し考えてみてもピンと来なくて悩んでいると、不意に目尻に人差し指が触れた。

「再来週くらいに落ち着くからどっかいこ。そん時もこれ付けて」
「やった!どこ行こうかなぁ。考えておくね」

 どんな時も私を忘れずにいてくれるから、少しくらい足が痛くてもしゃんと立っていられる。貴方にとっての私もそうでありたい。

「おいしい物食べるのもいいし、日帰り温泉とかもいいなぁ」
「どっちも一緒にできそうだけどな」
「確かに。どうしよ、楽しみだな」

 休めるならゆっくり休んでほしいと思いつつも、お出かけのお誘いは嬉しいもので胸が弾む。夕食の支度をしつつ、頭の中は再来週ことでいっぱいだった。
 お出かけには今日のアイシャドウと、少し前に買ったあのリップを塗ろう。柔らかいピンク色の、いかにも「デート用です」みたいな色の。可愛いと思って貰えるかな。そう思ってつい買っちゃったの。まだ一度も使っていないから、楽しみだな。

 ただ、好きな人に可愛いと思われたい。次のお休みはそのために着飾った、ただそれだけの私になって彼の隣を歩きたい。戦う可憐な乙女にも、休息とときめきが必要だ。



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