シュガープラムが踊りだす


 家に行きたいと言われたのは、お付き合いを初めて2回目のデートの後だった。家の中はキレイにしている方だから特別な片付けは必要なかったけど、落ち着かなさすぎて無駄にキッチンのシンクを磨いた。

 水曜の午後は講義をとっていない。というかそもそも講義数が少ないから、必然的に午前までになる。時間割が選べるわけじゃないらしいけど三ツ谷くんも同様で、講義終わりに待ち合わせて昼食をとった。ショーケースに並んだケーキが魅力的で、家路を辿る右手にはケーキ箱がぶら下がった。

「すげ、全部英語。読めんの?」
「一応は。でも古い作品だからそれなりに苦労するかな。講義で時代背景とか聞いて理解できることもあるし」
「へぇ、ちゃんと勉強してんだな。ちなみにどういう内容の話?」
「んー、200年前のイギリスの婚活事情みたいな話かな」
「めっちゃ面白そうじゃん」

 フロアクッションに腰を降ろして、今日の講義で題材としている洋書を興味深そうにめくっている。教授の板書を写したレジュメも見られて少し恥ずかしい。変なこと書いてたらどうしよう。
 面白そうというけど、正直三ツ谷くんが学んでいることのほうがだいぶ面白そうに思える。英文学科の1、2年でやることなんて簡単に言ったら「作者の気持ちを英語で考える」みたいな物で、それに比べると「技術のために学ぶ」のは実がありそうだ。

「専門のほうが実がありそうだけど」
「確かに技術は身につくけどそれしかやんねぇからさ。こういう一般的な知識の勉強もある程度必要だと思うワ」
「でも、文系なんてヌルいし。やりたいこと決めて学校行く方がすごいって思っちゃうなぁ」
「ナマエだって目標決めてンじゃん」
「それはそうだけど…」

 確かにそうだけどちょっと種類が違う気がする。三ツ谷くんの場合は『服飾の道で生きる』と腹をくくっているように見えるけど、私の場合は大学生ゆえの贅沢だ。それなりに労力をかけて掴み取ったし無駄にはしないつもりだけど、なかなかな道楽だと費用やらなんやらが突きつけてくる。
 しかもこんな素敵な人が好きになってくれたのに、ほったらかして行くつもりだなんて。ほんとにすごい贅沢だ。

「そろそろケーキ食べよ。コップ洗うね。コーヒーでいい?」

 離れなくちゃいけない時がくると思ったら急に悲しくなって、甘いものに逃げた。まだ出会って3ヶ月。恋人になって数週間。なのに不安に苛まれて、思っているより彼のことが好きらしい。
 1Kの狭いシンクで2つのカップを洗う。ひとり暮らし用に準備した食器なんて最低限だったから、先日マグカップだけひとつ買い足した。その方が見栄えがいいからと言い訳をして色違いを揃えたけど、いざ2つ並べたらやっぱり気恥ずかしい。これから別の食器が増えたりするのかな。

「あ、あー。袖が…」
「ハイハイ」

 洗剤を洗い流していたら適当に捲り上げた長袖がずり落ちてくる。濡らさないようにちょっとだけ摘んでまた捲ろうとしていたら、見かねて腰を上げた三ツ谷くんがずり落ちないように折ってくれた。歳の離れた妹さんがいるって聞いたけど、こんなふうに世話を焼いてたのかもしれない。
 丁寧に袖を折り上げ終えても彼が離れることはなく、その手にそのまま頬を撫でられる。恋人になってまだ日が浅い中で幾度かあったこのスキンシップが、手を繋ぐよりハグするより1番心臓に悪い。いつも眼差しに熱がある気がして。

「な、なに」
「さっきの顔可愛かったなって」
「さっきの?」
「今もカワイーけど」

 私を愛でる、その声が甘い。瞳も表情も全部。親指が頬を滑るたび、身体を砂糖でコーティングされていくみたいだ。ここにはいるのは2人だけ。これがどういう雰囲気なのか、察せないほど私も鈍くない。

「あの、まだ終わってないから」
「そうね」

 試みたぺらぺらの抵抗を簡単に突破して、ゆっくりと近づく距離にぎゅっと目を瞑る。吐息を感じて息が止まった。けれど予想していた感触はなくて、代わりに頬を軽く摘まれた。

「反応カワイすぎない?」

 ふにふにと痛くない程度に頬を弄られる。可笑しそうに笑われると、ウブな反応を晒したのを自覚して急に恥ずかしくなる。それと同時に気が抜けて身体の力も抜けた。

「びっくりした…」
「はは、ごめんな」

 するりと手が離れた手が頭をぽんとひと撫でして去っていったので、ふぅと深めの息を吐く。家にくるならそういうこともあるかもとは思ったけど、まだ心の準備が整っていなかったから助かった。ちょっと残念な気もするけど…。

 ドリップパックのコーヒーを入れたカップをふたつ、テーブルに置く。一緒に出したケーキ箱を開けると、途端に砂糖と果物の甘い匂いが漂いだした。

「どっちもいいなぁ。三ツ谷くんはどっちがいい?」

 艶やかなナパージュが施されたタルトと香ばしくキャラメリゼされたシブースト。どちらも魅力的で決め難い。ここはご意見を伺おうと視線を投げたが最後、顎に添えられた手に捕まる。重なるだけの可愛らしいキスだった。

「しないとは言ってねぇけど」

 悪戯に笑う、その視線を向けられるとやっぱり身体中砂糖漬けにされてくみたいだ。甘い物ばっかり食べたらダメだって知ってるけど、でも、いいのかな、こんなの。

「あんまりわかんなかったから」
「それは困るな」

 拙いおねだりを受け入れて、もう一度触れてくれる。そうして「可愛い」と甘やかすから、私だけが浮かれたまま戻れなくなりそう。縋り付くように三ツ谷くんのスウェットを握ったら彼の手がそっと重なる。熱くて大きな手だった。



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