履行済みの犯行予告


 扉の外とは対照的に、間接照明に照らされたここは静かで一息つける。よくある香りのハンドソープの泡を洗い流しながら短いため息をついた。お手洗いの鏡には少し疲れた顔がうつっていて、合コンの誘いにのった時の自分を少々恨んだ。

 大学生活も2年目。成人もして堂々と飲めるようになったし、一回くらい合コンを体験してみたい。そう思って参加したけれどあまり楽しめていない。男性陣はどうにか盛り上げようとしてくれてるけど、こっちは気を遣ってしまって辛いし、多分私とは波長があってない。
 お店も多少洒落っ気を出しているとはいえ、大学生が利用する手頃な居酒屋の食事やお酒は不味くはないけど美味しくもない。本当に、ものすごく失礼だけど、正直早く帰りたかった。
 幸い席は2時間制。あと1時間ほどでお開きだし終わったらすぐに帰ろう。気分をあげるため、ポーチから奮発して買った口紅を取り出して唇に滑らせる。

(三ツ谷くんに会いたいな…)

 胸をよぎった言葉にぎくりとして手が止まった。一度浮かんだその言葉は少しずつ輪郭を持ち出してはっきりした形を持っていくから、見つめあった鏡の中の自分が戸惑っている。口紅、こんな色だったっけ。
 扉の向こうから聞こえた咳払いで我に返かえった。中途半端に塗られた唇を完成させて、急いでトイレから出る。席に戻ってもさっきの言葉がこびりついて離れなかった。
 思わぬところで突きつけられた恋心を抱えて過ごした1時間のことは、あまり覚えていない。



「合コン行ったんだって?」

 徳利を掴む手が一瞬震えて、危うく注いでいたお酒をお猪口からこぼしそうになった。三ツ谷くんはというとテーブルを挟んだ向こうで「これうまいな」と呟いて銘柄を確認している。

「一回くらい行ってみたくて、誘われたから」
「なるほどね」

 ひとつも悪いことをしていないのになんだか言い訳のようになってしまうのは、今までとは違う気持ちを彼に抱いているからだろうか。並々注いでしまったお猪口からこぼれないように日本酒をすする。確かに飲みやすくておいしい。

 合コンに行った話が伝わったのは共通の知人からだろう。三ツ谷くんとは3ヶ月ほど前、担当の美容師さんを介して出会った。ポートフォリオの作成にあたってモデルを探していた彼が誰かいないかと彼女に相談し、サロンモデルをしていた私に声がかかった。美容室のホームページに掲載された写真から決めたと聞いた時は「実物は違った」みたいな事態になると心配していたけどそんなこともなく、協力を依頼をされたので快く了承した。
 それから打合せ、撮影と顔を合わせているうち、趣味やお酒や食の好みなんかがよく似ていることがわかって、ちょこちょこお互いの興味を満たす場所へ出かけてきた。ここみたいな日本酒を多く取り揃えた居酒屋とか。

 一緒にいて無理してる感じもないし、ちょっと無言になっても気まずくない。趣味の合ういい友達ができたな。とか思っていたのに別の気持ちを自覚してしまった。

「でもつまんなくて。好きなタイプ聞かれた時『オーランド・ブルームです』とか言っちゃった」
「ヤベーやる気ねー」

 思いのほかウケたので合コンでのエピソード(主に辛かったやつ)を披露する。言えばいうほど適当に過ごしていたことを再確認して少し反省した。二次会断ったし、また機会があってももう誘われないんだろうな。

「てかナマエちゃん、彼氏ほしいの?」

 投げかけれれた疑問を反芻する。確かに「彼氏がほしいからまた誘われたいけど無理そう」みたいに聞こえたかもしれない。実際体験してみて合コンはもういいし、どうにかしてでも彼氏がほしいこともない。

「いいなと思う人に好きになってもらえれば、そうなりたいかなぁ…」

 その『いいなと思う人』がまさに目の前にいるけど、もし同じ気持ちになれるなら恋人になりたい…と、思う。同時に彼は引く手数多だろうし、望みは薄そうだなぁとも思う。「彼女できた」とか言われて疎遠になる未来を想像して勝手に落ち込んだ。
 ふぅん、とだけこぼして三ツ谷くんはお猪口の中の残りをあおる。同じようにお酒をあおって、そうして訪れた沈黙の居心地が悪い。なんとかしたくて次のお酒を選ぼうとメニューに伸ばした手を制された。

「俺のことは?」
「へっ?」
「どう思ってんの」

 一瞬で酔いが引いた。その癖頭はうまく回らなくて言葉につまる。喉を潤わせようとお猪口を覗いても空っぽで、逃げ道がないことを悟る。

「…趣味があうなって」
「それだけ?」

 追い討ちをかけられていよいよ黙ってしまう。空のお猪口を握ったまま、口を開いても言葉は喉元で詰まったまま音にならない。というかこんなの「それだけじゃないです」って言ってるようなものじゃないか?賢しい彼にはバレている気がする。

「俺は最初からカワイイと思ってたし、会ってみたら居心地いいし趣味も合うし、もっと会いてぇなって思って」
「え、」
「俺の誘い断んねぇし、いい感じかなと思ったのに合コンいくし。つまんなかったみたいで安心したけど」
「あの…」
「俺はナマエちゃんと付き合いたいんだけど」

 まさか合コンの話からこんなことになるなんて、急展開に頭の処理が追いつかない。付き合いたいって、言われた…本当に?聞き間違いじゃなくて?

「…ごめん、酔った勢いで言うモンじゃねぇよな」

 狼狽えている私を気遣ってか、三ツ谷くんは何か頼んで仕切り直そうとメニューを手に取った。緊張していた空気が解けて、私も少し落ち着きを取り戻す。そうだ、濁り酒の炭酸割飲みたかったんだった。飲み物は注文してすぐに席まで届けられ、仕切り直しだからと乾杯をした。濁り酒は甘くて炭酸は爽やかだった。

「さっきのさ」

 お酒に舌鼓を打ったのも束の間、さっきの、と聞いて肩が小さくはねた。仕切り直しはしたけど、逃してくれる気はさらさらないらしい。藤色の目が強気に光る。

「シラフの時にもっかい言うから、返事考えといて」

 突きつけられた予告を抱えて過ごした2週間のことは、あまりよく覚えていない。三ツ谷くんのこと以外は。


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