南風


 のぼりたての太陽とうっすらとした月をたずさえて、早朝の空は透明なほどに晴れていた。土曜6時の住宅街はまだ目を覚ますには早く、吸い込む空気は冷たくとも新鮮で心地よく俺の肺を満たす。
 
「朝はもう冬だね」
「なにその意味不明な発言」
「季節のグラデーションを感じてるの」

 わざわざ落ち葉の上を歩きながら「耳からも季節を感じよう」とかなんとか言って無駄に足踏みしてカサカサ音を立てている、その後ろ姿が幼い頃の妹達と重なって微笑ましい。口をついた「転ぶぞ」はからかうような響きになって、俺の両手はポケットに突っ込まれたままになった。

 今朝はナマエが身支度をする気配で目が覚めた。上着を着て小さめのショルダーバッグを持って、明らかに今から外出するという出立ちのナマエは俺を起こしてしまって申し訳なさそうにしていたけど、よくある話だった。
 朝方人間の彼女はアラームをかけずとも早朝に目を覚ますことがある。目覚めもいいのでその後は眠れないらしく、休日に目が覚めた時に天気がよければそのまま外の空気を吸いにいくことが多い。一緒に寝たのに目が覚めたらいつのまにか出ていかれて、スマホにメッセージが残っている。なんてことも数回あったけど、アレはちょっと寂しい。そんな感じで俺も早朝の散歩と洒落込むことが多くなった。

 だいたいの散歩コースは決まっているからそれをなぞる。家から出たら通り沿いに歩いて個人経営のカフェの角を曲がる。川沿いをしばらくいった先の公園のベンチで一休みして来た道を戻る。取り留めなく言葉をかわしているうち、折り返し地点の公園に到着した。

 自販機でカフェオレをふたつ買っていつものベンチに腰を下ろす。冷えた手を温めるようにすり合わせているので、蓋をあけてから渡してやると嬉しそうに目尻が下がる。そんなに嬉しいならこれくらいいくらでもやってやる、と思う俺は大概チョロい。

「寝てなくてよかったの?」

 カフェオレを一口飲んだナマエが目覚めた時と同じ申し訳なさそうな顔をするのは、ここ最近の俺の忙しさが原因だと思う。服飾の道で生きることを決め希望通りの仕事をしているが、これがまぁまぁ忙しい。時期によっては職場に泊まりこむほどになる。
 ここ数週間そんな調子だったのがやっと落ち着いたので、昨日は仕事を早めに切り上げてナマエの家に転がり込んだ。

「慣れたしいいよ」
「でも、忙しそうだったから」
「ナマエと散歩すんの好きだからいーの」

 メシ食って映画見て同じベッドで眠って、朝の静けさを楽しむ。ふたりで。仕事で使い切った身体の隅々がそれだけで満たされるのを、多分ナマエは知らない。身体を気遣ってくれるのも嬉しいけど、俺はこっちがいい。
 むずかしい顔をしていた顔が綻んだから、申し訳なさも少しは解消されたんだと思う。昔から気持ちが表情に出やすい。

「いいのかなって、思うんだけど」
「うん?」
「あー、うーん…」

 何やら唸りながら両手に握ったペットボトルを落ち着かない様子でいじる。言いたいことがあるけど言いづらい時にナマエがやる仕草だ。言葉をまってやると決心したように短く息を吐いたあと、肩にその小さな頭を預けてくる。

「隆くんと一緒にいる時間長くなる気がするから、私もこの時間好きなんだ」

 さも重大な何かを打ち明けるように言うから口元が緩んでしまう。なにそれ、そんなのいくらでも言ってほしいんだけど。

 俺が仕事に忙殺されてるとき、ろくに構えなくても文句も言わず待っていてくれる。俺が自分で決めた道を進むのを見守ってくれる。甘えているようだけど、そういうところが好きだ。
 でも、たまにこうやって俺を頼って本音を伝えてくるのがたまらなく愛おしいと思う。そんなカワイイこと思ってるならいくらでも早起きしてやる。そう思う俺はやっぱりチョロい。でもナマエに甘い自分が嫌いじゃない。
 俺を案ずる気持ちと少しでも長く一緒にいたい気持ち。そのどちらも俺のためのものなら残さず受け取りたい。ナマエが俺だけにくれるもので身体をいっぱいにしたい。俺の心のうちを知ってか知らずか、どちらも惜しみなく明け渡してくれるナマエをもっと甘やかしたい。心のまま預けられた頭をぽんと撫でたら、満足そうに笑った。 
「あったかくなったら遠出しようぜ」
「したい!どうしよ、温泉とか?」

 あそこに行きたいここにも行きたいと指折り数える間に、太陽は高くなりベンチの日当たりもよくなる。カフェオレを飲み終わる頃には少しずつ眠気がよみがえってきて、同じタイミングであくびがでるのでおかしくて笑った。

「眠いかも」
「俺も」
「じゃあ、帰って二度寝しよ」

 眠くて立てないとワガママを言うから手を取って立ち上がらせて、そのまま一緒にポケットに突っ込む。やっぱり、ナマエは俺の欲しいものをくれる。
 でも俺は欲張りだからもっと欲しくなる。まず手はじめに目覚めはじめた街を抜けて、ナマエを抱きしめて眠ろう。

「起きたらこの前のサメ映画の続編見ようよ」
「あのしょーもねぇやつ?」
「真面目なのも見よ。コックさんが生き残るやつ」
「ネタバレすんなよ」

 木枯らしに吹かれた身体を温め合うように、ベッドの中で身を寄せ合う。まどろみの中で受けた気の抜けるリクエストを頭の片隅において、俺はもっと未来のことに思いを馳せた。

 まぁなんだって叶えてやるよ。お前のためなら。



(レミオロメン/南風)



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