真綿の金魚

三ツ谷とセフレの女の子の、とある夏の夜




「花火しようよ」

 夏らしい身軽な服装に身を包んだナマエは、玄関で顔を合わせるなりビニール袋を掲げてへらりと笑った。予想外の提案に面食らっていると、「バケツってある?」と蝉の声を背負ったナマエが続ける。オレが提案に乗ることはもう決定事項らしい。急な連絡を受けて軽く部屋を片付けたのに、バケツを探す少しの間ですら彼女が敷居を跨ぐことはなかった。

「で、どこですんの、コレ」

 玄関のドアに鍵をかけてナマエの人差し指に支えられたビニール袋を軽くつつく。空いている右手は鍵の具合を確かめるように、玄関のドアレバーを数度下げていた。

「近くの公園。問い合わせたら大丈夫って言ってた」
「わざわざ問い合わせてんだ」
「だって、ダメなとこでやったらダメでしょ」

 そこまでして花火をしたかったのか。オレのところに来たのも、ただ単にこの家から近い公園なら許可されているからかもしれない。そんな想いをよそに、オレの手にぶら下げたバケツをするりと伸ばされた指が引っ張り、早く行こうと急かす。バケツの半径分離れた先には、もう何度も触れ合った指先が控えめに引っかかっていた。
 月に二度ほどナマエを家に迎えて身体を重ね、翌日の昼前に家を出る彼女を見送る。ナマエに再会した半年前からこんな関係が続いていた。専門学生だった当時は気持ちがありつつも、付き合うことはなかった彼女と卒業から一年ぶりに再会し、その日に一夜を共にする。というベタな始まり方をし、関係をはっきりできずにズルズルとこんなことをしている。今だって側から見たら恋人が連れ立って歩いているように見えているだろうが、実際は身体でしか繋がっていない。そのくせセックス以外では手を繋ぐこともない、歪な関係だ。

「風がいい感じだね」
「そうだな」
「あ、自販機ある。飲み物買おっと」

 夏の夜の中、ナマエの気ままな足取りに合わせて歩く。そのリズムに合わせたようなとりとめのない会話はいつも通りなのに、二人で家の外に出るのは久しぶりで少しぎこちなくなる。てっきりナマエはオレと出かける気はないのかと思っていたから、思わぬ誘いに浮ついていた。その一方で頑なに家へ踏み入ろうとしなかったことが細やかな不安となり、浮かれた心を撃ち落とそうと狙っている。今夜、このまま逃げ切れるだろうか。
 片道十分程度の道をそれ以上の時間をかけてようやく公園に辿り着けば、ぽっかりと浮かんだポールライトが奥行きを増した闇を照らしていた。間延びした灯りを頼りに進み、開けた草はらにバケツを下ろす。時折吹く風が闇に残った熱を払うたび、汗ばんだ肌が冷やされていく。

「蚊がいそう。この服失敗かも」

 さっきから足踏みを繰り返しているから何かと思ったが、蚊に食われないようにしているらしい。シンとした公園ではスニーカーが草を踏みつける音ですら耳に届く。

「虫除けスプレー持ってるけど」
「え、すごい。さすが三ツ谷くん」

 出がけに目についたからバケツに突っ込んでおいたのが役に立つとは思わなかった。スプレー缶を手渡そうとするが、受け取る代わりに「よろしく」と微笑む。これはやってくれという意味だ。やれやれと腰を下ろし、スプレー缶のボタンを押し込んで剥き出しの肌にムラのないように吹き付けていく。
 ショートパンツから惜しみなくさらけ出された脚は夜に浮き上がるように白い。その柔らかな内側の方、短いデニムの裾で隠れている場所に生まれつきのアザがあるのを知っている。それどころかナマエの身体の奥まで知っているのに、ここから先に踏み込むことができない。浮雲のような彼女の心に手を伸ばしたら、身体ごと逃げていってしまうような気がする。

「はい、オッケー」
「ありがとう」

 なのに無防備に寄ってきては隙を晒し、甘えて嬉しそうにする。そのくせ心の内には霞をかけられて見えてこないのが憎らしい。オレの葛藤をよそに、ナマエは地面にひいたビニール袋に花火を広げて「線香花火は最後だよ」と無邪気に笑う。いつもこうだ。

「バラ売り?珍しいな」
「テレビで花火の問屋があるの見て、いいなぁって思って買いに行ったの」
「ひとりで?」
「うん。浅草橋にあるんだよ」

 着火用の蝋燭にライターで火を灯すとナマエの瞳もユラユラ揺れた。あの頃から好奇心をくすぐる物には一直線だったように思う。一見危なっかしくフラフラしているように見えて実のところそうではなく、ナマエ自身の意志に忠実なだけだ。安易に手招きしたところでこっちには来ちゃくれない。そんな場面をいくつも見てきた。
 そんな彼女自らオレのところへやってきて、屈託のない笑顔でたわいないことを語ってくれる。時には助けさえ求めてくる事に、密かに優越感を感じていた。今となってはその優越感が枷になっているわけだが。

「最初これね」
「選ばせてくんねェの」
「私のお金で買ったから、選ぶの私」
「ハイハイ」

 火薬を包む青と銀のストライプはキャンディの包みに似ている。二人して先端の薄紙へと火を移すと、オレの花火から一拍遅れてナマエの手元からも光が吹き出した。ひとつ終わるごとにナマエの選んだ花火が手渡され、火をつけたそばから光の粒になって溶けるように消えていく。

「いいな、これもキレイ」
「さっきからそればっかだな」
「だってキレイだから」

 パチパチと音をたてて弾けた火花が、ナマエの少女のような表情を照らし出しては草はらの影に沈んでいく。その全てを見送った後も、光の筋が目に焼き付いて離れなかった。
「夏の思い出作れちゃったなぁ」

 燃え尽きた花火を水を張ったバケツに差し込んで目尻を下げる。満足気だが、どこか切な気にも見えた。

「線香花火まだだろ。やんねェの?」
「やるよ。メインだからね」

 高級感のある紙箱をスライドして開き、取り出した一本を手渡される。よく見る配色の物だが国産のちょっと良いものらしく、「せっかくだから」とナマエが奮発したそうだ。オレの分は適当に選んだくせに、何やら慎重に自分の分を吟味している。違いなんて分からないだろうに。

「勝負すっか?」
「もちろん。ズルなしだよ」
「しそうなのお前だけどな」
「しないよ!せーので火つけるからね」

 蝋燭の前に膝を並べると、黒々としたまつ毛に飾られた黒目が目配せをした後、揺れる灯火へ落ちる。

「いくよ?せーの」

 ナマエの囁くような合図に合わせ、火はほぼ同時についた。シュワシュワと独特の音を立てて噴き出した火花はやがて激しくなり、その形を変えていく。二つ並んだ線香花火を眺める中で、ふと盗み見たナマエの横顔がやけに真剣でどきりとした。校内のオープンスペースでひとり黙々と課題に取り組んでいたときの、何者も彼女の世界に踏み入らせないような、あの横顔。氷の彫刻の様に脆くて硬く、寒気のする様な美しさに心臓がぞわりとする。その拍子に摘んだ軸の先で小さな火球が落下していった。ナマエの方は火花を散らし続け、数秒かけて静かに燃え尽きていく。それを見届けてやっと勝ちを宣言した。

「はー、勝った」
「すげェ真剣だったな」
「勝ちたかったから。ね、勝者からのお願い、してもいい?」
「内容によるけどいいよ」

 ナマエの指が火が消えた線香花火の軸を大切そうに撫でる。一度ゆっくりと瞬きした後に口に出された願いは、甘くて尖った金平糖のように転がった。

「三ツ谷くんの、彼女になりたい」

 彼女がどんな顔をしていたのか。火花の残像に阻まれてよくわからなかった。

「三ツ谷くんの、彼女になりたい」

 小さな唇はそれ以上の言葉を響かすことなく、ぴったりと閉じられていた。灯りもないのにチラチラと光る水気の多い瞳は眼差しを切らさず、オレの内側を弄るように入り込んでくる。こんなにじっと視線を結んで、その先は隠すことなく開かれているのに、ナマエの深い瞳の奥は覗き込むことができない。それがオレの動揺を誘って、数秒の間押し黙ってしまう。遠くの虫の声が聞こえはじめた頃、ナマエの唇の封が切られた。

「ごめん、変なこと言った」

 丸い瞳がきゅっと細まる。動物を愛でるような邪気のない笑みは、一体彼女のどの感情を乗せているのか。探ろうにも送られていた眼差しが途切れ、その手立てを失ってしまう。どこに視線をやっていいかわからず、くるくるとナマエの指先で転がる線香花火を見つめてみるが、程なくしてバケツへ放り込まれてしまった。花弁のようにやさしく撫でていた、あの手つきとは似ても似つかぬ乱雑さだった。

「アイス買ってほしいな。いいよね?」
「、おう」
「じゃあ行こ。どっかで水捨てたいね」

 折っていた膝を伸ばしてやおら立ち上がるナマエを追う。ついでにひょいと持ち上げていたバケツは百円やそこらの簡易なものだが、細い手首は水を張ったそれを支えるには心許ない。代わりに持つことを申し出たが、「アイスがいいから」と交わされてしまった。別にどちらかを選ぶようなことじゃない。こんな勝負しなくても、いつだってどっちも叶えてやるのに、彼女はそれを望んではこない。望まないものは、いらないもの。ナマエはたぶん、そういう人だ。
 花火の残骸が突き出したバケツは、その重さで少しばかりナマエを振り回しているように見えた。腕の先で振り子のように揺れるたび、燃えカスの浮いた水をこぼしてしまうのではないかと心配になる。そうなれば奪い取ってやろうと思ったが、何事もなく水道の脇に降ろし、ふやけはじめた花火の残骸をビニール袋へ移し替えていく。「捨てれば?」と広げられた袋へ手にしたままだった線香花火を捨てたが、ゴミにするのがなんだか忍びなかった。

「よし、オッケー。バケツありがと」

 返す前に洗い流した後、わざわざ取手の水滴をハンカチで拭き取っていたのが彼女らしい。気ままで自由。だけど、細かなところで変に気を使う。花火のゴミを詰めたビニール袋を当たり前の様に持ち帰ろうとしているところも、彼女らしいと思う。

「オレ捨てるし、それチョーダイ」
「いいよ。私が持ってきたし」
「いいからよこせよ」
「うーん。じゃあ代わりにこれ、もらって」

 差し出されたのは残りの線香花火だった。「奮発したの」とか言っていたのに、ゴミの代わりに手放すのは惜しくないのか。受け取るのを渋るが、ハーフパンツのポケットに突っ込まれてしまった。

「付き合ってくれたお礼。残りは誰かと楽しんで」
「また一緒にやればいいだろ」
「ううん、もう十分。楽しかった」

 あまり強く感情を表現することのないナマエが歯を覗かせて笑うのは珍しい。いや、学生時代はよく見ていた様な気がする。打ち上げの飲み会や、学校から駅までの帰り道。そのまま素材を求めて日暮里まで足を伸ばしたこともあった。一見すると生活感のない彼女が案外俗っぽいことを好み、楽しんでいる。そういう時の人間らしくて柔らかな笑顔が好きだった。
 思えばうちに来る時も映画を見ようとか漫才の大会を見ようとか、何かしらのイベントを持ち込んでいた。ナマエの誕生日が近くなった頃は、職場の男にもらったという小さなホールケーキを携えてやってきたこともある。ソイツにも多少の下心があっただろうに、目当ての女は男とケーキを分け合い、その身体を抱かれているなんて知るよしもなかっただろう。気の毒で愉悦でもあった一方で、オレが買うことを迷ったシンプルなショートケーキを渡せてしまえることが羨ましかった。
 公園を抜け、歩道を等間隔に照らす街灯を辿りながら住宅街を行く。知らない道だが、あてどなく思えるナマエの足取りにはいつも明らかな意志がある。やがて現れた自販機で葡萄味のシャーベットを買ってやると、嬉しそうに齧り付いていた。

「夏はさ、短いじゃん。だから花火はやっておきたかったんだよね」
「他には?夏は花火だけじゃねェだろ」

 オレが今以上の事を望み、与えようとしたら、ナマエは受け入れてくれるだろうか。誰かをいなす時の曖昧な笑みを残して、オレの元から去ってしまうだろうか。

「んー、アイス?」
「んなもん一年中食えるだろ」
「花火もいつでもできるよ?でも、やっぱり夏がいいじゃん。今日はふたつ達成しちゃった」

 アイス買って、バケツ持って。明らかに戯れなそれと並列に並べられた、『恋人になりたい』という願い。オレが戸惑っている間に、ナマエが早々に取り下げたその願いの行方の事ばかりを思う。こんなことならアイスを食べている間に切り出せばいい。誕生日にケーキひとつ贈るのを迷うような、こんな爛れた関係を続けるくらいなら、確かめたほうが。そう思うのにナマエが線香花火を捨てた、あの仕草が踏み出すことを躊躇させる。戯れ以上の願いだったとしても、あの瞬間に手放されてしまったようで。
 濃い紫のシャーベットは順調にナマエの中へ消えていく。ナマエと過ごす短い夏がまたひとつ消化されて、ビニール袋の中でゴミになる。オレ達が恋人同士だったら、「冷えちゃった」と笑う唇の冷たさを確かめるのに。

「刺されてるかも。なんか痒い」

 頭の後ろで無造作にまとめた毛束を退けて、首の付け根あたりを紅く塗られた爪が引っ掻く。

「あー、やられてんな」
「やだなぁ。跡になりやすいんだよね」

 できたばかりの虫刺されの少し下。緩く開いた襟ぐりから少しだけ見えるところに、オレの願いが刻まれている。先週、気付かれないようにつけた痕は消えかかっていた。



 家の中は外気で温く暖めてられていた。温度は低いが、風がある分外の方が快適だったかもしれない。エアコンを付けてベッドの上に身を投げると、安物のコイルがぎしりと鳴った。
 結局、ナマエエはうちへ来ることなく帰って行った。本気で花火をしに来ただけだったのか、気が変わったのかはわからない。持ち物の少なさからして前者の様な気がする。
 ナマエはいつも何も置いていかない。歯ブラシや化粧水、寝巻きですら毎回持ってくるし、情事で乱したシーツすら綺麗に直して行く。彼女が帰ってしまうと、残るものはオレが勝手にナマエ用にしているコップとベッドの残り香くらいだ。一度、面倒だろうから置いていけばいいと提案したが、「そんなの悪いよ」と断られてしまった。ポケットに刺さったままの線香花火を取り出す。これがこの部屋で唯一のナマエの物だ。
 手の中に収まる箱に選ばれなかった線香花火が並ぶ。小さな箱の中に身を寄せ合って、ヒソヒソとオレを責めている。それがナマエの本心のように思えて後悔と罪悪感が湧き上がった。慎重に勝負に使う花火を選んでいたのも、彼女なりの意味があったのかもしれない。だとすれば、オレは大変な失敗をしていることになる。
 花火の箱を机に置き、代わりにスマートフォンを手に取る。数件のメッセージの中に、ナマエから今日のお礼の言葉が届いていた。次はメシでも行こうと返すと、数分後にスタンプだけが届く。いつもの通りのそれに、少しばかり安堵した。それに、いつか何かの理由をつけて手渡した合鍵を彼女は持ったままだ。いつも持ち歩いているキーケースに仕舞われたそれを返されなかったことが、ナマエの意思表示だと言い聞かせる。
 半年経ってもナマエの本心は見えない。でも、このままではいられない。この関係から踏み出さなくては。
 何度目か分からない決心を、机上の線香花火が笑っていた。

 小さな頃の私はドールハウスに夢中だった。誕生日に贈られた赤い屋根のそれを幼い私はいたく気に入り、記憶はないが母が良かれと思って家具の位置を変えた時は泣いて怒ったらしい。少女だった私の世界はこの小さな家に詰め込まれていた。
 成長すると、私は世界をドールハウスの外に広げたくなった。衣服へと興味が向いたのはパッチワークを趣味にしていた祖母の影響だと思う。丈の長さ、色や形、肌触り。思い描いた通りにならない事ばかりでもとにかく楽しくて、この道で生きていくんだと漠然と確信した私は、なんの迷いもなく服飾の専門学校へ進学した。教室には志を同じくした学友が集う。三ツ谷くんはその中のひとりだった。
 生活を共にしていけば自然とクラスの仲間とも親しくなる。課題を提出した後で飲みに行ったりもした。解放感に溢れた賑やかな場を仲間たちと楽しむ。学生らしくて大切な思い出だ。でも、一番好きだったのは盛り上がりから少し離れた端の方で、三ツ谷くんとゆっくり話をする時間だった。彼の穏やかさがそうさせるのか、それとも波長が合うとかそういう事なのか。わからないけれど、彼のとなりは心地よかった。何か決定的なきっかけがあった訳じゃない。学友として時間を共有するうちに、私は三ツ谷くんに惹かれていった。
 自分の世界を触られたくない、誰のものにもしたくない。子供の頃からそんなふうに思っていたのに、私は三ツ谷くんのものになりたくなっていた。
 一方で叶わない想いだろうという諦めもあった。三ツ谷くんを慕う人も想う人も沢山いたけど、彼はその大きな器に誰の事も受け入れていたように思う。どれだけ仲良くしていても、私もその懐に受け入れられた誰かうちの一人だという思いは消えなかった。彼の人生のある時代に登場し、ちょっと仲良くなったとある人物。私はそのくらいの人間だったと思う。その証拠に私たちは「仲良しの男女」の距離を保ったまま、学舎を巣立つことになった。
 そんな「登場人物A」だった私に明確な名前が付くような気がして、再会したあの日に一夜を共にした。手放したつもりで燻っていた想いは三ツ谷隆という酸素に触れて燃えあがり、舞い上がった私はその想いに舵取りを任せることにしたのだ。そして吹き荒ぶビル風が生ぬるい夜風に変わる頃には、私たちには爛れた絆が結ばれてしまっていた。
 会うのは三ツ谷くんの家、触れ合うのは情事の間だけ、翌日の午前中には帰る。それ以上を望んでいいか分からないまま繰り返しているうち、これが彼と私に交わされた契約なんだと思うようになった。こんな関係やめた方がいい、正直な気持ちを伝えた方がいい。分かっているのに、舵を取る恋心は無謀な航海を続けた。「今以上を望んだら、きっと終わっちゃうよ」。恋心という悪魔はそう囁いて、歩み出そうとする私を宥め続けた。
 逢瀬を重ねる度、契約は私をより強く縛っていく。苦しい。もういい加減、ここから抜け出したい。悪魔に握られたままの舵を取り返すために、私は自分におまじないをかけた。少年が決まった色のブロックの上だけを歩いていくような、そんな子供じみたおまじないだった。

「花火しようよ」

 まずはこの家の外に出たかった。口実に花火を選んだのは花火問屋に行った直後だったというのもあるけど、それだけじゃなくて単純に夏らしい思い出を三ツ谷くんと作りたかった。だって、今日が最後の日かもしれない。誘いは受け入れられて、私はおまじないの手順のひとつ目を無事に達成した。

「風がいい感じだね」
「そうだな」

 そんなとりとめのない会話をしながら連れ立って夜を行く。夏の夜風は私を浮き足立たせようとするから、地に足をつけて歩くのに必死だった。わざと三ツ谷くんが手にしたバケツを引っ張ったり、自販機に立ち寄ったりしてマイペースに振る舞う。そうしないと夏の夜の空気にあてられて、手を繋ぐとか、そういう恋人がするような仕草をしてしまいそうだった。
 違う。夜風のせいにしたけど、いつもそうだった。手を繋いで歩いたり、ひっついて甘えてみたり、ただ愛の元に触れ合ったりしたい。「虫除けスプレー、やってほしいな」なんて、そんなくだらないお願いを度々してしまうのは、私にも許されるおねだりをして自分を諌めているのかもしれない。自分自身の手綱を取るのは、どうしてこんなに難しいんだろう。

「最初これね」
「選ばせてくんねェの」
「私のお金で買ったから、選ぶの私」
「ハイハイ」

 広げた花火のひとつを手渡して一緒に火をつける。同じ色のブロックだけを踏んで行くように、順番の通りに、ひとつずつ。その度に確かめるようにキレイだと言う私を、三ツ谷くんは優しく笑ってくれる。幼い子のわがままを許すような、彼のこの笑顔がずっと好きだった。
 小さなバケツは燃え尽きた祈りの残骸で埋まっていく。私が数百円やそこらの、たった数秒で消える玩具に願いの行方を託しているなんて、三ツ谷くんはきっと想像もしていない。もし知ったらどう思うんだろう。面倒とか気持ち悪いとか、そんなふうに思われちゃうかな。それとも、「バカだな」ってさっきみたいに笑ってくれる?これからそれを確かめなくては。

「線香花火まだだろ。やんねェの?」
「やるよ。メインだからね」

 せっかく専門店に来たからと奮発した線香花火は整然と箱の中に並び、そわそわしながら出番を待っている。少女が花占いをする時ように、願いを託す線香花火を選んだ。せーのでタイミングを合わせるとほぼ同時に火がついて、闇に閃いた二つの小さな光が私たちを照らし出す。手の先で今にも落下しそうな火球を守るようにそっと軸を支えた。
 私のことを好きになってほしい。三ツ谷くんのたったひとりになりたい。でも、叶わないならしょうがない。そしたらちゃんと諦めるから、伝えるだけの勇気がほしい。
 いくつかの願いをのせた火球は、その重みのせいかふるふると小刻みに震え続ける。視界の端で三ツ谷くんの線香花火が消えたのが見えたけど、あともう少し、燃え尽きるまで大切にしたい。息を潜めたまま最後まで見届けて、私の子供じみたおまじないは完成した。光の残像の向こうで三ツ谷くんが勝者のお願いを待っている。だから大丈夫だと言い聞かせながら、願いを支えていた線香花火の軸を撫でた。

「三ツ谷くんの、彼女になりたい」

 線香花火に託した願いのうち、叶うのはどれだろう。



 最寄駅の改札を出る前に、目についたゴミ箱にビニール袋を突っ込んだ。よくない事だけど、ぐちゃぐちゃになった燃えカスやアイスの棒を見ているとだんだん悲しくなってきて、早く捨ててしまわないと泣いてしまいそうだった。なのに、ちょっと悪いことをして悲しみを晴らそうとした自分の愚かさに、結局少し泣きそうになる。余計なことなんてしなきゃいいのに。
 『恋人になりたい』。ようやく言葉にした本心に、三ツ谷くんは分かりやすく戸惑っていた。じっと見つめているうちに彼の戸惑いが腑に落ちる。今以上の関係の私は三ツ谷くんの世界には必要ない。そういうことだ。今までもそうだった。好きになった時からずっと。私が勝手に期待して、苦しくなって、彼との契約を放棄しただけ。いつか来る時が今日来ただけ。たったのそれだけだ。私だって欲しいものしか欲しくない。それと同じ。
 帰宅してすぐベッドに転がる。「自分から好きになるとうまくいかない」といつか友人が嘆いていたけれど、あれって本当なんだなぁ。と返し忘れていた合鍵を見て他人事みたいに思う。きっかけも碌に覚えていないし、渡された事に特別な意味なんてやっぱりなかった。返しにいかなくちゃと思う片隅で、私に舵を取り返された恋心が「返したくない」と駄々をこねる。私を振り回す悪魔みたいに見えていたけれど、今は欲しい物を買ってもらえないことは理解しつつ、意地になって売り場を動かない子供みたいな弱い存在に思えた。

 悲しいね。でも、返さないと。わかるよね?

 ぐずる恋心を宥めながら、花火が照らした三ツ谷くんの優しい顔を思い出す。そういえば、三ツ谷くんは線香花火に何か願掛けをしていたのかな。それが何だったとしても、もう私には知りようもないけれど。

 いつの間にか違和感もなく隣にいて、いつの間にかするりといなくなる。オレにとってナマエはそんな女の子だった。「三ツ谷にしか懐いてない野良猫」なんて言ったヤツもいたが、まさしくそんな感じだったと思う。いなくなればその姿を探して、見つければ自然と目で追いかけた。
 捕まえておきたいと思ったことは一度や二度じゃない。でも、隣で微笑む彼女を見ていると、どうしてもそうするのをためらってしまった。気まぐれに、無防備にやってくる彼女を迎え入れても引き止めることはしない。そうすれば手に入らなくとも、離れていくこともない。オレ達にはそういう距離感が必要なんだと、そんなふうに言い聞かせて納得していた。
 そうやって言い訳をしてきたことが心残りだったのに、結局同じことを繰り返している自分に我ながら呆れる。ぽっかり空いていた場所にまたナマエが現れ、湧きあがった衝動に流されてたどり着いたのがこの現状だ。こんなふうになりたかったわけじゃない。健全に彼女を愛したいのに、手の届くところから離れていくのを恐れて足踏みしている。その上、ナマエから伸ばされた手をオレは取ってやらなかった。
 あれから何度もナマエが残した線香花火を眺め、その度にあの夜の彼女の仕草や表情、言葉の全てをなぞり返しては後悔に苛まれた。気まぐれだけど素直なナマエが、この薄紙に包まれた火薬に頼った願い事。彼女が落下させずに守り抜いたそれをオレは受け取らず、バケツの中のゴミにさせてしまった。あの時、一言だけでも答えられていたら、水を吸ってふやけた花火をナマエにひとりで持ち帰らせることも、きっとなかった。
 ナマエは欲しいものしか欲しがらない。知っていたのに変に勘ぐって本心を探ろうとしたのは、ただオレに自信がなかっただけだ。オレのせいでナマエは最初の願いを手放し、アイスをねだることにした。数年越しの想いの結末とするにはあまりにもお粗末で、自分の不甲斐なさに腹が立つ。これ以上の後悔はしたくない。ナマエに会ってあの時の返事を伝える。そうしないとダメだ。そう決めたのに。

「これ、返しにきたの」

 土曜の夜になんの前触れもなく連絡をよこしたナマエは、その数十分後にインターホンを鳴らすと挨拶もそこそこに合鍵を差し出した。ラフな装いの気負いのない様子が、花火を持ってきた先週の姿と重なる。

「なんで」

 あれだけ何を言うべきか考えていたのに、突然のことにこんな台詞しか絞り出せなくなる。ナマエは一瞬驚いたように目を丸くした後、眉尻を下げた。

「だって私、フラれたじゃん。それで持ってられるほど図太くないよ」

 その苦い笑顔を見て、オレが線香花火に投げかけていた問いの答えを知る。花火しようなんて言って連れ出して、真剣な顔で火をつける花火を選んで。そんな不器用なやり方で手渡そうとした願い事を、オレは無下にした。叶わないことなんだと思わせてしまった。だからナマエはこうやって、オレとの関係を終わらせようとしている。

「ちょっと待って。……とりあえず中入れよ」
「いい。返しにきただけだから」

 小さく首を横に振る。その動きに合わせて、頭の後ろで束ねた毛束が細い首筋を撫でていた。玄関の敷居の外に立ったまま頑として動かず、合鍵を目の前に差し出し続ける。たぶん、ナマエはもう決めてしまった。でもそんなのダメだ。オレはずっと、終わりにしたくなくて迷い続けてきたのに。
 共用廊下の蛍光灯が瞬いて、カンカンと独特の軽い音をたてる。ナマエが小さくため息を吐いて、へらりと目尻を緩めた。

「お願い。受け取ってくれないと、私帰れないよ」

 困ったように笑う、その声が震えている。どうしても返したいなら、余りの線香花火を押し付けた時みたいに、ポケットの中に突っ込んでしまえばいい。けど、そうせずに受け取られるのを待っている。ナマエが本当にオレに受け取って欲しいのは差し出した合鍵じゃない。今度は間違えずに、隠されたままの正解を選び取りたい。
 小さく整えられた指先につままれた合鍵に指を添えて軽く押し込むと、ナマエの掌の中へスルスルと消えていく。そのまま上から手を包み込んで合鍵を握らせた。

「帰んないで」

 包み込んだ手が震えていた。オレの手も少し震えている。ナマエに初めて触れた時でさえ、こんなに気持ちが張り詰めたことはなかった。

「ゴメン。あの時、ちゃんと答えてやれなくて」

 ゲーム終盤のジェンガを引き抜く時の様に、空気がピンと緊張している。崩さないように触って、上へと積み上げて。動作のひとつひとつ、呼吸のひとつでさえも慎重になる。

「後悔してた。花火の時だけじゃなくて、もっと前から。オレがハッキリさせとけばって」

 少し低い位置から見上げてくる瞳に不安が見える。あまり見たことのない表情に胸がざわついた。彼女が見せずにいた弱さみたいな物がここにあるような気がして、思わず手を強く握る。
 あの夜、焼きついた花火の残像に阻まれてわからなかったナマエの表情。それも今みたいな顔をしていたんじゃないかと、なんとなくそう思う。今までも見ていないところで、こんな顔をさせていたのかもしれない。だとしたらやっぱり今しかない。燻っていた決心を心から身体に乗せる。

「好きだよ。前からずっと」

 心臓が早鐘を打ち、鼓動の轍が身体中に広がっていく。触れた手からナマエにも脈が伝わっている気さえした。

「…うそ」
「うそじゃねェよ」
「……だって、」
「情けねェけど、自信なくてずっと言えなかった。うそじゃない」

 血色の良い唇が薄く開くが言葉はなく、小さく吸い込んだ息を呑んで、ぐっと引き結んでいた。瞬きの向こうで視線を揺らした後にまつ毛を伏せる。

「うそだよ。だって、だって、わたし……」

 だってだってと繰り返す。その様子が失敗の言い訳をする幼い妹達と重なった。彼女も飄々として見えて、案外モタモタと足踏みを繰り返していたのかもしれない。いつになく弱気な様子にオレも必死になる。

「なぁ、お願い。信じて」

 こっちを向いてほしくて俯いたうなじに手を添える。強く引っ掻いてしまったのか、蚊に食われていた首の付け根には小さなかさぶたができていた。乾いた傷を指でそっとなぞると一瞬肩を震わせ、伏せていたまつ毛をそろそろと上げた。

「わかんないよ……」

 瞳を覆う薄い水の膜が、蛍光灯の光をゆらゆらと反射している。公園の暗闇の中でもチラチラと光っていた、水気の多い丸い瞳。明るい所で覗き込めば、こんなにも簡単に感情を読む事ができる。なんだよ。ナマエもオレと同じじゃねェか。
 ナマエの全てをこの手の中におさめたい。身体にするように、心にも契りが欲しい。となりに置いて撫でて、誰よりもオレに大切にされて欲しい。どうやって手を伸ばしたら、頑固で繊細なナマエはオレの手をとって、ここにいてくれるだろうか。
 ぐるりと脳内を探っていると、毎夜眺めたあの小さな箱からひそひそと声がした。あぁ、そうか。

「わかった、勝負しよ。オレが勝ったら信じて」

 ベッドのサイドボードの上。箱の中で身を寄せ合う線香花火が、そわそわと出番を待っている気配がした。

「オレが勝ったら信じて」

 オレの申し出にナマエは押し黙ってしまった。言葉の空白を埋めるように、アスファルトを車が削っていく音が通り過ぎて行く。左肩に引っかかっていたトートバッグを下ろしてやったら少し目線をうろうろさせた後、ドアを支えていた手を外して鴨居に上がった。どうやら観念してくれたらしい。握ったままの手を引いていくと、されるがままに居室まで着いてきて、どことなく居心地悪そうにする。もう何回も来てるくせに。
 ベランダへ続く窓に映る所在なさげなナマエを横目に窓を開けた。なだれ込んできた外気は思ったよりも柔らかくて、夏ももう終わりに近づいていることを知る。どうせ何もして居なくても夏は終わっていく。来年には花火も湿気って使えないだろう。それなら。  サイドボードから線香花火とライターを取る。二人掛けのスツールを窓際に移動させて、座るように促せば大人しく腰掛けていた。自分も腰を下ろして花火を取り出そうとすると、隣から不安気な声がする。

「怒られない?」
「窓締まってるし、大丈夫だろ」

 細かいことを言ったら本当はダメだろうが、最上階の角部屋だし隣の部屋だけ気にすればいいだろう。幸い周りの建物の窓も閉まっているし、洗濯物が干しっぱなしと言うこともない。

「ベランダ焦げちゃうかも」
「それはそうか。バケツ持ってくるわ」

 線香花火の火だろうが一応火気ではある。ナマエの心配する通り、直に火が落ちないようにしたほうがよさそうだ。玄関先に置いていたバケツに水を汲んでベランダの床に置くと、ようやく納得したようだった。
 再びナマエの隣に腰掛け、線香花火の箱を手に取る。驚くほど軽くて、気をつけないと簡単に潰してしまいそうだ。適当に一本取り出してナマエに渡したら、すんなりと受け入れられて少し驚いた。あんなに慎重に吟味していたし、てっきり「自分で選ぶ」と言うかと思ったのに。

「『残りは誰かと』って言ってたけどサ。他に誰とやると思ってたワケ?」
「妹さんとか」
「もう兄貴と花火する年頃じゃねェわ」

 「オレはまた、お前としたかったよ」。そう言うと、むっとしたような、でも泣き出しそうな顔になる。

「だって、三ツ谷くん…」
「うん。ごめん」

 旋毛の辺りから頭の丸みに合わせて手を滑らせると、すん、と小さく鼻を鳴らす。合鍵を忘れてくれていて、その上対面で返しにきてくれてよかった。本当は花火を押し付けて居なくなるつもりだったんだろう。勝手な話だ。そうは思うが、オレだって充分勝手だ。踏ん切りをつけられずに拗れさせた挙句、オレのことを信じろなんて、まぁ横暴だろう。だとしてももう、逃してなんてやれない。

「じゃあ、せーのでな」

 小さく、でも確かに頷いてくれるのを見て、ライターを灯した。暗闇に浮かび上がった暖色の火が二人の間で揺れている。オレの目配せを受け止めたナマエの目は、相変わらず光を反射させて、チラチラと夜の中で輝いていた。合図に合わせて穂先に火を移すと、ほとんど同時に火が噴き出す。
 指の先ほどもない小さな火球はジリジリと震えながら大きくなり、やがて存外に激しい音と共に松葉のような火花を散らし始める。そのうち音は小さくなって、火花は細く柔くしなだれていく。儚くも懸命に炎を燃やす様を見ていると、なぜ人々が線香花火に願掛けをしてしまうのか。それがわかったような気がした。
 スツールに並んだ呼吸は息を潜めて、摘んだ先の炎をを慎重に燃やす。バケツを覆う水面が二つの火花を映しながら、オレ達の行き先を見守っていた。

「あ、」

 ナマエが小さく声を上げる。花びらのような火花へと変わり、もうそろそろ燃え尽きるかと思った時だった。不意に吹いた風にさらわれ、オレの手の先から火球が落ちていってしまう。ジュッ、と軽い音ともにバケツへと消えていく。それから数秒経って、ナマエの方もバケツの底へと消えていった。

「マジか。ナマエうまくねえ?」
「三ツ谷くんが下手なだけじゃないかな」

 手先の器用さには自信があるが、これに関してはナマエの方が上手くやれるようだ。気の抜けた笑顔が少々憎らしいが、これは勝負。負けは負けだ。

「で、勝ったナマエちゃんのお願い事は?」

 イタズラな笑顔が崩れる。勝ったのに、なんでそんな泣きそうな顔をしてるんだか。

「考えてなかった」
「なんでもいいよ。オレができることなら」

 アイスでも、花火しようでも、ナマエがオレに望むことならなんでもいい。いくらだって叶えてやる。だけど、今ここで願ってほしい事はたったひとつだけだ。

「なんでも…」
「うん、なんでも」

 夜風がはらりとナマエの前髪をめくる。乱れを整えるように丸い額を撫でてやると、またすん、と鼻を鳴らした。

「私のこと、好きになってほしい」
「とっくの昔から好きだって言っただろ」

 ここまで来て控えめなお願いをするのが、いじらしいと言うかなんと言うか。じれったいとか思わないんだろうか。

「他に大事なやつあっただろ?」

 ほとんど誘導尋問だ。だけど、それでも、今度こそは。

 柔らかな頬を手で包む。大きな瞳はみるみる潤んで、赤い目の縁からぽろんとこぼれ落ちる。華奢な手のひらが、燃え尽きた線香花火をぎゅっと握りしめた。

「三ツ谷くんの、彼女になりたい」

 絞り出された声と濡れた瞳は、あの夜よりもいくらか弱々しい。だけど、同じ。もう一度聞きたいと願っていた言葉。

「オレも。ずっとそうしたかった」

 濡れた両頬を包んで、確かめるように唇を寄せた。漂う火薬の匂いと、昼間の通り雨が残した気配。ようやくナマエと触れ合って、短い夏が終わる。



 隣の部屋の掃除機をかける音でのそのそと起き上がると、胃の中がすっからかんだと腹の中の虫が騒ぐ。時計を見るともう昼前だった。まだ少しだけ鼻の奥に火薬の匂いが残っている。

「お手伝いある?」
「じゃあこれ。ちぎって」
「半分くらいでいい?」
「うん、そんくらいで」

 こんな時間にナマエとキッチンに並んで、一緒に料理をしているのがえらく新鮮だ。昨日までの彼女は、昼には会えない人だったのに。ぴったり真横に立って、観察するようにフライパンの中身を眺めている。子供みたいだ。

「ねぇこれ、他の女の子にも作ったことある?」

 化粧をしていない顔はいつもよりあどけないのに、飛び出した問いは少し鋭い。

「覚えてねーけど、あったらイヤ?」
「ううん」

 いつもの調子で小さく首を振る。意外とそう言うのを気にするタイプなのかと思ったのに。

「他の子にした事、私にも全部してほしいなって」

 少し残念な気持ちと裏腹に可愛いことを言ってくるから、抑えようにも自然と口角が上がってしまう。肩からずり落ちている大きめのTシャツを直してやると、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「した事ないことも、してほしいよ」
「いいよ。全部な」

 今までナマエがしてほしかった事、オレがしてやりたかった事。今日からは全て与えたい。まずはその身体を抱き寄せて、ふやりと蕩けた唇をオレの物にした。




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