2. 行き違って同じ場所


 指定された店へ着いたのは予約の時間を三十分ほど過ぎた頃だった。案内にきた店員に待ち合わせの旨を告げつつ店内を見渡すと、右手を挙げて合図する三ツ谷くんと目が合う。先に飲んでてと伝えていたが、卓上のビールは半分ほどに減っていた。

「ごめん、遅れて。せっかく予約してくれてたのに」
「全然。大丈夫そうだった?」
「お膳立てしたから大丈夫だと思う。一年目だし心配だけど」

 今年度から新入社員のトレーナーを任されるようになった。三年目の社員にこの役が回ってくるので不安だったけれど、いつの間にやら教えながら自分の仕事も進めることができるようになっていた。『同じ会社で三年は働け』なんてよく言われるが、入社当初からの自分の成長度合いを思うとそれも一理あると思う。入社したての頃はトレーナーの指示についていくのに精一杯だった。

「同期もだいぶ減ったよな」
「半分以下になったね。同期飲みもなくなったなぁ」

 入社後の全体研修の後、同期たちはそれぞれの部署に散り散りになった。初めの頃は月イチで集まって飲んでいたのも段々と開催されなくなり、それにつれて退職する同期も増えていった。今では入社時の半分以下しか生き残っていないけれど、その中でも私たちは意欲を保ったままやれていると思う。
 同僚としての三ツ谷くんは私にとても良い刺激をくれる。彼は誠実に仕事をするし、プライドも持っている。その姿に焚き付けられたお陰で『今年のデザイン部は豊作』と評価されるくらい頑張れた。そういう意味で私たちはいい関係性を築けていると思う。

「今日は飲み過ぎないでよ。この前大変だったんだから」
「わかってる。本当悪かった」

 二杯目のビールを飲み終えた彼の前に徳利とお猪口が並ぶ。先週はグチをつまみにどんどん徳利をあけてあんなことになった。流石にその二の舞にはならないと思うけれど、二度目が起きてしまったら今度は耐えられない。

「でもミョウジは優しいよな。あんな迷惑かけたのに、また俺と飲んでくれんだもん」

 洗面台に色違いの歯ブラシが並ぶあの日の光景がちくちくと胸を刺す。今ここでこうしているのは、ただの優しさだと思われているのか。

「仕事もスゲェ頑張ってるしさ。ミョウジみたいな子だったら、もう少しうまく行ったのかもな」

 私の名前を口にしながら私じゃない女の話をする。私だったらいいのに、なんて何度思ったか分からない。ようやく同じ言葉を聞けたのに意味は少しも重ならない。

「じゃあ付き合ってみる?」
「はは、アリかもな」

 あわよくば本気にしてくれないかと願うも、通じることはなかった。冗談めかした声色がただのラッピングだと気づいてくれたら私も少しは報われるのに。本音を知られてこの時間を失う勇気もないくせに、こんなにも歯痒い。

「ミョウジが同期でよかったワ」
「そうだね」

 気のせいかジントニックがいつもよりも苦い。

 そういう苦味も全て何かを産み出す肥やしになる。そう言い聞かせながらパソコンの画面を見つめる。もう長袖を纏う季節になっていた。
 次の展示会に向けてはより大きな裁量を持たせてもらえた。新入社員の指導もだけれど、責任ある役割を任せられるのは認めてもらえた証拠のようでとても嬉しい。

「あと他にやることありますか?」
「ありがとう。今日はもうないから定時で帰ろ」

 依頼していた作成物を提出し終えた佐藤くんに帰宅を促すと、素直に返事をしてオフィスを出ていった。それを横目に提出されたばかりの彼のトレーニング記録に目を通す。
 佐藤くんは私がトレーニングを担当している新入社員だ。偶然にも同じ中学校の出身で、その縁で担当することになった。抜けていて危なっかしいところもあるが、前向きに一生懸命取り組んでいる。何より素直にアドバイスを聞いてくれるところが良い。自分のやり方が見つかるまでは素直にやってみるのが吉だと私は思う。まだ入社して半年程度だけれど、着々と成長しているのがこの記録から読み取れる。

「佐藤どーよ」

 三ツ谷くんは誰のトレーナーでもないが、その代わり私の仕事をいくつか引き取ってくれていた。コピー機帰りらしくその手には数枚の印刷物が握られている。たぶん、私が引き継いだ件についての資料だ。

「頑張ってるよ。出来ること増えてるし、おかげで繁忙期も無事に乗り越えられた」
「トレーナーが優秀だからだろ」
「本人の意欲があるからだよ」

 いくら私が頑張っても本人にその気がなければ壁打ちと同じだ。打ち返してくれるからこそ、こちらもやりがいがある。かわいい後輩の頑張りについて噂していたら、誘われるように本人が戻ってきた。忘れ物でもしたんだろうか。

「ナマエさん、差し入れです」

 差し出されたコンビニの袋からはチョコレートとコーヒーが覗いている。どちらも私がよく購入しているお気に入りのものだ。

「いつも俺のこと先に帰してくれるじゃないですか。申し訳なくて」
「やってもらったことマネしてるだけだよ」

 私のトレーナーもできる限り定時で帰宅させてくれた。新しい環境に戸惑いつつも楽しめていたのはそういう優しさの賜物だと今では分かる。楽しく仕事をさせてあげたいという親心が、多少は彼にも伝わっているのかもしれない。

「もっと仕事覚えてナマエさんを先に帰せるように頑張るんで。よろしくお願いします」

 若者らしい気持ちの良い笑顔を残して再びオフィスを去っていった。気を使わせたことを申し訳なく思いつつも、好きなものを覚えていて差し入れてくれたことが嬉しい。中身を覗いてニヤニヤしてしまった。

「スゲェ懐かれてんな。何もらった?」
「ひみつ」
「なんでだよ」

 どうせすぐにバレるんだけど気分が上がっているので少し戯れてみた。机に中身を並べたら「好きなやつじゃん」と言う。何にも気づいてくれないのに、なんでそういうところは目ざといのかな。

「今度飲みにでも連れてってあげようかな」
「なんか、そのうち俺より仲良くなっちまいそうだな」
「そうかもね」

 理由は何でもいいから少しくらいヤキモキしてほしい。幼稚かもしれないけど、最近良いことがないしこれくらいは許されるはずだ。舌に溶けるチョコレートをコーヒーで中和する。心地よい苦味と甘味だった。





 元から酒は好きだが、昼から飲むと『こんな時間から飲んでる』という罪悪感がスパイスになってよりうまく感じる。そういうダメな大人が多いのか、店内の空席はすでに消えつつあった。

「で、別れの原因はなんだ?」
「ご想像の通りデスね」

 そもそも飲む予定ではなかったが、ドラケンへの用事を済ませるついでに別れた旨を伝えたらこうなった。そうなるとこの場の話題は自動的にその事についてになる。元カノとの様子は顔を合わせるたびに話していたので、コイツももう察しているはずだ。

「寂しくはあるけど、別れてほっとしてんのもあんだよ」
「ワガママそうだったもんな」
「そこが可愛いトコだったんだけどな。最後まで俺の仕事については分かり合えなかったワ」

 『私と仕事どっちが大事なの』なんて、この歳になって聞くことになるとは思わなかった。もっと一緒にいて欲しい、時間を共有したいと主張するのを可愛く思っていたが、それも続けば疲弊する。嫌いになったわけじゃない。でも付き合いの中で露見した価値観の違いを乗り越えるほどは愛情が残っていない。そんな感じだったと思う。

「まー、今日は飲めよ」
「そうしてぇけど、ほどほどにしとく」
「ンだよ。ヤケ酒して失敗でもしたか?」

 メニューを投げて寄越されミョウジのことを思い出す。所作は全く違うが彼女も同じように酒を勧め、それに甘えて失態を犯してしまった。

「そんなとこ。飲みすぎて同期に迷惑かけちまってさ」
「たまに話してた女の同期か?」
「そう、その子」

 度々職場の様子をツマミにしているから、ミョウジの仕事ぶりについてや作品を見せたりしたこともある。俺が彼女に信頼を寄せていることは、ぼんやりとでもドラケンに伝わっているはずだ。
 そんな彼女を家に連れ込んでしまったことは言えずに省いたが、眉間に皺を寄せながら事の顛末を聞いているところを見るとだいぶ呆れられている。いい歳した男が泥酔した上、女性に家まで送り届けさせた。と聞いたら俺だって同じ顔をするだろう。「お前しっかりしろよ」と言われぐうの音もでない。

「お詫びしたいって言ったら『一杯奢って』つってまた飲んでくれんだよ。マジでいいヤツだよ、アイツ」
「そうじゃねぇかもよ」
「は?どっからどう考えてもそうだろ」

 俺の反論に納得がいかないのか、眉間の皺がさらに深くなり端正な眉が崩れる。無言の主張に晒されて思い起こすも結論は変わらない。ミョウジはどう考えてもよくできたいいヤツだ。真面目で真摯で優しい。俺にも、俺以外にも。

「あんまミョウジさんに甘えんなよ」

 ため息と共に力のこもった眉間が緩んだ。全くドラケンの指摘の通りで、少しミョウジに甘えていた自覚はある。苦楽を分かち合っただけの絆があると思うのに、愛想を尽かされたらたまらない。俺はこれからもミョウジと信頼しあっていきたい。

 お詫びの飲み会で「同期でよかった」と確認し合ったことを思い出す。あの時のミョウジの姿に想起され、普段は飲まないジントニックを注文する。すっきりとして、少しだけ苦かった。





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