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「ナマエ、引っ越したんでしょ?どの辺なの?」

 向かい側でチーズケーキに巻かれたセロファンを剥がしながら友人が睫毛を瞬かせる。不自然に見えない様に作り込まれた目元の愛嬌に、女であるが故に冷静に分析してしまう。シャドウのラメの輝き方、アイラインの滲み具合、マスカラの色味とダマになっている箇所。「どこのヤツ使ってるの?」なんて話の展開の為に質問をしようと思えば出来たけれど、それよりも先に彼女の方から投げかけてきたのでまた別のタイミングに回すことにする。親しい間柄故にかなり頻繁に連絡は取り合っていても、実際に会って話すのが久しくなると会話のテンポを思い出すのに少しだけ時間がかかる。やはり昨日別れた人間と話すのとは訳が違うな、などと思う。
 待ち合わせと、適度な時間を過ごすのに丁度いい某コーヒーチェーン店の隅の席でカップをそっとテーブルに戻す。梅雨明けした世の中はいよいよ夏本番に向かって日に日に暑さを増していて、店内は気を抜くと肌寒さを感じる程に冷え冷えとしている。ほとんどアクセサリー的に持ってきたカーディガンを肩から掛け直して、彼女の質問に端的に答えた。

「結構離れたね」
「うん。でも職場までのアクセスは前より良くなったんだよね。家も広くなったから快適だし」
「へえ〜、いいじゃん。どんな感じなの?」
「うーん、そんなに新しい訳じゃないけどリノベ済みだし、駅も近いしって感じ。今のところそこまで不便は無いよ」
「いいなぁ〜、私も引っ越したい。でも引っ越すのにもお金かかるしね〜」

 彼女の言葉に同意しながら、自分のチョコレートケーキにシルバーのフォークを沈ませる。少し前に家で祝った三ツ谷の誕生日を思い出した。あの時は三ツ谷が、表面に傷ひとつない滑らかなチョコレート色のケーキを選んだ。どちらでも良いと思いつつ、内心ほんのちょっとだけ、私もザッハトルテが良かったのだ。それでもデパ地下で一カットまあまあ良い値段のするショートケーキは美味しかったし、想像していたより三ツ谷も喜んでいたから私としても満足だった。あの時の事を思い出しながら口に運んだからか、舌に纏わりつくチョコレートの甘みもスポンジもなんだか味気ない気がする。

「でもそんな好条件なら家賃結構するんでしょ?」
「あー…まぁ。なんてゆーか、ルームシェア?してて…実は」
「え?マジで?」

 向かい合った状態でギョッと見開いた目力に思わず圧倒されそうになる。自分とは違ってきっちりと隙の無いメイクをするタイプの彼女だから、ころころ変わる表情がいちいち際立っている。だけどまぁ、彼女がそんな風に驚くのも無理は無い。交友関係は割と狭く、気心を許せる間柄の友人はと聞かれればほんの数人程度しか居ない。その中の一人は間違いなく目の前の彼女だ。それは彼女自身も自負しているだろう。言うなれば、親友。その自分を差し置いて、私が他の誰かとひとつ屋根の下で生活する選択をするとは多分、夢にも思わなかった筈だ。そこにはジェラシーだとかそう言った感情は抜きにして、疑問に思ったと思う。

「兄妹とかじゃなくて?」
「ううん。フツーに友達」
「あ、そう…なんか、他人と生活とか無理そうなのにね、ナマエって」
「うん、私もそう思ってたんだけど…」

 人生で他人と一緒に生活する機会なんてそう多く訪れるものじゃ無い。今まで付き合った恋人とそんな話が全く出なかった訳ではないけれど、結果的にその選択はせずにここまで生きてきていた。一緒に生活する事で起こる弊害やストレスはある程度想像出来たし、何より、何かしらの原因でその生活を解消する時の事を考えたら前向きに考えられなかったのだ。こう言ってしまうとなんだが、結婚とかしたいと思える程の男と付き合った事がない。それが、まさかここまで来て友達である三ツ谷とルームシェアするとは。私自身が一番驚いている。

「そんなに顔合わせる時間も多くないし、プライベートはちゃんと分けてるから案外上手く回ってるよ」
「家事当番とか決めてるの?」
「うん、ぼんやり。洗濯物は絶対にノータッチって決めてるからそれぞれだけど」
「…潔癖なの?相手」
「……どうだろ。多分、違うと思うけど」

 相手が男だっていう事さえ伏せれば問題無いとうっかり話していたけれど、目の前の彼女の反応につい口を噤んだ。確かにルームシェアする程の仲の"女友達"であれば下着くらい多少見られようが触られようが気になるものでも無い。お互いの部屋には基本的に入らないとか、洗面所の開閉に必要以上に気を付けていたりとか、考えてみれば私と三ツ谷の生活は俗に言うルームシェアや同棲というものとは少し毛色が違う。そこにはやっぱり恋人関係では無い男と女という壁が存在していて、これが万人に受け入れられる話じゃないのは理解もできる。彼女がどういう反応をするのかは何とも言えないけれど、ここは黙っておく方が正しい気がした。

 ◇

「ナマエの家、遊びに行きにくくなっちゃったな」と別れ際に言った彼女に曖昧に笑った。例えば今の家に招いて、同居人が不在のタイミングであったとしても、一歩玄関に入ればそこには間違いなく男の気配が見えるだろう。ここで「実は男友達と住んでるんだよね」と言い出すのはなんだかなぁ、という気がした。
 という訳で、三ツ谷との同居生活がどういう形でか終着するまで、私は彼女にこの事実を隠し通さなければいけない。なんだが、三ツ谷と生活し始めてから色々と見せないようにする事に躍起にならざるを得なくなっている気がする。
 家の最寄りの駅に着いて改札を出たところでコンビニに目がいって、そう言えば朝食用の食パンが切れていたのを思い出す。以前は、気が向いてカゴに入れても結局食べ切れなかったり、無理矢理詰め込むみたいな形でしか消費出来なかった。食パンは一人暮らしに優しくない。今の家で暮らすようになってから、ようやく丁度いいと感じている。
 店内に入って狭苦しい通路を抜けて菓子パンのコーナーに回り込むと、思わず「あ。」と声が出た。私の声に反応して顔を上げたのは紛うことなき同居人である三ツ谷で、私を見て「おー…」となんとも間抜けな反応を返した。「今の電車乗ってたン?」とマスクを下げながら聞いてくる三ツ谷に頷く。三ツ谷の手には六枚切りの食パンがぶら下がっていた。

「何買うん」
「私も食パン買いに来た」
「マジ。ここで会って良かったじゃん」
「ほんとだ。パン地獄になるところだった」

 たまたま同じタイミングでコンビニに居た三ツ谷との会話に笑いながら、背中を押されてレジへ向かう。「私払うよ」と声を掛けたけれど「いーよ、俺出すわ」と断られる。食パンを置いて、レジ後ろに並ぶ番号を告げた三ツ谷がさっさと会計を済ませてしまった。あまり家で吸っているところは見掛けない。でも、たまに仕事が忙しくて行き詰まると軽いのを吸うらしい。
 ビニール袋を提げて歩き出す三ツ谷の隣を歩く。一緒に住むマンションまでは徒歩十分程。

「なんでマスク?風邪ひいたの?」
「あー、職場のクーラーやたら寒くて」
「女子みたい」
「うっせ」

 何気ない会話を繋げていけば駅から家までの道なんて直ぐに過ぎてしまう。三ツ谷との関係は、もうそういう境地にまで来ているのだと思う。
 三ツ谷とは十年近い付き合いになる。その間、私達に恋愛関係に発展しそうな空気は微塵も感じられなかった。もし三ツ谷とそんな関係になるような事があれば、もしくはどちらかがどちらかにそんな感情を持ちそうになるのであれば、こんな一緒に住むなんて選択はしなかったに違いない。多分、三ツ谷も同じだと思う。お互いに対する絶対的な信頼があるから、三ツ谷は私にルームシェアを提案してきたのだろうし、私もそれに同意した。

「ね、明日、仕事?」
「いや、明日は休み。じゃなきゃこんな時間まで残業して来ねーよ」
「じゃあさ、ホットサンド作ってよ。アレ結構好き」

 私と三ツ谷はこの先も変わらない。だから、この関係は何も間違っちゃいないし、他人に話す事もタブーでは無い筈だ。なのに、何となく戸惑われたのは、自分の意識していないところで何かを危惧しているからなのだろうか。女の感みたいな、そんなの。

(2024.01.15 : Written by Shiigi)





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