5


 月日が経つのはあっという間なもので、共同生活をはじめてから二ヶ月が経とうとしている。それだけの期間があれば新しい生活も馴染んでくるもので、互いの生活リズムもなんとなしに把握できるようになっていた。
 やはりフリーランスというのは忙しいようで、駆け出しともなればなおさら厳しいらしい。平日は朝と夜に顔を見たら、それきりになることが常だ。休日だってお互い予定もあれば、好きなだけ寝ていたりもする。要はふたりとも好きにやっているのだ。それが不快ではないのは、気の置けない仲ながらも適度に気をつかい合えているからかもしれない。
 そう言った具合に暮らしているから、私達は同じ家で暮らしているのに、食卓を一緒に囲んだことは数える程度しかない。本日もその回数は増えることなく、帰り道で調達した惣菜と自前のみそ汁とご飯をひとりもくもくと平らげた。
 空になった食器を片付けるべく、シンクに立つ。水切りかごに残る食器は、今朝は時間に余裕のあった三ツ谷が洗ってくれたものだ。それらを食器棚へと戻して、さっさと今晩の分も洗ってしまう。不思議なもので、同居人がいると思うと面倒な家事も比較的すぐにこなせてしまうのだ。一人暮らし時代の金曜夜なんて、家事は明日の自分に任せて、ただぼんやりと夜ふかしをしていたのに。
 三ツ谷は私なんかよりも生活力がある。長い付き合いの中で知っていたけど、より長い時間、近い距離で彼を見ていると、その甲斐性を実感するのだ。それと同時に、甘えてはいけないとも思う。三ツ谷に愛想を尽かされたら私はたぶん、結構ショックを受けるだろう。
 先延ばしすることなく家事をこなして、自由な金曜の時間が増えたわけだが、さて、どうしようか。番組表から二十一時からの映画のタイトルを確認するが、あいにく興味をそそるものではない。しばし考え、ひとつの案を思いつく。そうと決まれば早速準備をしなくてはならない。自室で適当なトートバッグに着替えやタオル、基礎化粧品をつめる。荷物の詰まったバッグを肩に引っかけて自室を出た、まさにその時だった。

「うお、びっくりした」

 ちょうど玄関のドアを開けたところらしい。私を見るなり驚いていたが、直前の表情から察するにお疲れのようだった。あからさまに元気を失っている目で私の肩に下がる荷物を一瞥して、微かに首を傾げる。

「どっか行く?」
「銭湯行こうかなって」

 引っ越しをしてからというもの、この新しい街のことを知るために、ときたま地図アプリを眺めるようになった。おいしそうな弁当屋や、いい雰囲気のカフェを見繕ってはブックマークを増やしていく。そのラインナップには近場の銭湯も並んでいる。今からそこに行って、金曜の夜を賑やかせようというわけだ。

「銭湯なんてあんの?」
「うん。ちょっと歩いたとこに」

 ほら。とスマホの画面を見せると「マジじゃん」と呟いて、地図上のピンを固そうな指先がタップした。投稿された写真が雑にスワイプされていくけど、三ツ谷の目は追えているのだろうか。
 画面上の情報をひと通り眺め終え、足だけをつかって今日に靴を脱ぐ。つま先が室内に向いた靴をそのままに室内にあがると、三ツ谷は自室のドアを開けた。

「オレも行く。ちょい待ってて」

 三ツ谷はそれだけ言い残して、ドアの向こうに行ってしまった。部屋の中からはクローゼットを開ける音がして、着替えを準備しているんだなと分かる。
 三ツ谷、私の返事聞かなかったな。なんて思うが、断る理由もない。十数分ほどであろう道中を歩くなら、ひとりよりもふたりのほうがいい。




 湯船に浸かると疲れがとれるけど、広い湯船に浸かるとより効果がある気がする。家の浴槽のように縮こまることなく、大きな湯船で手足を伸ばせるのがいいのかもしれない。もしかしたら、ただ気分の問題ってだけかもしれない。真実はどっちでもいいけど、ワンコインでこの効果が得られるのはコスパがいい。味をしめて通ってしまいそうだ。
 銭湯に備え付けのドライヤーから吹く若干頼りない温風を浴びながら、そんなことを思う。お風呂あがりの独特な温かさが心地よい。湯船のリラックス効果はまだ続いてくれているようだった。見るからにお疲れモードだった三ツ谷のことも、銭湯の湯は回復させてくれているだろうか。
 番台で入浴料を支払い、そこで右と左へ別れた。隣の男湯の音も何となく聞こえてきていたが、その程度では三ツ谷の様子なんて知る由もない。きっと湯船に浸かった誰もがそうするように、ふうと深い息を吐いていたのだと思う。そしてたぶん、私よりも先に湯船からあがっている。メッセージアプリを開いてみると、案の定三ツ谷からひとこと「ロビーで待ってる」と届いていた。送信時間は約二十分前。弱い風しか吐き出さないドライヤーに見切りをつけ、残りは帰宅して乾かすことにした。
 ロビーは脱衣所よりも狭く、長椅子が二脚ほど置いてある程度だ。長居する場所でもないからこのくらいでいいのだろう。三ツ谷は長椅子に腰掛けて、備え付けのテレビを見ていた。

「お待たせ」
「おー、いい湯だったな」
「わ、牛乳飲んでるし」
「なーんか飲みたくなんだよな。銭湯で飲むとすげぇウマく感じる」
「わかる。私も飲もうかな」

 少し考えてみたが、誘惑に勝てずに自販機にコインを食べさせた。銭湯と牛乳がどうしてセットなのかは知らないが、こういった施設には必ずと言っていいほど牛乳があるし、見かければ飲みたくなる。
 給食以外でこういった場所でしか見かけない、懐かしい形をした牛乳瓶。それで乾杯をすると、なんだかお酒でするよりも仲がいいように思える。実際、ルームシェアできるくらいには仲がいいのだけれど。

「疲れはとれましたか」
「まぁな。つーかそんな疲れてる感じに見えてた?」
「うん。帰ってきたとき顔死んでたもん」

 大丈夫?疲れてない?と思っても、なんとなく三ツ谷には聞きづらい。同じ空間にいるだけの恋人でもない人間がそれを聞いてしまうのは、杞憂かもしれないが踏み込み過ぎな気がするのだ。
 三ツ谷が忙しいことは知っていたが、彼の生活ぶりを肌で感じるようになってからは、心配に思う事が増えた。やりたい事をしている三ツ谷からしたらお節介なことかも知れないが、目の下にくまをこしらえているのを見てしまうと、やはり気がかりではある。だから三ツ谷が休日に昼まで眠っていると、どこか安心してしまうのだ。

「これでも余裕できたほうなんだわ」
「そうなの?」
「そ。家事折半すると全然違うな。名前、気づいてやってくれるし」

 私は不満のない生活をできているけど、三ツ谷もそう思ってくれていたのか。同居前よりも今の生活が良くなっているのなら、同居人冥利に尽きるも言うものだ。
 ただ、ほめられると照れくさい。「そうでしょ?」とおどけてみたけど、「何照れてんだよ」と見抜かれてしまった。この男のこういうところは、少しばかり厄介だ。
 そして、見抜いてきた視線が私から外れていかない。どうしたのだろうと思っていたら、不意に背中に下ろした毛先に三ツ谷の指が触れた。

「ちゃんと乾かせよ。服濡れてんじゃん」
「だって、待たせてたから」
「別に、そんくらい待ってるつーの」

 長く友達をしていれば体に触る場面も度々ある。大抵は軽いツッコミ程度に腕に触れるとか、何かついているのを取るとか、そんな時だ。だから、不意に髪を触れられて、ほんの少しだけ驚いてしまった。考えてみれば濡れた毛先を少し触るくらい、どうと言うことはないのだけど。

「乾かしてきたら」
「帰り道歩いてれば乾くよ」
「お前な……風邪ひいても世話しねーからな」
「大丈夫だよ。子供じゃないんだし」

 大真面目な顔で「風邪引くぞ」なんて言うのが面白くて、思わず笑ってしまった。きっと妹達にこう言って来たのだろう。でも私は妹じゃないんだから、心配はいらない。
 三ツ谷の心配をよそに、私は風邪を引くことはなかった。ただ、これ以降は三ツ谷を待たせているのだとしても、最後まで髪を乾かしてから出るようになった。
 私と三ツ谷のことで変わったのはこれと、あと、思い浮かばないけど何かはある気がする。

(2023.12.06: Written by Sarako)





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -