あれは、去年の年の瀬に差し掛かかった頃だった。


「一緒に住まねぇ?」
「……はぁ?」

 聞き間違いかと思った。だけど、頭の中で何度リピートしてみても、「一緒に住まないか」と言っていたようにしか思えない。お互いの職場の中間地点にある大衆居酒屋は、年の暮れだとかこつけた人でいつもよりも賑わっている。件のシーンを頭の中で繰り返すたびそのざわめきは消えていくのに、三ツ谷の言葉だけはくっきりと残っていた。

「え、話ってそれ?」
「そ」
「結婚でもするのかと思ってた……」

 そこそこの頻度で飲んでる相手から「話したいことがある」なんて文句で、しかもこんな時期に呼び出されたから、もしかしてそういうことかもなって想像していた。三ツ谷は「彼女いねぇの知ってんだろーが」なんて言うけど、会っていない間に彼女ができて、とんとん拍子にことが進んでいたって別におかしくはない。私たちはモロに「適齢期」という時期にいるのだ。
 「ついに三ツ谷も妻帯者かぁ」って具合に、めでたい雰囲気でしみじみしながら飲むのかしら。なんて想像していたのに。なんならプロポーズにでも使えそうな言葉を、私が言われることになって困惑している。とはいえ、言葉こそむずかゆくとも、私たちの間にそんなロマンチックな空気なんてあるはずもない。
 三ツ谷は鞄の中からクリアファイルを取り出し、私に手渡した。

「いい物件ねぇかなって探してたんだけどさ、ダチが紹介してくれたんだよ」
「あぁ、引っ越したいって言ってたもんね」

 クリアファイルに挟まれたA4の用紙には、2LDKの間取り図が挟まっていた。「駅から徒歩十分」「リノベーション済み」「オートロック」という文字が強調されているから、それが売りの物件なのだろう。内見をした時の写真も見せてくれたが、「リノベーション済み」という売り文句に違わず内装はとてもきれいで、設備も整っている。最寄駅は三ツ谷の職場から一本(ついでに言えば私の職場へも近い)だし、三ツ谷にとってこの物件は大変魅力的だろう。ただひとつ金銭面を除けば。
 立地やら間取りやらを考慮すれば、賃料は決して高くはない。むしろ掘り出し物と言える金額だけど、まだ社会に出てそこそこの若者がひとりで支払うには負担が大きい。だから同居人を募って、部屋も賃料も折半したい。そういうことだ。三ツ谷の思惑は理解はした、が。

「なんで私に?」

 ルームシェアをしている知人はいるが、男女でなんて聞いたことがない。その場合のふたりの関係は「恋人」ないし「夫婦」であることが相場だ。
 恋人でもないただの男友達と一緒に暮らす。タブーではないし、中にはそんな人もいると思うけど、一般的なことではない。

「引っ越したいってお前も言ってたろ?ここからならお互いに職場近いし」
「そうだけど……。一緒に住んでくれそうな男友達とかいないの?」

 男女のルームシェアが一般的だとかそうじゃないとか、まるで気にしていないかのような口調だ。女所帯で育ってきた三ツ谷からしたら、異性と共に暮らすという事はさして問題じゃないのかもしれない。そう思ったりもするけれども、私は彼の家族ではない。気はおけないが、ただの女友達だ。
 それに、何かと交友関係の広い男だ。ルームシェアできる友人の一人や二人いそうなものなのに、なぜそこをすっ飛ばして私なのか。

「その辺はもうヨメがいんだわ。日本にいねぇやつもいるし。だからお前に聞いてんの」
「私の序列けっこう高めじゃん」
「そ。お前だったら上手くやってけると思ってんだよ、俺は」
「そんなに自信あるんだ」
「おう。ソレやるから、ちょっと考えといてよ。気になったら内見もできるしさ」

 にっ、と笑う三ツ谷に負けて、素直に間取り図を挟んだクリアファイルを鞄にしまう。ダメ押しのつもりなのか「俺けっこー家事とか得意だから、そこも推しとくわ」と付け加えられたが、そんなこと私はとっくのとうに知っているのだ。

 ◇
 
 三ツ谷と再び顔を合わせたのは、年が明けてしばらくした頃だった。

「で、どうだったよ」
「よかった、すごく。三ツ谷が住みたいの分かる」

 全国チェーンのカフェの、あまりゆとりなく並べられたテーブルの間を慎重に通り抜け、壁側のソファへ座る。向かいの椅子を引いた三ツ谷はそこへ座るなり、さっそく私へ問いかけた。率直な感想を述べると「だろ?」とどこか満足気に笑って、キャラメルソースののっかったカップを傾けた。この男は「元ヤン」なんてイカつい肩書きの割に、いつも甘い飲み物を選ぶ。
 去年の暮れに三ツ谷がした提案に乗るかどうか。しばし考えて、内見に連れて行ってもらうことにした。その帰りにカフェでもよろうかとなって、そして今に至る。白黒の図面を見ながら考えたところで、当たり前だけど答えはでなかったのだ。

「ナマエは?気に入らなかった?」
「正直言うと、だいぶ気に入りました」
「やっぱりな」

 三ツ谷が同居人を募っているあの部屋は、想像以上に魅力的だった。閑静な住宅街にあるマンションは外観こそ少し年季を感じたけど、リノベーションしたばかりの室内は新築みたいにきれいだった。立地も便利なところにある。間取り的にそれぞれの部屋も用意できるから、それぞれのプライバシーもある程度は確保されるはずだ。
 自分で撮った部屋の写真を見返しつつ、カフェオレを一口すする。内見の間、どっちの部屋を使いたいだとか、三ツ谷の靴で玄関が埋まりそうだとか、とりとめなく話していたら、案の定「オマエらホントに付き合ってねーのかよ」と言われてしまった。そんな彼の疑問を「そんな嘘つかねーわ」と笑い飛ばした三ツ谷とは、やっぱり気が合っている。ただの≠ニいうには過ぎるほど親しくてしていても、やっぱり三ツ谷は友達なのだ。そこに男だ女だというのは関係ない。
 異性とルームシェアするって、何度考えてみても一般的なことじゃない。でも、それを抜きにして考えたとき、私は三ツ谷と同じ空間で暮らしていけると思った。そして、それはきっとうまくいくとも思った。コイツほど信頼できて、気も遣うことなく一緒にいられる友人って、男女合わせたってほぼいない。そんな人間が同じ家の中にいてくれたら、それってかなり恵まれた環境なんじゃないだろうか。

「あのさ」
「うん?」
「提案、乗ろうかな」
「マジ?いいの今そんなこと言って。もうちょい考えてからでも大丈夫だけど」

 内見後のテンションで安直に決めているのではないかと疑っているらしい。若干慌てたような表情をしているのがなんだかおかしくて笑う。誘ってきたのはそっちのくせに。でも、コイツのそういうところが私は好きなのだ。

「マブダチの頼みだもん。乗りましょう」

 わざとらしいしぐさで右手を差し出す。三ツ谷はまた驚いた顔をしたけど、すぐにニヤリと笑って私の手を取った。

「契約成立だな」

 一部屋を二人で分け合うという、ただそれだけの契約。一見無機質に見えるけれど、お互いを縛りたいわけじゃない私たちにとっては、その軽さがちょうどいい。新しい生活はきっとうまくいく。だって、契約の相手は三ツ谷なのだ。

(2023.11.05: Written by Sarako)





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