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「実は、彼氏できたんだ」

 届けられたアイスティーに早速ガムシロップを入れながら、友人はそう言った。

「そうなんだ!よかったじゃん」
「うん。ありがと」

 彼女がグラスの中をストローで混ぜると、からんと氷のぶつかる音がする。夏の名残みたいなその音の中に彼女の「照れ」みたいなものを感じて、なんだかこっちがむず痒い気持ちになってしまった。幸せなんだって、詳細を聞かなくてもなんとなくわかる。自然な血色に見えるよう仕込まれたチークのおかげで、いっそう幸福感をまとって見えた。

「いつから?」
「ニヶ月くらい前かな。アプリつかって」
「え、すご。あれって実を結ぶことあるんだ」

 前に会ってからいつの間にか二ヶ月以上もたっていたということよりも、出会いのきっかけに驚いてしまった。怪しげな出会い系サイトがはびこっていた頃とは違い、今やマッチングアプリが広く利用されているご時世だ。去年くらいに物は試しと何かをインストールしたけど最初のプロフィール登録の段階がすでに億劫で、結局何もしないままスマホから消してしまった。この年齢になってくると新たな出会いも少なく、出会いを望むのなら自分から探しに行く必要がある。そういう時に合コンとかアプリとかで出会いの数を稼ぐのは有効だけど、その手間をかけてまで恋人がほしいかと言われたら別にそうでもないし、アプリを使って上手くいった話も私の周りにはなかった。それで結局、めんどくさいが勝ってしまったのだ。
 そんな私とは違い彼女はこうして結果を出しているわけだから、やろうと思えば相手を見つけられるのだろう。どれだけの人と出会えば恋人にまで発展する人が見つかるか。それは運次第だと思うけれど。実際、彼女はかなり頑張っていたらしい。アプリ内でマッチしてメッセージのやりとりをして、それから会う約束をして。それを繰り返してやっと恋人となる人に出会う。そこまでして相手を見つける熱意がすごい。だけど、私たちの年齢やこの先の人生のあれやこれやを考えてみると、頑張るなら今なんだろうな。と、彼女が恋人と出会うまでの顛末を聞きながら思う。

「ナマエは?いい人いないの?」
「それが残念ながら」
「そっか。今はいらない感じ?」
「うーん。そういうわけじゃないけど」

 この先全く恋愛が必要ないとは思わない。だけど、今のこの生活で充分満たされてしまっていて、「彼氏ほしい!」ってテンションではない。だけど将来的な事を考えたら、そろそろ伴侶となり得る人を探した方がいいのかもしれないとぼんやり思う。というか、彼女の話を聞いていて、ちょっと頑張った方がいいのかもしれないという、ちょっとした危機感が芽生えたというのが正しい。まだまだ長い人生、一緒に生きていってくれる人はいた方がいいのだと思う。
 そんなようなことを彼女に話すと、「ナマエっぽいわぁ」と笑われた。相変わらず隙のない目元が移りゆく表情を際立たせている。こういう所を隙なくやれるから、恋人探しもだらけずに目標を果たせるのだろう。私が挫けた初っ端のプロフィール登録も、おそらくはさっさと終わらせたんだと思う。

「ちなみにナマエはどんな人がいいの?」
「んー……あんま気を使い合わなくてよくて、楽で、ある程度家事ができる人。とかかなぁ」
「そういうのじゃないと暮らしていけなさそうだもんね、ナマエって」

 ルームシェアをしていると話した時もこんなことを言われた。確かに私はあまり他人と生活するのに向いていないと思う。一緒に暮らすうちに露見してくるであろう価値観の違いや、そこから感じるストレス。そういうのを考えると、同棲生活に疲れて解消する未来しか見えなかった。それを乗り越えてでも一緒にいたいとまで思わなかったとも言える。とかなんとか言いつつ、三ツ谷と暮らしているわけだけど。
 今思えばよくこんな大胆な決断が下せたなと、我ながら思う。三ツ谷にルームシェアを持ちかけられた時、男友達との同居が一般的じゃないことが引っ掛かりこそすれ生活がうまくいかないといった心配はなく、たぶん快適に暮らせるだろうなと想像していた。実際それはその通りで、不満も不快もなく暮らせている。気のゆるみから生じた事故はあったけれど。

「そういう男ってさぁ、ときめく男よりも見つけるの難しいよね」

 グラスに視線を落とした友人の瞼のうえで、青っぽい偏光ラメがちらちらと光っている。その瞬きを見ていると、「彼氏にすっぴんを見せるタイミングがわからない」と嘆いていた若き日の彼女を思い出した。出会って好きになってくれた時とは違う姿を見せるのが怖い。そんな気持ちは私にも理解できる。でも、日常を共有する間柄になるのならば、いつか素のままの飾らない姿を見せることになる。特別な場所ではしゃぐよりも、日々を穏やかにすごしていける。そういうのを重視したいお年頃なのだ。

「てかさ、ナマエもアプリやろうよ」
「急だなぁ」
「いい人いるかもしれないじゃん」

 「若いうちに探しとこ!」となぜか私よりも乗り気な彼女に押され、結局登録と数人とマッチさせるところまで進んでしまった。別れ際に「検討を祈ってるよ」なんて言う彼女には悪いけど、たぶん期待には応えられないような気がしている。



 玄関へはいると廊下の先のリビングには三ツ谷がいる気配があって、夕飯を作っているのが分かる。洗面所で手を洗ってからリビングに入ると、すでにキッチンで一杯やっている三ツ谷がいた。目が合うと「おう」と短い挨拶をされるので、「ただいま」と答える。

「わ、唐揚げだ」
「揚げ物食べたくなってさ。ナマエも食うだろ?」
「もちろん食べます」
「はいよ」

 キッチンの様子を見る感じ、まさにこれから揚げるの開始しますというところだった。特に連絡をしたわけでもないので、タイミングが良くてラッキーだったなと思う。揚げるのは三ツ谷がやってくれるとはいえやってもらってばかりは気が引けるので、食器くらいは出して置こうと食器棚を開けてふたり分を取り出した。ほかに手伝いはあるかと聞いてみるが、「座ってていーよ」と返事が返ってくる。その言葉に甘えようとダイニングチェアへ座りかけて、やっぱりキッチンへと戻った。三ツ谷が飲んでいるのを見てから、無性にビールが飲みたい。冷蔵庫から一本とりだして蓋を開けるといい音がした。それを合図に三ツ谷の缶が差し出されるので、自分のを軽くぶつけて乾杯する。

「家で揚げ物って何年ぶりかな」
「お前、揚げ物とかやんの」
「やらない」
「なんでそんな堂々としてんだよ」

 けらけらと三ツ谷が笑って、私も笑う。そしてほっとする。数日前に脱衣所であんな姿を見せてしまってからこんな感じだ。このままこじれたらどうしようと不安になったものの、お互い謝って一件落着となった。ついでに「脱衣所がしまってたらノックする」なんてルールが追加されて、変にこじれずに以前と変わらず過ごしている。あぁいつも通りだと思うとほっとするのだ。
 そんな私の思いはつゆしらず、三ツ谷は天ぷら鍋になみなみと注がれた油に菜箸を突っ込んで温度を確認している。ぷつぷつ浮いてくる泡を見て「うし、やるか」なんて言ってる三ツ谷の姿からは期待しか感じない。揚げたての唐揚げなんてそれだけでおいしいに決まっているし、この男がつくる料理に外れはないことは約半年の生活でもうわかっているのだ。
 衣をつけた鶏肉が鍋の中へ入ると、じゅわっと食欲をそそる音がする。催し物を見ているような気持ちになって体を近づけると、「油跳ねっから」と三ツ谷に腕で静止された。

「過保護だなぁ」
「いや、アブネーだろ。ヤケドすんじゃん」

 三ツ谷が私に向ける優しさや気遣いは普通なのか、それとも違うのか。最近よくわからない。きっと同じ状況なら妹さんにも同じことをするし、ほかの人でもそうなんだと思う。だけど、当たり前に私の分の夕食も準備してくれることとか、風邪をひいたら病院まで付き添ってくれることとか、せっかくのおしゃれを無駄にしないようにと出かけてくれたり。そういう優しさを、ただの同居人の私が享受していていいのだろうか。
 ふと数時間前のことが思い出される。アプリに表示された写真をアリかナシかと右へ左へスワイプして行ったことに、少しの罪悪感が湧いてくる。会ったこともない男の人を値踏みしたことではない。こんな居心地良い生活をしているくせに、あわよくば程度の求めてもない出会いを探している、そのことに。うまく言えないけど、三ツ谷に対してフェアじゃない気がして。

「あのさぁ」
「ん?」

 三ツ谷の視線が鍋からこちらへと移る。色素の薄い瞳が私を見据えると胸の内がそわそわする。
 「あのさぁ」に続けようとした言葉はいくつかあった。エマちゃんたちに会ってから頭の隅にあり続ける動揺を、はっきりさせて取り除いてしまいたい。だけどいざ口にしようとしたら恐ろしくて、同時に悲しくなった。
 呼びかけておいて続きを言わない私を、三ツ谷は不思議そうな目で見ている。堂々巡りしている思考を断ち切って「おいしそう、コレ」とキッチンペーパーの上に並ぶ唐揚げに視線を落とすと、三ツ谷はバカみたいな私の言葉に噴き出して「ハラ減ったなー」と笑った。

(2024.6.29: Written by Sarako)





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