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 店外に一服しに行った男ふたりを見送ると、幅を取る奴らがいなくなったおかげか先ほどまでよりも少し落ち着いた空気が漂いはじめる。「行っちゃったね」と笑うエマちゃんに「だねぇ」と曖昧な笑みを返した。
 初対面の人といきなりふたりきりにされるって、私にとっては難易度が高いことだからそわそわしてしまう。さっきまでは三人の話に相槌を打ったり、たまにこちらに矛先が向いてくれば答えたり、そんな感じだったから余計に。三ツ谷たちはどれくらいで帰ってくるだろうか。それまで間がもてばいいのだけど。

「酢の物キライなの?」

 私の人見知りを察したのか、エマちゃんが口を開いた。ずっとソフトドリンクを飲んでいるのに、皮膚の下から透けてきたような赤色がかすかに頬に浮かんでいる。さっきから少し室温が暑く感じるのは、お酒のせいではなかったかもしれない。

「うん。胡瓜もあんまり。……あ、頼みたいものあったらお気遣いなく」
「んー、そうじゃなくて。三ツ谷が代わりに食べてたから、そうかなって」

 ね?と小首を傾げたエマちゃんの、どこかうれしそうな表情。女子の瞳に好奇心が宿るこの瞬間を私は知っている。ある種の尋問がはじまる予感に心の中でひっそりと身構えた。
 嫌いなお通しを食べてくれるなんていつものことでなんとも思わなかったけど、よくよく考えたら分かりやすすぎる突っ込みどころだ。ドラケン君のあのなんともいえない表情の理由が、馬鹿みたいだけど今やっと分かった。あの時に戻って無理矢理にでも流し込みたい。そしたら今こんな事にはなっていなかったかもしれない。

「あー…いつも食べてもらってて」
「いつも?」
「飲み屋のお通しでよく出てくるじゃん。だから」
「だから、ねぇ」

 エマちゃんが言外に「ホントはもっと、なんかあるんでしょ?」と言っているのが、表情や仕草からありありと伝わる。ただでさえ強い目力から飛んでくる刺すような視線からは、私とふたりきりのこのチャンスを逃すまいとした意気込みが感じられて、まともに目を合わせられずにいる。
 三ツ谷たち早く帰ってこないかなと祈りつつ、「三ツ谷とはよく飲んでるから」でどうにか切り抜けようとしてみる。けれど、どう頑張っても一言ずつ墓穴を掘っている気しかしない。今日会ったばかりの彼女に有効なカウンターを打てるわけもなく、防戦一方だ。
 エマちゃんは頬杖をついて、何も言えなくなっている私をじいっと見据える。薄い色の大きな瞳は確実に、私と三ツ谷が飲み友達以上の何かがあるのを確信している。

「ただの飲み友達には見えないんだよなぁ。ウチには」
「いや、ほんとに違うから」
「だって、水族館なんて行かないでしょ。フツー」
「約束してた子が行けなくなったから、その代わりで」
「それでも男とは行かなくない?」

 ハイ、おっしゃる通りです。としか返せる言葉がない。でもそれを言ってしまえば、話がおかしな方向に行ってしまうのが目に見えているから黙っている。私たちの事を正直に説明したとしても、たぶん納得してもらえない気がする。
 恋愛とかそういうの、三ツ谷とは違う。今まで恋愛の意味で好きになったり恋人関係になった男に抱いた感情と、三ツ谷へ抱く感情はまた別の種類だ。これを恋愛とか、そういう類いの括りに入れてしまうのには違和感がある。そしてそれ以上に勿体無い気がする。だって男でも女でも、三ツ谷みたいなやつ他にいない。三ツ谷がどう思っているかは分からないけど。
 「そうかもだけど、三ツ谷はそういうんじゃないよ」と言い切って、グラスの底から数センチくらいになっていた水割りを飲み干す。彼女が期待しているような、そういう楽しい話はない。私と三ツ谷の間には、ない。
 エマちゃんは斜め上を見上げて、ううんと納得いってなさげな顔をする。そんな不服そうな顔をされても実際そうなのだから何とも言えない。期待された以上に盛り上がってしまいそうな事実もあるけど、それは先ほど住居の場所を聞かれたとき、無言のうちに三ツ谷と共通の認識ができたところだ。

「ナマエちゃんがそう思ってても、三ツ谷はわかんないじゃん」

 三ツ谷がどう思っているかわからない。それはそうだけど、少なくともここで期待されているようなものではないと思う。だけど、普通のオトモダチに分類されるかと言われたら何とも言えない。それにしては距離が近いと思うし、でも恋人でも何でもない。となるとやっぱり友達ってことになるんだろう。恋人ではないから、いつか互いにそう呼べる人ができて、収まるところに収まっていく。そういう関係。
 「いやぁ……」と言葉を濁す私をエマちゃんが笑う。

「三ツ谷はナマエちゃんのこと、結構好きだと思うなぁ」

 自信たっぷりで、なぜかとてもうれしそうな言い方だ。どうしようかと思っていたところに三ツ谷とドラケン君の声が聞こえてきて、ほっと胸をなでおろす。この話はこれで終わりになるはずだ。空のグラスを見た三ツ谷が席に座るなり「なんか頼んだ?」と聞くので、首を横に振る。するとちょうどよく通りかかった店員を呼び止めてくれたので、同じものを注文した。

「何話してたん?」
「んー……なんか、色々」
「なんじゃそりゃ」
「ウチらだけのナイショだもんねー」

 いたずらっぽく笑うエマちゃんにあわせて笑う。三ツ谷から香るタバコの匂いが久しぶりなのは、あの家では吸わないようにしてくれているからだ。



 乗り換えの駅で三ツ谷と一緒に降りて、電車内に残るドラケン君たちに手を振る。乗り換え先に向かおうと歩き出したところで、「あ」と声が出た。「なんか忘れモンでもした?」と三ツ谷がこちらを伺ってくる。

「△△って、ここで乗り換えだったのかな」

 ドラケン君に聞かれたとき、三ツ谷がとっさに答えた私の架空の最寄り駅。何も考えずにここで三ツ谷と一緒に降りたけど、△△へ行くのにここで降りる必要はあるのだろうか。△△へ行くにもいろいろな乗り換え方があるけど、ここの乗り換えが不便なルートだったら降りるのは不自然だ。せめてあの時、〇〇と同じ路線を言ってくれていれば。と思うけど、助け舟を出してくれた三ツ谷に文句を言うのは違う。三ツ谷も不自然さに気付いたようで、少し考える仕草をした後に「あー。まぁ、どうにかなんだろ」なんて言っている。適当だなぁと思うけど、もうどうしようもない。ドラケン君たちが疑問に思わなければいいと思ったけど、たぶんかなわない願いだ。
 「住んでるとこの設定、忘れないようにしなきゃ」と呟く。「前そこに住んでなかったっけ?」と三ツ谷は言うが、残念ながら記憶違いだ。住んだこともないし、大学があったわけでも職場があったわけでもない。

「ドラケンには話してもいいかと思ったんだけど、ナマエがどう思うかわかんねぇよなって」
「うん……そうだね」

 「説明できる?私たちのこと」と言いかけてやめた。「できる」と「できない」のどちらの答えも都合が悪い気がして。私にとっても、たぶんだけど、三ツ谷にとっても。
 乗り換え先への道中の空気は生ぬるくて、人が多いせいか息苦しい。隣をゆく三ツ谷が腕時計をちらりと見て「間に合うな」と呟いた。

「三人とも仲いいんだね」
「あんだけつるんでたからなー」

 あんだけってどれだけだろう。つるんでいた当時の話は今日散々聞かせてもらったけど、いくら聞いたとてその思い出に私はいなくて、三ツ谷と彼らが過ごした時間の話でしかない。私だって三ツ谷とはもう長い付き合いで、ここ最近でいえば一番長く時間を共有している。だけどそれを人に言うことはできないから、三ツ谷たちのヤンチャな話を聞いていただけだ。
 不公平。とは言わないけど、なんだか釈然としない気持ちがふつふつと湧いてくる。その湧き出た不満が不快だから、「そりゃ言えないでしょ」と自分を納得させている。でも、不健全じゃないはずなのに言えない関係って、なんなんだろう。
 突風をまとってホームに到着した電車に乗り込む。座席の前に立つと、目の前の席でうとうとしていた女の人がはっと目を覚まして慌てて降りていった。ひとり分だけ空いた席を三ツ谷が目線で指して、「座れば」と勧める。その通りに座席に腰を下ろすと、ふうと小さなため息がこぼれた。色々あって今日は疲れてしまった。

「疲れた?」

 三ツ谷は耳聡く私のため息を拾う。声には出さずに頷くと、三ツ谷が笑ったのが気配で分かった。

「明日、朝メシつくるけど」

 柔らかい声色は、居酒屋にいた時とは違って、それにどこか安心してしまう。「ホットサンドがいい」と言えば「はいよ」とまた柔らかい声がする。電車に乗ってから最寄り駅につくまでの会話はそれだけだった。

(2024.5.8: Written by Sarako)





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