6. ぜんぶ、そのあとで

 無骨な手に包まれたマウスの横に、そっと個包装のお菓子を差し出す。それに気が付いた手の主が、首だけでくるりと振り返った。

「お、地元帰ってきたんだ」
「そう。余ったからどうぞ」

 とは言いつつ、最初からこうすることは決めていた。担当内に配っても余ることは事前にわかっていたし、彼がこのお菓子を気に入っているのを知っていたからだ。「うめぇよなぁこれ」とカチカチに硬い煎餅を嬉しそうにつついている。想像していた通りだ。
 彼は私と同年に新卒で入社してきた、いわゆる「同期」と呼ばれるやつである。同期は他にもいるが、うちはそこそこの規模がある会社なので、配属によってそれぞれのフロアや拠点に散り散りになってしまう。いま現在、同じ居室にいる同期は彼だけだ。

「帰って何してたの」
「だらだらしてただけだよ。あぁでも、小学校が取り壊されちゃうから、同級生と見に行ってきた。懐かしかったな」

 少子高齢化や地方の人口減少。そういった社会問題は生まれ育った町にも容赦なく降りかかり、ついに思い出の学び舎は取り壊されることになった。生徒数の減少だけが問題ではなく、建物が古くて耐震性に問題があったことも要因になったそうだ。「震度5で崩れるらしい」なんて噂は高校生の頃から聞いていたので、「それで子供も減ってるなら、取り壊しにもなるよね」と言うのが、一緒に校舎を訪ねた同級生との共通した感想だった。
 その感想はそれとして、実際に校舎を訪れるとまた違う想いにもなる。成長してから訪れた校舎は廊下も教室も全て小さくて、でも記憶のままで懐かしい。見覚えある椅子に座ると窮屈で、みんな大人になったのだと実感させられた。

「いいな。俺の両親も親戚もだいたいこっちの人でさ。帰省ってちょっと憧れる」

 たまに、こんな風に地方出身であることをうらやましがられるが、当人の私からすると生粋の都会っ子のほうがうらやましい。遊びに行く場所なんてショッピングモールしかないし、進学先の高校もみっつくらいから選ぶしかないし、とにかく選択肢も情報も少ない。十代の頃はそういうところがつまらないと思っていたから、絶対に東京の大学に進学するんだと心に決めていた。
 といった話を「地方出身うらやましい派」の友人にしたところ、「彼氏のグチ聞いてるみたい」と言われた。その心は「いろいろ言うけど結局は好き」らしい。なんかまぁ、割としっくりくる。

「そういえば、土曜の合コンに呼んでたヤツ、ひとりこれなくなったって。出張だってさ」
「ありゃ。それはしょうがないね」

 そういえばで彼が唐突に挟みこんだのは、私たちが幹事を務める合コンについてのことである。先日彼氏と別れてやけ酒をあおっていた後輩こと、河合さんのために我々で企画した。彼は既婚者で私も彼氏持ちなので、今回は完全にお膳立てする側である。

「代わりのやつ探してんだけど見つかんなくてさぁ。ミョウジの周りでいいやついねぇかな」
「うーん、いるかなぁ」

 ほかの参加者と年代が近くてフリーで、なおかつ安心して紹介できる男の子。
 となると意外と思い浮かばない。大変失礼ながら、思い浮かぶまともな知り合いは埋まっている。いやでも、探したらひとりはいそうなもんなんだけどな。
 人脈を探るカテゴリを変えて脳内を探ってみる。すると、ひとりのシルエットが浮かんできた。

「あ……いたかも」
「マジか。来てくれそうな雰囲気?」
「どうかな。彼女いそうな気もする」

 三ツ谷くん。年齢の割に落ち着いていて、人として変なところがなさそうで、ついでに容姿もいい。
 彼なら自信をもって紹介できるけど、恋愛面で困るようなタイプには見えない。「合コン来ない?」「彼女いるんで」「だよね〜」で終わりそうな気がする。

「一応聞いてみるよ。わかったらまた連絡するね」
「了解。助かるわ」

 閑話もそこそこに切り上げて、自分の席に戻ろうと背を向けたとたんに大事なことを思い出した。今度は仕事の話だ。

「そういえばだけど、売上の二重計上してた件、ちゃんと品質管理に報告しといてよ」
「おーそれそれ!ちょっと相談したいんだけどさぁ、時間ある?」

 この後に詰まっている予定もないので了承すると、空いている席の椅子を持ってきて「まぁ座ってよ」と座面を軽く叩かれた。
 この感じはちょっとではすまないなぁ。なんて思うが、これも仕事である。素直にそこへ腰を下ろした。



「ただいまぁ」

 帰宅を出迎えたのは、燃えるごみの詰まったごみ袋だった。今朝は少しばかり寝坊して慌ててしまい、存在を忘れていたのだ。マンションを出た頃に気付いたけれど、取りに戻る間もなく諦めて急ぎ足で駅に向かい、電車に飛び乗った。それが今朝のことだ。
 一人暮らしでも帰宅の挨拶をするのは防犯のためで、当然返事が返ってくるはずもない。出迎えを恋しく思うこともあるけど、それがごみ袋じゃあ。自分のせいとはいえ、さすがに気分はあがらない。
 それに、週明けまでの数日を生活臭あふれるコイツと一緒に過ごすのは遠慮したい。せめて生活空間からは追い出してしまおう。結び目をひっつかんでベランダに出し、室内からは見えにくい場所に移動させた。次回出すのを忘れないようにしないと。
 手を洗って、鞄と上着をしまって、ソファにだらりと腰かけ、テレビをつけて適当なニュース番組にチャンネルを合わせた。こうなると立ち上がるまでに時間がかかると、わかっているけどやってしまう。

「ごはんつくらなきゃなぁ」

 自分に言い聞かせるような独り言だ。作らない限り、食事は勝手に出てこない。でも空腹を抱えている人はこの家に私だけで、困るのも私だけで、そうなると「もうちょっとしてからでいいや」という怠惰が勝ってしまう。だいたい、お腹がすいていて今すぐ食べたいのに料理するハードルって、心の余裕の度合によってはものすごく高くないだろうか。
 怠けている手の癖でスマホを開けてみると、緑に白い吹き出しが描かれたアイコンに赤いバッジがついている。ほとんどは企業アカウントからの通知で、残りの数件は合コン参加者用のグループからだった。欠席になってしまった男の子から謝罪のメッセージの後に、「退出しました」と表示されている。

(代打候補に連絡しなきゃだったな)

 ほんの数回画面を触って会話だって数分で終わるだろうに、『めんどくさいモード』に入ってしまったためになかなか行動に移せない。電話よりは文章を送るほうが気が楽で、試しに電話番号で検索したらアカウントは見つかったけど、何も断らずに送るのはやっぱり気が引ける。
 うんうんとうなってから「やるかぁ」と呟き、弾みをつけて体を起こした。結局、何事も後回しにするよりさっさとやるのが正解なのだ。通話履歴から『三ツ谷くん』をタップして、スマホを耳に当てる。呼び出し音を聞きながらキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。

『はい』
「もしもし。ミョウジですけど、今いいかな」
『ん。大丈夫』

 何度目かのコール音の後、切ろうかなと思ったタイミングで電話を取ってくれた。声の後ろにざわざわとした環境音がする。外にいるんだろうか。

「あの、えっと。三ツ谷くんって、彼女いる?」
『え、いきなり何。いねぇけど』

 さみしい冷蔵庫の中身を見て(買い物行ってくるべきだったなぁ)なんて思っていたら、完全に話の順番を間違えていた。たぶん正しくは「今週の土曜に合コンがあって、メンバーを探してるんだけど」から始めるべきで、今のところ私は『恋人の有無を確かめるために電話した変な奴』だ。ていうか、彼女いないんだ。

「その。土曜の夜に合コンあって、私は幹事なんだけど。ひとり欠員でちゃって。三ツ谷くん、どうかなって」
『それでそんな突拍子もねぇこと聞かれたのか』
「う、スミマセン」

 笑い声の後ろを車の走行音が通り過ぎていく。最寄り駅から家まで歩いている途中だろうか。

『合コンなぁ……』
「抵抗あったら断ってくれていいよ。来てくれるなら、食事代はちょっとおまけする」
『それってさぁ、ミョウジさんも来るんだよな?』
「うん。幹事だから」
『じゃあ行くわ』

 食事代おまけが効いたのかもしれない。望み薄かと思っていたのに、あっさり了承されて拍子抜けした。なぜか緊張していて、ほっとするとお腹の虫が思い出したようにきゅっ、と鳴いた。
 ところで「私が来るなら行く」って言う返事だったけど、三ツ谷くんって本当は人見知りとかするタイプなんだろうか。とにかく、つかまってくれてよかった。

「じゃあ、LINEのグループに招待していい?そこで詳細送るから」
『あれ、LINE交換してたっけ』
「電話番号で検索できたよ」
『えっ、そんなんできんの?』

 あんな感じのいかにもイマドキの若い子なのに、どうやらこういう方面には疎いらしい。そういうときにちょっとした隙が見えて、ちょくちょくあしらわれている身としては、何かおいしい気分になる。

「できるよ。後で追加しておくね。じゃあ」
『あー待って。もうちょい話せねぇ?一駅手前で電車止まってさぁ、今歩いてんの』
「えっ、よかったね電車の外出れて」

 彼は外を歩いているのだろう。という予測は間違っていなかった。
 運行情報を確認してみると「人身事故による」と表示されている。少し遅かったら私も巻き込まれていただろう。寄り道しなくてよかった。

『早く帰れた時に限ってコレだもんなぁ。テンション下がっちまったから、駅着いたらラーメン喰うつもり』
「どれ?駅前いくつかあるよね」
『反対側の出口に新しくできてたんだよ。豚骨ラーメンの店。結構うまかったよ』

 冷蔵庫の食材ラインナップでは、いくらこねくり回しても大したものが作れなさそうだ。そういうときにおいしそうなラーメンの話をされると、一瞬で心を持っていかれてしまう。カップ麺とか袋ラーメンが隠れていることを期待して収納を開けるが、残念ながらどこにもなかった。

「へぇ、いいなぁ」
『行く?メシまだなら一緒に行こうぜ』
「ん〜〜でも、もう家だしなぁ」
『駅まで十分だろ。オレもそんくらいで着くから』

 めんどくささと欲望を天秤にかける。比べるまでもなく欲望が勝ったので無駄な食材あさりをやめ、定位置にもどした鞄から財布を引っ張り出した。

「行く。ラーメン食べたくなっちゃった」
『そうこなくっちゃな』

 きっとあの、にっ、とした顔で笑っているのだろう。電波にのった声がどこかくすぐったい。
 もう一度上着に袖を通し玄関先の鏡で化粧の崩れをチェックして、どうせラーメンを食べたら落ちるけど、口紅は身だしなみだから軽く塗りなおして家を出た。
 家を出てからも、件の合コンがどういういきさつで開催されるかとか、どんな子が来るのかとか、そういう適当な話が続く。駅でお互いの姿を確認した時に、ようやく通話を切った。




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