1. 眺めるだけの一等星

 衣服が洗濯乾燥機の中で回っている。抑揚もなく、されるがままに、くるくると。特段面白くもないのに見つめてしまうのは、どこか親近感があるからだろうか。虚しいような、でも安心するようなで、惹きつけられてしまう。

 マンションから数十メートルほど離れた所にあるコインランドリーには、たびたびお世話になっている。今みたいな、繁忙期と言われる時期は特に。住宅街の中にぽつんと現れるそれは、現在の住まいに引っ越してきた頃にできたらしく、清潔で洗練された明るい内装が良い。上の階はアパートなので、住人らしきラフな装いの利用者をよく見かけるが、混雑していることもない。特にこんな平日の、しかも日付が変わる頃なんて、数台しか動いていない。今だって、隣り合った二台が共鳴するようにノイズを立てているだけだ。
 不意に音が止まる。ドアロックが解除された音で、どこかに飛んでいた意識が戻ってきた。店内に戻ってきてから三分の間、こうやってぼうっと立っていたらしい。ドアを開けて洗濯物を触ってみると、ところどころまだ冷たかった。容量のギリギリ(むしろ超えていた気がする)まで突っ込んだから、乾き切っていないのも仕方ない。追加で乾燥しようと財布を覗くと小銭がなく、両替機へ向かった。吐き出された硬貨の数を数える端で、明日のことを考える。
 明日、出社したら今日の帰り際に投げたメールの返信がきているか確認して、必要なら伝票入れて、税理士にも連絡入れて。五時がデッドラインだから、五時には絶対間に合わせなきゃ。絶対五時。五時。五時……。
 ふらふらと硬貨を投入して、違和感に気づく。このコインランドリーの洗濯乾燥機にはそれぞれ番号が振られている。私が利用しているものは4=Bたった今硬貨を食べさせたこれには5≠ェ、それぞれ任されていた。
 つまり、私は他人の洗濯物の乾燥時間を、勝手に延長してしまったのだ。

 見知らぬ衣服が温風を受けてくるくると跳ねている。その呑気な様子に頭を抱えた。私よ、いくら疲れているからって、これはないだろう。今の自分のパフォーマンスが信じられず、入っている衣類をもう一度確認して、今度は確かに4≠起動させた。
 ふらふらと備え付けのベンチに腰掛ける。もしかしてキャンセルできるのでは。と思い立ち調べるも、一度動きはじめたら止められないタイプのものと分かり、また頭を抱える。これで人様の洋服を縮めたり傷ませてしまったら、その時は弁償しなくては。
 そう腹を括ったところに、ひとりの若い男性がやってきた。出立からして学生だろうか。ズボンのポケットへ手をつっこみ、その手首には北欧の家具屋でお馴染みの青いビニールバックを引っ掛けている。まっすぐ例の洗濯乾燥機へやってきて、おやと首を傾げた。この人だ。

「あ、あの…」
「はい」

 立ち上がり、少し近くまで寄って呼びかける。振り返った彼の表情や雰囲気には嫌な感覚がしなくて、負い目のある私は少し安心する。

「すみません。それ、自分のと間違えて延長しちゃいました…」

 ぽかんとした彼の表情は一瞬で崩れ、ふっと吹き出し笑った。徒競走のよーいどんの空砲みたいに、からっとした笑い方だった。





 お金返しますよ。いえ私が悪いので。オレも延長するつもりだったんスよ。そんな気を使わないで。いやホントだって。でも大丈夫です。じゃあ……。

「終わるまで相手してもらえます?」

 攻防戦の末の要求に二つ返事で了承した。立っているのもなんだからと勧められ、ベンチに並んで腰掛ける。部屋着っぽい上下を身につけているから、きっとここの住人だろう。整った顔立ちのせいか、気の抜けた格好でもサマになっている。

「お姉さんはここ、よく使うんスか」
「忙しい時期は、よく」
「じゃあ、今は忙しいってことか」
「そうですね……」

 経理部にいると三ヶ月ごとに修羅場がやってくる。特に期末決算の盛り上がりといったら、それはそれはすごいもので、ゆっくり昼食を食べる暇すらない。家にも寝に帰るだけのようなものだから、近所に迷惑をかけずに洗濯機を回せる時間帯に家にいることも難しい。そんな時、洗濯籠に放り込みっぱなしの衣服を抱えてここに来て、明日着る服を
 すっかりお馴染みになったその営みを聞いて、彼はへぇと納得したような声を漏らした。

「そりゃ疲れますね。間違えんのも納得だわ」
「疲れてっていうか、明日の五時までの仕事があって。絶対に破れないから、五時、五時って思ってたら……」
「だからそれ、疲れてるって」

 初対面の割に遠慮のない笑い方だ。でも不快感はなく、むしろ恐縮しきりの私のために、わざと軽い態度をとってくれているように思う。そもそもの話、コミュニケーションが不得手であれば、「終わるまで付き合え」なんて提案は出てこないはずだ。老若男女問わずにそつなく人間関係をこなす同僚がいるが、あれと似ている。

「まぁでも、忙しすぎると洗濯機まわせねぇのはわかるわ。周りが寝てる時間にしか家にいねぇし」
「お兄さんも結構忙しいんですね」
「オレ、まだ下積み中の下っ端だから」

 学生かと思ったが、この口ぶりからして社会人のようだ。だとすればこの落ち着いた佇まいも納得できる。けれど多分、学生とかそうじゃないとかは関係なしに、彼はこういう人なのだ。なんとなくそう思う。会話を始めてからずっと、彼は私よりも堂々としている。
 下積みって大変そうだと言ってみれば「夢だったから」と答えた。迷いのない声だった。青春を生きる人しか持たない周波数は、洗濯機の騒音などなんのそのでよく通る。私にはそれがただ、眩しくて羨ましくなる。
 それにしてもこの髪色で働けるって、一体どういう職種だろうか。少なくともその辺の会社勤めではない気がする。「下積み中」のワードから推察して美容師だと仮定したら、抱いていた第一印象がそれっぽくて腑に落ちた。なんというか、色々とモテそうな要素の多い人だ。

 たわいなく会話しているうちに目の前のドラムが停止して、ドアロックの外れる音がする。彼が使用しているほうだ。「あ、終わった」「うん」だけ往復させて、ベンチから立つ。洗濯機のドアを開けると、柔軟剤の香りと出来立ての洗濯物の温かさがぽわん、と漂う。触ってみると冷たいところはなく、ふわふわと温かい。備え付けのワゴンに取り出しているうちに隣のドラムも停止する。ドラムからワゴンへ移っていく彼の洗濯物を見て、当初の懸念を思い出す。

「洗濯物、無事ですか?」
「ん、ちゃんと乾いてる」
「よかった。余計なことして縮ませちゃったりしたらどうしようかと……」
「はは、なるほど。そーいうのは入れねぇし、全然大丈夫」

 どうやら何事もなかったようで、ほっと胸を撫で下ろす。今この時期に心配事が増えたら、ストレス過剰でやられるかもしれない。ある程度のストレスじゃ自分はどうともならないことは、数年間の社会人生活で分かってはいるけども。

「それ気にしてたワケ?」
「だって、万一があったら弁償しなくちゃって思ってたし」
「へぇ、いい人なんだな」
「そんなことないと思うけど……」

 たったこれだけでいい人に認定されるなら、人生はもっと容易くていいのに。そんなこと言って、あらあら、いやねぇ。どこかで俯瞰している自分が私を茶化してくる。そういう時、ちょっと自分が嫌になる。
 作業台に並んでワゴンに積み込んだ衣服を畳む。やたらテキパキしているからつい盗み見てしまって、ふっと目が合う。「こうやって畳むといいっスよ」と教えてくれたところで、ひらめきがひとつ降りてきた。

「あ、ちがう。アパレル?」
「そうっスけど。ちがうって何が?」

 思わず口に出てしまった。脈絡のない発言に疑問符を浮かべた彼に、脳内で繰り広げられていた『お兄さんの職業予想会議』について説明する。そうすると「よく言われる」と言って、またからりと笑う。そして辿々しくシャツを畳む手つきを「お、上手」と褒める。そんなこと言われたのは久しぶりで、嬉しいけれど気恥ずかしかった。

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