17. シナリオはエンベロープで届く

 JRの二番出口を出て徒歩三分。緩やかな坂道を上った先に、目的の建物を見つけた。お店のロゴが描かれたドアの先に階段があるが、これを登った先が会場だろう。ドアを開けた途端、和気あいあいとした様子が上階から伝わってきた。一段ずつ登るたび、その雑音のようなざわめきから意味のある言葉を聞き取れるようになるけど、残念ながら覚えのある声は聞こえてこなかった。
 階段を登り切った先で、受付の女性に名前を告げて会費を支払う。彼女も知らない人だった。余興に使うというトランプを一受け取って、パンツのポケットにしまう。
 結婚式も二次会ともなればすっかり出来上がっている人も多く、主役の登場前だというのに会場にははしゃいだ雰囲気が出来上がっていた。この空気の中に今から入っていくのは、少しばかり躊躇される。大体の見当はあっても誰が来ているのか知らなかったから、まずは知り合いを探さなくては。

「ナマエ」

 不意に背後から呼ばれ、振り返ると懐かしい顔があった。同時に「助かった」とも思う。渡りに船とはまさにこのことである。

「ひさしぶり!何年ぶりかな」
「真由の結婚式以来じゃない?てことは……三年ぶりかな」
「うそ、そんなに経っちゃった?」

 気づけば最後に顔を合わせてから三年も経っていたらしい。学生時代は毎日と言っていいほど顔を合わせていたのに、卒業した途端数年もの空白が簡単にできてしまう。これも歳を取った証拠のひとつだろうか。
 久しぶりに見る友人は学生時代の面影を残したまま、でも大人になったなという印象だ。シンプルなワンピースとひとつにまとめた髪の結び目を隠すように付けられた髪飾りが、どことなく垢抜けて見える。三年前の晴れの日は美容院のセットでばっちりキメていたのに、随分と小慣れたものだ。
 他人のことばかりだが、私も同じようなものだ。新調したパンツドレスはデザインが気に入ったのはもちろんだけど、脚を出したくないとかポケットがあると便利だとか、そんな理由もあって選んだものだ。あとはヘアアイロンでニュアンスをつけた髪をまとめて、アクセサリーをつけたらそれで完成。お呼ばれスタイルができあがる。
 思えば、あの頃はどうしてあんな風に気合いを入れていたのだろうか。当時は「結婚」というイベントに高揚して、私自身も呼ばれたからには特別なおめかしをしたかったのだと思う。あれから少し大人になって、冷静にもなった。ここは新郎新婦のための祝いの場なのだから、ゲスト側は失礼がなければそれでいいのだ。

「なんか、結婚式でもなければ会わなくなっちゃったね」

 会ってしまえば気持ちはあの頃に戻るのに、着々と落ち着いていくのがなんだか切ない。それは私たちだけじゃなく、あそこに見える先輩も、さっき会釈をしてくれた後輩も、みんなそうだ。しばらく見ない間に、変わっていないように見えて変わっている。
 別の道のりへと歩み始めたら、いつの間にか顔を合わせることもなくなる。学校という共通の活動場所を失うだけで、簡単に会うこともなくなってしまう。なんとも切ないが、きっとそういうものなのだ。
 ふたりして時の流れの早さに慄きつつ、グラスを傾けて乾杯する。バーカウンターに準備されていたものから適当に見繕ったが、どうやらサングリアのようだった。
 
「実はね、二ヶ月くらい前にナマエのこと見かけてたんだ」
「え、そうなの?」

 突然の告白だ。少し驚いたけど、同じ都内に住んでいるわけだから、そんなことがあってもなんら不思議じゃない。
 それにしても、一体いつどこでのことだろう。恥ずかしいところを見られていなければいいけれど。

「表参道ですれ違ってさ。土曜の昼過ぎくらいかな」
「……あぁ、いたかも」

 彼女が目撃したのはたぶん、彼氏と別れたばかりの私を三ツ谷くんが連れ出してくれた、あの日だろう。原宿に行く用事なんてほぼないから、あれ以外に心当たりはない。ということは、並んで歩いているところを見られたことになるが、少し恥ずかしい。もしかしたら私、はたから見ても浮かれていたかもしれない。
 ロングピアスの先で揺れるフェイクパールを指でいじる。友人は答え合わせの結果に、「やっぱり!いたよね」とやや興奮気味だ。
 会話の雰囲気からしてきっと、三ツ谷くんとの関係を聞かれるだろう。なんだか緊張して、心臓が早くなりはじめる。

「若い子と一緒にいたけど誰?弟?」

 ひとつ、大きく心臓が鳴った。大きなミスをしていたのに後から気づいた時みたいな、そんな嫌な音だった。鼓動はせわしなく打っているはずなのに、指先が冷えていく。握ったグラスのせいだろうか。指先だけじゃなくって、体の芯までが冷えてきた。お酒を飲んでいて、会場の熱気だってあるのに。

「うん。そんな感じ」

 そう答えた唇だって、冷たかった。
 友人が「へぇ」と答えたところで、司会者から新郎新婦到着のアナウンスがあった。聞きなじみのある洋楽が流れて今日の主役が登場し、会場はひときわ盛り上がる。カウンターの空いているところにグラスを置いて、祝福の拍手で出迎えた。打ち合わせる両手は、まだ冷たいままだ。
 プロジェクターに映し出された映像によるところでは、ふたりは新卒で入社した会社の同期で、入社してしばらくして交際をはじめ、こうしてめでたく結ばれたらしい。ふたり並んだ様子はお似合いで、とても幸せそうだった。 



 玄関のドアを開けてすぐに、深いため息がこぼれた。足だけでパンプスを脱いで中へとあがり、まっすぐに部屋の真ん中に鎮座するソファへと沈み込む。そこでもため息が出て、ひとり笑う。楽しかったけど、同じくらい疲れた。
 パンプスはつま先を部屋の方へと向けたまま、それを直すほどの余裕も残っていない。大して荷物の入ってないバッグも、余興の景品だったハンドクリームのセットもとても重くて、帰り道は長旅から帰ってきた時みたいな心地だった。
 歓談中、友人と互いの近況を話しあった。あの彼と別れたのだと言うと案の定驚いて、それから「じゃあ今日いい人探そ」と冗談まじりに笑う。私は「当分はそういうのいいかな」とおどけて見せたけど、それが本音だった。ばしゃりと水のかかったところでは、火を起こすことはできない。
 二杯程度しか飲んでいないのに頭が痛い。人酔いでもしたのだろうか。シャワーの前に少し休もうとして、ソファに横になって目を閉じる。まぶたの裏に浮かぶのは、指先を冷やしたあの瞬間だった。友人の目からは姉弟のように見えた、並び歩く私たち。
 やっぱりそうだよね。と、頭の中でつぶやく。忘れていた。三ツ谷くんはいつも眩しかったこと。その眩しさはもう、私には備わっていないこと。浮かれていたから、すっかり忘れていたのだ。
 三ツ谷くんと出会ってからの日々を想う。思い返せば突風のように吹き抜けていった日々だ。もしかしたらいるのかもしれない神様が、私の人生の停滞ぶりを見かねて、彼と出会わせてくれたのかもしれない。思惑通りに出会って、まんまと恋をした。だけど結ばれるには釣り合わないから、物理的に離れることになった。ばかばかしいけど、そう考えたら腑に落ちたのだ。
 ゆっくりと目を開く。壁際に並んだ段ボールを見ていると、少し頭痛が和らいだ気がした。
 次の日曜日に引っ越したら、もう終わり。私は新しい街で、新しい生活をはじめる。さみしいけど、きっとそれでいい。それで間違っていない。いっときの痛みなんていつかは忘れるってことは、今まで何度も転んできたから知っているのだ。
 もういい加減シャワーを浴びよう。身体を起こしかけるが、鉛のように重くて諦めた。高さはないが細いヒールで頑張っていた足の裏が、じんじんと疲労を訴えている。やっぱりまだ頭痛もする。もういっそこのまま寝てしまおうかと目を閉じてみたけど、いくら待っても眠りにはつけなかった。




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