10. ホットチリ・チョコレート

「なぁおいミョウジ。聞いた?」
 
 退勤後に給湯室でマグカップを洗っていると、背後から不意に声をかけられた。
 声の主はツリ目がちな目元をらんらんとさせて、少しばかり興奮しているようだ。彼が何の話をしたがっているのか、この様子から容易に察することができる。
 聞いたよと返事をしたら、興奮度がまたひとつ上がったように見えた。私にしか話せない話題だから、話したくて仕方なかったんだろう。
 
「聞いたか。マジでびっくりだよな」
「ホントにね。そうなの!?って感じだった」
「いや〜俺達が合コンセッティングした意味よ」
「まぁまぁ。丸く収まってよかったじゃないの」

 軽く文句を言っている。でも、彼はなんだかんだと面倒見のいい人だから、文句を言いつつもどこか嬉しそうに見えた。
 それは、今日のお昼休みのことだった。河合さん──我々が合コンをセッティングしたきっかけの後輩──から、珍しくランチに誘われたと思ったら、彼氏ができたと報告を受けたのだ。
 しかも、お相手は安井くん──河合さんが振られた時の飲み会で彼女の世話をしていた後輩──だというから、驚いてちょっと大きな声を出してしまった。
 「何回かふたりで飲んで、大丈夫だって励ましてくれて」「案外押せ押せで、あんなに言われたら私もって」
 照れくさそうに教えてくれる彼女は幸せそうで、はにかんだ笑顔がとてもかわいらしかった。幸せそうな女の子って、より魅力的に見える。
 彼女の恋人探しのために合コンをやったのに、随分と近くにお相手がいたものだ。かといってあの合コンがムダだったかと言うとそんなことはなく、どうやらアレがあってこそ安井くんにエンジンがかかったらしい。
 合コンを開催した当初の目的は達成しているわけだし、彼らが幸せそうなら結果オーライだ。

「結婚式は呼んでもらわねぇとな」
「えらく気が早いなぁ」

 「部下の結婚式って何万包むべき?」なんて言い出すから笑ってしまう。冗談っぽく言ってはいるけど、半分くらいは本気なんじゃないだろうか。
 私もいつか、彼らの晴れの日に呼んでもらえたりするのかな。彼に感化されてそんな思いが私の胸の内にもよぎる。変に拗れることなくうまくいってほしい。それこそ私を反面教師にでもして。
 彼らの未来を思ってみたらそこに行きついてしまって、おめでたい話題だったのにちょっと萎えてしまう。だけど、反面教師にして欲しいのは本当だ。見えない天井が迫ってきて、そこから焦りはじめたんじゃ遅い。何がどうなるかは誰にも分からないけど、同じ轍は踏んでほしくないなぁと思う。
 そういえば、私が例の彼と破局したことを目の前の彼は知らない。わざわざ呼びつけて伝えることでもないけど、あの合コン中に相談していたし、私も彼に報告したほうがいいかなと思っていた。丁度良いことに今の話題は恋愛についてだから、話すのにおかしなタイミングでもないだろう。ということで、会話がひと段落したところで切り出すことにした。

「そういえばだけど、彼氏と別れたんだ」
「あ、マジ?意外と決断早かったな」

 いかにもスポーツマンといった精悍な顔が、ぽかっと口を開けて驚くのが少しおかしい。それと同時に、決断に時間がかかると思われていて複雑な気持ちになった。今までうだうだしていた私を知っているからこその台詞なんだろうけど、煮え切らないところを見抜かれていて少し恥ずかしい。

「カマかけたらやっぱ黒で。わかったら気持ち悪くなっちゃって」
「ま、妥当だわな」
「そうだよね。もうちょっと早くわかってたらよかったなぁ……」

 時間がたつにつれ、「この決断は間違っていなかった」という確信が強くなる。それに比例するかのように、「もっと早くこうすればよかった」という思いも強まっていく。別れないほうがいいとずっと思いこんでいたのに、不思議なものだ。関係を手放したことで視野が広くなったのかもしれない。

「どっかで一杯やる?今日は外で食べてこいって言われてんだよな」

 溜息交じりに後悔を吐き出した。そんな私の気持ちをくみ取ってくれる彼は、やっぱり面倒見がいい。とてもありがたいことだけど、サシ飲みになるのは遠慮させてもらうことにする。サレた女になってしまった身からすると、奥さんに悪くてとてもそんなことできない。
 というか今日は先約があるから、誰に誘われたって断ることになるんだけど。

「ありがとう。でも今日は約束あるんだ」
「お、新しい男か?」
「ちーがーう。そんなほいほい次にいけません」
「別にほいほい次行ってもいいだろ。フリーなんだし。で、どうなのその男と」
「だから、そんなんじゃないってば!」
「男なのは合ってんだな」

 私をからかってケタケタと笑う。男と約束しているのは合ってる。合ってるけど、そういうのじゃない。「何あるかわかんねぇだろ」と彼は言うけれど、でも違うのだ。
 たまたま近くに住んでいる。だから誘いやすくて誘われやすいっていう、ただそれだけのことだ。それ以外に明確な理由が見当たらないから、そんなのあるはずない。
 こんな必死な台詞、誰にも言わない。だけど、自分自身には口酸っぱく言い聞かせている。



 夜の八時半。夕食を取るには少し遅い時間だ。だけど少し残業して帰ってくると、どうしてもこのくらいの時間になってしまう。何かつまむほど残業時間も長くないから、必然的に食べていない時間は長くなって、胃袋がきゅうきゅうと空腹を訴えている。

「ごめん。遅くなっちゃって」
「全然。俺もちょっと残業したとこ」

 目当ての店の前で合流した三ツ谷くんが、おそらくヒンドゥー教の神様が描かれている扉を開けてくれる。すると、スパイスの香りが容赦なく鼻腔を直撃した。
 こういう系統のお店で何を食べるかは大体決まっていて、今日は別のにしてみようかなと思っても結局同じものにしてしまう。いざ席に着くと、口があの味を求めてしまうのだ。よく食べるものを辛口でオーダーしたら、フレンドリーな口調でラッシーも勧められた。インド料理屋のこういう雰囲気は結構好きだ。
 料理を待つ間にお通しに手をつける。ポテトチップのような見た目だけど、それよりも軽い食感をしていた。何でできてるんだろ。豆かな。この茶色いのなんだろ?クミンっぽくねぇ?そんなことを話しながらも手が止まらない。とにもかくにもお腹ぺこぺこなのだ。
 あっという間にお通しの皿は空になってしまったので、あとは会話をツマミにして料理を待つ。

「そういえば、合コンにいた河合って子覚えてる?」
「あー、あの真ん中にいた子」
「そう。彼氏できたんだって。しかも会社の同期」
「よかったじゃん。あの子、『フラれた〜』グチってたし」
「あはは。すごい落ち込んでたからなぁ」

 あの子、あそこでそんな事言ってたのか。でもまぁ、合コンなら恋人の有無の話くらいするだろうから、そこからそういう話になっても不思議じゃない。三ツ谷くん曰くお酒が入ってからは調子が良くて、赤裸々に話をしていたらしい。私の知っていることは大体三ツ谷くんも知っていたから、饒舌具合が想像できて笑ってしまう。

「ナマエさんが私のために合コン開いてくれたって言ってた」
「そうそう。出会い作ってあげようって。結局近場でくっついたんけどね」
「男側が行った感じ?」
「うん。押せ押せだったらしいよ」
「男が惚れてる方がうまくいく気がするよ。俺は」

 やたらしみじみとした口調なのは、どんな想いからなんだろう。うまくいかなった経験からか、それともその逆なのか。今のところ要領の良いところしか見えてないから、彼が恋愛で失敗するところが想像できない。

「三ツ谷くんはどっちなの?」
「んー……俺は、俺が好きになった人じゃないとヤかな」
「へぇ、意外。かも?」
「なにそれ。どっち」

 くしゃりと笑う。表情が崩れたって整っているままで、容姿がいい人ってずるいなぁと羨ましくなる。
 三ツ谷くんが自分から行く派っていうのは、意外なようにも意外じゃないようにも思える。女の子からのアプローチなんて沢山ありそうだから何もしなくても彼女ができそうだ。でも、女の子を追いかけるガッツだってありそうにも見える。
 どっちもしっくりくるけど、ここ一年近くフリーだと言っていたから、どちらかというと後者なんだろう。アプローチを待つ派で一年も彼女がいないなんて。そんなの三ツ谷くんには起こらなさそうだ。働くばっかりで出会いがないらしいから、それも原因のひとつなんだろうけど。

「好きになられて付き合ったことってねぇかも」
「ということは、狙った獲物は逃さない。みたいな」
「いや、逃すこともあるけどさ。つーかなんかヤだなこの言い方」

 なんとも言えない顔をしている。三ツ谷くんってクールな印象があるけど、こうしてみると案外表情豊かだ。私よりもっと大人の顔をする時もあれば、悪ガキみたいな顔の時もある。
 今度はようやく運ばれてきた料理を見て「ナンでけー」と楽しそうにしている。無邪気さが年下って感じがして、そういうところを見ると、なぜか私はほっとするのだ。

「ナマエさんの、ひとくち食べていい?」 
「どうぞ。私も三ツ谷くんの食べてみたい」

 半分ほど食べ進めた頃に、お互いの注文した料理を一口ずつ味見した。結構辛いと思うと忠告はしたけど、私の皿から掬ったルーを口にした瞬間に「辛っ!」と驚いていた。

「ナマエさん、これフツーに食えんの」
「うん。辛いの好きだから、むしろ丁度良いかな」
「マジか。俺ムリだわ」

 食べ進めてようやく皿に収まる大きさになったナンをまたちぎって口に入れ、辛さを中和している。ラッシーでも頼むかと聞いてみたけど、それほどではないらしい。落ち着いたところで目が合って、あははと笑い合う。

「辛ぇけど味は好きだわ。ナマエさんのおかげでいい店開拓できた」
「気にはなってたんだけどね。おかげで食べにくるきっかけできたよ」
「じゃあ、またきっかけにしてよ」

 にっと笑うところはよく見る。その笑顔が大人の顔にも少年の顔にもどちらにも見えて、どこか翻弄されているような気持ちになるのだ。
 それでもうんと頷いた私はきっと彼の言葉通りにするし、彼も私と同じようにすると思う。
 もしかすると私って、実は寂しがりなのかもしれない。




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