東京の夜は光る。ここに暮らす人々の営みを養分にして。
 地上三十八階から見下ろす夜の街の中を、流れたり、とどまったりしながら、無数の光が彩っている。あのひとつひとつに人間の息吹があって、大げさに言えば彼らの人生が隠れているのだと思うと、生理的な嫌悪を覚えるとともに愛おしくもなる。きらびやかに見えても、誰もが生々しく生きている。あのビルの窓から漏れる光だって、誰かがこんな時間まで働いているからこそだ。
 この街を生かすためにめぐる血液のような光を、ただぼんやりと眺める。うっすらとガラスに反射した自分の姿と眼前に広がる光景が重なると、こんな私もこの営みの一部であると思えて気が休まるのだ。一等地に建つラグジュアリーホテルのスイートルーム。この空間のむなしさをかき消すように、半透明の私と夜景がうまく混ざり合う焦点を探す。
 ずっと向こうのビルのてっぺんに備えられた航空障害灯。その赤い点滅をガラスの中の左胸に重ねて遊ぶ私の隣に、白い人影がふらりと映り込む。そういえば、いつの間にやらシャワーの音が止んでいた。頭のてっぺんから全部が真白な姿。髪を白色に整えるようになったのは、彼が裏の世界の住人となってからだ。

「その歌好きだよな」

 そう言われてはじめて、鼻歌を歌っていたことに気がついた。ココと会う時、私は無意識にこの歌を口ずさんでいる。繰り返しハミングされるフレーズを、彼が覚えてしまうくらいに。
 だけど、別に好きで歌っているわけではない。中学生の頃、深夜のラジオから不意に流れてきたこの曲が、時を経て私の心に根付いただけだ。私の痛むところに寄りそって、まだちゃんとここが痛いのだと教えている。

「好きじゃないよ。どっちかと言えば嫌いかも」
「嫌いなのに歌ってんのか?変なヤツ」

 ガラス越しでもはっきりとわかるくらい、眉をしかめて怪訝な顔をした。その表情と反応が面白い。そんなの、私に言えたことじゃないでしょうに。

「ココと一緒だね」

 眉間に皺がよっているのは相変わらずだけど、今度はもっと複雑な感情が見て取れた。なんだかちょっと、意地の悪いことを言ってしまったかもしれない。だけど事実だ。ココだって、嫌いなのにやめられない。やめられないから、この不毛な関係を無理に飾り立てるためだけに、こんなきらびやかなところで過ごせるのだ。
 私と会う場所なんてその辺の所帯じみたラブホテルで十分だ。なのに、毎度こんないい場所を取っておいて、食事にだって連れて行く。それは私に罪悪感を持っていて、彼なりに罪滅ぼしをしているからかもしれない。そうであってほしい。それなら私、こんな関係でもあなたといたいから。
 ガラス越しに視線をあわせるのをやめて、彼そのものへと向き直った。ココの纏うバスローブのあわせに手をかける。これは行為ありきでの逢瀬なわけだけど、さっきの意地悪への贖罪代わりにちょっとサービスしようと思ったのだ。なのに、そっと制止されて拍子抜けする。

「萎えちゃった?」
「イヤ、最初から気分じゃなかった」
「ふぅん」

 方便なのか本心なのか。見分けはつかないけど、どちらにしてもそんな気分ではないらしい。それじゃあ景色をつまみに飲みましょうかと、備え付けの洋酒のボトルを開ける。アイスペールに氷を入れたのは数時間前だが、たんまりと入れておいたおかげで一杯飲むくらい問題ない程度に形を止めて残っていた。
 不恰好なロックグラスを見かねてなのか、ルームサービスでも取るかと提案してくれるけど、少し考えて断った。バスローブ姿のところに他人を入れるのは、やはり抵抗感がある。
 それにしても、ココが真っ白なのって不思議な感じがする。バスローブ姿の時はいつも違和感があって、その馴染まなさのせいでじっくりと視線をやってしまうのだ。今だって、ソファに腰掛けた姿をじっと観察している。ココはまた怪訝な顔をするから、案外豊かな表情がおかしくて笑ってしまう。

「……なんだよ」
「白あんまり似合わないなぁって。赤の方がいいよ」
「そうかよ」

 真っ赤とか真っ白とか、極端になったなぁと思う。なによりもメンツが大事な世界だから、きっとそれを意識した身なりなのだろう。ひと目で「只者じゃない」と知らしめてからカードを切る。その手札の中に私を含めたら、楽に仕事ができた場面もあったのかもしれない。そんな事、彼にはできないと思うけれど。
 点滅する赤い光を、今度は指の付け根に重ねてみる。ゆったりとした瞬きは、私なんかの手に収めるには強すぎる。

「似合わないなぁ」
「見慣れねぇだけじゃねぇの」
「ううん。似合わない」

 東京の夜を見下ろす、きらびやかで血なまぐさいこの場所と、きっといつまでも馴染めない。馴染んでたまるかとも思う。
 私はこのままで、彼を苦しめたい。
 憧れのままいなくなってしまった人。あの人のことを私もよく知っている。未来永劫ココを裏切る事なく、それでいてこの姿になるまでにした人に、どうして私が勝てるだろうか。彼を私の物にできないことは、まだ幼かった頃から知ってる。それならせめてあの人だけじゃなくて、私のせいでも苦しんでほしい。
 ココは、あの人にしたかったことを私にしている。優雅なディナーもスイートルームも男女のふれあいも、私にしたい事じゃない。貴方は離れるのを拒んだ私を手放せなかったから、普通の女だった私はこんなになって、貴方は罪悪感からまたこうして私と過ごす。その才能で成した財を惜しむ事なく私に使って。贖罪の方法を、それしか知らないから。その贖罪だって、あの人にしたかった事だ。貴方は頭がいいから、少し突けば気がついて、傷ついてくれる。私の傷にも勘付いてくれる。
 ステップがあわないままダンスしてるみたいだ。向かい合って手を取り合っているのに、互いの脚が邪魔しあって、時には蹴り付けあっている。だけど今更他の誰かの手は取れないから、めちゃくちゃに踊り続けているのだ。

「そういえば、乾杯しなかったね」
「ナマエが先に飲みはじめたんだろうが」
「ふふ。早く飲んじゃいたくて」

 改めてグラスを合わせることはしない。貴方のことなんて知らない。私のことで沢山、死ぬ間際にも後悔してほしい。私が死ぬ時は、貴方を苦しめたことを悔やむだろう。私だけ悔やむなんて、そんなの許さない。

「いつも歌ってるアレ、なんて曲だよ」
「私の嫌いな歌?」
「それ」

 知らず知らずに口ずさんでいるあの歌を、貴方は知りたがる。でも、私の痛みは貴方にはあげない。私だけが愛でる、私だけの物だ。

「教えない」

 教えないから、あの歌は何だったんだろうって、最期の時まで悩んでいて。

prev/top/next



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -