15歳。思春期まっただ中の私には、嫌いなものがいくつかあった。生のトマトとか、数学とか、社会の先生とか。中でも雨と体育の授業は天敵だった。正確には授業の後に髪の毛が乱れるのが嫌で、体を動かすこと自体は好きなのに、いつも気分が晴れなかった。
 私は自分の髪の毛がコンプレックスだった。生まれつきウェーブのかかった髪は、どんなにきれいに伸ばしても時間と共に元の形に戻ってしまう。そこに湿気とか、激しく動くようなことが加われば尚更だ。中学に入学したての頃は、一生懸命にその癖を平らにしようと頑張っていたけどうまく行かずに諦め、ならばときれいにまとめられるように練習をした。お団子、ポニーテール、三つ編み、いろいろ。少しでも可愛くなれるように試行錯誤した。さらさらのストレートヘアへの憧れは捨てきれない。でも、毎朝時間をかけて一生懸命に伸ばした癖が、給食の時間には戻ってしまうよりも、そのほうが全然よかった。
 なのに、今朝は寝坊してしまって碌なことができなかった。こういう日に限ってヘアゴムもヘアピンも持っていない。休み時間の度にトイレに駆け込み、鏡の前で髪に櫛を通したけど、家を出る前に苦し紛れで雑にブローしただけの髪は、梳かせども梳かせどもおさまってくれない。ブラシに引っ掛けて伸ばしてみても、弾むように元に戻ってしまう。どうやって気に入らなくて気分が落ち込む。天気は良くて、体育の授業もないのに。憂鬱はため息になって、放課後の教室の床を静かに這っていった。ドライアイスの煙みたいだ。

「日直、めんどくせぇよな。早く終わらせようぜ」

 三ツ谷くんは私のため息を、にっと笑って見せてから立ち上がった。憂鬱なのは仕事があるからじゃないのだけども。説明するのもおかしいので、うんと応えて彼に続く。黒板には担任の先生の白く強い文字が残っている。それらを消すべく黒板消しに手を伸ばしたら、三ツ谷くんの手がひょいと攫って行った。

「オレやっとくから、ミョウジさんは日誌書いてて」
「でも、ずっとやってくれてるし…」
「いーって。粉飛ぶし、汚れちまうだろ」

 朝からずっとこの調子だった。何度申し出ても、人のいい笑顔ですっと交わされてしまう。今日私がしたことといえば、授業前の号令をかけることくらいだ。汚れるからって、そんなの、三ツ谷くんも一緒なのに。だから、今回こそはと思ったけど、あの顔でにこりとされるとなぜか敵わない。お礼の言葉を置いておとなしく引きさがり、適当な席に座って日誌を埋めていくことにした。
 今日まで意識したことがなかったけど、思えば三ツ谷くんはいつもそうやっていた気がする。どうやら彼は有名な不良らしいけど、普通にクラスに馴染めているのは、こういうところが要因かもしれない。不良をやっているところを見たことがない私からしたら、三ツ谷はちょっと見た目が派手な、人当たりのいい普通の男の子だった。
 私はシャープペンシルで紙を引っ掻き、三ツ谷くんは黒板の長辺に沿って何度か往復する。お互い淡々と繰り返す。時間割の欄を埋めた頃、視界の端で今日の日直の名前が消えるのが見えた。

「明日の日直って、誰だっけか」

 日直は廊下側の前方の席から、隣の席の人をペアにして順番に回ってくる。窓側の一番後ろまで回ったら席替えをして、また廊下側から。このクラスではそんな具合になっていた。私達は真ん中の一番後ろだから、窓側の一番前の席を見やる。

「アヤちゃんと、石井くん」
「りょーかい」

 今さっき消したところに二人の名前を書いて黒板消しを置くと、制服についた粉を両手ではたき落としていた。ひと仕事終えた彼はこちらにやってきて、前の席の椅子を引き、背もたれを跨ぐようにして座る。

「待っててくれなくて大丈夫だよ」
「帰りに職員室寄るから、持ってこうと思って」
「あ、じゃあ、急いで書く」
「あー、ごめん。急かしたわけじゃないから」

 少し書くスピードを上げる。下を向くと耳にかけた髪が落ちてきて煩わしい。ほんとに自分の一部なのか疑わしくなるほどワガママで、全くもって大人しくしていてくれない。崩れた髪をもう一度耳にかける。その仕草が三ツ谷くんの意識を捉えてしまったのか、視線が髪の毛に注がれるのがわかった。

「ミョウジさんてさ、髪の毛どうやってセットしてる?」

 左耳のピアスが西陽を受けて、ちらちらと光る。

「最近、妹達が『お姫さまみたいにして!』っつーんだけど、どうやったらいいか分かんなくてさ」

 あ、どうしよう。三ツ谷くんに悪気はないだろうけど、答えるのちょっとイヤだな。

「コレ、癖毛なの…」
「え、マジ?」

 思った通り。注目されたくない場所に視線が集まって、居心地が悪い。誤魔化すように、一心にペン先を走らせる。

「いっつも髪の毛きれいにしてるから、てっきり巻いたりしてんのかと思ったワ」

 意外そうな顔をしている。確かにいつもは頑張ってるけど、今日は違う。巻くなりしてセットされている髪なら、こんな好き勝手に波うたない。もっとちゃんと、可愛くなるはずだ。

「寝坊したから、ちょっとブローしただけなの。今日に限って縛るものとかも持ってなくて」
「へぇ」
「ほんとに、この癖いやで。伸ばしてもすぐ戻るし。高校行ったら絶対、バイトしてストパーかける」

 日誌の最後の空白を埋める。今日の反省・感想。寝坊して、髪がぐちゃぐちゃで、最悪でした。そんなことは書けないから、適当に当たり障りのない事を書いていく。そしたらもう、今日の仕事は終わりだ。

「もったいねぇって。いい癖なのに」

 剃り込みの入った眉が顰められる。気を遣われている感じじゃない。でも、髪の毛にいい癖なんて、そんなのあるのかな。私は扱いやすそうな、三ツ谷くんの髪が羨ましいけどな。

「そう、かな」
「そうだよ」
「うーん……」

 日誌にペン先を押し付け、反対側を親指で押し込んで芯をしまった。隅から隅まで埋め終えた日誌を閉じる。三ツ谷くんに差し出すと、バチっと目が合った。窓枠をすり抜けた橙の光が、三ツ谷くんの薄い瞳を染めている。

「似合ってて、カワイイじゃん。オレは好き」

 とすん。胸に何かが刺さった。柔らかで、でもするどい芯をもった見えない何かが。その衝撃で碌な返事もできないまま、三ツ谷くんは日誌を持って行ってしまった。ひとりになると急に恥ずかしくなって、思わず机に突っ伏す。じゃあな、また明日。とか、そんなことを言われた気がするけど、もう覚えていない。机からこぼれた毛束のウェーブが視界に入ると、さっきの言葉がぐるぐると巡りだす。

 似合ってて、カワイイ、オレは、好き。

 無意識に窓際の席数を数えてしまう。6席だから、再来週には席替えになる。あと6日間、髪型どうしよう。叩き起こされた乙女心が、胸の中で緊急会議をしている。




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