【正臣+帝人】車輪の唄


来て欲しくない日が、来てしまった。
彼は今日、初めて徹夜というものをした。
寝てしまったら、明日という日が、大切な人がいなくなる日が来るのを、無条件で受け入れてしまう気がして。
無理だとは分かっていたけれど、ちょっとでも運命に抵抗したくて、一晩中彼は起きていた。
このまま朝が来なければいいのに、そう願っていた。

無情にも、カーテンの向こうは、徐々に明るくなっていく。
朝早く、家の外からやかましい声が聞こえる。
「みーーかどーーーー!」
腫れた目を擦り、カーテンを開けると、こちらを見上げる親友がいた。
「おはよ!」
「おはよう、紀田くん」
「なぁ、お前、今"深海魚"あるよな?」
「うん、あるけど」
「乗せてってくれよ!駅まで!」
「えっ?今から?」
「そ!」
いつものように、悪戯っぽい顔で笑う親友。
まるでこれが何の変哲もない朝かのように。
明日も明後日も、ずっと続いていくかのように。

身支度を整え、自転車を表へ出す。
小学校に入ったときに買ってもらった、お気に入りの自転車。
深い海のような、濃い青の自転車。
"深海魚"という、当たっているのか外れているのかよく分からない名を付けられた自転車。
そのサドルにまたがると、名付け親である親友が二人乗りしてきた。
前カゴには、先程まで親友の肩に掛かっていた大きなスポーツバッグが入れられる。
「うりゃ!よーし、行け!帝人!駅まで!」
「はいはい」
彼の背中につかまり、はしゃぐ親友。いつもに増して、テンションが高い。
「来たぞ、俺らの冒険を邪魔する最初で最大の敵、グレートスペシャルトルネードマウンテンだ!」
「ただの上り坂でしょ」
ペダルにぐっと力を込める。
小学生とはいえ、人を一人後ろに乗せていると、普段は登れる坂道もかなりきつい。
「ほーれ!頑張れ!いけいけ!もうちょっと!いいぞ!半分超えた!あと少し!」
「人の、気も、知らないで」
「ん?何か言ったか?」
「何、でも、ないっ!」
まだ朝早いためか、駅前なのに周囲は静まり返っている。二人の声だけが、冷たい朝の空気に溶けていく。
「なんか、まるで、僕らしか、いない、みたい」
「オシャレなこと言うじゃんよー!今この瞬間、世界中に俺ら二人しかいないってか?まさにラブラブランデブーだな!」
「なに、それ、意味、わかんない」
「きついなー。お!もう頂上だ!お疲れさんっと」
坂の頂上で一旦自転車を止めると、親友が跳ね降りて大きく伸びをした。
「んーっ、はぁー!見ろよ!すげぇ朝焼け!」
「ほんと、綺麗」
大きくそびえるこの坂の頂上からは、彼らの育った町を見下ろすことが出来る。
片田舎の静かな町が、朝焼けで燃えていた。
「朝焼けが綺麗な日はね、天気が悪くなるんだって」
「へー」
「雨、降るかもね」
「そうか」
「東京って、天気違うの?」
「わかんね。でも、だいたい一緒だろ?たぶん」
「傘、持って行きなよ」
ぶっ、と親友が噴き出した。
「何だよそれ!学校行くんじゃねーんだからさ。ほれ、下るぞー!」
再び、親友が荷台にまたがる。
彼は、坂の下、駅に向かって自転車を漕ぎ出した。
一旦漕ぎ出してしまえば、あとは漕がずとも、どんどん自転車は進む。
彼らを、駅へと運ぶ。
「いっけー!深海魚!」
後ろから、親友の楽しそうな笑い声が聞こえる。
彼は、顔に風を受けながら、じっと前を見ていた。
願わくば、この頬を伝うものを、この風が吹き飛ばしてくれないか、と思いながら。

「知ってたか?この駅から、池袋まで行けるんだぜ」
そう言いながら、親友は券売機にお札を入れた。お札が必要な距離の切符なんて、彼は今まで買ったことも見たこともない。
「そうだったんだ」
何時間乗っていくんだろう。ものすごく、遠いのかな。
そんなことを考えながら、彼は券売機の端、『入場券』のボタンを押した。
以前、親戚の見送りに来たときに親から教わっていた。
『電車に乗らないで見送るだけの人用の切符だよ』と。
彼はその切符を、ギュッと握り締めた。

「お!あと5分で来るじゃん!ラッキー!」
意気揚々と親友は改札を通っていく。が、鈍い音がして、親友の動きが止まる。
「ん?あー・・・・」
走って抜けようとしたせいで、肩から下がった黄色いスポーツバッグが改札に引っかかってしまっていた。
「おーい、帝人、助けてくれよ」
「・・・・・うん」
少し手で触れただけで、バッグは簡単に改札を通り抜けた。
「サンキュ!」
それを待っていたかのように、改札機の扉が閉まる。
下を向いたまま、彼は温かくなった入場券を改札に通した。

世界で一番短い5分が過ぎる。
朝のホームにけたたましいベルが響き、もうすぐ親友が去るのを告げる。
鉄の塊が滑り込んで来て、親友に向けて口を開く。
「よっと」
親友が、乗り込む。
「おいおい帝人、そんな顔すんなって、ほら!そんな、外国に行くわけでもねぇんだしさ!」
「・・・」
「いつか、また会おうぜ」
「・・・」
「俺らは絶対、バラバラにはなんねぇ。約束だ。俺は、こう見えて、約束は守る男だぜ?」
彼は声を発することができなかった。
ひたすら零れるものを親友に見せまいと、うつむいたまま、「じゃあな」と手を振る親友に対して手を振り返した。

ペダルが軽い。
キャッキャと騒ぐ親友を乗せて駆け下りた坂を、今度は登っていく。
嘘みたいに車輪が進む。
彼に、さっさと帰れと言わんばかりに。
だが、彼は、ペダルを漕ぐ足に力を込める。
家とは違う方向へ。線路に沿って、深海魚を走らせる。
さっき苦労した登り坂を下りながら、どんどんスピードを増していく。
遠ざかっていくドアの向こうに、一瞬だけ、親友の姿が見えた気がした。
親友も、彼と同じような顔をしていたような、そんな気がした。

もう、彼の足では、追いつけない。
彼は自転車を止めた。
どんどん小さくなっていく電車に向かい、大きく手を振る。
「また!また会おうね!絶対だからね!僕らは絶対、バラバラにはならないから!約束だから!」
ぐしゃぐしゃになった彼の顔を、少し暖かくなった風が拭った。

少年は、自転車を押しながらゆっくりと家路を辿る。
朝焼けの下で静かに眠っていた町も、次第に目を覚まし始める。
小さいながらも活気のある町に戻っていく。
「今この間、世界中に僕一人しかいないってか?まさにロンリーランデブーだな!」
そう呟いて、少年の顔に笑顔が戻った。
「やっぱこれ寒いよ、紀田くん」
深海魚にまたがり、ペダルを踏むこむ。
チェーンが軋む音にまぎれて、親友の笑い声が聞こえた気がした。

彼の元に、約束を守った親友からチャットの誘いが来るのは、このほんの少し先の話。

- 2 -


[*前 | 戻る | 次#]
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -