さみしいだけじゃ死ねないわ



 きっかけは何だったのかよく分からない。必死に思考を巡らせても思い当たる節は何もない。というかこういうのをすること自体ほとんど初めてのようなものだし、イマドキの高校生にしてはなんていう基準は些かあてにならないけれど思春期真っ只中の高校生にしてはわたしたちはおそらく健全すぎるくらいの関係だ。

 隣のクラスの新開隼人と四ヶ月前からお付き合いをしている。新開は顔よしスタイルよし性格よしと、わたしにはもったいないほどの非の打ち所のないひとだ。彼の所属している自転車競技部が忙しすぎるのが玉に瑕だが、疲れているだろうにたまの休みをわたしと過ごそうとしてくれる彼に文句なんて一つもない。デートも片手で数えられるほどしかしてないし、恋人らしいことをすることもあまりなかったけれど、わたしたちはなかなか順調にお付き合いをしていたはずだ。確かに一般的なカップルと比べれば一緒に過ごす時間はとても短いし、わたしが男女のお付き合いというのが初めてなのもあって大変スローペースな歩みではあったけれど。それでも指がぎこちなく絡むだけで、視線が交わって互いに照れたように頬を緩めるだけで幸せだったのに。その、はずなのに。いま、どうしてこんなことになってるのか理解が追いつかない。


「し、新開……?」


 互いの呼吸がかかるような至近距離。少したれ気味の瞳は真っ直ぐわたしを見下ろしている。間近にあるのにその奥に潜められた感情は読み取れない。厚めの唇がともすれば触れそうな場所にあって、柄でもなく心臓が早鐘を打つ。慣れない距離に、その気恥ずかしさに目を逸らしたいのに力強い瞳はそれを許さない。逃げ出そうにも背後は壁。両手は顔の横に丁寧に縫いつけれていて、痛くはないが動けない。全国でも有名な箱根学園自転車競技部のエーススプリンターさまのハンドルを握る分厚い掌の握力と、しがない帰宅部のわたしの見るからに薄っぺらな手のひらの力なんて比べるまでもない。これが巷で噂の壁ドン、もしくは四面楚歌だろうか、と空回りの現実逃避をした。


「……譲は、優しいよな」
「あ、りがとう?」


 わたしを壁に追いやって黙りこくったままだった新開がようやく口を開いたかと思ったら、唐突に優しいと言われて頭上にはてなマークが浮かぶ。とりあえずお礼を言ってみたものの、褒められている気は全くしない。表情と台詞がちぐはぐすぎてどうにも噛み合わないのだ。いつもみたいに穏やかに笑いながら言われでもすれば、わたしも照れながら疑問符などなしにありがとうと言えただろうに。真剣すぎる表情といつもよりトーンの落ちた声、そして不必要なほど詰められた距離がわたしを困惑させる。


「譲は優しいから、だからだよな」


 痛みをこらえるように瞳が細められる。苦々しい何かを吐き出すように新開はひとつひとつ言葉を落としていく。事情は分からないままだけれど、新開にそんな表情をしてほしくなくて、なんとかしてあげたいのに何も出来ないことがもどかしい。苦しいのは新開なのに、その表情にどうしてだかわたしまで胸が苦しくなった。せめて広い背中に腕を回して抱きしめられたら、と思ってもわたしの両腕は新開によって壁に縫い止められて動かせない。そんな顔しないで新開、そう言いたいのに新開のきつく寄せられた眉根を見れば声の出し方を忘れてしまったかのように言葉は喉の奥でしぼんでいって結局何も言えなくなってしまう。それに、新開をこんなに苦しめてるのは恐らくわたしだ。そうでなければ新開はこんなことをしないだろう。何の理由もなしに、ひとり教室に残らせた彼女を無遠慮に壁に押し付けたりしない。



「譲はオレだけにじゃなくて、誰にでも優しいから」


 新開、名前を呼んだつもりだったけれど届いただろうか、分からない。新開の額がわたしの肩に押し付けられてふわふわした赤茶の髪が視界を埋める。顔が見えないことが不安で、でも動くことも出来ない。絞り出した声は泣いているように聞こえた。



「だから、ほだされてくれるんだろ」




 告白は、新開からだった。今から四ヶ月前、まだ互いに二年生で同じクラスだったとき、放課後に呼び出されて思いも寄らない言葉をもらった。何かの罰ゲームかとも考えてみたけれど、いつも優しいが飄々として掴みどころのない新開が真っ赤になって言葉に詰まりながらも必死になって言うものだから、本気なのだと分かりこちらまで照れてしまった。わたしの目も見れずに視線を泳がせていた新開がどうしてわたしの頷きにも満たない不格好な返事に気づけたのか、今でも分からない。けれど頷いた瞬間、ぱあっと顔を輝かせ子供のように喜んだ新開の顔は非常に心臓に悪く、しばらく忘れられそうにないと強く思った。そんな始まりから、互いに変なふうな意識をしたり一緒に小さな一歩を踏み出してみたり、気がつけば学年も上がりあっという間に四ヶ月もの時間が過ぎていた。それまでにケンカも些細なすれ違いもない、友だちから聞いていたお付き合いの話よりも穏やかで順調だと、そう思っていたのに。……でも、そう思っていたのはわたしだけだったみたいだ。


「し、しんか、」
「譲は優しいもんな。昨日は廊下でクラスメイトか? 男がぶちまけちまったノート拾うの手伝ってやったり、今日だってプリント集めるの男と一緒にやってたよな、譲、数学係じゃないのに」
「そ、そうだけど……何でそれが」


 関係あるの、とは言えなかった。怖いくらい真っ直ぐわたしを見ている新開の瞳に射抜かれて言葉が出てこなくなったのと、その瞳が僅かに潤んでいるように見えたから。


「譲は知らねえと思うけどさ、譲って結構男子から人気あるんだぜ……オレと付き合ってるのに、」


 そこで押さえつけられていた手首が解放された。新開の腕が壁と背中の間にすべりこみそのまま身体を引き寄せた。制服の上からだとあまり分からないけれどたくましい身体に抱き込まれる。力が強くて苦しかったけれど、厚い胸板を押し返すことも背に腕を回すこともしなかった。


「譲は優しいから、だから頷いてくれたんだろ。ほだされて、断りきれなかったんだろオレのこと」
「ッ、そんなこと!」


 ほとんど反射的に口をついたそれにわたし以上に新開がびっくりしていた。大きく目を見開いて少しだけ口元を緩めたかと思ったら、すぐにくしゃりと顔をゆがめてみせる。抱きしめる腕の力が強くなって、新開の押し殺しきれなかった小さな声がかすかに鼓膜を震わせた。


 苦しい、けれどそれ以上に悲しかった。新開にこんなことを言わせた自分が腹立たしかったし、そういうふうに思われていたのもショックだったし、何よりも分かってあげられないことが悲しくて情けなかった。拒まれるかもしれないと思ったけれどこらえきれずにだらりと力の抜けていた手を背中に回す。小さくだが確かに新開の肩が跳ねた。




「――知ってるんだ」


 蚊の鳴くような、ふたりきりの教室でなければ聞き逃してしまいそうな声音。新開の力がまた少し強くなって背骨が軋んで息が苦しい。思わず制服の背中を掴むとほんの少しだけ入れられた力が緩んだ。


「悪い……知ってるんだよ本当は、譲はちゃんとオレが好きなこと。でも、不安になるんだ」


 何を当たり前で、それでいてとんでもなく恥ずかしいことをさらっと言うんだこの男は。新開の顔が見たくて上げようとした顔をそっと後頭部を押されて止められる。痛くない強さで胸元に頭を預けるような形にされる。新開の鼓動は生き急いでいるみたいに速かった。

 何が不安なのか、わたしが新開を不安にさせてしまったのか全部言葉にして教えてほしかった。こんなふうに苦しいのを我慢して爆発するよりか、些細なことでもふたりで話したほうがよっぽどいいよ、ねえ新開。



「譲は優しいから誰にでも、男にだって親切にするし。オレ、部活ばっかでちゃんと譲に構ってやれないから。前の彼女みたいに呆れられてフラれるんじゃないかって、他の男のところ行っちまうんじゃないかって……ずっと、怖かったんだ」
「そんなこと、しない……」
「うん、譲はそんなことしねえって、今日よく分かったよ。でもさ、」


 でも? でも、なに? 首を傾げると硬く大きな手のひらが頬を包み、そのままゆっくりと持ち上げられる。ようやくうつむいた新開の顔が見えた。潤んで赤くなった瞳はやけに色っぽくて心臓に悪い。赤いところが少しだけうさ吉みたいで可愛いと思った。困ったように寄せられた眉根、苦笑のような曖昧な笑みをかたどる唇。

 ――ああ初めて見る弱々しい表情、だ。



「なあ譲、会いたいとかそばにいてとか、もっとわがまま言ってオレに甘えてくれよ」そんで、オレのわがままも聞いてくれよ。


 少し拗ねたような声で甘えるように頬にすり寄られて、顔が熱くなるのが分かった。くっついた頬から、隙間なく密着した身体から互いの境界線が溶けてなくなってしまいそうだ。

 甘えられないって結構さみしいんだぜ、耳元に囁き込まれる言葉に今度はわたしが困ってしまう。恥ずかしいのはもちろんのこと、わがままを言ってほしい、という新開のわがままがわたしにとっては何より難しい。いままでのお付き合いでも充分幸せだったわたしにこれ以上何を望めと言うのか。そう途切れ途切れに新開に告げると、


「おめさんはもっとわがままになっていいんだよ。そのほうがオレも嬉しい」


 なんて逃げ場を失くされて、無理だという言葉もぜんぶ厚い唇に呑み込まれて消えてしまった。



 寂しがりな上にわがままで強引でちょっとだけだだっ子で、新開隼人は思ったよりも面倒くさい男らしい。それでも、それを満更でもないと思うあたりわたしもだいぶ末期だ、と酸欠状態の頭でぼんやり思った。



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寂しがり新開さんが甘えてくれない彼女にわがまま言ってくれよってだだこねる話。

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