花のいろにきみを思ふ





「……ねえ、俺撫でて楽しいの?」
「想像よりかは楽しんでいるよ」



 さらさらと指の間を通り抜けていく黒髪はいくらもてあそんでも飽きが来ない。後ろで結ばれた尻尾のように揺れるそれを撫で梳かせば、そわそわと落ち着きなくわたしのほうへと振り返る。そのせいで尻尾があらぬ方向へと向き、手から離れてしまう。意図したことではないだろうそれを多少残念に思いつつ、今度は都合よくこちらを向いた頭のほうをよしよしと撫でる。むずがゆそうにする清光は唇をちょっと尖らせて変な主、と呟くけれど、彼に本当に尻尾が生えていたなら千切れんばかりの勢いで振られていたことだろう。嬉しさを隠し通そうとしているのだろうけれど、声にも表情にも如実にあらわれる喜色のいろ。きつい印象を与える目つきがやわりと緩んで、言ってしまえば少しだらしない。でも、そんな単純で分かりやすい姿も可愛いなあと思い始める程度には、わたしは彼に心を砕いているつもりだ。



 彼を降ろし、初めての食事を与え、汚れれば身体を清め、夜は床に就くことを教えたのはほんの昨日のこと。とりあえずは彼を人の身体に慣らすことを最優先事項としようと取り決めたのが今朝のことだった。「俺ひとりでも出陣できるよ?」と苦笑がちに言った清光に、頑として首を縦に振らなかったのは他でもないわたしだ。人身を受けるという感覚がどういうものであるのかは人であるわたしは到底知り得ないが、審神者就任二日目とともに清光が来たほんの翌日にそんな無謀なことが出来るか、と提案も要求もすべて突っぱねた。昨日清光に言付けをしたきり姿を消し、いつの間にやら戻ってきていたこんのすけが途中いくらか口を挟んだが、こればかりは譲る気は微塵もなかった。政府の意向としては一刻も早く戦地に赴き、敵を討ってほしいのであろうがこの本丸において決定権は審神者であるわたしが持っている。わたしが率いる白刃隊ならば、出陣の時も何も口出しされるいわれなどない。


 人の身に慣れぬ状態で出陣し、もし折れでもしたらどうするつもりなのか。出来たての部隊とは言え部隊長ひとりの出陣は認められない。六人と贅沢は言わないからせめて三人か四人ほど人数を揃えてからではないと許可を出す気はない、と渋るひとりと一匹に懇々と説得した甲斐があったというものだ。何を言っても聞かないと判断したのか、仕様がないと折れたこんのすけは妖精さんに再び鍛刀を依頼して、盛大な溜め息をついて「あまり私たちを困らせないでください」と眉を下げた、ように見えた。相も変わらず表情豊かな、とても自然とは思えぬ狐である。まあ普通の狐はまず言葉を解することすらしないから、今さらのことだろう。



 木炭に玉鋼、冷却材と砥石、かれらのからだは資材と呼ばれる硬くて冷たいもので出来ているらしい。触れる清光の手も頬も髪も皮膚も柔らかくてあたたかいのに、元はそれであるというのを、わたしはうまく認識できないでいる。見目はひとと変わらぬ彼らを構成する無機物、熱を与え鉄を打ち、わたしが儀式と称したものを執り行うことで宿るいのち。ひとの形をなし、よみがえる刀にまつわる記憶。ファンタジー極まりないそれの、中心人物に勝手に据えられているのが不思議で、そして嫌で自分自身が奇妙に思えて仕方がない。清光のことは決して嫌いではないが、それとこれとは話が別だ。



 わたしが極限まで屁理屈をこねてうまく言いくるめたおかげで、朝っぱらからトンテンカンカン、と愉快な音が鍛錬所から聞こえてくる。小さな妖精さんが汗水垂らして刀を打ってくれている音なのだと分かるが、ここでいくつか疑問点が浮かぶ。わたしが審神者なる能力を持つ者だと正式に判明する前、本丸で過ごしていたときにこんな音は聞いたことがないのだ。急拵えで清光を打ったという話なのに。それともうひとつ、付喪神とはやはり古いものに宿る神であるはずなのだ。それならばどうして刀を新たに打たねばならないのか。そんな新しいものに神を降ろして、本当にそれは付喪神だと呼べるのか。空いた時間にない頭をひねって考え込むより、多くを知っているこんのすけや妖精さんに聞くほうがよほど得策だとは分かっていたが、妖精さんの存在の否定やそもそもわたしの必要な意味にも関わってくる。いくら審神者という立場でも触れてはならないものに触れてしまいそうで、つい口を閉ざしてしまう。ただでさえ面倒なことに巻き込まれてしまったのに、変に首を突っ込んだりして口止めなんて笑えない人生のオチは断固拒否なので、疑念も胸のなかだけに留めておく。



 依代がなけりゃあ儀式もなにも執り行えないからしばらく俺に構ってよ、と真っ直ぐわたしを見つめてくる清光に頷き、了承したのがほんの数分前のことだ。見目は年頃に見える男の子を構いかつ可愛がる術を考えに考え込んで出した結論が「頭を撫でる」という行為だったが実に安直であるし、ついでに言えば他にどうすればいいのかいまいち分からない。清光は喜んでいるからそれでいいとしても、時間を潰すにしては物足りないどころじゃない。清光をひとの身体を慣らすのだったら、ただ部屋でごろごろとしているのではなく動かしたほうがいいと分かっている。陽射しも柔らかく空気は蒸すほどではないがあたたかい、運動をするにはもってこいの陽気。だが、せいぜい高校の体育程度の運動しかしてこなかったわたしが、見るからに身軽そうな彼の相手を出来るとはとても思えない。それに誘ってもわたし相手じゃあ渋られそうだ。



「ねえ清光、他にしたいこととか、わたしにしてほしいこととかない?」
「……俺撫でるの、飽きちゃった?」
「そうじゃないけど、清光こそずっとこれじゃあ飽きない?」
「ぜーんぜん! 主に撫でてもらえるの気持ちいいし、可愛がられてる、って感じするし、その……結構、好き、かも」




 最後の言葉はほんの少し聞き取りづらかったけれど、ちゃんと聞こえた。控えめなその言葉と、目尻を下げて口元を緩めてなんとも幸せそうに笑う清光を見ていると、このまま清光とのんびり過ごすのもいいか、と思ってしまう。我ながら甘いというか意志が弱いというか、流されるのもほだされるのも早くて溜め息をつきたい気分だ。けれど、真っ直ぐわたしを見て主と呼び慕い、少々分かりづらい形ではあるが気遣いや深い優しさを向けてくれる清光を、とても邪険に扱えない。


 ふたりきりで過ごすにはじゅうぶんすぎるほどの畳張りの部屋で向かい合いながら、柔らかな黒髪を指に絡める。白く秀でた額をくすぐるようにすべらせれば、くすくすと笑いながら身をよじる。甘えたの大きな猫を相手にじゃれているようだ。何かしたいことかあ、と呟きながらわたしの手のひらに擦り付けるように頭を動かす。その器用な様を見ていると身体を慣らす必要もないのではないかと考えるが、やはりひとりきりで過去の戦場に送り出すのには不安が付き纏う。失うことは、やはりこわいことだった。



 清光に隊長、つまり実質隊の指揮を任せるとしても、わたしも本丸にいながらも出来る最低限の補助程度のことは身につけなければならない。史実通りの正しいあるべき歴史、いくさばでの兵法、複数で挑むときの陣形、学ぶことは溢れるほどある。刀装という兵の力を込めた玉を作ったり、霊力を込めて御守りを作れば、彼らの身を守る術になることもこんのすけから聞いた。直接赴くことは出来なくとも力にはなれるのだと、確かに言っていた。清光や新たに来る子のことも、刀のこともよく知っておきたい。戦いに出すことを免れないのであれば、せめて少しでも有利な、傷つかない方法を探したい。きっとあの広すぎる書庫を歩けば、わたしの知りたいことを記した本もたくさんあるだろう。清光を可愛がるのもいいと思うけれど、出陣を前に早急に学ぶべきことを叩き込んだほうがいいかもしれない。ぼんやり先のことを考えていると、もはやわたしが撫でつけるでなく自ら頭を擦り付けていた清光が突然あっと声を上げた。



「じゃあさ、俺に主をデコらせてよ!」
「デコらせてって……」
「だめ?」
「別に、だめではないけど、」



 なんだか言葉のチョイスがやたら現代的だなあ、と驚いただけだ。どこで覚えてきたんだろう、そんな言葉。教えた覚えなどまるでないのに、なんの疑問もなく清光はそう言った。それに違和感を覚えないわけではない、けれど。追及するほど命知らずにはなりたくない。わたしだって自分の身が一番かわいい臆病者だ。


断る理由もないから素直に頷けば、目を輝かせてちょっと待っててー、と上機嫌に部屋を出て行った。そんなにたいそうな準備が必要になるのか、長く掛かるものだったら先に書庫でいくつか本を見繕ってきたい。ぱたぱたと廊下から昨日まで聞こえなかった足音が聞こえて、それが嬉しいのか悲しいのか自分のことだというのに判然としなかった。半ば駆けるようにして部屋に戻ってきた清光の手には小振りな鞄ほどの大きさのポーチがあって、彼にあてがった部屋にわざわざそれを取りに行ったのだと分かった。



「主、手ぇ出して」



 清光が持ってきた大きなポーチを開けると、そこには熱心な女子も思わずたじろぐだろう気合いの入ったメイク道具がきちんと収納されていた。唇に引いた紅も、色鮮やかな爪もやはり自分でやったのだろう。尊敬すら覚えるほどの、わたしとは天地の差ほどもある女子力だ。何の手入れも施されていない手をおずおずと清光の目の前に出すとまず丁寧にやすり掛けを施され、爪の形を整えられる。一本一本磨かれて特別な手入れもなにもしてなかった指先が艶を帯びる。自分でもめったにしなかったそれを他人に、しかも壊れ物を扱うようにこれ以上なく丁寧にしてもらうというのは変な気分だ。そうこう考えているうちに、十の指先が手際よく清光と揃いのあかいろに彩られていく。改めて、なんとも器用なものだ。



「よし、完成」



 清光は至極満足そうに笑って、ふうと指に息を吹きかける。一気に手元が華やかになって、見慣れない色彩になんとなく落ち着かなくなってそわそわする。乾くまで大人しくしててね、とわたしの頭を撫でた清光はいくつかの小瓶をポーチのなかに収め、今度は深みのある黒檀の櫛を取り出した。



「一回ちゃんといじってみたかったんだよねー。ちょっとこれほどくよ?」



 わたしの後ろに回り込んだ清光はいまにも鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌な様子で、適当に緩く結っただけの色紐をほどいた。伸びた髪がはらりと肩先にこぼれ、白の半着をまとった背に触れる。清光は慣れた手つきで毛先から丁寧に梳き始めた。デコってくれる、のは嬉しいけれど身動きが取れない。やっぱり先に書庫に行くべきだったかと思うけれど、楽しそうに手を動かす清光に一度手を止めさせ待ってもらうのもはばかられた。それに、このきれいにしてもらった指先がきちんと乾く前に動き出してしまうのは、どうにも無謀に思えた。仕方ないと大人しく本を諦めて身体から力を抜く。同じいろで彩られた指先が髪の間を縫い、器用に梳かしていく。時折地肌をかすめるそれがくすぐったいよりも心地よくて、あたたかな陽気とあいまって眠気を誘われる。幼い頃、母の膝の上に乗せられて髪を梳かしてもらった覚えがある。ひどく懐かしい記憶だ。不意に起こされた記憶に、じわりと刺激される涙腺。それを瞼を下ろして蓋をしてわきあがった熱をやり過ごす。はあ、と気取られない程度に息を吐く。すると、こらえきれぬような小さな笑い声が降ってきた。



「清光、どうかしたの」
「んーん、なんでもないよ」



 首を回して様子を窺おうとしても、動かないでってば、と言われてしまえば従うほかない。変なふうに引っ張られて首を痛めたらかなわない。人形のように行儀よく前を向いている間にも時折ふっとこぼれるようなかすかな笑みの漏れる音は聞こえてきて、なんなのだろうと首を傾げたくなる。彼の顔を覗き見たい、と思ったのはこのときが初めてだった。


「ね、香油塗っていい?」
「こうゆ?」


 突然視界にあらわれた、清光の手のひらに収まるほどの大きさの瓶のなかには、やや黄色みを帯びた透き通った液体が揺れている。わたしを抱え込むようにして背後から腕を回し、蓋を開けるとかすかに花のような匂いが部屋に広がっていく。



「えっと、椿油みたいなの?」
「たぶんそれに近いと思うよ。結構いい匂いだと思うんだけど。だめ?」



 膝立ちをして頭上からわたしを覗き込む清光に、精いっぱい首をそらして視線を合わせる。途中首がつらくなって清光にもたれかかってしまったけれど、わたしひとり寄りかかっても清光にとってはどうってことないらしく平然としていた。見た目は可愛らしいのにやっぱり男の子だなあ、と今さらなことを考える。こんなに細身でもわたしひとり平気で抱えあげられる程度の力はあるというのだから驚きである。


「いいよ、清光の好きにして」


 そう言うと見るからに清光の顔も、そして声も明るくなる。彼の思ったよりも大きくしっかりとした手のひらに、ほんの少量の香油を伸ばして毛先から順に塗り広げていく。ふわりと鼻先をかすめる匂い、髪の間を緩やかな動きですり抜けていく指。最後に髪の表面を撫で付けるようにして、後頭部に手のひらを押し付けると、やはり弾んだ声が終わりだよ、と告げた。



「ほんとは顔に化粧とか着せ替えもしたいんだけどさあ、」
「それはちょっと、遠慮したい、かなー」
「そう言うと思ったから。また今度ね」



 今日はこれだけでいいよ、と言って手をきれいに拭ってからあかく塗られたわたしの指先をそうっと取って、ふうと息を吹きかける。たぶん表面はもうなめらかで乾いてはいるのだけれど、今日一日は気をつけていないといけないだろう。つめを塗るとどうにもうずうずして気になってしまう。不器用なのもあってか自分ではあまりすることがなかったから、この妙な緊張感も久しぶりだ。慣れないし落ち着かない、けれど。口にこそしないものの嬉しそうに満足そうに彩った指先を見つめる清光に、思わず口元に笑みが浮かぶ。ああでも、気兼ねなく触れられないのも撫でてやれないのも、ほんの少し不便で、もどかしい。



「清光とお揃い、嬉しいよ。かわいい」
「ほっ、ほんと? ……俺も、主が可愛くなって満足。次はもーっといろいろしたい」
「それは要検討……一応、考えておくね」



 彼の腕を疑っているわけではないし、オシャレをしたくないわけではないが、あまり装飾がゴテゴテしているものは好きではない。この着慣れない和服から着替えるというのはまあ賛成だが、あまり派手なのも好ましくない。欲を言うならば元のセーラー服に戻りたい。今度小さな反逆の意思として、たまにはという理由でもつけてセーラー服を着てみよう。たぶん部屋の襖の奥にでもきちんとしまわれているだろう。わたしにも着飾ってほしいと言うくらいなのだから、着てみせたら清光も多少は喜んでくれるだろうか。




「んー……いや、うん、やっぱり、」
「清光? どうかした?」


 あたたかな手のひらでわたしの冷えた指先を包み込みながら唸り声を上げる清光に首を傾げれば、なにやら難しそうな顔をしてあかいろのつめとにらめっこをしている。光を弾いてきらきらちかちかする華やかなそれと、渋面の清光の組み合わせが似合わない。眉間にしわを寄せているのが可愛くないと言ったのは清光なのに、無意識なのかそうではないのか、自分で可愛くない顔をしている。




「俺とお揃いもいいけど、譲にはもっと淡い桜色とか薄桃のほうが似合うかなあって、思ってさ」




 なにかに思い悩んでいたと思えば、そんな些細な。けれど、そんな些細でも清光が真剣になってわたしのことを考えていてくれたと思うと、妙に面映ゆい心地になった。自覚がないのか、何の照れもてらいもなくそういうことを言うから。素直じゃないと思っていたけれど、存外そうでもないのかもしれない。口元がむずむずして、妙な恥ずかしさが頬に熱を残す。その熱がわたしの手を包む清光のそれに、伝わらなければいい、と思う。ただ、刀の姿かたちならばまだしも人の身を得た彼に、それは無理な願いなのだろう。彼が包み込んでくれたおかげで同じに溶けたはずの手のひらの体温が、清光のほうがほんの少しだけ低く感じる。



「わたし、水仕事とかもするから、結構早く剥がれちゃうかも」
「でも、そのたびに清光が塗りなおしてね」



 先のわたしの言葉に落胆したように唇を尖らせていた清光の表情が、続いたそれを聞いて一気に明るく晴れやかになる。嬉しそうに緩む目元も、ふにゃふにゃとだらしない口元も、言葉よりも如実に清光の感情をあらわしていた。その姿は人間らしくて、素直でかわいい、と思う。指の腹でつるりとなめらかに乾いたあかを撫でる。その感触も清光といるのも向けられるまっすぐな好意も、決して嫌ではない。けれど、すべてにほだされ身を投げ出して諦められるほどには、やはり思えなかった。






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清光につめを塗ってもらいたいしデコられたい。
ちょっとずつ仲良くなっていきます。

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