宇宙に浮かぶほむらを齧る





 深い泥のような眠りのなかから、ゆっくりと意識が覚醒に向けて昇り出す感覚。重たい瞼は素直に開くのをずいぶんと渋っているようで、やけにあたたかく感じる身体と同じく、起き上がるにはもう少し時間がかかりそうだった。心地のよい微睡みに浸っていると、そのまま緩やかに沈んでいきそうになる。ひどく抗いがたく、幸せな感覚に贅沢なものだと思った。


 いま、何時だろう。あんまり早い時間ならもう一度眠ってしまっても平気だ。今日は非番だし大学も休みだから、少しくらい。まだ、もう少し、お布団のなかにいたい。このままあたたかさに包まれながら、このなんとも言えない生ぬるく満ち足りた感覚に溺れていたい。



 枕元に置いてある時計に手を伸ばそうとして、自分の身体がうまく動かないことに気づいた。手がなにかにつっかえて伸ばせない。寝ぼけているのかな、と自分自身を疑いながら光を拒む瞼をなんとか押し上げる。しぶとく抵抗する瞼に苦戦しながら何度か瞬きを繰り返しても、目の前はどうにも暗い。まだ夜明け前なのだろうか、それなら寝入ってからそう時間は経ってないはずなのに。中途半端な時間に目を覚ますなんてなかなか珍しい。眠気はまだ充分にあるから、時間が許すなら二度寝なんてたやすい。太陽の傾斜がまだ浅いのか部屋が暗いせいで正確な時間は分からない。



 さっさと時計が確かめてしまおう、と右手を伸ばそうとすると、またもや壁のような硬いなにかにぶち当たった。ヘッドボードにでもぶつかっているのかと思ったが、それにしては肘が伸びきっていないし、徐々に戻ってきた身体の感覚からわたしの腕はずいぶんと窮屈に折りたたまれていると分かる。あいにくベッドの上にぬいぐるみなんて置く可愛らしい趣味はないし、柵を付けなければ落ちてしまうほど寝相は悪くない。じゃあどうして、と思ったところでやけに近いところでうめき声がした。寝起きのせいか少し掠れた、普段よりも不機嫌さの増したその声は、ひどく聞き覚えのあるものだった。



「譲うごくな……おとなしく、寝ておけ」




 時計を探していた右手を握り込んで動きを封じ込めたかと思えば、もぞもぞしていたせいか少しはみ出たわたしの肩に布団をかけ直して、そのままそれが当たり前のような自然な動きで背に腕を回して自身のほうへと引き寄せた。何が起こったのか、まだ半分眠っているようなぼやけた頭ではうまく処理ができない。ただ、前髪をふわふわ揺らす穏やかな寝息と、背に回った腕から伝わる高い体温は、どうやら夢ではなさそうだ。やけにあたたかいと思ったのはそのせいか。隣に横たわりわたしを抱き枕にしたそのひと――風間さんは、存外体温が高めらしく触れた部分があたたかく、瞼をとろりと重くさせる。しかしこの状況で再び眠りに就けるほどわたしの神経は図太くできていないらしい。本人の願いとは裏腹に、完全な覚醒とは言えずとも、少しずつだが目を開けていられるようになった。本音を言うならもう少し寝たいのだけれど、さすがにこれは、どういうことなのか。否が応にも気持ちよさそうに眠るそのひとに意識を向けざるを得ない。



 寝顔はこれまた幼く見えるな、と失礼なことを考えたが、他人様のことをどうこう言えた立場ではないという自覚はある。眉間の皺がなくなり、切れ長の目が閉じられるだけでこうも変わるかと、きれいな顔をしているなあ、と普段まじまじと見ることのない顔を観察しているあたり、わたしは自分で思っているよりものんきなのかもしれない。赤い瞳が見られないのは少しもったいない、と思ったところで目の前の身体が身じろいだ。んん、と漏れた無防備な声にまた起こしたかと思ったが、そうではないらしい。少ししてから静かすぎる部屋に規則的に繰り返される控えめな呼吸音に、溜め息をつきたくなるのをこらえた。穏やかな寝顔がいまは少し憎らしい。ひとの気も知らないですやすや寝やがって、と悪態までつきたい気分だ。


 どうしてこうなったのだろう、と眠りに落ちる前の記憶を必死でたぐり寄せる。抱き枕にされるまでの経緯を覚えていないとかシャレにならない。ふたりともしっかり服を着ているし、わたしと風間さんでまさか間違いが起こってはいないだろうけど、心臓に悪いこの状況がいかにして作り上げられたのか思い出したい。








 ……昨日は確か、珍しく夜勤が重ならなかった成人組で飲んでいたはずだ。太刀川とわたしと、レイジさんと諏訪さんと、そして風間さんという、なかなか謎なメンバーで。堤くんは学校の課題が迫っているから来られなくて、東さんはちょうど夜勤だったのだ。太刀川も課題やらレポートやらが山積みだった気がしたがスルーした。わたしには関係のないことだからだ。この時点でストッパーが欠けているのに気づいてないわけではなかったけれど、わたし自身久しぶりの飲み会で多少浮かれていたのだ。


 一軒目の飲み放題の居酒屋で結構な数のグラスを空にしたにもかかわらず、まだ飲み足りないと駄々を捏ねたいい歳した大人ふたりのせいで、レイジさんが住み込みで所属している玉狛にお邪魔をすることになった。お財布にも優しく時間と場所の融通がきくからと、変なところで頭の回るヒゲ野郎が提案したことだ。正直他の居酒屋に行こうと言われるよりありがたかった。わたしも、そして風間さんも共に成人済みには見えないほど小柄で加えて結構な童顔のせいか、あまり馴染みのない居酒屋に行くと注文のたびに止められるし年齢確認をされる。それが面倒くさくて外で飲むのはあまり好きじゃなかった。わたしと風間さんが宅飲みを好むのはその理由が大半を占めるほどだ。玉狛に向かう途中で大型スーパーに寄って、お酒とおつまみと食材を買い足す。そのあたりで既に太刀川の顔はだいぶ赤かったが、まだ飲むと言い張って聞かなかった。街灯のおぼつかない灯りの下でさえ危なっかしく見える足取りにやめたほうがいいと思ったが、言っても無駄だ適当に飲ませて潰して後悔させておけ、と顔色の変わらない風間さんがばっさり切り捨てていたのに思わずくすくすと笑ってしまったのを覚えている。





 川の真ん中にそびえる玉狛支部は秘密基地みたいでなんだか格好いいし、本部の近未来的な無機質さとは違ってアットホームな雰囲気がいっそ転属したいくらい好きなのだけれど、実力主義の玉狛に入れるほどわたしは強くない。それに、寒い季節に冷たい風にさらされながら長い橋を渡るのは些か厳しいものがあった。ようやくたどりつく頃には、ほどほどに熱を持っていた頬もすっかり冷えきって乾燥していた。


 時間が遅いせいもあってか陽太郎くんは既に眠ってしまっているようで、会えなかったのが少し残念だった。林藤支部長に「陽太郎、起こさない程度に騒げよ」と釘を差されて、お詫びとしてビールを献上したあと、こたつを囲みながらの二次会が始まった。向かって左が太刀川、正面に諏訪さん、向かって右にレイジさん、そして右隣に風間さんが座ってまた飲み始めたのはいいけれど、わたしの視界左半分がうるさいのなんの。舌っ足らずで聞き取りづらい言葉を適当に相槌を打って流しつつ、チューハイを傾けレイジさんお手製の塩キャベツに箸を伸ばす。厚焼き玉子も酢の物も絶品で、「今度都合が合うときに料理を教えてください」と思うままにお願いをしたら少し意外そうな顔をしたあと、レイジさんは快諾してくれた。優しいし料理はおいしいし頼りになるしパーフェクトオールラウンダーだし、レイジさんって本当に優良物件だよなあとしみじみ思ってるところで迅くんが帰ってきたのだ。



 いつもの胡散臭い笑みから一転、露骨に面倒くさそうな顔をしたのは、わたしたちの奥にいる酔っ払い太刀川に気づいたからだろう。うげ、と声を漏らしたのをわたしの耳はしっかり捉えていた。おつまみよりもビール派な諏訪さんも結構酔いが回っていて何が楽しいのか箸でも転がしたのかたいそうおかしそうに笑い転げていたし、太刀川は誰に話しかけているのかあらぬところを見てそれは楽しそうに会話をしていて怖かった。充分に酔いの回っているふたりに絡まれぬよう、比較的まともな顔色をしているわたしに、迅くんは「こんばんは譲ちゃん。ぼんち揚げ、食う?」といつものように常備しているぼんち揚げを差し出した。塩気は足りていたけれど遠慮なくいただいた。自分で買うほど熱心に好きなわけではないけれど、ぼんち揚げはわりと好きなほうで迅くんからはよくもらっている。酔っ払いふたりに苦笑している迅くんをじっと見つめていると、見つめすぎたのかさすがに無視できないと思ったのか、普段の胡散臭さともまた違う、穏やかな笑みを口元に浮かべて「なに?」と首を傾げた。そのやさしい顔は結構好きだなあ、とぼんやり思う。やっぱり少し、こどもらしくはないけれど。


「いや、迅くんって本当にわたしより年下で、未成年なんだなって思って。そうは見えないけど」
「まあ、パッと見は譲ちゃんのほうが年下に見えるよね。風間さんと並んでると中学生のカップルみたいで可愛いよ」


 ずいぶん命知らずだなあと思ったけれどわたしが口にするより早く、迅くんから「ぐえっ」と蛙の潰れたような声が聞こえた。脇腹に風間さんの鋭いチョップが入ってるのが見えたが自業自得なのでフォローは入れない。この未来は読みきれなかったのだろうか。年齢不相応な扱いにも慣れたものだけれど、一つ年上のこのひとと一緒にいるときにされるからかいは未だに、すこし、慣れない。おそらく赤くなっているであろう顔は、いつもより多く摂取したアルコールのせいということにしておこう。にやにやといやらしい笑みを浮かべる迅くんが憎らしくて仕返しのつもりで頭をぐりぐりと存分に撫でてやると、鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をしていくぶん狼狽えた様子を見せた。年下らしくない彼を甘やかすのは好きだ。こんなのでも迅くんよりは一年長く生きているから、甘やかす理由はそれで充分だと思っている。しばらくわたしのほうに頭を傾けていた迅くんはその体勢のまま、レイジさんに一言二言なにかを言って、するりと手をすり抜け今度はわたしの頭をぽんぽんと撫でて「あんまり夜更かししちゃだめだよ、女の子なんだから」とやたら年上ぶったことを言って笑いながら自分の部屋に戻ってしまった。




 もし、あのときの迅くんにこの未来が見えていたんだとしたら、それでにやにや笑っていたんだとしたら、恥ずかしすぎて埋まりたい気分だ。そのあとも潰れたふたりは床に転がしたまま放置して、三人で延々飲み続けた。時計の針はとっくにてっぺんを回っていて、結局深夜何時まで起きていたのかは定かではない。買ってきたお酒もおつまみもあらかたなくなったあたりから、わたしの記憶はふわふわしている。もう夜も遅いし、このままのわたしを帰すのは危ないからと、玉狛の空き部屋にお泊まりさせてもらうことになったはずだ。こたつに足を突っ込んだままぐーすか眠りこけている太刀川なんかは、はじめからこれが狙いだったのかもしれない。帰る手間を考えずに飲むお酒がおいしいのはわたしも知っている。身体が浮かんでいるような心地のなか、まるで一滴もアルコールを摂取していないようなしらっとした顔で淡々とテーブルの上を片付けるレイジさんと、これまた変わらない顔色で少し呆れたように顔をしかめさせ、わたしを見下ろす風間さんを、ぼんやり覚えている。「譲、」あれ、風間さんいつもはわたしのこと苗字で呼んでいたような。それに、やけに距離が近い、ような? 隣に座っていたから、まあもともと離れてはいなかったけれど、それにしても見上げた顔はずいぶんそばにあるような。後頭部のあたりにやわやわと触れられる感触、右半身からじんわり伝わるあたたかさ。ひどく珍しくほんの少し緩んだ口元と、ゆっくりと細められるいくらか優しく見える赤い瞳。やっぱり、夢、ではなさそうだ。







 ……頭を抱えたい、穴があったら入りたい、それほど恥ずかしい。けれど、わたしの右手は一回りかもう少し大きな風間さんのそれに握り込まれたままだし、左手はわたしと風間さんの身体の間にわずかにある隙間に押し込まれているせいで動かしづらい。確かに思い出したかったことだけれど、これは、なかなか、しにたい。思い出していくうちにじわじわと顔に熱が集まっているのに気づいていないわけではなかったけれど。余計に寝られなくなってしまった。極力ゆっくりと自由な左手を動かして自分の頬に触れてみれば、案の定熱を持っていた。寝起きのせいではない、明らかに意味を含んで生まれた熱さ。



 風間さんと顔合わせができない、いや、現在進行形で向き合っているけれど風間さんは眠っているからノーカンだ。おそらく事の経緯を知っているだろうレイジさんともできそうにないし、迅くんは見えていたんなら止めてほしかった。太刀川も諏訪さんも早々に潰れていたからたぶん知らないだろうけれど、このまま眠ってしまったら、奴らにこの状態を見られてしまったら向こう一ヶ月、もしくはそれ以上、ここぞとばかりにからかわれるのは目に見えている。それは絶対阻止しなければならない。だから、二度寝は避けたいし、出来ることなら今すぐベッドから逃げ出したい。


 いまが何時でも、いっそ夜明け前でも何でもいいから、誤解を招くような体勢から、この簡素で強固な檻から、風間さんの腕のなかから抜け出したかった。顔から火が出そうなほど熱くて、無性に息が苦しかった。あまりの恥ずかしさに視界さえ滲みそうだ。自分を落ち着かせようと深呼吸を繰り返しても、ふわりと鼻腔をくすぐる自分のものではないシャンプーのにおいに、鼓動は速まるばかりで。ああ、だめだこれ、悪循環、だ。



 はあ、と吐き出した溜め息がやけに熱っぽい気さえして、たまらなくなった。ふわふわ揺らされる前髪がわずかに濡れたまつげをくすぐって、繰り返される穏やかなそれから逃れるように身をよじっても、しっかりと背中に回された腕は少しも緩まない。起こさないようにと細心の注意を払っているけれども、そんな些細な抵抗では抱き枕からの脱却は不可能なようだ。けれど少し腕に力を込めると、風間さんは地を這うほどに低い声を出して眉間に皺を寄せてしまう。思わず身体も跳ねるし、反射のように腕の力を弱めてしまう。そうするとまたすやすや気持ちよさそうに寝息を立て始めるから、どうしようもないくらい堂々巡りだ。風間さんの睡眠を妨害したくはない、けれど。やっぱりにげたい。このままなんて、恥ずかしすぎてむり、だ。



 いくら加減をしているとはいえ、眠っている風間さんにすらかなわない、弱々しいからだ。わたしの右手を握り込む風間さんの手も、背に回され身体を抱き込む腕も、びくともしない。それどころか抵抗をすればするほど、安眠を邪魔するわたしを押さえつけるように拘束が強まっているような気がする。これは、まずい。わたしと風間さんの間にわずかにあった隙間すら埋められる。服越しに伝わる高い体温と、わたしとは違う硬い腹筋や胸板の感触。あとほんの少し、身じろぎひとつしようものならすぐさま額に唇が触れそうな距離だ。むき出しになった額に直接まぶされる寝息に、肩がこわばる。少しも言うことを聞かない身体、それはわたしがひどく硬直しているせいか、それとも風間さんの罪深い腕のせいか。風間さんの規則的な鼓動がすぐそばで聞こえるけれど、それをかき消す勢いで叫ぶ心臓がうるさい。痛いくらいに暴れ回るそれが呼吸にまで支障を来し始めて、くるしい。詰まりながらもなんとか呼吸をするたびに感じるにおいは、もしかしなくても風間さんのものだろう。もうだめ、くらくら、する。ショート寸前な頭は大混乱もいいところで、まるっきり役に立たない。




 ぎゅう、と縋るように風間さんの服を掴めば、下ろされている瞼がぴくりと反応した。ん、と無防備に漏れるかすかな声が耳朶をかすめていく。風間さんは眉間に皺を寄せてうなり声を上げながら、身体をもぞもぞと動かして寝返りを打とうとする。けれど、腕のなかにわたしを抱えたままの状態ではとても出来るものではない。うまく動かない身体に違和感でも覚えたのか、白い瞼が震える。めったにお目にかかることのないだろう、眠気を含んでとろりとした赤の瞳が緩やかに覗いた。首だけ逸らしてなんとか衝突は免れたけれど、依然として有り得ないほど近いのは変わっていない。寝ぼけている風間さんなんてすごくレアなんだろうな、なんて現実逃避めいたことが浮かぶけれど、すぐさまかき消えてしまった。





 額に、触れるやわらかな感触。次に頬に降りてきたそれ。最後にふわりと一瞬だけ唇に触れて、離れたかと思ったらまた引き寄せられてふさがれた。いくらか角度を変えて重ね合わせるだけの静かなそれを、どれくらい続けていたのだろう。もともと苦しかった呼吸も幾重にも積み重なった羞恥も一気に限界に達して、目頭が熱くなる。首を振って逃げようにも後頭部を押さえられていてはろくに動けないし、物を言うための唇は言葉も吐息も呑み込まれている。何度も風間さんの肩を押して胸元を叩いて、酸欠の眩みと戦いながら必死の抵抗を続けて、ようやく解放された。なんとも情けないことに肩を揺らしながら、必死で酸素を取り込む。はあっと吐き出した息があまりに湿っぽく熱を持っていて、さらに視界が滲んだ。




「か、かざ……」
「おやすみ、譲」




 いままでに聞いたどれより優しく穏やかな、そしてかすかに甘さを含んだ、やわらかい声だった。じんと耳朶が痺れて、次第にそこから熱を生む。もう一度額に触れたあと、風間さんはわたしをしっかり抱え直して早々に眠りに就いてしまった。まるで、今しがた熱を交えて触れ合っていたことが嘘のように。



 また取り残されたわたしは、ひとりで頭を抱えるはめになった。負荷をかけ過ぎた心臓が痛くて、もともとその気はなかったにしても意識が冴えすぎてとてもじゃないが眠れない。決して、嫌だったわけじゃない、けれど。熱くなった目頭から徐々に視界の端がじわりと滲む。首も耳も、身体じゅうが熱を発しているのではないかと思うくらいにあつい。目の前のすこやか極まりない幼い寝顔が本気で憎らしい。



「風間さん、風間さぁん、」



 呼びかけても答えはない。声は既に泣いているようだった。先ほどひとの許可も得ずにあんなことをしでかしておいて、もう深い眠りにまで入っているようだ。こちらはまだ鳴り止まない心臓の痛みを持て余しているし、与えられた熱だってやけに篭もって冷めやらないのに。




 そっと、自らの唇に触れてみる。嫌ではなかった。穏やかな呼吸の通う形の良いそれに触れられて重ねられて、嫌なわけではなかったのが、自分のなかで少々問題だ。もちろん、たとえ互いに外見年齢が中学生で止まっていても、添い寝だけで何もなかったとしても、妙齢の男女が同じベッドで夜を明かすなんていうのも本来ならばよろしくない。けれど逃げられないのも現状、紛れもない事実である。はあ、ともはや何度目かもしれない溜め息を吐き出す。相変わらず風間さんの腕のなか、半ば自業自得の抱き枕状態だって継続中だ。密着度も増していて、本当に心臓に悪いことこの上ない。ちくしょう、とあまりに可愛くない言葉を小声で吐き出す。そして、




「……蒼也、さん」




 虫の鳴くような、この距離でさえ耳を澄まさなければ聞こえないのではないかと思うほど、かすかな声だった。夢の世界を泳いでいる風間さんには、決して届かないだろう。そう、思ったのに。そう思ったから、名前を呼んだのに。




「ん……譲、」




 まるで返事をするように耳元で囁くように名前を呼ばれて、謀ったように擦り寄られては、顔を熱くするしかできなかった。目の前のパーカーをつかんで胸元に顔をうずめる。また風間さんのにおいがして、呼吸が近くて、鼓動がまた逸り始める。じんわりと瞼の裏が滲んでいく。周りの音すべてを遮断するように強く目をつむって、すきです、と祈るような声でつぶやいた。






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フォロワーさんからいただいたネタです。
風間さんを抱き枕にしていたはずなのに、目を覚ましたら風間さんに抱き枕にされている話。

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