ひそやかな秘密を分かつ



 霞がかかったようにおぼろげな意識がふわりと浮いていく。徐々に光が瞼を刺して、重たいそれをなんとかして持ち上げる。ぱちり、まだぼやけてる。黒と赤がにじんだように輪郭を曖昧にして、まだ見慣れない木目の天井の格子もゆがんで見えた。



「あ、気が付いた?」



 もう一度瞬きをすると少し視界が冴えた。黒と赤が輪郭を明瞭に取り戻す。心配そうに瞳を細め、わたしを覗き込む少年。頬に触れるあたたかな感触。肩口からすべり落ちた黒髪がさらさら音を立てそうに揺れて、思わず目で追う。そのままゆっくりと視線をめぐらせてみると、いまいる場所が本丸のなかでも奥まった場所にある自室で、布団に横たわっているのだと分かった。いつの間に床に就いたのだろう。必死で意識の途切れる直前の記憶を手繰り寄せても覚えがない。過去へ飛ぶと言って、身体が浮くような気持ち悪さに包まれて、それから? ……そう、そうだ、つないだままでいた手を引かれた。そして硬いなにか――おそらく清光の胸板に頭をぶつけて、元々の体調の悪さもあって気を失った、というところだろうか。自分でも呆れ返るくらい間抜けだ。




「無事、過去の世界に飛べたって。真っ青で今にも倒れそうな顔色してたから一応危なくないように引っ張ったんだけど……へいき?」



 やわく頬や額を行き来する指先がくすぐったい。眠っている間にも触れていたのか、気を失う前はあたたかく感じた手のひらはわたしの頬と同じ温度になっていた。瞳と同じいろに塗られた爪先に視線を奪われる。自分で施したのだったらたいそう器用なものだ。



「元々儀式で少し疲れてたの。おかげで助かったよ、ありがとう清光。……こんのすけは?」
「あいつなら上に報告に行ったよ」



 背を支えられながらも上体を起こして、それほど気分が悪くないことを確かめる。本意ではないにしろ少し眠ったおかげか、疲れも気だるさも幾分緩和されていた。未だ心配そうに眉を寄せる清光に再度大丈夫だと告げて、安心させるようかすかに笑ってみせる。緊張の糸が切れたのか、それとももうどうでもよくなってしまったのか、諦めたような力ないそれになってしまった自覚は、ある。先ほどまでの出来事が夢だったらどんなに幸せか、なんて現実逃避もいつまでもしてはいられない。



 とりあえず、これからどうすればいいんだろう。審神者の職からはもう逃れることなど不可能だし、清光の話によるともう過去の時間軸へと飛んだようだ。わたしの意志や力では現代に戻ることは出来ないから、本当に逃げ場もない。深く沈み落ちそうになる思考を清光が引き揚げた。こんのすけから聞かされたらしい説明をわざわざ反芻してくれて、本丸で目覚めさせた刀たちと暮らすことや清光のほかにも付喪神を降ろし仲間を増やす必要があることを知った。新たに聞かされた情報のなかでも特に、またあの儀を執り行わねばならないことが憂鬱な気分にさせた。精神的にも肉体的にもひどく疲弊するのもあるし、自分に神降ろしの能力があるのを改めて見せつけられているようで嫌なのだ。身の周りに起こっていること何もかもが受け入れがたくて、押し付けがましくて、くるしい。胸を衝くかのような苦しさを吐き出すように、はあ、と大きく溜め息をつく。よりにもよってついたあとに、気がついてしまった。何が招いた気の緩みか、清光の前ではずっと避けていたはずだったそれ。いまさら遅いと分かっていても口元を手で押さえずにはいられなかった。もちろん、そんなことで吐き出した息も幸せも帰っては来ないし、何も押し留められはしない。おそるおそる、ぎこちない動きで清光のほうを振り返る。



「……眉間にし・わ!」



 不機嫌そうな声とともに彼の親指で眉間をぐりぐりと押されて痛い。たぶん皺を伸ばそうとしてくれてるのだろうが何にせよ力加減が下手だし、突然の行動に驚いてもいる。口を間抜けにぽかんと開け、ぱちりぱちりと瞬きを繰り返しながら清光を見やれば、怒ったように眉をつり上げて唇を強く引き結んでいた。わたしが何か気に障ることをしたのか、初日から反りが合わず不仲になってしまうのか、そうしたらだめ審神者として解放してくれないだろうか、などなど。真面目なものから鼻で笑われそうな阿呆なものまで次々と浮かんでは消えていく。眉間を押していた手はおもむろに下がったかと思うと、今度は先ほどまで優しく包んでいた頬をつまんだ。いくらか優しいけれど地味に痛いし、出来れば離してほしい。



「ずっと思ってたんだけどさあ、あんた眉間に皺寄せすぎ。痕残っちゃうじゃん。これから俺の主になるんだし、せっかく可愛い顔してるんだから、もっとちゃんとしてなよ、もったいない」



 これ、は……褒められているんだろうか。いや、どちらかというと責められてる? 怒られてる気分のほうが近い。だめ出しを食らっている、というのが一番ふさわしいのかもしれない。清光は他にも溜め息つきすぎ幸せが逃げる、なんかよく分かんないけど暗い顔しすぎ辛気くさい、などと好き勝手言いたい放題だ。初対面の彼に言われてしまうなんて相当顔に出ていたのを認めざるを得ないし、わざわざ気遣いの上でのお説教に申し訳ない気分になっている。言葉は素直とは言えないけれど優しい子なのだと思う。その優しさが、わたしには痛くてたまらない。優しいけれど、ひどいひとだ。なんて自分勝手なことさえ思う。視界がにじみそうになるけれど、唇を噛んでこらえるのは未だ頬をつねる指が許してくれなかった。



「……あんた、譲って言ったっけ。好きで審神者になったわけじゃなさそうだね。お上ってやつの命令?」
「そ、うだけど、」
「嘘つけないし顔に出過ぎ。……大丈夫だよ、あいつに言いつけたりしないって」



 とりあえずもう聞かないから、となだめるように言われてまるで小さな幼子にするように頭を撫でられる。わけが、分からない。悟られたことはありがたいのか、それともまずい事態なのか判断もつかない。混乱していると自分でも分かっていたけれど、分かっていてどうにか出来るほど冷静でも余裕があるわけでもない。清光の言う「あいつ」がこんのすけを指しているのはかろうじて理解した。いつからか詰めていた息を吐き出すと清光は小さく笑みを浮かべ、「人の営みのこと、詳しく教えてよ」とつとめて明るく言った。


「前の主に使ってもらったときの記憶も、なんとなくならあるんだ。だから大まかなこととかは分かるけど、この通り人の形を為したのは初めて。それも全部、あんたのおかげ。物の味も、においも、触れた感じも全部、譲が教えて」


 こつりと額が合わさる、ひとの気配が近くなる。どこか甘いような香りが鼻先をくすぐって、張り詰めた気持ちがほんの少しだけ和らぐ。額からじんわり伝わるかすかな熱、自らの意思を持って言葉を紡ぐ少し出っ張った喉。ぐずぐずになったわたしをあかい瞳に映して痛ましそうに目を細める彼は、まるでほんとうにひとのようだった。元が刀だなんて嘘のように、彼は確かに生きている。硬く強靱な鋼からひとの身体へと生を与えたらしめたのが、紛れもなく自分自身だということを認め受け入れ、呑み込まなければならない。そうして前に進んでいかなくてはいけない。



「ねえ、ゆっくりでいいよ。譲が教えてくれるならそれでいいから、」
「う、ん……」



 前の主から新しい主たるわたしへと、こころを向けてくれる清光に応えるのがわたしのすべきことで、誠意の見せ方だ。頬をつねっていた指はいつの間にか添えられていて少し硬い手のひらの感触が伝わってくる。同じ体温にまでなった優しい指先を握りこんで、ぎこちなく引きつりそうになる口元を持ち上げて笑みをつくる。我ながら、きっとひどい顔をしていることだろう。



「じゃあまずは、ご飯食べようか。お食い始めってやつだね」
「そのへんはよく分かんないけど、せっかく人の身体になったんだからいろいろ食べてみたい。もちろん譲の手料理だよね?」



 泣くのを必死でこらえていたせいか喉はからからで、なんとか絞り出した声もか細く頼りない、強がりのものだった。それを気にしたふうもなくふざけたような明るい口調で合わせてくれる清光の優しさにまた泣きそうになりがらも、うんと小さく頷いてみせる。嬉しそうな、そしてどこか安堵したように笑う清光に悪いことをしたな、と思う。初日から降ろした付喪神に気を遣わせるとは情けない。重たい心中を軽くするために溜め息をつきたい気分だったが、先ほどの二の舞になるわけにもいかない。眉間をこねられ頬をつねられるのは勘弁だ。


 行くよ主、ほら立って、と促す清光に引き上げられて、布団の上で力なく崩していた足に力を入れる。まだふらつかないこともないが寝起きのことだからと自分を納得させた。くしゃくしゃになった結い髪をほどかれ指で梳かされる。手早く後ろでまとめあげられて、やはり器用な子だなと感心する。そうして手を引かれて広い本丸のなかを、分かる範囲で簡単に説明しながらのろのろ歩く。彼のコンパスを見るにもっと速く歩けるだろうに、わたしのペースに合わせてくれているのが分かる。





「でもちょっと意外。……譲、泣かないんだね」ちょっと泣くかと思ったよ。


 見た目だけはやたらと古めかしい台所までの遠い道のりを行く途中、思い出したようにぽつり、清光が呟いた。ほんの小さな、ふたりきりの静まり返った廊下でなければ聞き漏らしてしまいそうな言葉に、どくりとひときわ大きく鼓動が鳴る。鋭くて嫌だな、と思う。彼の切れ味は鋭いのかどうかは知らないけれど、よく勘の働く聡い子だ。それがわたしにとって、わたしの初期刀であることにとって、いいことか悪いことかの判断はとてもつきそうにない。



「……なかないよ、」


 ……なけないよ。迂闊に口をついてしまいそうな言葉は呑み込んで、胸の奥の奥に仕舞い込む。曖昧に笑ってみせると清光はまた意外そうな驚いた顔をして、そっかと小さく頷いてみせた。唇は噛めないし、手のひらに爪も立てられない。痛みでごまかすのが出来ないのは厄介だと感じながら、胸のなかだけでうずくような痛みを確かめた。



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清光と微妙に意思疎通というか共同戦線というか。
うちの清光は審神者に対しては心配性で過保護っぽいです。

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