こっちを向いてよお嬢さん





 放課後の人気のない教室、外から部活動に勤しむ男子の声が遠く聞こえる以外は会話もなく静かだ。控えめにシャープペンシルがノートの上をすべる何気ない、ともすれば拾えないような音をいつまでも聞いていたいと、ひどく馬鹿らしいことを思った。互いにノートを見せ合うというなんとも学生らしい、そしてクラスメイト以上を感じさせないほどの些細なそれに、ひそかに舞い上がっているのはオレだけなのだと知っている。



 ほう、と思わず感嘆の息を漏らしてしまうほどうつくしい、と思うのはオレが白崎さんそのひとに心底惚れ込んでいるからだろうか。ノートに視線が落とされているせいか、うっとりするほど長いまつげがよく見える。ペンを持つ白くきれいな手も、さらさらと生まれる整った字も、改めて見つめるたびに好きだと思う。いつもは行儀が悪いとか骨格が歪むとか荒北に注意して自分では決してやらない頬杖を、わざわざついてまでして白崎さんを見つめてみる。すると、彼女はそっと視線を上げて苦笑がちにわらった。ふ、と柔らかそうに頬の肉が動く。



「東堂くん、頬杖は骨格が歪むからやめたほうがいいよ。……それと、少し視線が痛いかな」穴が空いてしまいそう。



 彼女にしては珍しく、からかうような色を持った言葉に自身の顔に熱が集まる感覚がした。こう言ってはなんだが、こと自分に関してたいそう鈍い白崎さん直々に言われるとは思っていなかったのだ。そんなに分かりやすいほどだったろうか、と思い返しても自覚がないならば分かるはずもなかった。律儀な注意を受けた頬杖をやめて、机に頬をつける。顔を冷たい机に埋めるようにして熱を発散させようとするも、くすくすと耳朶を震わせる可憐な笑い声を逃さないように拾ってしまう正直な耳がいけない。ふつふつと湧き上がる羞恥に再び耐えきれなくなって白崎さんを見上げる。視線に少々恨みがましさがこもるのも仕方がないと思う。普段なら視線のひとつやふたつどころか向けられていることすらとんと気づかないくせに。自然唇が尖るのを感じて、自分でも幼稚な仕草だと思ったがやめるのも億劫だった。





「白崎さんは、もっとオレにずるくなっているという自覚をするべきだ」
「……それは、ずるくもなるよ」




 口元に浮かべられた笑みの柔らかさも、きっちりした性格の彼女の珍しい気安い口調も、この三年で築き上げた賜物だとしみじみ感じ入る。性格なのか元々備わった性分なのか、彼女――白崎譲さんはあまり目立つことも騒がしいことも好まない。ひどく整ったその容姿で、凛と背筋を伸ばしてひっそりと読書に勤しむ姿はまさに皆の憧れの的。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。その言葉は彼女のためにあるものだと誰もが信じて疑わないほどだった。そんな高嶺の花の白崎さんは、まさに噂話の騒々しい渦中だというのに、視線を集めるのが苦手なのだと言っていた。やけにぎこちない、曖昧な苦笑が脳裏に浮かぶ。思えば出会ったその頃は苦笑や困った表情を多く見せていた。反射的に正反対なのだな、と感じたのも仕様のないことだろう。それでも近づきたいと思う心はどうにも変わらない。騒がしいのを煙たがる彼女に話しかけアピールを続けて三年、ようやく普通に会話のできる友人同士のような間柄にまでなれた。大健闘である。けれどオレが望んでいるのは友人の場ではない。もっと高く登りつめた、彼女の特別な場所。




「東堂くん、おててがお留守だよ」


 ほんの小さな、抑えるような笑い声が耳に心地いいようで、ほんの少し毒だ。耳朶が痺れるような錯覚の、一呼吸あとにじわりと熱が走る感覚がする。染まった素直な頬にこういったことに疎い彼女が気がつかなければいいと思うと同時に、いい加減に気がついてほしいとも思う。そういう意味を含んだものときちんと捉えて、オレのことを考えてほしい。口に出して伝える勇気は足りないくせに、欲ばかりが先走る。



「東堂くん?」





 じっ、と見つめられると、吸い込まれそうで困る。思わず呼吸を止めて二重の意味で苦しくなる。深い黒のなかは夜のようで、艶やかな淡い唇よりよほど雄弁にものを語る彼女のひとみ。その微笑みも意志の強い視線のなかも黒の瞳の裏にも、決して深い意味など含まれていないだろうに。なにか意味を探したがる、そう心が願ってしまう。オレばかりがたまらなく好きで、白崎さんのことを知りたくて、悲しくなるほど一方通行だ。







 同級生とは思えぬほど落ち着いていて大人びた彼女の、はにかんだときに幼く見える笑顔が好きだった。初めてそれを目にしたのはまだ初々しい一年生の頃。もちろんオレに向けられたものではなく、偶然目にしただけの、言ってしまえば日常の些末な出来事に過ぎなかった。そのはずだ。けれど。一瞬、一瞬で視線を奪われて声もなく見とれて、ふと気が付いたときには心までも奪われていた。恋に落ちる音が正しく存在するのかは分からないが、その瞬間大きく高鳴った鼓動の音がまさしくそれなのだと断言できる。





 どうしたの、と淡い桃色の唇が震えて、すこし困ったように柳眉が寄る。前髪の奥、陽を浴びない白い額のまんなかがきゅうっと縮こまっていて、それにどこか歪んだおもいが胸中でわだかまるような心地がした。また息ができなくなる、苦しくて悔しくて、もどかしい。オレが彼女に一番近しい男友達に値する自負はある、けれどそれだけでは到底足りないのだ。とても高みには届きやしない。もっとオレを視界に映してほしい、心を寄せてほしい、と欲望に忠実な心臓が叫ぶ。挙げ句、オレばかりが好きなんてずるいではないか、と理不尽な思いまで抱き始める始末だ。オレが彼女のなかの高みまで登り詰めるか、どうか、どうかここまで落ちてきてほしい。



「白崎さん、」




 喉の奥から絞るようにして出した声は、いささか震えを帯びていて、なんとも情けなかった。ノートの上に鎮座していた小さく白い手を、包むようにして握る。ぱちり、と幾度か瞬きの音がして、たっぷりと時間を置いて彼女はようやく状況を呑み込んだようだ。普段はよく考えに考えて、言葉を選び選び口にする彼女が、ぽろりと単純な言葉にならない音をこぼす。雪のように白い肌が愉快なほど赤く染まってゆく。頬も目元も黒髪から覗く貝殻のような耳さえ、さながら熟れたりんごのようだ。静かな湖面のように凪いでいた瞳は今や不安げにゆらゆら揺れていて、潤んだそれに映り込んでいるのがオレひとりということにひどく満足感を覚える。



 握った手のひらにほんの少し力を込める。彼女の形よい眉がさらに困惑に寄せられる。引き結んだ唇が何か言いたげだったが、結局意味ある言葉を聞けないまま再びきゅっと結ばれた。決して握り返されない手がむなしかった、それでもどうしようもなく好きだった。その瞬きや生み出す言葉のすべてがほしかった。



 ――なあ、いい加減この視線に気がついて、どうかオレだけを見てはくれないか。赤くなったその頬に、特別な意味を込めてはくれないか。






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東堂さんが片想いをする話です。
私の書く東堂さんは片想いしてる率が高いですね。趣味ですね。

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