なんだっていいよ幸せになってよ



「お呼ばれされたのとても嬉しかったのだけど、わたし、お邪魔じゃないかな」



 そう困ったような顔をして、ちょこんと首を傾げる譲先輩は文句なしに可愛らしい。首を傾げた拍子に肩口からすべり落ちたなめらかな黒髪を思わず目で追ってしまう。ひかりを受けてさらに艶めく髪は真っ黒でさらさらしていて、そういうところは似てるんだなあとしみじみ思う。あとは伏せたときによく分かる、瞳を縁取る長いまつげも数少ない似ている部分だ。他にはないかとまるで観察するようにじいっと見つめると、また困った顔をして今度は落ち着かないようにぱちぱちと多く瞬きをして、曖昧に微笑んでみせる。これでオレよりもひとつ年上だっていうんだからずっるいよなあ、いちいち仕草がかわいい。


「や、譲先輩いてくれたほうが華やかだし、オレはまた会えて嬉しいですよ」


 そうかな、と控えめだけれど嬉しそうに口元を緩める。それを見て少しだけ心臓が速まるような心地がするのは、きっとオレだけじゃないはずだ。ひとつ年上の先輩、それだけでもちょっと心が惹かれる響きだというのに。加えてやさしくて可愛らしいひとだなんて、追加ポイントにしかならない。たとえそれがチームメイトの実の姉だったとしても、だ。


 たぶん靖友はふたりっきりの予定だったんだろうなあ、と容易に想像がついたけれど口にはしないでおく。予想がついていたのに見事に予定を壊してしまった。それも故意にとなると靖友に噛みつかれてしまいそうだからだ。今まさに噛みつかれている尽八のようにはなりたくない。だいたい焦って事に気づかれるおめさんが悪いんだぜ、と思ったけれどこれも言うつもりはない。いらぬ飛び火をわざわざ浴びに行くなんてことはしたくないし、それなら譲先輩と話してるほうがよっぽど有意義だ。まあ隠そうとしても靖友は分かりやすい部類に入るだろう。特に、譲先輩に関しては。





 証言その一、オレのクラスは早く授業が終わったんだが荒北は授業中から落ち着きがなかったな! なにやらそわそわして携帯ばかり気にして……チャイムが鳴る前に教室を飛び出していったぞ! 終礼の挨拶は一応済ませたんだが、あれには教師も何が起きたのかと目を丸くしていたぞ。

 証言その二、む、荒北か。オレのところには来ていない。……急ぎの用でもあったのか廊下を走っていた、注意する暇もなかったな。

 証言その三、野獣の威厳はどうしたと言いたくなるほど顔を緩ませながら階段を駆け上がってく靖友を発見。アイツ昼は購買か食堂のはずなのに上に行ったから、ああそういうことかって思って尽八と寿一を誘ったんだ。上には上級生の教室しかないし、あとはまあお察しだろ?



 以上の証言から、普段は教室で昼飯を済ませることが多い二人を食堂へと連れ出した。思った通り、そこには嬉しそうに弟に微笑んでいる譲先輩と、だらしないほどに顔面をふにゃふにゃにしている靖友がいた。オレたちの姿を目にした途端威嚇するように目つきを鋭くさせるのを見て、よく人に温厚そうだと言われる笑みを浮かべれば、気の弱い者ならすくみ上がってしまいそうな凄みのある舌打ちをいただいた。すぐに譲先輩にたしなめられていたけれど靖友は珍しく生返事をして、急降下していく機嫌を隠そうともせずに「独り占めはならんよ荒北!」と意図せず煽りに行った尽八に全力で八つ当たりをしている。譲先輩はオレたちが来たのを見て、四人で昼飯食うのに自分が加わったと思ってるみたいだけど、このまま勘違いさせておいたほうが靖友にとっては幸いだろう。



「新開くんはいっぱい食べるのね。やすくんよりご飯の量が多い」
「自転車競技は腹が減るんですよ」
「だから、いつも補給食の……ええと、パワーバー? を、食べてるの?」


 そうです、と頷くとまたひとつ覚えたとでも言うように譲先輩はうんうんと自分も頷いた。靖友に教わったんだろう知識や話をつなぎ合わせて会話を合わせてくれるのがなんだか嬉しい。お盆に乗せられた大盛りのカツ丼と半チャーハンの運動部向け炭水化物セットメニューに彼女は驚いた顔をしてから、未だギャーギャーと言い争う弟と尽八を気にせずに持ってきたお弁当の包みを開けだした。彼女の身体に見合ったずいぶんと小さなお弁当箱だ。よくそんな量で身体が保つなあと思うが、運動部じゃない女子高生はそれくらいでじゅうぶん足りるのかもしれない。基礎代謝量も燃費も比較するものではないだろう。



「あ、ちょっと待っててね」


 包みをほどいて手を合わせてから思い出したように席を立つ譲先輩。せっかくの彩り豊かなお弁当を置いて食堂の人混みへと紛れていく。そこでようやく靖友と尽八は騒ぐのをやめた。どうやらオレたちが意地でも帰らないと分かったらしい靖友が引いたようだ。勝ち誇ったように笑ってる尽八にイラッとしたのかもちもちと柔らかそうなほっぺをすごい力でつねってはいたが、食事を一緒にする許可は下りたらしい。時には諦めも肝心だぜ靖友。心配そうに姉の向かった先を見ては後を追おうか迷ってる背中に、寿一が親子丼を食べながら冷めるぞと一言告げた。靖友の親子丼はあたたかな湯気を立ててこそいたが未だ手付かずだ。尽八は赤くなった頬をさすり痛いではないかと文句を言いながら、器用にも箸でパスタを食べている。腹に溜まらなそうだと、摂取カロリーと消費カロリーの天秤が真っ先に浮かぶのはなかなか悪い癖だ。


 そうこうしているうちに譲先輩が戻ってきた。手には人数分のコップを乗せたお盆を持っていて、こぼさないように人にぶつからないようにと真剣な顔つきでふらふらと心許なく歩いている。自分は持ってきた水筒があるのに、オレたちのためにわざわざ。無意識に口元がにやけてしまうのは許してほしいと思った。隠すように手で覆ってみても、情けないことに緩みきっている。あんまり格好悪い顔は見られたくないんだけどな、と思ってもなかなか思い通りにいかない。


「すみません譲さん、言ってくれればオレが取りに行ったのに」
「こういうのは気づいたひとがやることでしょう。はい、福富くん」
「ありがとうございます先輩」
「いーえ、」


 全員にコップが行き渡ってから、譲先輩は再び手を合わせていただきます、と呟いた。譲先輩の真正面に座った靖友も雑にだが手を合わせて、小声で譲先輩にならう。チームメイトの見慣れない姿に目をぱちくりさせていると、譲先輩が困ったふうに眉を寄せながらもどこか弾んだ声で、目の前の無愛想な弟に向けて口を開く。……あ、譲先輩の唐揚げすげーうまそう。



「先に食べててくれてよかったのに。やすくんの好きな親子丼、あったかいほうがおいしいでしょう」
「……姉チャンと飯食いに来たんだから、これでいーの」
「そっか……や、ふふ、嬉しいよ。待っててくれてありがと、やすくん」



 別にィ、と照れ隠しのためかそっぽを向こうとする靖友を阻止するかのように、譲先輩はおそらく手作りだろうすげーうまそうな唐揚げを口元に寄せた。いわゆる「はい、あーん」である、ご丁寧にも譲先輩のせりふ付きだ。少しも迷うような素振りを見せずに靖友が唐揚げにかぶりつく。それを譲先輩は微笑ましそうに見て「おいしい?」と首を傾げた。なめらかな黒髪が肩先から流れてゆく。靖友は一口大のそれを普段よりもゆっくり咀嚼したあとに小さくうめェよ、と呟いた。いつも通りの素っ気のない返事でも、穏やかに目を細める譲先輩にはぜんぶ分かってるみたいだ。


 分厚いカツをなかなか噛み切れずに咀嚼を続けていると、今度は靖友が自分の親子丼のうまそうな鶏ももをいくぶん息を吹きかけて冷ましてから譲先輩の唇に近づけた。いわゆる「ふーふー、あーん」である、ちなみに靖友は言ってくれなかった。譲先輩が素直にあーんと口を開けて、おいしそうに目を細めながらもぐもぐと口を動かす。その様がちょっと、頬袋に詰めながらも咀嚼するリスみたいでかわいい。仲良きことは美しきことかな、大変目に和む光景、なのだが。




 目の前で至極当然のように行われたことにオレは咄嗟に対応出来ず、思わずよく似た姉のいる尽八へと、錆びついたブリキ人形もかくやというぎこちなさで向き直った。恐ろしいほど真顔である。元々整った目鼻立ちは黙っていると精悍なぶん、ややきつい印象を受ける。それを分かっていて常ににこやかでいる尽八が、これでもかと言うほどの真顔である。



「……なぁ尽八」
「なんだ新開」
「お姉さんとか妹とかがいるとさ、普通に互いのおかずを食べさせあったりするもんか? うち、きょうだいつっても弟だから、ちょっとそのへん分かんねえんだ」
「いや……行儀が悪いと叱られる上に、うちにあんなことをする可愛げのある姉などいない」



 そうか、と乾いた返答しか出来なかった、いや反応に困り果てたのだ。オレと寿一は男兄弟しかいないからそのへんの勝手はお手上げだ。頼みの綱の尽八もしないとそもそもそんな姉はいないと断言する。ということはやはり、やはりだ。その、少々、目の前の姉弟は仲が良すぎるのではないだろうか。いや仲違いをしているよりはよっぽどいいことであるし、ふたりが仲直りをしたのも春先のことだ。だから、少しばかり離れた間を埋めるようにくっついていても何の問題もない、けれど。昼休みの食堂という、人の目の多いところでこのふたりはずいぶんと目を引いた。片や見目の麗しい二年生と、片や目つきの悪い有名な元ヤン一年。美女と野獣というなんともぴったりな呼び名と、物珍しさに首を傾げてなにやら妙な憶測を立てる囁き声がそこかしこから聞こえてくる。しかし当の本人たちは完全にふたりきりの世界で、視線の集中砲火を浴びているが気づきもしない。むしろそばにいる俺たちのほうが落ち着かなくて居たたまれない。



「まあ、仲が悪いよりはいいだろう」


 箸を置いてごちそうさまでした、と手を合わせる寿一にそうだけどよ、と返しながらチャーハンを食べる。手をつけるのが遅かったせいかちょっと冷めていたし、いつもより少しだけ油っぽく感じる。男子高校生の好みそうな、よりご飯が進みそうな濃い味付けを水で流し込む。尽八は小さくうめきながらオレもあんなふうな優しくて可憐な姉がほしかった、と嘆いていた。その気持ちは痛いほど分かる。


「尽八のとこは顔も性格もそっくりだったよな、確か」
「オレとよく似た美人の姉だが、可愛らしさというものは全くないな」


 パスタを箸で食べながら言い切った尽八の顔はやはり普段と違い、険しさが目立つ。笑い声の乾き具合には触れないほうが賢明だろう。可愛らしさの件あたりで譲先輩にちらりと視線をやると、靖友と楽しそうに談笑していた。靖友もいつもより表情が柔らかで、まぶしそうに細められた目とか緩んだ口元とか優しい手つきで伸ばされる指先とか、そのすべてが幸せそうで愛おしそうで。思わず口から言葉がこぼれた。




「オレも、譲先輩みたいなお姉さんがほしかったな」




 兄って立場も弟の面倒を見るのも嫌いじゃないけれど、やっぱり男同士とあってかこういうふうに甘やかしたり何だりっていうのはほとんどないから、靖友が羨ましい。口に出した直後、ふたりの世界から帰還した譲先輩と靖友、加えて寿一と尽八の視線まで集めていてちょっと驚く。きょとんと目を丸くする譲先輩と、先ほどの優しげな表情をどこに置いてきたのか鋭い眼光でオレを見る靖友。なんだか微妙にやらかした気がして譲先輩に見えない水面下、もとい机下で靖友に蹴られないことを祈った。



「新開くんのお姉ちゃんかぁ……それもちょっと楽しそう。ふふ、そういうふうに言ってもらえて嬉しいよ」
「……やんねーヨ」



 ふわりと花がほころぶように笑った譲先輩は、それはもう実の姉云々をすっ飛ばして彼女になってほしいくらいだった。隣で睨みを利かせてくる野獣もとい番犬の靖友をなんとかしねぇとそれも無理なんだけど。まあ、半分くらいは冗談だ。


 靖友の強い独占欲が覗く小さな言葉を譲先輩はしっかり聞き留めていて、先ほどとは比べようにならないほど頬を緩ませて「やすくん、それってヤキモチ?」と弾んだ声で聞いている。それに対して「ちっが! ……くも、ねェけど、」と笑っちまうくらいに分かりやすいデレを見せている靖友。このふたりを見ていると結構な頻度にわりと本気で血のつながった姉弟なのかを疑ってしまう。あまりの顔の似てなさもそう思わせる原因だが、恋人もかくやとばかりの甘ったるいやりとりに胸焼けと同時に錯覚を抱きそうになる。再びふたりきりの世界に入り込んだ譲先輩と靖友に、もう冷めてるだろうパスタをすすりながらパスタよりも冷めた目つきでそのふたりを見ている尽八。呆れというかどっちかというと嫉妬と羨望混じりな感じで、尽八のとこの姉ちゃんは顔も性格も本人公認でそっくりな時点で、これもまあお察しだ。




「……先輩が、」
「うん?」
「先輩が以前よりもずっと楽しそうに笑っていて、見ていると安心する」


 荒北と話しているときは特に、と付け足された言葉。寿一の視線を追えば、何の経緯でそうなったのか靖友の頭を撫でている譲先輩の姿があって。そっか、とすとんと落ちるような妙な納得を覚える。……寿一は、オレらより早く譲先輩のこと知ってたんだもんな。靖友と仲直りをする前より譲先輩を知ってる寿一が、ほんの少しだけ口元を緩めるのを見て思わず深い溜め息をついた。


「どうした新開、溜め息をつくと幸せが逃げるぞ」
「いや……かなわねえな、と思ってさ」



 オレの説明不足の言葉に首を傾げる寿一と尽八に向けて、わざとらしく肩をすくめてみせる。わざわざ言葉で説明する気はないし、オレだって馬には蹴られたくない。空気に味も色もにおいもあるはずなんてないのに、ふわりと鼻先をかすめたにおいはミートソースのそれでもだし巻き玉子のそれでもなく、どこか甘さを含んだにおいで。心なしか薄桃に色づいたような気のする、隣から漂う空気を吸い込めばにおい通りかすかな甘さが感じられる気がした。いくらその幸せそうな空気を吸い込んだって、もう逃げてしまったオレの幸せは帰ってこないけれど。


 ちゃんと大切にしてやれよ、なんていちいち口に出すほうが野暮だ。甘ったるいにおいに眉をひそめて皿に残っていたやたら味の濃い冷めたチャーハンをかき込み、譲先輩が持ってきてくれた水を飲んだ。そうやって一生やってればいいさ、バカップルもといシスコンブラコン姉弟め。




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食堂ウォーズ。腹いっぱいだよ、ごちそうさま。
だめだこいつら早く何とか……手遅れです、って気分でいつも書いてます。

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