おれにとっての神との邂逅



 初めて目を覚ました、というより瞼というものを押し上げた感覚を覚えたとき、視界に映ったのは強く目を伏せて眉間に皺を寄せた少女と呼ぶべき年頃の女の子だった。力なく白い布団に横たわるひどく痩せた青年の、靄がかかってしまうほど懐かしい姿はない。巫女を思わせるような神聖な紅白の着物をはためかせ、俺と同じ色の腰まで伸びた黒髪をなびかせる。何度か瞬きを繰り返すと、うつろな目がゆるやかに鮮明に冴えていき、色を映していく。夜空を凝縮したような、つめたく澄んだきれいな瞳だった。目が離せないままでいると、急に頭痛が襲って目の前の少女の姿すらちかちかして覚束なくなる。記憶が、薄青の羽織が脳裏をちらつく。自分の意志通りに動く四肢でさえ戸惑いが大きくて仕方ないのに、膨大な量の情報が一気に頭に溢れ出してきておかしくなりそうで怖くなる。そのなかで唯一はっきりしていることは愛されたいという心からの願望と、可愛くないと愛されないという脅迫観念にも似た恐怖だった。


 視界が、少女の鮮やかな黒と白と赤の境目がにじむ。興奮しきった誰かの声が聞こえたような気もしたけど、何を言ってるのか分からなかった。ただ、自分が何者なのかはなんとなくなら把握が出来た。川の下の拾われっこで扱いづらい打刀、でも使ってもらった記憶がある。そして折れて使い物にならなくなって、みじめに捨てられた記憶も。主に捨てられたくない、もっと愛されていれば捨てられなかったかもしれない。だからもっと可愛くしなくちゃ愛されなくちゃ、それが俺の原動力。まだ混乱の消え去らない頭ではあったけれど、自分のことを伝えるため、ぎこちなく少女へと向けて口を開く。喉を動かすのも、自分の声を耳で聞くのも、すべてが初めてで分からないことだらけだった。正直立っているのもやっとで、歩くのもぎこちなくて、それでも失望されたくなかったから精いっぱい虚勢を張って耐えてみせた。まあそれも当然のことなんだろな、と思うといくらか気持ちが楽になる。



 少女は自分のことをとても認めたくなさそうに、苦虫でも噛み潰したような声の調子で審神者だと言った。神をつまびらかにする者、神降ろしの才を持つ者、名前を譲。よくよく顔を見てみれば顔立ちはあどけなく、身長もほんの少し首を曲げてじゃないと目線が合わない程度には低い。まだ年端もいかない少女なのだろう。白を通り越して青さが目立つ顔色に、無理をしているのだと分かる。神事に通じているわけじゃないけど、それなりに肉体的疲労のともなうものなんだろう。震えた足で健気に背筋を伸ばして俺を見上げる少女に、そのときこのひとが俺の新しい主なのだと悟った。


 ためらいがちに主と呼ぶと、どうしたって隠しきれないほど嫌そうに顔をしかめる。元は可愛いのに、眉間の皺が全然可愛くない。俺の主なんだから、ムスッとしてないでいつだって可愛い顔しててほしいんだけど、と不満が口を出そうになる。じっとり見つめていると幼い少女の表情が微妙にだが変化しているのに気づいた。嬉しげな安心したような陽のものから、色を失い何も見ていないような暗い陰のものへ。つらそうに唇を噛む仕草が痛ましくて手を伸ばそうすると、そっとほどかれた薄く淡い唇が清光、とはじめて俺の名を呼んだ。沈み落ちた表情とはとても結びつかない、清流のつめたい水のようなそれが耳をさらさらと撫でて心地いい。



 細い身体で俺と一緒に戦ってくれと言う主に、甘えるみたいに条件を出せば苦笑に近いけれど笑ってくれた。うん、やっぱり難しい顔より笑ってるほうが主は断然かわいい。触れた手のひらはひどく小さく、刀を握ったことなどないとすぐ分かる、まめのない柔らかなものだった。扱いづらい俺とあいつを好んで使った、あの人のものとは程遠い。無力な、けれど優しいひとのそれ。元は刀の俺よりも体温の低い、ひやりとした熱しか持たない手を失いたくないと思った。


 新しい主はそのか弱そうな見目の通り、いくさばに出たこともその有様を見たこともないらしい。俺に指揮も隊も一任したいって、出会ってすぐの無謀なほど厚い信頼もどうなんだろ、と考えざるを得ない。そりゃあ使ってもらえるのも主の役に立てるのも嬉しいもんだし裏切るとかそんなことしないけど、警戒心がなさすぎる。いろんな意味を込めて俺でいいの、と尋ねると急に顔を近づけられ手を強く握られて肩が跳ねた。ち、かいって。ただひたすらに硬直して主の動きを待っていると、ふわりと花がほころぶように笑って「期待してる」と嬉しい言葉をくれた。


「うん!」


 自分でも笑っちゃうくらいの勢いのよさに主がふっと目を伏せる。そして俺に負けず劣らずの勢いでしゃべり出す毛玉もとい狐に、初めてその存在を認識したせいもあってか結構びっくりした。主の時代の狐は流暢にしゃべるらしい。お上の命だか過去に時空ごと飛ぶだか言ったと思えば、途端気持ちの悪い浮遊感に包まれる。主の顔色の悪さを思い出して窺い見れば、案の定真っ青に近くなっていた。悲鳴のひとつもなく息を詰めて、今にも意識を失いそうなほど浅い呼吸をしている。慌てて腕のなかへと引き寄せればその軽さと細さに驚く。とてもたやすく収まってしまって、大丈夫かこのひと、と元々あった不安や心配をさらに煽る結果となった。こんなに細い身体で神降ろしの神事を執り行って、政府の命を一身に受けて。――おれてしまいそうだ、と思う。彼女は俺とは違ってもともと生身の人間なのに。胸のなかに広がる苦々しいなにかの正体を突き止めることも出来ないうちに、ようやく浮遊感から解放された。


 しっかりと主の身体を抱き留めたまま、畳に足を着け周囲を見回す。ひたすらに広い部屋に変わりはない。危なっかしく浮いていた狐と小人が力なく横たわっているくらいだ、どうやら目を回してるらしい。障子の奥、いやに作り物じみていた庭に目をやってようやくなるほどと思った。まるで人目を忍ぶように、覆い隠すように高くそびえていた囲いがないのだ。小さな岩に囲まれた池には鯉が泳ぎ、時折水面を揺らし波紋を残す。緑は青々としていて風に揺らぎ、青いにおいを鼻先に届けた。遮るもののない空は青く透明で、突き抜けるように高い。山々の稜線が薄く霞んで白くおぼろげに見える。遠くでは野鳥の鳴く声も聞こえてくる。呆れてしまうほど長閑だった。



「ど、どうやら無事過去の世界へと移動できたようですな……って主様! どうなされましたか!」
「俺降ろしてからずっと顔色悪かったんだよ。やっぱり神事って疲れるんだね」
「早急に休ませねば……加州様、こちらです!」



 細い身体をたやすく抱え上げる。ほんの少しふらついたけれど、それは重いとか俺の力がないとかそういうんじゃなくて、まだ人の身体に慣れてないからだ。そうであってほしい。慌てる狐の後ろをついて歩いていく。ぱっと見だけれど、ここ相当広そうだ。人気のない冷たい廊下を少し進んだ先に、主の部屋はあった。場所をちゃんと頭に入れながら敷居をまたぐ。襖の奥から布団を引っ張り出して、なんとか片手で敷いて白い茵の上にそうっと下ろしてやる。顔色にやや血の気は差したような気もするけれど、依然として悪いのに変わりない。


 狐、確かこんのすけって言ったそいつは主を起こすやもしれませんだかなんだか言って場所を移そうとしたけれど、俺は少しでも主のそばにいたくて動く気はなかった。だって、目が覚めたときに知らない部屋にひとりきりなんて、主が寂しがるだろ。過去に無事飛んだことも知らないままだし、起こさないようにすればいーんだって。主の枕元に腰を据えて動こうとしない俺に狐のほうが先に痺れを切らして、渋々ながらも小声で話し始めた。


 本丸では主とともに人の営みをし生活をすること、白刃隊を結成し討つべき敵・歴史修正主義者を倒すこと、そのためには仲間を増やさなければいけないこと。本当は主にも聞かせたほうがいいらしいけれど本人はこの通り気を失っているし、俺も一応初めての刀で当面は近侍をつとめるわけだから一通りのことは聞かされた。こんのすけの説明になんとなく納得はしたが当然穴もあって、そこの部分に詳しい理由は分からないけれどそこはかとなく嫌な感じがする。巧妙に隠されたような、見えない膜にくるんで遠ざけたような、不快感にも似た感覚。もやつくそれが気持ち悪くて、でもすっきりさせるにもどうすればいいのか分からない。ひとり眉根を寄せていると、こんのすけは上への報告があるからと行ってしまった。取り残された俺と未だ目を覚まさない主。なーんか、やだなあ。何でか分かんないけどもやもやする。吐き出した溜め息は胸のつかえを取ってはくれなくて、重たい気持ちだけが残った。



 ……肌、しろいなー。柔らかくてすべすべ、まつげも長くて、唇はつやつや。起こさない程度に頬、瞼、口元に指をすべらせてにんまりと笑む。新しい主が着飾らせ甲斐がありそうで今から楽しみだ。小難しいことで頭を悩ませるよりも、オシャレのことを考えているほうがよっぽど楽しい。……それがいま考えるべき正しいこととは、あまり思わないけど。起きているときの不機嫌そうな眉間に皺を寄せた顔は正直好きじゃないけど、きちんと化粧をして笑えば主はもっと輝ける。元がこんなにかわいーんだもん、そのままなんてもったいない。顔に掛かった髪をよけてやりながら、だらしなくゆるむ口元を手のひらで押さえた。



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初期刀は加州清光でした。世界一可愛いよ。

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