そりゃないよ神さま




 口をつきそうになった溜め息をこらえるために唇を強く噛んだ。すぐさま痛みが走るけれど、それはさして重要なことではない。自らの格好を見下ろして、ぎゅっと眉間に皺が寄るのがわかる。


 白の半着に赤の袴。羽織のような黒い肩掛け、胸元あたりに装飾のついた華奢な留め具。真っ白の足袋、いまは脱いでいるけれど赤い鼻緒の黒台の下駄。腰まで伸びた黒髪はハーフアップのようにまとめあげられ、赤い色紐で結われている。少しでも審神者らしく見えるように、との上の勝手なお計らいで支給された新しいわたしの制服、のようなものだ。神社で見かける巫女のような、現代の普段着にしては有り得ない時代錯誤な格好。こんな昔の服、とてもじゃないけれどひとりでは着られなかった。すべて人形のように着付けてもらったものだ。思わず嫌悪に顔が歪む。運命なんてものは信じていないけれど、もしそんな非科学的なものが存在するなら呪わずにはいられなかった。




 時は二二〇五年、平凡な女子高生であったわたしの人生が大きくねじ曲げられた年になる。歴史の改編を目論む「歴史修正主義者」があらわれて、今ある歴史を変えようと過去への攻撃を始めた。まるでSFの世界のようだ、と特に関心もなくわたしはそのニュースを聞き流していた。わたしの家に政府の使いが訪れるまでは。


 どこでどう調べて分かったのか、わたしには神降ろしの才があるらしい。神社の娘でも何でもない、平凡な家庭で生まれ育ったわたしにどうしてそんな稀有な力が宿ったのかなんて分からない。今時の詐欺のほうがまだ信憑性のあるだろう、と思うくらいに突拍子のないその話もあながち嘘でもたちの悪い冗談でも、もちろん詐欺でもないようで。使いが来た次の日からわたしはここ――本丸と呼ばれている山奥の屋敷、と言うより城と呼ぶに相応しい施設へと案内され、テレビや紙面でしか見ないような国のお偉方直々にお願いという名の命令を受けた。そのあとに歴史修正主義者対策委員会なるなんとも胡散臭い集団と顔合わせをし、なにやら難しい説明を受けた。以来、この広く寂しい和室で幾日かを退屈に過ごしている。いつの間にこの国の謳う民主主義は死んだのだろう、と詮無いことを考える。見た目は古めかしい造りのわりに施設の機能自体は最新のものばかりで揃えられていて、その点だけを見るならば快適だったがちぐはぐさが生み出す違和感は拭えない。自分の作った料理をひとりで食べるのは味気ないし、お風呂も部屋も馬鹿みたいに広すぎて落ち着かない。帰りたい、と思っても決して帰れやしない。幾度吐き出したか分からない溜め息は、胸に溜まった鉛までは取り除いてくれなかった。



 審神者なる者としてこの国の歴史を守ること、それが時の政府からわたしに課せられた命令だ。未成年に対する強制労働で訴えたいが政府相手じゃ負け戦もいいところだ。両親のほうにも話をつけた、という彼らの話がどこまで本当なのかは想像するしかないが、無理やりにでもそうでなくても要求を呑ませたのだろう。いまわたしがここにいるのがその証明だ。


 書類だか手続きだか諸々の事情があるらしく、その間ずっと本丸に缶詰、もとい軟禁されている。いかにもあつらえた日本庭園や本丸内部を探索するのは構わないが、決して外に出てはいけない。審神者は基本的に本丸から動かないものだ、とお上にとって都合のよい説明に一応従ってはいる。緊張で死にそうだった初日から一夜明けた二日目あまりの暇に耐えかねて散策をしたが、広すぎて未だに間取りがあやふやだし、果たしてすべての場所を確認できたのかも分からない。それくらい広いのだ。こんな、変哲もない小娘ひとりを閉じ込めておくにはあまりにも広く簡素に見える鳥籠。刀を打つための鍛錬所になにやら荘厳な雰囲気を持つお社。あまり広くない手入れ部屋に膨大な書物の数を誇る書庫。いまはなんの気配もない厩にこれまた広大な耕された肥沃な畑。優に二十人は入れようかという大浴場になぜだか異様に人工的な違和感を発する庭。単なる畳張りのいたずらに広い部屋はもはや数えきれないほどあった。方向音痴の自覚があるわたしが迷子になる日も遠くないかもしれない。




 政府の言う「審神者なる者」とは眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる、技を持つ者のことらしい。わたしが本当にその能力を持つのか、大義を負って戦うのか、今日それが決まることになっている。この格好は降ろした神――付喪神に誰が主であるのか明確に分からせるためのものらしい。つまりは見目からの、単なるお飾りに過ぎない。そのせいでわたしはお気に入りだったセーラー服も、黒のタイツもローファーも全部剥ぎ取られたのだ。


 全くもってくだらない。普通の女子高生としての生活も家族と住まう権利も奪われ、拒否権などはじめから存在しないように息をつかせぬような説明をし、世のため人のためだなんて綺麗事をうそぶき、都合のよい人形のように操り、いらなくなったらすぐに捨てる。与えられた服も、本丸という場所もわたしを縛りつける枷にしか過ぎない。役割を嫌でも分からせるため、役目を果たすまで幽閉監禁。何でわたしがこんな目に、何度そう思ったことだろう。噛み締めた唇が痛い、と思ったとき足元に熱量が寄り添い触れた。



「主様、お顔が険しくなっていらっしゃいます。どこかお加減が悪いのですか」
「……そういうんじゃないよ、平気」
「儀式が成功するか不安なのでございますか? ご安心なさいませ主様! 主様の類い稀なる強きお力があれば、付喪神様もきっと無事降ろすことができましょうぞ!」
「そう、ね」



 人語を解し流暢に扱う柔らかな毛玉、整った毛並みのそれは端から見ればただの狐。だが話すことの出来る狐などわたしよりも物珍しいものなのではないだろうか。もふもふとあたたかな身体をわたしの足に擦り付ける狐、名をこんのすけと言う。だだっ広い本丸に取り残されたわたしに、審神者の役割や日々の努め、わたしが呼び寄せる付喪神に対する知識などを事細かに説明をしてくれたわたしのお付きだ。たぶん監視役も兼ねているのだろうが、可愛らしい見目と自らの責務を必死で果たそうとする姿にどうも邪険に扱うのがためらわれて、憎らしいはずなのにどうにもあまり強く突っぱねられない。だが信用は微塵もしていないことだけは確かだ。政府の使いならばわたしをこの巨大な鳥籠に押し込めたやつらと同類。どうして親しみが覚えられるだろうか。けれど、早々に反発分子と見なされて存在を消されるのも嫌で、疑われない程度の態度で接しているつもりだ。小さな身体を抱き上げてそっと撫でてやる。気持ちの良さそうに細められる目に少しだけ心が和んだ気がした。見た目だけやたら愛らしく作っているのも策略なのだろうか、と可愛げのないことを考えて自分の考えの卑屈さにまた溜め息が出た。



「さあ主様、儀式を始めましょうぞ」
「……分かった」



 深く重く肺の空気をすべて追い出すように息を吐いて、一振りの刀と対峙する。妖精さん、とわたしは勝手に呼んでいる、人と呼ぶにはあまりに小さな鍛冶師がこしらえたらしい刀だ。血を塗り込めたように赤い鞘に金にきらめく鍔、ずいぶんと使い込まれたあとのある柄。急拵えをしたというわりに何か古めかしいものを感じるのはわたしだけだろうか。そもそも付喪神というのは古いものに宿るのではなかったのか、と余計なことをが口に出そうなのを唇を噛んでこらえた。これ以上の面倒はごめんだ。逆らうのももはや億劫で、その流れは速すぎて歯を立てる相手には大きすぎて、身を任せるほかない。



 祈るような心地で、立派な刀を胸の前に掲げ持ち、そうっと床に下ろす。今から、これに神を降ろし命を宿させる。崩し字のような梵字のような読めない字が羅列された巻物を端から解いていく。こんのすけと妖精さんが息を潜めて見守るなか、わたしはそっと目をつむり教えられた通りに強く願った。



 ぶわりと、身体の周りをあたたかな風のような何かに包み込まれる感覚がする。けれど、まだだ。瞼はきつく閉じたまま、巻物に触れている手のひらから何かが流れ込んで身体のうちを渦をかくように巡っていく。探られるような、あるいは試されているような。掻き回されるそれの気持ち悪さに意識が揺らぐが、足元をふらつかせるわけにはいかない。詔も祝詞も分からないからもっともらしい儀式のように紡げない。だがこんのすけの言い分を要約するとこうだ、祈りでも願いでも呼び名は何でもいいから強く念じろ、と。粗雑で穴だらけの、何の説明にもなっていないそれに呆れかえったのは仕方ないことだ。


 この神降ろしが、出来なければいいとも思うし、出来ればいいとも思う。出来なければもしかしたら家に帰れるかもしれない、なんて淡い期待を抱いてもいる。だけれどきっとそんなに甘くもない。事情をよく知った役立たずの末路なんて決まっている。首から下とお別れなんて死に様はごめんだ。だからわたしの命のため、ついでにこの理不尽なお上が守りたがっている世のために。ここまで降りてこい、付喪神。



 包むようにわたしの周りを取り巻いていた風がやむ。小さく息を呑む音が聞こえる。そろりそろりと瞼を上げると、うつろな視界が徐々に鮮明に映し出されていく。瞬きをひとつすれば、見目の整った男の子がひとり、所在なさげにたたずんでいた。後ろで結われた光を弾く黒髪、ひどく印象に残る艶やかなあかの瞳、やけに現代的な黒と赤の服装。わたしの目の前に置いてあったはずの一振りの刀を腰に帯刀している。戸惑ったようにわたしを見つめる様に、成功したのだ、と熱に浮かされたように覚束ない意識で考えた。



「やりましたぞ主様! 初めての試みでしたのに、見事神降ろしを成功なされました!」



 興奮したこんのすけの声がぐわんぐわんと頭に響いてつらい。言い知れない疲労と、ひどい眠気を伴う気だるさに全身が支配されている。膝をつきそうになったがここでしゃんとしなければ威厳も何もない、と震える足を叱咤し前を見据えた。




「あー、えーと俺、加州清光。川の下の子、河原の子ってね。扱いにくいけど性能はピカイチ」
「わたし、は……審神者。あなたをここに呼び寄せた者で、名は譲。好きに呼んで」




 認めるのをいくぶんためらって、でも今まさに起こった事実を認められないほど子供でもなくて。大変不承不承であるが、その忌々しい役職名に小さく頷いて肯定を示した。ぼやけた意識のなか浮かんだのは、まだ生きていられるという単純な喜びと安堵と、本当に審神者の能力を秘めていたのだという絶望と、国のために使命を全うせねばならない責務の重圧と。降ろした神――加州清光といった少年にむごい仕打ちをしなければならない役目に対する、憎悪にも似た思いだった。わたしを見つけてしまった政府を恨まずにはいられない。ぎり、と噛んだ唇が痛む。



「えと、じゃあ、主?」
「加州……より清光のほうが響きがいいね。そう呼ぶことにする」



 なんとも呼び慣れない、そしてわたしも耳慣れない「あるじ」という言葉の響きにずん、と肩に重荷がのし掛かった気がした。こんのすけと妖精さん、そして何よりわたしの元に舞い降りた清光に気取られないようにするため表情を取り繕った。初めてであるわたしの手腕と、自分の打った刀に宿った命とに感動して、これ以上なく騒いではしゃいでいるこんのすけと妖精さんにはたぶん気づかれないだろう。強く手を握って手のひらに爪を立てて、込み上げる苦々しさをやり過ごす。眉間に寄った皺が少しでもマシに見えてたらいい。



「清光、あなたの力をわたしに貸してほしい。歴史修正主義者を討つため、今ある歴史を守るため、わたしとともに過去へ飛び、どうかわたしと戦ってほしい」


 なんて白々しい言葉だろうか、と思ってもないことを言う自分自身に嫌気が差す。本当のことを言わねばならないのに黙っているのは卑怯なことだ。いつかきっと知れてしまうこと、なのに。あなたたちの主を生かそうと、そういう未来を作ろうとしている輩を、いまのわたしたちの生きる時代のために斬れなど。主を殺す歴史を守れと、赴く戦地によっては見殺しにさせるやもしれないなどと。ああ、吐き気がする。なんていうむごい仕打ちだ。けれどこれがわたしの役割だ。もう、逃げられない。



「扱いにくい俺のこと、いつでも使いこなせて可愛がってくれて、あと着飾ってくれるなら」
「……努力はするよ」


 決して素直ではない返事を承諾と受け取って、少しだけ口元をゆるめる。伸ばした手を握り返した手のひらは、少し皮が分厚くて乾いていて、あたたかなひとの手だった。刀から人の形を為し、受肉し、命を宿したもの。彼は生きている。呼吸をし、瞬きをし、あたたかな心臓で鼓動を刻んでいる。それが嬉しいようで奇跡的なことのように思えて、けれどやはりひどく物悲しかった。


「清光、わたしは神降ろしの才を見出されて今ここに身を置くことが決まったのだけれど、戦のない時代に生まれたから軍師の才は露ほどもないの。戦に出たこともなければ指揮を執ったこともない。だから、あなたに指揮を、そして隊長を任せたい。引き受けてくれる?」
「……俺でいい、の?」


 不安そうな色が垣間見えるあかの瞳を覗き込む。宝石みたいにきらきらしていてきれいだ、と柄にもないことを考える。離そうとしていた手をもう一度力を込めて引き留める。そのまま距離を詰めれば、驚いたように清光の肩が跳ねた。目つきはいくぶんきつめに見えるが思ったよりかは普通でいい子そうだ。



「期待をしているよ、斬り込み隊長」



 ふ、と少しでも安心させるように笑うと強ばっていた清光の表情も和らいだ。目尻が下がって長いまつげが際立つ。「うん!」と子供のように頷いた際に揺れた尾のような黒髪がさらりと背にかかった。容貌が整っていて、見た目よりやや行動が幼くて、初めての子がこの子でよかったとぼやけた頭で考えた。


「主様、儀式を終えてお疲れとはお思いでしょうが、もうしばしご辛抱を。これから私たちはお上の命により、この時代よりも過去へと遡りを行います。この本丸ごと時空を移動しますので、加州様とどこかにお掴まりになって、身体を休めてくださいませ」


 全く身体が休まる気がしないんだけれど、と顔を引きつらせる前に胃が宙に浮くような、絶叫マシンに乗ったときのあの不快な感覚が全身を襲った。悲鳴のひとつすら上げる暇がない。初めての神降ろしをしたあとの疲労もいいところのわたしに追い討ちをかけるような事態に、気が遠のいていくのを薄れた意識のなかでぼんやりと感じる。瞼を下ろす直前、未だつないでいた手がすごい勢いで引っ張られ顔を硬いなにかにぶつけたのを境に、ふつりとわたしの意識は途切れた。



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なんとなくうちに来た子順(ねつ造もあり)で書き進めていきたいです。

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