ときめいたほうが負け



 オレの下の学年のヤツは、やたらとオレら二年に懐いている気がする。金城には古賀、田所っちには言うまでもなく手嶋と青八木。そしていねーと思ってたけど、まさかオレにはコイツ、マネージャーの白崎が群を抜いて懐いていた。 廊下の端っこでオレの姿を見つけりゃァ嬉しそうに駆け寄ってきて、犬が主人に尻尾振るみてえに見えない尻尾を振りながら全身から嬉しいオーラを出す。何かありゃァ巻島先輩、巻島先輩とむずがゆい呼び方で楽しそうに話をする。オレと話なんかしてもつまんねーだろうに、にこにこ無邪気に笑いながら。はじめの頃は後輩、特には白崎への接し方が分からず、図らずも無愛想な態度や言動を取ってしまったりもした。ちなみに何かやらかしたあとは金城と田所っちからねちねちと説教食らった。そんなオレにもめげず怯まず白崎はオレに話しかけては、幼く見える顔を綻ばせていた。


 一度なぜオレに懐くのか、と素直な疑問をぶつけたことがある。真面目な顔して珍しく眉間に皺を寄せてうんうん唸りながら考え込んだ白崎に、もしかして地雷踏み抜いたか、と内心大慌てしたのは記憶に新しい。白崎の返答は、



「巻島先輩が登ってるところが格好いいからです! あと髪がきれいで柔らかそうで、わたしすごく好きです! あと、あとですね、」

 ――先輩、不器用だけど、やさしいから。




 なんてただでさえ顔を覆いたくなるほどのことなのに、柔らかにはにかみながら投下されたからなおのこと爆弾級のもので。そのせいでしばらくはまともに顔が見れなかった。まったく、恥ずかしいヤツっショ。何やかんやでオレは白崎にも巻島先輩というかゆい呼び名にも慣れ、白崎は今日も元気にオレに尻尾を振っている。




 白崎はひとつ年下の女の子ということを抜きにしてもどこもかしこも細っこくて、もともと危なっかしいヤツだったが気にかけるようになってからはさらに目を離せなくなった。金城にまるで母親のようだな、とからかわれたのがいつのことだったか。田所っちがオレらを微笑ましいものを見るようなキモチワリー目で見るようになったのは、手嶋と青八木に「白崎を頼みます!」「……ます」と妙な言葉をもらったのは。とにかく、ただの部員とマネージャーという枠に収まりきらない程度には気にかけているし親しいほうだとも、まあ、思う。



 白崎は結構かわいい。もう高校生だというのに珍しいほど素直なところも笑ったときのあどけないカオも、見上げてくる瞳の純粋さがまぶしいほど。全体的に薄っぺらくて肉がねーけど、柔らかそうでふんわりいい匂いがする。見てるとはらはらして心臓に悪いからどうにも放っておけない。あとは慌てたり焦ったりするとすぐに顔を赤くする。それを見るのはわりと嫌いじゃない。ほら、こんなふうに。




「まっ、まき、巻島せんぱい!」
「んー? どうかしたか白崎」
「は、離れてくだ、さい!」



 普段ならオレの髪をちらりとでも視界に入れたら追いかけてくるようなヤツなのに、白崎はここ一週間ばかりオレを避けている。その理由はもうなんとなく知れているのだけど、本人から何も言われぬまま一週間見かけたらすぐに回れ右で逃げられてみろ、なかなか心が砕かれる。可愛がっていた猫にじゃれついていたら不意に引っかかれたみたいな、そんな気分で過ごすのはあまり楽しいことじゃない。妙に胸のあたりがもやついてすっきりしない。部活のときにもオレに対してだけ妙にぎこちなくなったり、深くうつむいてしまって目線が合わなかったりする。たぶん白崎に悪気はねェんだと思うけど、そこまで露骨にされると結構傷つくっショ。


 だから逃げられる前に追いかけて壁際まで追い詰め顔を、正確には額を隠そうとする両の手のひらを捕まえた。のはいいけど、白崎は結構往生際が悪りィ。や、ともあ、ともつかない声を上げてなんとか身体をひねって逃げようとする。無論それでオレの手が振りほどけるはずもない。



「巻島先輩、こ、こっち見ないで……」


 両手をふさがれ退路を断たれた白崎はようやく観念したのかそろそろとうつむきがちだった顔を上げて、図らずも上目遣いでそう懇願した。そうやって不安げに見上げたりするのはやめたほうがいい、と言う機会を窺っているのだがタイミングを逃していつまでも言えないまま今に至る。なにも分かっていないから白崎は無防備にそういうことをする。だからオレは目が離せなくて困るのだ。オメーちょっと遊んでそうなヤツにでも目ぇ付けられてみろ、一日でパクリとされておしまいっショ。ま、そんなことぜってーさせねェけど。



 恥ずかしさからか目尻のあたりまで赤く染まっている頬も、しっかりと潤んだ瞳もよく見えるようになった。白くなめらかな額にほんの少しかかっている短くなった黒い前髪、白崎がここ一週間オレを避けた原因だ。短く切りすぎた前髪が、陽のもとに晒された額が恥ずかしくてたまらないのだと、白崎はぼそぼそ聞き取りづらい声で説明した。


「で? なーんでオレのことだけ避けてたんショ?」


 上から見下ろせばまつげの長さがよく分かる。ちょっとだけ眉根を寄せて言いたくないとばかりに唇をきゅっと引き結ぶ。あー、そのカオも結構だめだ。胸のもやもやはまた違った意味でざわめき始めていて、これは厄介だと溜め息をつきたい気分だった。



「だ、だって恥ずかしいですし……先輩、ぜったい笑うもん、」


 クハ、と思わず漏れた声に白崎はますます泣きそうになって、恥ずかしそうに身を縮こまらせる。穴があったら入りたい、ってところだろうか。ほら笑ったぁ、と子どもっぽく拗ねた口調に、つんと尖った桃色の唇。恨みがましい目でじっとりと睨まれてももとより怖くなどないし、泣きそうなそれに見上げられると逆にちょっとイケナイ感情が煽られそうで困った。



「いまのはそういう意味じゃないショ」
「じゃ、じゃあどういう、」


 おそらくは意味、と続けられるはずだった言葉がひゅっと呼吸とともに喉の奥へと呑み込まれる。見開かれた瞳にはオレだけしか映り込んでいない。黒々としたそれに玉虫色が反射する。以前は髪の下に隠れて見えなかった額に触れた。申し訳程度にかかる前髪を分けて、ことさら白いそこを指の腹で撫でる。そうすると羞恥に耐えるかのようにきゅっと強く目をつむってしまう。白い瞼が陽のもとにあらわになる。そうされると心臓のあたりが妙に軋む感じがして、やけに息苦しくなるのを白崎は知らない、知るはずもない。





 このかわいい後輩は、危機感というものが致命的に欠落している。呆れかえってしまうほど無防備だ。本当に、何も分かっちゃいない。甘そうに色づいた頬にかじりついたら、羞恥で潤みを帯びたまぁるい瞳に舌先で触れたら、オレがそんなことを考えてるなんてきっと露ほども思っていないんだろう。鈍いにもほどがある。何も分かってねェこいつにそんなことする気はないが、それでもまるっきり意識されていないことが少しは腹立たしかったりもする。いくらオレを信頼しているからといって、こうも無自覚でいられるとたまったモンじゃない。




 今度こそ盛大に溜め息をついて、背の低い白崎を覆い隠すかのように身体をかがめる。オレと壁との隙間に挟まれた白崎はいつもより余計に小さく細っこく見えた。オレの髪が頬やら首筋やらにかすめるのか、白崎はくすぐったそうに身体をよじって首を振って逃げたがる。ん、ん、と吐息を含んだ声が空気を震わせて、オレもよく我慢できんなァとまるで他人事のように考えた。


 むき出しの白い額と自身のそれをこつりと合わせる。白崎は必死でつむっていた目をこぼれそうなほど大きく見開き、細い身体を強張らせた。はくはくと何か言いたげに動く唇。けれど明確な音にはならずに震えている。額から伝わるいつもより少し高い体温、こうしているとまるで熱を計っているみたいだ。




「せ、せんぱい……?」



 ようやく絞り出した声もか細くこの距離でなければ聞き漏らしてしまいそうなほどで、それにまたクハ、と笑いがこぼれる。近すぎてぼやけた白崎がまたむっとしたのが見えて、拗ねたようにそっぽを向こうとする。それを左手で顎を持ち上げて制した。解放された白崎の右手はオレの胸板を弱々しい力で押して、やがてかなわないことを悟るとワイシャツの胸元あたりを小さな手でぎゅっと握るから、いろいろと吹っ飛びそうになるのをなんとか抑え込んだ。


 ……そうやって、されるがままに流されるのがだめなんだって。無償の信頼も男相手だとどうなるか考えないと痛い目見るって。白崎はやっぱり何も分かっちゃいない。




「いー加減気づけっショ、この鈍感」



 触れ合わせていた額を離して、あたたかなそこにそうっと唇を押し当てる。ちゅ、と控えめな音を立てて離れる。オレの手のせいで隠したかった白い額が惜しみなくあらわになって、徐々に淡く色づいていくのが面白い。張り詰めた糸のようにぴんと硬くなる身体、うまそうに震えている桃色の唇。耳に首、やがて額まで赤く染めてじわりと熱を持ち始める。



 ――あァ、オレの初めての後輩は笑っちまうくらいばかで鈍くて、ひどくかわいい。


 涙のこぼれ落ちそうな目尻を親指で慰めるように触れる。下がり気味の口角が自然と上がっていくのを感じる。焦って慌てて真っ赤になる白崎を瞼の裏に焼きつけながら、こつりと額を合わせた。





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後輩マネージャー。巻ちゃんのお気に入り。
前髪切りすぎ事件。

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