この執着をひとは愛と呼ぶ




「白崎、おめさんあんまり匂いがしねえな」


 すん、と小さな頭に鼻を寄せて匂いを確かめる。もともと近い距離にも一言物申したいが、やはりその行為も咎めるべきものだろう。いくら自転車競技部の部員とマネージャー、普通のクラスメイトよりかはいくらか親しい間柄だからといってその距離はもはや恋人のそれだ。朝っぱらから美男美女がいちゃついているのは果たして眼福なのか目に毒なのか。男女の入り混じった妬ましい視線を一身に受けながらも当事者たちは一向に気づく兆しはなく、ただのクラスメイトのやり取りを見ているだけの一クラスメイトの自分がどうしてだかはらはらした。



「新開くんのような色男は勘違いをしているのかもしれないけれど、女子のいい匂いは大抵香水なのよ、人工物。あと近い」



 頬を染めるでもなく眉をひそめるでもなく淡々と言葉を吐き出す様は、花の女子高生にあるまじき、とまで言ってしまうのは失礼だがそれにしても淡白すぎる。やはりモテる女の子は手慣れているのだろうかとクラスメイトでありチームメイトである新開隼人に意味が分からないほど接近されている少女――白崎譲に視線を投げれば呆れたように溜め息をついて、重い近いとぶつくさこぼしていた。そのわりには押し退けようとはしないのは優しさからか面倒だからか慣れからか、それとも新開隼人がイケメンだからなのか。


「いや、シャンプーの香りはするんだけどそんな甘くないっつうか、鼻につかないっつうか」
「いまの発言、すごく変態っぽい。他の女の子に言ったら引かれちゃうよたぶん。あと新開くん近い」



 白崎譲の柔らかそうな黒髪を新開隼人が自身の大きな手のひらで撫でつつ指を絡めて遊びつつ話は続く。だから単なるクラスメイトにしてはその体勢はおかしい。なんだふたりは付き合ってるのか。白崎は幼なじみの荒北と付き合っているだかいないだか、もしそうならば美女と野獣もいいところ、というのは一年のときからの噂であるが、あれはやはりただの噂に過ぎなかったのか。そんな俺の疑問に答えてくれる人は当然ながらおらず、再び窓際で朝陽を浴びる二人に視線を戻した。それが絵になるのがまた腹立たしい。


「香水とか最近の柔軟剤とかの匂い、好きじゃないんだよね。なんかやたらごてごてしてて、きつくて。鼻がおかしくなりそうになる」


 確かに、染められたあとのない黒髪や整っているが化粧気のない顔を見る限り、白崎譲は自分を装飾するのを好まないのかもしれない。そういうところがまた清楚でいいとひそかな人気なのだ、本人は気づいてもいないだろうけれど。


「あーほんのり香るとか書いてあっても最近はきついやつとかあるしなぁ」
「そう、わたしもだけど靖友も鼻がいいから。石鹸とかシャンプーとかの自然な香りが一番好き」




 ……ちょっと待て、いま至極当然のように出てきたがちょっと待ってほしい。思わず目を瞬かせると視線の先で新開もぱちぱちと瞬きを繰り返していた。そんな仕草までイケメンがやるだけで様になる。所詮世の中顔か爆発しろ。


 彼女の口からするりと空気のように出てきたヤストモとは、件の荒北靖友のことで間違いないだろう。だけど何故いま出てきた? それまで話題に上がったか? いや、新開が白崎の匂いがどうこう話していただけのはずだ。改めて思うがかなり変態くさいぞ新開。よくこの手の話題を女子、それも同じ部活のマネージャーにしようと思ったものだ。彼女も言ったがどん引きされても不思議じゃない。……とりあえず話題のおかしさもふたりの距離感も疑問に持つのは今さらだ。いまは彼女が何のこともないようにまるで流れるように淀みなく口にした荒北の名前のほうが気になる。



「へえ。靖友が、ねえ……」


 くつくつとこらえきれない笑いを喉の奥で鳴らしながら新開は白崎の頭をことさら優しく撫でた。いやおかしいだろうツッコめよ新開! 心中で大絶叫である。自分も苦手に思っているなら無理に香りをつけろなんて言わないが、何故そこで荒北の名前を出したんだ白崎譲! やっぱりオマエら付き合ってんのか。しかもいまの白崎の口ぶりは自分も苦手だが、なおのこと苦手な荒北がいるから好んで人工的な匂いをつけようとしないふうに聞こえた。何だそれはのろけか、のろけなのか馬鹿野郎!


 意味のない唸り声のようなものを心中で上げながら未だ窓際でいちゃついているふたりを睨むような勢いで見ていると、教室のドアの方向からすさまじい音がした。胸中の葛藤からようやく逃れてそちらのほうを向くと件の荒北靖友が一年の初期のときのような、言い表しがたいほど凶悪で凶暴で最悪レベルに不機嫌なご様子で立っていた。ほんの少しでも目を合わせたくない、合ったら最期だ終わってしまう。そんな勝手なことを考えていると荒北靖友はそのひとでも殺しそうな顔をしながらやたらと猫背なまま、窓際のふたりに向かって一直線に歩いて行った。横を通られただけだが心臓が嫌な意味でどきどきしていて大変やかましい。比喩でも何でもなく死ぬかと思った。




「靖友、おはよ」
「おっ靖友、おはようさん」



 白崎譲は新開に頭を撫でられながら、新開は荒北が恐ろしくもなんともないのか命知らずにも白崎の頭を撫でながらなんとも爽やかに朝の挨拶をした。白崎は何も分かっていないような顔をしていつものように荒北に笑いかけている、新開は確信犯かどうなのかまた白崎の頭に鼻先を近付けた。言うまでもなく近い近すぎる。それを見た荒北の眉間にまたひとつ深い深い皺が刻まれたのを俺は見逃さなかった。……正直見なければよかったという思いのほうが強かったが。



「……新開」
「ん、どうした靖友? 顔が怖いぜ?」



 やめろ新開オマエ煽ってんのか! 全く関係ないはずの俺までが震えているというのに、どうしてオマエはそう平然としているんだ! 目の前でいまにも抑えつけた感情を爆発させようとしている荒北が見えないのか!?





「靖友、どうかし、たっ」
「近ェよ」



 一瞬、何が起こったのかよく分からなかった。地を這うように低い荒北の声、白崎の不思議そうな声が変に途切れる、荒北のワイシャツに遮られて語尾がくぐもる。驚いたように目を大きく見開く新開につられて俺の目もこれ以上ないくらいに見開かれた。気がつけば新開の隣にいたはずの白崎は荒北の腕のなかにすっぽりと収まっていて、新開の隣はぽっかりと寂しげに空いていた。突然引き寄せられた白崎も何が起きたのかうまく状況を呑み込めていないらしく、荒北の腕の中でぱちぱちと目を瞬かせている。そのたびに長いまつげが上下を繰り返した。


「靖友? どうかしたの?」
「べっつにィ、なんでもねーけどォ?」



 本当に何でもないんだったらじゃあその腕は何なんだ、と先ほどの大混乱からは少し回復した思考で思った。とてもじゃないけれど口に出せるわけがない。白崎を抱き寄せてからほんの少し荒北の目つきの悪さが和らいだような気がするが、それでもまだ怖いものは怖い。俺なんかが睨まれたらきっとひとたまりもないだろう。新開ほど俺はレベルが高くないし鈍くもない。


 荒北は白崎の腕を引っ張るだけじゃ飽き足らず、新開から遠ざけるように細い背に腕を回してより自分のほうへと近づけた。まるで大したことでもないかのように教室でそれを実行する荒北もなかなかすごいと思うが、無抵抗でされるがままの白崎もすごい。いくら幼なじみとはいえ異性に抱き締められたらそれなりの反応があってもよさそうなものなのに白崎は平然としている。どこか照れている様子はやはりない。それどころか荒北のワイシャツを掴みながらつま先立ちで背伸びをして荒北の首筋あたりに顔を寄せた。ちょうど先ごろ自分の頭に鼻先を寄せていた新開のように。



「なンだよ譲」
「んー、やっぱり石鹸とかシャンプーのにおいのほうが好きだなあと思って」
「ハア?」



 荒北の困惑ももっともである。再び寄せられた眉根は俺の目から見れば不機嫌そうにしか見えないのだが、その下の小さな黒目はやや優しそうに丸まっていた。猛獣荒北も幼なじみの前では多少甘さを覗かせるらしい。特別知りたくもなかった情報だが新開は眼前で抱き合うチームメイトとマネージャーを眺めては面白そうにニヤニヤしている。オマエ本当に勇者だな、いろんな意味で尊敬するわ。




「……靖友」
「ア?」
「落ち着く、」



 未だ困ったように顔をしかめている荒北をよそに、ふわりと柔らかに笑った白崎譲のなんて可愛らしいことだろう。クラスメイトに向けるものとも部員に対するものとも違う、特別を含んだ甘やかで優しい声がなんとも幸せそうに言葉を紡ぐ。それも自分の腕のなかで「落ち着く」だなんて言われた日にはそのまま舞い上がってしまいそうなほどである。それは野獣荒北も例外ではなかったらしく、アーやらなにやら意味のない声を上げながらばつが悪そうに視線を逸らした。間近であの微笑みとあの台詞は相当クるのだろう。ほどよく日焼けした肌が血色良く色付いていく。


 何のこともないように小さな背に回していた腕を、途端落ち着かぬ様子でうろうろとさまよわせ始めるのは面白すぎた。さすがに笑いはこらえたが震える腹筋の限界は近い。白崎は顔を赤くしながら分かりやすく慌てる荒北を気に掛けずに、好き勝手に首筋やワイシャツに鼻先を寄せてはご満悦とばかりに表情を緩め最終的には胸元にこつりと額を預けた。これで付き合ってないと言い張るほうがおかしい密着ぶりである。そんな幼なじみふたりをそばで見ていた新開は不意に窓の外のほうへ視線をやり眩しそうに目を細めると、ぱたぱたとワイシャツの襟を動かした。それに荒北が隠しきれないほど顔を赤くしつつ、おそらく照れ隠しで睨みつければ新開はいやににこやかな笑みを返す。爽やかすぎて逆に胡散臭さを感じる笑顔である。


「いやァ、朝からあちーなと思って」


 荒北が怪訝そうな顔をするが深くは追及しなかった。そんなことよりも腕のなかで楽しそうにしている幼なじみのことをどうにかせねばと思ったのかもしれない。けれど相変わらず荒北の腕は白崎の背に触れるか触れないかの辺りで無意味に揺れるばかりだし、それに白崎が気づく兆しもなく口元を緩め安心しきった表情で、すんと小さく鼻を鳴らしてはうんうんと確かめるように頷いている。改めて見なくてもすごい光景だと思った。白崎を抱きしめたまま慌てふためく荒北に幸せそうに笑う白崎、それを眺めて笑みを浮かべる事の発端の新開。くつくつと喉の奥でひとしきり笑ったあとに新開は隣から消えた少女の背に向けて言葉を投げかけた。




「白崎、おめさんやっぱ愛されてるよ。自分が思ってる以上にな」
「……ごめん新開くん、話が飛びすぎてて何を言ってるかさっぱりなんだけれど」
「わかんねェならいいさ」



 さっきまで匂いがどうとかそういう話をしていただろう、と白崎の顔に書いてあるようだった。新開は疑問でいっぱいの白崎の頭をなだめるようにはぐらかすように撫でようと手を伸ばして、途中で止めた。番犬のように睨んでくる荒北に怯んだわけではなさそうだ。推測にすぎないが荒北が自分自身が気づいていないところで白崎に対してひどく執着しているのを面白く思ったか微笑ましく思ったかしたのだろう。引っ掻き回すのもほどほどにしないと痛い目を見ると言ったところだろうか、単なる憶測にしか過ぎないがあながち間違ってもいない気がした。


 はあ、誰にも聞こえないだろう溜め息を吐き出して再び窓際の三人に視線を戻す。もどかしいし見ていていらいらもするけれど新開のようにあのふたりを眺める側に回るのもなかなか面白そうだ、と思う俺は自分で思っているより性格が悪いのかもしれない。新開のように口の端をすこしだけ持ち上げて、じれったさを覚えながら幼なじみを脱却できない野獣を眺めて気づかれないように笑った。



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切実なツッコミ不足。幼なじみの無意識のいちゃつきとか大好物です。

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