首を絞めあうように愛したい




「ローさーあーんー、いー加減わたしの右腕と心臓返してくださいよぉー」


 妙に間延びした、緊張感のかけらもない声は下から聞こえてくる。舌打ちをひとつして地面に視線をやれば、締まりのない、そしてとても海賊には見えない幼い顔で笑う女がいた。その女――確か譲と名乗っていた気がするが記憶もおぼろげだ。以前見かけた新聞に挟まれていた指名手配書の呑気な顔と億もいかねぇ端金のような賞金ベリー、かすれた字で書かれた名前は譲だったような覚えがある。

 その女の言うとおり、そいつの右腕と心臓はオレの手のなかにある。右手の指はもぞもぞとしきりに動いているし、生々しい肉の色をした心臓は逸りもせずに規則正しく生を訴えている。何故女が間抜けにも地面を這いつくばっているのかというと、膝から下を切り落としてそのへんに放り投げたからだ。唯一自由にしてある左手はオレの足の下、結構な力を入れて踏みつけているのにあまり堪えた様子はない。女は身動きできない状態まで追いやられてもへらへら薄っぺらく笑うのをやめない、それがまたオレの神経を逆撫でする。


「オイ女、」

 適当に呼びかけると「譲ですよローさん、いー加減覚えてくださいってー。わたし泣いちゃいますよぉー?」とふざけた調子で返ってきて、一瞬ピクリとこめかみが動いた気がした。この変な女はやはり譲という名前だったらしい。オレを好きだと愛していると気色の悪いことを言っては、どうやってか勝手に船へ乗り込み挙げ句こうしてオレに無謀にも飛びついてくる。それをぶった斬るのも慣れたもんだ。クルーともすっかり顔馴染みの女はなんとも諦めが悪く、まだ賞金首のほうがマシだと思うくらいにはしつこい。



「ローさあん、わたしそろそろ左手の感覚なくなってきましたー。ねー血の巡り止まっちゃいますよ、どーしてくれるんですかローさん責任取ってくださいよぉー」
「うるせえ」



 決して慌てない声も、なにも考えていないような態度も、ゆるんだその顔も、無防備に背中を見せてなお騒ぎ立てる根性も何もかもが腹が立つ。何が責任を取れだクソ女。睨んでも怯みやしない、それどころか「やっと視界に入れてくれましたねローさん!」と目を輝かせる始末。呑み込もうとした溜め息をついて、吐き捨てるようにして言葉をぶつける。


「元はと言やあテメエが勝手に押し掛けてきたんだろうが。人の睡眠時間ぶっ潰してよ」


 そもそもどうやって船内に入りやがった。ここしばらく浮上はしていないし、いくらこの女が能力者だろうと海の前では形無しだ。そう問い詰めても女はのらりくらりと「えー、そうでしたっけ?」と首を傾げるばかりだ。それが作戦のうちか、それともこの女の素なのか、考えるのは無駄だととうに知っている。

 ようやく横たわれた久々のベッドから半身だけを起こして、寝首をかこうとしたのかいつもように飛びつきにきたのかも知れない海賊の女をねじ伏せて。かすかな頭痛と寝起き特有の気だるさに舌打ちをひとつ漏らした。睡眠不足の脳はいつも以上に不機嫌で回転も悪い。



「いやあ、わたしの心臓ローさんに鷲掴みされてますね。物理的にも精神的にもー」


 四肢の動きを奪われても気にしたふうもなく、いたって上機嫌な声でそうのたまう。能天気かつ苛立つそれに思いきり心臓を掴む手に力を込めれば「痛たたた、痛ッ、ローさん愛が痛い! でも嬉しい!」と余計に苛立ちを煽る言葉が返ってきて、はあと重たい溜め息を吐き出すはめになった。今さらだが、この女と会話のドッヂボールをするのは激しく消耗する。海賊に繊細な心の持ち主がいるたあ思ってねえが、図太いほうだと自覚のあるオレでも神経をすり減らしている感覚がする。にわかに頭痛が悪化したような気がして、何の意味もないと知りつつも眉間を揉んでほぐした。




「べつにね、ローさんにならあげたっていいんですよ、わたしの心臓。ローさんになら惜しくないです」



 オレが聞いてもいないことなど女は知っているだろうに、まるで関係ないとばかりに好き勝手に話を始める。それもいつものことだというのに、今日の話題はオレにとって大したこともないがその女にしてはいくらか物騒なものだった。普段ならベポの毛並みがどーしたとか、シャチが掃除をサボっていただとか、ペンギンと帽子の取り合いをしただとかくだらないことばかりを次から次へと飽きずに話す女は、それと同じほどの軽さでオレの手のひらに収まる自分の心臓をくれてやってもいいと言った。死の外科医とも呼ばれる、このオレに。


「鷲掴みっていうのも嘘じゃないですから」


 えへへ、とどこに照れる要素があったのかわずかに頬を赤らめて、うっとりと告げた女に眉をひそめる。オレが手に力を込めれば痛がり、潰せばコイツは容易に死ぬ。心臓をくれてやるというのは文字通り命を差し出すと同義だ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。軽蔑に似た感情が胸を占めるのが分かって、その感情の言いしれぬ不快感に吐き気がする。それを振り払うように、ぐり、と足の下にある左手を踏みにじれば、女は痛いですよう、と気の抜ける声で言った。


 苛立ちも意味の分からねェ不快感もどうにも収まらない。原因の女を睨みつければ、いつの間にかへらへらとしたむかつく笑いを引っ込め、口元こそ笑みの形を残したまま射抜くようにオレを見ていた。覇気のような力のあるものじゃない、けれど縫い止めるようなそれ。ほの暗い瞳に宿る淡い光に、何故だか妙に胸が騒いだ気がした。




「でもその代わり、――ローさんの心臓をわたしにください」




 まるでうたうような、淀みのない少女らしい柔らかな声だった。間延びしてもふざけてもいない、なんとも穏やかな女の声。それがなおのこと不気味で、ついでに胸クソ悪い。まだあどけない顔に浮かべられたこれ以上とない幸福そうな笑みに身の毛がよだった。



「だいじょうぶ、悪いようにはしません。売り払うとか傷つけるなんてとんでもない! そんなもったいないこと、わたししませんよぉ!」

「海賊どころか、他のひとに触れさせない場所で、ずうっとずうっと大事にします。食べませんしお触りもそんなにしません。……ね、だめですか?」



 それは子供が母親に菓子をねだるように純粋で、だからこそタチが悪りぃ。目の前のオレすら満足に映していないほど恍惚した、それでいて爛々と狂気に輝く丸い瞳に喉まで這い上がってきた苦々しい何かを飲み下した。今度こそ首から下とお別れさせてうるせえ口を利けねえように思い切り蹴っ飛ばしてやろうか、と普段よりか冷静ではない頭の片隅で考える。寄った眉間に刻まれた皺はおそらく深く、絶えず襲ってくる頭痛はそれこそ容赦がない。



「オレより弱ぇやつに、そうやすやすと心臓預けられるわけねェだろ。馬鹿か」
「えぇー」



 声だけはいくらか未練がましく小さな子供の駄々のようだったが、顔はまたいつの間にかへらりと苛つく笑みを貼りつけていた。続いて残念ですねぇ、とこれ見よがしに溜め息をついてみせたがその言葉に残念そうな響きは微塵も含まれていない。溜め息をつきてぇのはどっちだと思ってやがるクソ女が。



「そういうのは、」


 持っていた右腕を乱雑に投げ捨てて、鞘に収めておいた身の丈ほど長い刀を引き抜く。逆手に持ったそれを、床に無様に転がって動く術を失っている女の細い首すれすれに突き立てた。薄皮の一枚が軽く擦れたが女は眉一つ動かさない。少しの間瞼を下ろしていたがゆっくり瞬きをして、それでとも言いたげに上目に視線を投げた。オレに握られる前に命を投げ捨てているようなその様が、オレに殺られるなら本望なのか幸せそうに目を閉じる表情が、かすかな不満と押しつけがましい愛の籠もった視線が。そのすべてが心底不快で、煩わしくて気に食わない。


 蹴り上げるのはまた今度にして、海を愛した女のわりにはなまっちろい首を片手で掴んだ。一周できるほどではないが細く頼りないそれ、へし折るのもきっとさして力はいらないだろう。左手を押さえつけていた足を退かしてオレの目線まで持ち上げてやれば、膝から下を切り落としたせいかわずかに女の身体が床から浮いた。持ち上げる際に擦れたのか薄皮の下から赤い血が滲んで、重力に従って首を伝う。皮膚越しに規則正しく感じる脈と左手に収まる鼓動の速度が同じだと、この女の命はオレの手のなかにあるのだと当たり前のことを考えて何故だかさらに苛立ちが増した。


 左手の心臓を握り潰しても、右手の首を絞めても、呆気なく死んでしまうくせに。何がひとの心臓を寄越せだ。ふざけんなクソ譲。




「テメェの命ひとつ満足に守れるようになってから言いやがれ」




 嫌悪感も露わにそう言い捨てれば、女――譲はきょとんと目を丸くしたかと思うと、ははっと軽い乾いた笑い声を漏らした。気道をふさがれては呼吸が詰まるはずなのに、それを感じさせないほど軽快な声。あまりらしくないそれに違和感を覚えて、それが分かってしまった気持ちの悪さに眉根が寄る。


「ごもっともです」


 返す言葉もございませーん、ふざけてるとしか取れない言葉に反射のように舌打ちが飛び出す。分かってんならいちいち来んじゃねえよ馬鹿が。苦しげな顔ひとつせずに、にやける口元を隠しもしない厄介極まりない女にこれ以上時間も意識も向けているのが面倒になって、おもむろに手を離した。板張りの床とぶつかる鈍い音と相も変わらず間抜けに上がる驚いたような声。痛いですよう、なんて思ってもいない平然としたそれに、持て余した心臓を顔面めがけてぶん投げることで答えた。




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死なない程度にじゃれつくローさんと海賊女のお話。

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