夜明けを知らない心臓



 ふらふらと覚束なく一歩を踏み出すたびにかつんと耳障りな音がする。あまりヒールの高くないパンプスを選んだけれど想定外の二人分の体重に耐えきれるわけがなかった。これが女の子ならまだしも運動をしている成人男子だ。非力なわたしは支えるので精一杯だというのにこの男は容赦もなしに体重を掛けてくる。爪先も限界に近いがアパートはもうすぐそこだ。ひょろひょろ針金のように細っこいくせにしっかり筋肉が付いた身体をしている酔っぱらいに声を掛ける。


「ほら荒北、そろそろアパート着くからしっかり歩いてよ。重い」
「……アー、うん」


 こいつ絶対聞いてないな。その証拠に足取りは危なっかしいし、肩に掛かる重みも変わらない。何度目か分からない溜め息をついて力の入らない身体を支えながら痛む足を動かした。


 どうしてこんなになるまで飲んだんだか。理由を問いかけようにもこの状態じゃあまともな答えは期待できそうにない。黒髪の隙間から覗く顔は情けないほど赤みを帯びていた。今日はゼミの集まりだった、飲んで酔って迷惑にならない程度に騒ぐいつものやつ。荒北は普段飲んでも酒には飲まれないタイプだ。逆に酔ってへろへろになった先輩を介抱する側。なのに、今日に限ってどうしてこんなに酔ってるのだろう。思い返してみれば、お酒に強い金城くんの隣で飲んでいた荒北はいつもよりペースが速かった気もする。金城くんより強くない荒北が潰れるのは頷けるが自己管理が出来ないわけではない荒北がなぜ、という疑問は消えない。何かヤケになるようなことでもあったのだろうか、首を傾げてみても分かるはずがない。


 こうして二人で帰るのは初めてじゃない。飲み会のときはいつも荒北がわたしを送ってくれている、単純に家が近いからだ。徒歩十分圏内に住んでいて学部こそ違えど同じ大学に通い、ゼミもサークルも同じとなれば自然と親しくもなる。互いに大学に入ってから一人暮らしを始め、万が一鍵を失くしたときのためと言って合い鍵も預けてある。口も目つきも愛想も悪いが、荒北という男は見た目よりも信頼の置けるいいやつなのだ。

 苦労しながらアパートの階段を上り、合い鍵を使ってドアを開ける。玄関でうずくまろうとする荒北をなんとか立たせて、わたしもパンプスを脱いで部屋に上がった。じんわりと痺れて痛い足を半ば引きずりながら、荒北をベッドへと引きずっていく。



「荒北、おうち着いたよ。ほらベッド行こう?」
「……なにそれ、誘ってンのォ?」
「ばか言ってないで、ちゃんと歩いてってば」


 まだ荒北の酔いは醒めそうにない。このまま寝かせたほうが楽だろう。荒北の部屋は物が少ないのにどうしてだか雑多な印象を受ける。壁に丁寧に立てかけられた彼の相棒にぶつからないように気をつけながら、置きっぱなしの雑誌を踏みつける。そして部屋の端に位置するベッドに細い身体を落とした。


「ンー、白崎チャン、」
「なに」
「みずゥ……」


 このやろう人をまだこき使う気か。ベッドに力なく身体を投げ出してわたしのシャツの裾を掴んで水がほしいと催促する。お酒のせいかいつもの睨むような目つきではなく少し眠たげな瞳で見上げられるとどうにも調子が狂う。ちょっと待ってて、と裾を引っ張る手を離させキッチンへと向かう。既に勝手知ったる他人の部屋だ、何度か課題を一緒にこなしたこともあるし金城くんに付き添って看病に来たこともある。その際キッチンを拝借したのでどこに何があるかはなんとなく分かる。コップに水を入れて持って行くと荒北は寝てるのか目をつむっていた。眉間に皺を寄せていないとやけに幼く見えるな、と場違いな感想を抱く。


「……寝た?」
「起きてるヨ、」
「起きれる?」
「白崎チャン、起こして」


 誰だろうこの甘えたは。荒北って酔うと甘えるタイプだったのか。サイドテーブルにコップを置き、伸ばされた手を引っ張って起こしてやる。脱力した身体はやはり重かった。コップを手渡すとゆっくりと冷たい水を飲み干した、まだいるかと聞いたが首を横に振ったのでコップはシンクに置いた。キッチンからリビングに戻ると荒北は頑張って上体を起こし、落ちてくる瞼と格闘していた。着替えさせたほうが寝やすいだろうが、さすがにそこまでするわけにもいかない。わたしに出来るのはここまでだろう。


「じゃあ荒北、わたし」

 帰るね、と続くはずだった言葉が遮られた。手首がやけに熱い手のひらに掴まれて引っ張られる、酔ってるせいか力加減のなってないそれにわたしの身体は容易に傾いた。背に衝撃、しかし痛くはない。スプリングがやわらかくわたしを受け止め、甲高い悲鳴を上げた。


「あら、きた?」
「へへ、捕まえたァ」


 視界に映るのはまだ赤い顔をしている荒北と、やけに高いところにある天井。荒北は嬉しそうにニヤリと笑った、大きく開いた口から覗く犬歯が牙のように見える。さらさらと鼻先を掠める黒髪がくすぐったい、今までにないほど距離が近くて気恥ずかしい。丁寧に顔の横に押さえつけられた手首は動かそうにも動かせない、熱い手のひらの拘束は強かった。


「荒北酔ってるでしょ。ふざけてないで退いて。わたし帰らなきゃ」
「なんでェ?」
「何でって、泊まるわけにもいかな、ひゃっ」


 びっくりして変な声が出た、突然頬に生暖かい感触が触れたからだ。カーテン越しの薄明かりしかない部屋のなかでも、やけに赤々と見える舌がいやらしい。荒北はぺろりと自身の唇を舐めてゆるりと目を細めた。


「な、何し、て」
「白崎チャン甘いネェ」
「皮膚が、甘いわけないでしょ。荒北、お願い、離して? わたしかえ、」
「ナァ、食わせてヨ白崎チャン」



 またしても帰ると言わせてもらえなかった。荒々しく塞がれた唇、水を飲ませたはずなのに舌から強いアルコールが伝わってきてくらくらした。弱くもないが強くもないわたしにはキツすぎる。目尻に滲む涙はアルコールか息苦しさのせいか。長い下まつげが触れそうな距離にあって恥ずかしさに強く目をつむった。視界を閉ざすと水音が耳について、さらに顔に熱が溜まる。いつの間にか後頭部に回されていた手のせいで顔を逸らして逃げることも出来ず、空いた手で力いっぱい胸を押し返してもびくともしなかった。せめてもの抵抗として舌を引っ込めても、追いかけられてしつこく絡められる。やわく唇に歯を立てられ背筋が震える。涙が目尻から耳へすべり、飲みきれなかった唾液が口端から顎へ伝った。



 ようやく唇が解放される頃には酸欠状態に近く、呼吸をするのに精いっぱいで何も考えられなかった。涙のせいで視界が歪む、どうしてこんなことになっているのか分からない。回らない頭で何を考えたって仕方ない、もともとほろ酔いだった頭は噛みつくキスのせいで泥酔したようにくらくらしてまともに機能してくれない。すっかり腰が抜けてしまったのか酸素不足のせいなのか、身体も上手に動かせなかった。わたしが呼吸を整えている間にも荒北はどちらのものともしれない零れた唾液を舐めとり、ついでに触れるだけのくすぐったくなるようなキスを何度も落としてきた。先ほどまで好き勝手荒らし回っていたのが嘘のような、優しくて柔らかいそれに戸惑う。



「ん、あら、」
「白崎チャン……かァわいィネェ」


 やわやわと唇を食みながら至近距離で落とされた爆弾のような言葉。かっと首から上が熱くなる。目の前のこのひとは誰だろう。悪態でなく甘い言葉を吐き出す口、ニヤリとしたあくどい笑み、熱っぽく潤みぎらぎらとした欲望を宿した瞳。見た目より信頼の置けるいいやつに、わたしは今キスをされている。酔った勢いで、恋人でもないのに。ふざけているなら、お酒の勢いだけなら止めてほしい。わたしは荒北とそんな軽率な関係になりたくない。伝い落ちた涙は生理的なものか、それとも。


「やだ、あらきたっ……お願いやめて、もう、ほんとに」
「真面目な白崎チャンは知らないかもしンないケドォ、」


 涙を拭うように舌先が肌をなぞる。目尻からこめかみ、そして耳へ。荒北の熱を含んだ声が直に流れ込んできてうるさい心臓がさらに暴れ出す。



「『やだ』も『お願い』も『やめて』もその声も涙もさ、ゼェンブ煽ってるようにしか見えねェンだぜ?」


 耳たぶに歯を立てながらクツクツおかしそうに笑う荒北のせいで身体が強ばる。熱い吐息がまぶされるたびに震えてしまう。そんなことを言われたってやめてほしいんだからそう言うしかないじゃないか。それに、自分のものと信じたくない声を聞かせるくらいならまだ制止の言葉のほうがましだった。

 手の拘束はとっくに解かれている、たぶん意味がないと思ったんだろう。逃げ出せるはずがないと、そう思ったから荒北は手を離したのだ。ベッドと荒北の腕の簡素な檻のなかで、わたしの抵抗はひどくちっぽけだった。



「あらき、や、ひぃッ」


 標的が耳から首に移ったのかおいしくもないだろう首筋を舐めていた荒北が突然強く首を噛んだ。皮膚を食い破られそうな強さのそれに身体が跳ね上がる。あまりの痛みに脚をばたばたと暴れさせても荒北は首筋に顔を埋めたまま離れようとしない。


「あ、やッ痛い! 荒北痛っ、ひ、いた、」
「やっぱり思った通りおいしいネ白崎チャン」


 だから、単なる皮膚がおいしいわけないだろう。そんなことを言えるはずもなく、ただ与えられる痛みとかすかな痺れに似た感覚に声を上げた。

 荒北が噛んでいる場所は頸動脈だ。たいして人体に詳しくないわたしでも知ってる。そこを噛み千切られたら、そう思うと怖くてたまらなくなり、荒北の言う『煽る』行為であろうと必死に懇願していた。


「痛いの、やだ……おねがい、荒北、痛くしない、で」
「ハ、白崎チャンおねだりィ?」
「痛いのや、やだよ、あらきたぁ……」


 ぽろぽろ出てくる涙を丁寧にすくいあげて、ごめんネェと謝る。そして今度は噛んだ場所を慰めるように舐め出した、ぴりぴりとした痛みが走るからもしかしたら軽く裂けてるのかもしれない。確実に痕が残ってるだろうそこを見るのが怖かった。そうして荒北のTシャツを掴みながら舐められるのに耐えていると、今度は噛まれるのよりも優しい痛みが走った。



「ん、あ、あら……なに、」
「さっきのより痛くないデショ?」
「そう、だけど、んッ、」


 やわらかく歯を押し当てられきつく吸い付かれる、それも一度や二度なんてかわいいものじゃない。服で隠せないようなところにもお構いなしに噛みついて吸われる。これも鬱血して痕になるんだと思うとやめさせなきゃいけないはずなのに、もはや吐息混じりの声しか出せなくなったわたしになす術はなかった。


 唇が触れてすぐに舌が割り込んでくる、絡められるとお酒のにおいが強くなって舌が痺れてくらくらする。溢れそうになる唾液を飲み下せば、よくできましたと言うように後頭部のあたりを撫でられる。荒北のキスはずるいと思う。お酒のせいだけじゃなく頭が霞がかったようにぼんやりして荒北以外なにも考えられなくなる。それって怖いことなんじゃないか、擦り合わせた舌先から伝うアルコールの苦味に眉根を寄せた。


 肌を吸われる痛みの感覚が麻痺してきた頃に、冷たい何かが脇を撫でた。驚きに身をよじらせてもすぐ肩を押さえ込まれて身動きを取れなくさせられる。一度かがめていた上体を起こしてわたしを見下ろす荒北はひどく上機嫌そうだった。



「なかなかいい眺めじゃナァイ?」



 つう、と顎から喉、胸まで人差し指がなぞっていく。恐る恐る視線を下げるとシャツのボタンが全て外されていた、当然下着も見られている。わたしが暴れ出す前に荒北は耳元に顔を寄せ、甘噛みをしながら楽しげに笑った。薄布と肌の境界線を指がたどっていくのに敏感に反応してしまう身体が恨めしい。


「随分可愛いのしてんネ」
「言、わないで、そういうの、」
「あと白崎チャンの身体熱っつい」


 結構興奮してンじゃナァイ? 囁かれて、ついで脇腹を下から上へ撫で上げられる。くすぐったくて触れる手のひらの冷たさから逃れたくて首を振るけど、それで許してくれるほど荒北は優しくない。

 触れそうで、絶妙に触れないような。もどかしさを覚えさせるような触れ方で熱を持った肌をもてあそばれれば泣きたくだってなる。いちいち手つきがやらしくて、指が掠めるたびに声が上がった。


「あらきた、ふっ、ん、う」
「白崎チャン、かーわい、」


 わたしの気も知らないで、歪む視界のなか荒北を睨みつけてみても効果なんてないだろう。獣のようにぎらつく瞳には理性なんて欠片も見つからない。ぺろりと舌なめずり、目の前の獲物を食い荒らさんとするその仕草に恐怖と心臓のざわめきを感じる。まだ秘められた獰猛さが姿を現したら、わたしを暴いたらどうなってしまうのだろう。想像もつかない。余計なことを考えているのがバレたのか咎めるように強く噛みつかれる、思わず背にしがみついて縋るように何度も荒北の名前を呼んだ。



「ネ、白崎チャン、下の名前で呼んでヨ」
「ぁ、なん、で、」
「譲チャン、呼んで?」


 そういうのずるい、荒北の行動も言動も全部ずるい。こんなのだめなのに流されてするなんて本当は嫌なのに、勘違いしそうになる。変に期待なんて持ちたくない、でもお酒の勢いのまま身体だけなんていうのも嫌だ。むなしい、でも気持ちいい。そう思ってしまうのが悪いことをしてるみたいで悲しくて涙が出た。



「や、やす……や、す、とも」
「よォくできましたァ」



 ご褒美とでも言うように触れた唇は優しい、まるで愛し合っているかのような錯覚に陥るほど甘ったるい。ひどいやつだ。強引なくせに手酷く抱こうとはしない、舌先から溶かすような焦れったさに腰のあたりが痺れる感覚がする。乱暴に扱ってくれたのなら、まだ諦めもついたかもしれないのに。ぐらぐらと心許ない天秤に掛けられたままでは息をするのさえ苦しい。

 薄明かりのなか荒北と目が合う。絡んだ視線を逸らせなくて水に浸したような瞳を見上げた。カーテン越しの弱い光が瞳に映り込んできらきらしている。にい、と意地悪く吊り上がった口端をわたしは見逃さなかった。



「や、だ、めっ、あらきた!」
「靖友、ネ。譲チャン」


 冷たい手のひらが脇腹をすべり、そのまま下へと下りていく。荒北の長い指が黒いニーハイを引っ掛け、器用に脱がせた。わたしが脚をばたつかせるせいでスカートはめくり上がり、それを見た荒北がまた悪辣に笑う。必死の抵抗むなしく素足にされて、タイツを履いてこなかったことをこのとき初めて後悔した。


「お揃いとか用意イイネェ、譲チャン」
「ちがっ、ン、やだ、あらっ」
「靖友、デショ」



 内腿を、撫でられている。柔らかさを確かめるように揉まれて、自分でも触れる機会の少ないそこを執拗に攻められるのが恥ずかしくてたまらなかった。じっとりと這う大きな手のひら、それが冷たい理由なんて考えたくもない。耳たぶの輪郭をなぞる舌に、いろんなものが突き崩されて溢れ出しそうだった。



「やす、っあ、やすと、んう、」
「譲チャンのここ、すべすべで気持ちい、」
「もっ、やだぁ……」
「ネ、譲チャン、」キモチイイ?



 肝心な部分には触れない。下着の趣味をからかってもホックすら外さない。わたしをめちゃくちゃにしたくせに自分は一枚も着衣を乱さない。荒北が何をしたいのか一体どういうつもりなのか、問い詰めるにももう引き返すには遅すぎる。荒北に与えられた熱がわたしの身体を巡って燻ぶる。



 ねえ気持ちいいよ、苦しいよ、胸が痛いよ。初めての恐怖よりも気持ちのないまま事に及ぶことが悲しかった。淡く芽吹きそうだった想いが咲く前に摘み取られてしまうのが悲しかった。嫌だよ荒北、こんなの嫌だ。生理的なものではない涙が頬を濡らしていく。

 狼に狙われた獲物ってこんな気分なんだろうか。好きなように遊ばれて、いたぶられて、ぼろぼろにされて、挙げ句食べられる。弄ぶくらいなら、いっそ一思いに噛み殺してくれ。



 泣き止まないわたしを見かねてか、荒北は頬を舐めるのをやめて抱きしめるように身体を密着させた。薄い胸板に少し苦しいくらい顔を押し付けられる、聞こえてくる心音は心配になるくらい速かった。



「譲チャン……譲チャン、」
「な、に」
「……好きィ」




 一瞬、本当に何の音も聞こえなくなった。荒北の心音もわたしのしゃくりあげる声もベッドが軋む音も、何も。
 好きって、なに。何が好きなの。誰が何を。荒北が、わたしを? ほんとうに? 確かめようにも強く押し付けられているせいで頭を動かせない。でも聞き流せるほど簡単な言葉じゃない、うやむやに出来るほどわたしは大人じゃない。


「あら、……やすとも、顔、見たい」


 制止以外の、初めてのお願い。痛いくらいの腕の力が少しずつ緩んでいく、なのに一向にわたしを見ようとはしなくてやっぱり聞き間違いかと不安になる。腕を突っぱねて荒北の顔を覗き込むと、眉間の皺がないせいかやけに幼く見えるそれがあった。脱力した身体は潰されそうになるくらい重い。


「寝、てる……?」


 うそ、と思わず口をついて出た言葉は寝息しか聞こえない部屋に響いて消えた。さっきみたいに目を閉じてるだけで実は狸寝入りなんじゃないかと疑ったが、いつまでたっても荒北は目を開けないしだんだんと呼吸の間隔も深く緩やかなものに変わっていってる。

 本当に寝やがったこの男。ほっとしたような、肩透かしを食らったような気分になる。それがひどく悔しくて恥ずかしくて、目の前の穏やかな寝顔が憎らしかった。結局好きって何か聞けてないし、言い逃げとかずるいし。それに、こんな中途半端に行き場のない熱を持たされた状態でわたしは一体どうすればいいのか。太腿を擦り合わせるとかすかに聞こえる水音、背筋もまだ甘い痺れから震えている。重要な部分は避けられたとしても余すことなく触れられた身体は疼いている。ここまで追い詰めたひとは寝ているし抱き枕にされて抜け出せないし、まさかこの状態で寝ろと言うのか。


「いっそ殺せ……」


 荒北は絶対に許さない。明日の朝一で好きの意味を白状させるし、酔った勢いとは言えわたしの身体を好き勝手した責任も取ってもらう。あとはあれだ、苦手科目のレポートの手伝いさせる。ちょっとお高くて手が届かなかったカフェにも連れてってもらおう、もちろん荒北の奢りだが、それでもまだ気は収まらない。

 何度目か分からない溜め息に含まれた熱の片鱗を見なかったふりをして無理矢理目をつむった。身体が熱いのも心臓がばかみたいにうるさいのも目が冴えてしばらく寝られなかったのも全部全部おまえのせいだ荒北靖友!






 瞼を突き刺す強い光に意識がだんだんと覚醒していくのを感じる。薄目を開けると遮光カーテンを閉め忘れたのか朝陽がダイレクトに顔に当たっててイラついた。枕元に置いてある時計を見てみるとまだ全然寝ててもいい時間で、二度寝しようかとも思ったけどやめた。確か今日はバイトも講義もねェけど、二度寝の気分じゃねえ。つーか二日酔いなのか頭痛ェ。ガンガン響く頭を押さえながら枕に沈み込む。昨日は着替えることもせずに寝たようだ、布団すらも掛かってなかった。なんかいい夢見たような気ィすっけど頭に響いてそれどころじゃない。やっぱ二度寝でもすっかと漏れるあくびを噛み殺したところで、自分の目を疑った。


「ッハア!?」


 一気に目が覚めた、反射的に飛び起きてしまい鈍器でぶん殴られたような痛みに思わず呻くが、ンなことよりも目の前の光景が信じられなかった。本当に、まだ夢見てんじゃねーのこれ。


「なんで、白崎チャンがオレの隣で寝てるわけェ?」


 すやすやとまるで無防備に眠っている白崎チャン。そういや昨日の夢に白崎チャンが出てきたような気がする、やだとかやめてとか涙目でオレを煽ってくるとびきりえろいやつ。まさか続きじゃねェだろーなァと思って自分の頬を引っ張ってみたけど痛ェだけだった。アホか。


「……白崎チャン?」


 恐る恐る名前を呼んでも白崎チャンは熟睡していてとても起きそうにない。何で白崎チャンがオレの部屋に泊まって同じベッドで寝てるのか覚えてねェけど、さすがに無防備すぎるんじゃナァイ?


「ッバ、おま、なんつー格好して、」


 徐々に起き出した頭でよくよく見てみると白崎チャンはとんでもない格好をしていた。昨夜と同じストライプシャツのボタンは全開だしスカートはめくれ上がってるし、履いていたはずの黒い靴下はベッド下に落とされている。朝陽に眩しい白い肌には明らかに情事のものと見られる無数の鬱血痕。派手な首筋の歯形と不気味に浮き上がる内出血のあと。白い肌を埋め尽くすように散らされた赤い痕があどけない寝顔とミスマッチで、それがまたいやらしい。


「オレ、もしかして酔った勢いで白崎チャンとヤっちまった……?」


 白崎チャンの夢が、もし夢じゃなかったら? 身体の中心に熱が集まるのを感じたが頭を振って押さえ込む。ンなことより、何が起こったのかを確かめるほうが先だ。


 昨日は確かゼミの飲み会だった、飲んで酔って先輩に絡まれるウッゼェやつ。隣に座った金城にはオレが白崎チャンのことを好きなのがいつの間にかバレていて、昨日も確かそれをネタにされた。余裕綽々に早く告白したらどうだ、なんて軽々しく言う金城にムカついて普段よりハイペースで飲んだ。ッセ、簡単に言いやがって。ンなもん出来たら苦労してねェヨバァカ! そんでそのあと白崎チャンに支えてもらいながら家に送られたあたりまで記憶はある、シャンプーのいい匂いがまだ鼻先に残っている。起こしてもらって水飲んで、……そっから? 細っせえ腕掴んで捕まえて、たまらず舐めた皮膚も甘くて、怯えきった瞳に欲情した。夢と思った記憶がずるずると浮かんできて頭を抱え込みたくなる。


「マジかヨ、オレ、」


 小さな身体をベッドに縫い付けてうまそうな肌にかじりついた。初めて見る泣き顔に弱々しい声でやめてと煽る姿に背筋がぞくぞくした。抵抗なんてあってないようなもんで、甘い匂いの唇に何度もかぶりついて貪るように舌を絡めた。真っ赤になる顔も初な反応も可愛くて、高くて甘ったりィ声がまだ耳にこびり付いてる。


『や、やす……や、す、とも』
『やす、っあ、やすと、んう、』


 呼ばれる名前が柄でもなく嬉しくて心地よくて、喘ぎ混じりに呼ぶ白崎チャンがたまンなかった。どさくさ紛れにオレも白崎チャンを名前で呼んでいた。どこ触ってもふわふわと柔らけェ身体はちょっと力を入れれば折れちまいそうで、舌でなぞるだけで小刻みに震えていた。涙目で睨んでくンのも可愛くて、大切にしてェ泣かせたくねェとか思ってたのも全部吹っ飛んだ。めちゃくちゃに噛んで舐めてかじって吸い付いて、縋りついてくる手に期待して甘い声に酔いしれた。



「最低じゃねェかヨ……」


 気持ちもロクに告げないまま酒に任せてこんなこと、嫌われたっておかしくネェ。そもそも白崎チャンみてーな女の子がオレと仲良くしてンのが奇跡みてーなもんだったのに。
 隣で眠る白崎チャンはまだ目を覚まさない。その無垢な寝顔をちら見して悪りィとは思いつつも、身体の奥で高ぶる熱に耐えきれなくなって急いでトイレに駆け込んだ。



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尊敬するひなみさんへの捧げもの

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